「伊那谷の豊かさ」を支える流通の魂 - ニシザワ会長 荒木茂さん【IV】
私の見た荒木さん
伊那谷の流通業の中核を担うニシザワグループ。その先頭で牽引してきた荒木茂会長に迫るシリーズ4回目。会社プロフィールと、地域で関係のあった人々に「私の見た荒木さん」を語ってもらった。
元衆院議員・元厚生大臣 宮下創平さん(78)は語る
ニシザワは地場資本として多くの店舗を展開し、地域に生活の面で大きな貢献をしている。県外資本の場合には、地元商店とぶつかったりすることもあるようだが、ニシザワはそういう声も聞かない。
中には「ニシザワは大きくなったが、中心商店街は廃れた」というような言い方をする人もいる。しかし、ニシザワは資本の論理だけで大きくなったわけではない。地域に良い品を提供するために、地場の企業が正しく成長することはむしろ住民にとってプラスだ。
荒木さんの人柄によるところが大きいのではないか。衆院選に出るようになり選挙の強力をいただくようになってからのお付き合いだが、商人の狡猾さを微塵も感じさせない、穏やかで、常識のはっきりした方という印象だ。常識で物を考え、やるべきことをやられてきたから現在があるのだろう。
旧制伊那中時代には西澤書店で参考書を買い求めたもので、創業80年と聞いた時には、とても感慨深かった。
大明化学工業元相談役 池上房男さん(93)は語る
ロータリークラブで、荒木さんは先輩会員にあたり、いろいろお世話になりました。伊那市のロータリーの活動で大きな役割を果たされた方だと思います。
お人柄は控えめで、あまり表に出たがらない。だが、事業の方は、一つの書店から始まり、積極果敢な店舗展開をされた。私は性格上、事業規模の拡大をあまりしませんでしたが、あれだけのお店を出されて安定的に発展された。地域へのたいへんな貢献であると思います。
自己主張をされないが、地域の流通業はどういうものでなければならないかについて強い信念をお持ちだと思います。私も若い頃から西澤書店で本を買いました。中央の情報・文化をこの地域に運ぶお仕事の中で、流通業の基本をお考えになられてきたのではないでしょうか。
書店から創業された方らしく、大変な読書家です。本で学んだことも、あれこれ人にお話しされたわけではありませんが、言葉の端々から広い見識がうかがわれ、読書の蓄積を感じさせられました。
元ニシザワ社員・まんが家 橋爪まんぷさん(65)は語る
広告宣伝の部署に正社員と嘱託で合計40年間お世話になった。チラシや短冊やポップをつくるだけじゃなくて、集客のために移動動物園やサーカス団を呼んだり、おもちゃ博覧会とかアマゾンの何とか展とかを開いたり。「クジラ以外の動物は全部呼んだ」とよく笑い話になる。
現会長は、そういうことを「お、それはおもしろそうだ」と広い度量で受入れてくれた。まぁそれは僕が言うんじゃなくて、現副会長が会長に話を通してくれたんだけどね(笑)。
徹底した現場主義の方で、会議でいろいろ議論していると、「売場に行け」と怒られた。ご自分も、しょっちゅう現場を見て回られていて、現場の細かいことまで掌握されていた。効率も重視していて、無駄を省くことを徹底した。お客も品物も毎日変る、鮮魚などはスピードが必要。そんな商売の面白さを教えていただいた。
あとすごいのは読書。大変な読書量で、読むと人にも読めと進められる。本から得られたことは多かったのではないかと思う。
会社プロフィール
株式会社ニシザワ/代表取締役社長荒木康雄氏/総合小売業/年商214億円(05年実績)/店舗数59店舗/従業員900人
■1924(大正13)年故荒木昌平氏が通り町に西澤書店伊那支店を開業■48(昭和23)年有限会社西澤書店開設(荒木茂社長)■49(昭和24)年12月29日大火で店舗焼失■50年大火後2階店舗新築■56年株式会社西澤に改組■63年4階建店舗に増築■66(昭和41)年スーパー西澤開設■67年通産省(当時)により百貨店の認可。鉄筋地上6階・地下1階建に増築■74(昭和49)年、ダイエーとフランチャイズ契約締結■76年ニシザワショッパーズ双葉店開店(以降、現在までにショッパーズは9店舗)■80(昭和55)年CGCジャパンに加盟■82年ベルシャイン伊那店開店(以降、現在までにベルシャインは4店舗)■94(平成6)年ブックオフ伊那店開店(以降、現在までにブックオフは県内・首都圏などに31店舗)■95年サンマックス伊那店開店(以降、現在までにサンマックスは3店舗)■97年ツタヤ伊那店開店(以降、現在までにツタヤは2店舗)■98年焼肉屋さかい伊那春近店開店■03(平成15年)荒木茂氏会長就任、荒木康雄氏社長就任■04(平成16)年ニシザワホールディングス設立、創業80周年