宗良親王の歌碑を除幕
小学生らが除幕し、碑の完成を祝い、公園の発展を願う
中川村の沖町地区住民らでつくる歌碑建立実行委員会(小沢昭夫委員長)は8日、大草城址公園に建立した宗良親王の歌碑と副碑の除幕をした。
冷たい雨の降る、あいにくの天候だったが、地域住民や村、議会、地元の小学生ら約百人が参列。関係者がテープカットし、小学生らが除幕し、碑の完成を祝い、公園の発展を願った。
歌は李花集の中から、大草城に縁の深い歌を選び、碑の表に「宗良親王御歌 我を世に ありやと問えば 信濃なる いなとこたへよ 嶺の松風」と刻み、裏面には宗良親王の紹介と、大草城との関わり、碑の由来など記した。
碑は高さ2・3メートル(台石を含む)、幅3・1メートルの御影石。1901年(明治34年)宮中御歌、歌題「宗良親王」に立ち合った人の孫、亀割糸子さんが揮ごうした。
「大草城の歴史と公園をつなぐものを後世に残そう」と、沖町地区有志が実行委員会を組織、浄財を募った。松沢三郎さんや塩沢護さんが多額の寄付を寄せたほか、50人余が協力した。歌碑に合わせ、公園の沿革を記した副碑も建立した。
除幕に先立ち、小沢実行委員長は経過に触れた後「多くの方々の協力で、後世の残す価値のある碑が建立できた。この歌碑と桜が礎になり、さらに立派な公園になるように」とあいさつした。
【宗良親王】後醍醐天皇の第8子で南北朝時代、南朝方の征東将軍として、各地を転戦。1343年大河原(大鹿村)に入り、以来30年余、大草城主、香坂高宗の庇護により、任務を遂行、信濃宮、大草の宮と呼ばれた。詠歌に優れ、歌聖として名高く、名歌を残した。