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304/(火)

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前箕輪町消防団長
荻原利一さん

「火災が起こらないように、それが一番」

前箕輪町消防団長<br>荻原利一さん

 「消防団活動は365日24時間営業。いつも気を張っていたけど、やっと肩の荷が下りたかな」。3月末、箕輪町消防団長を退任した。団長と副団長を各2期4年務めた。団員時代を含め約22年間、町の安全のために尽した。
 83年3月末、分団長を務め退団。それから16年、副団長任命の話がきた。副団長になれば団長まで務めるコースが出来ている。分団長時代に団長の大変さを見てきただけにためらいもあったが、任命を受けた。
 団長の4年間は、「地域の人から愛され信頼される団、自分たちの仲間づくりをする団を目指せ」と団員に訓示してきた。
 「団員450人の命は団長次第だという。町にもお世話になるけど、人命を預かる。指揮をとるのは大変」。責任は重い。火災現場ではまず状況把握。建物内に人がいるか確認し、類焼を食い止めるための判断をする。自分と団員の身を守りながらの活動になる。「火災も水害も人探しも、早めに手を打とうと動いた。人命第一だから」と振り返る。
 団員確保は、「町民に協力願うしかない」と理解を求めてきた。「長くなくてもいい。5年くらい経験してもらえれば。消防団は大切だという気持ちを持ってもらわないと、これから活動は難しくなる」とする。
 「消防やってるときは、うんと若く感じるね。入ってくる団員は若いから、自分も45歳から50歳くらいの気持ちでやってた」。団長、副団長の8年間。「多くの人と知り合えたこと、若い衆と交流できたことが収穫」という。
 消防団員になったのは高校卒業後すぐ。学業と修業を終え、家業の大東畳店で働き出したときだった。当時、団員は自営業の長男が多く、消防団が家を訪れ「今年からお願い」と、本人の意思とは関係なく法被を置いていった。「昔は家にいる人は団に入るものと思ってた」と、当然のことのように入団した。
 ボランティアで町民の生命、財産を守る-。基本は今と何一つ変わらない。「1年終わるたびに地下足袋をもらって、災害があったときは屯所に帰ってきて茶わんで一杯飲む。それが報酬だった」。
 楽しい思い出の一つは花見。「運転練習を兼ねてポンプ車で送ってくれたり。高遠まで行ったこともある。今はポンプ車で行くなんてできないけど、よき時代だった」。
 団員時代は機関部に所属。ポンプ操法も8年経験した。当時は、棒吸管を連結し放水直前までの操法を競う種目があった。仲間と「もうちょっとやるか」と頑張り、「あと1年で棒吸管がなくなると聞けば最後までやるかとなる。おもしろかった」と種目最後の年まで続けた。
 「ポンプ操法は大変だけど、それを乗り切った団員は活動に対して熱いものが出来てくる。人間としても成長し、友達もできる」。活動を共にした仲間とは、今も付き合いがある。
 箕輪町には、団長経験者で組織する町消防団参与会がある。団を温かく見守り、アドバイスを求められたときに協力する会。7人目の参与になった。「俺より上の偉い衆がいるから今度はぺーぺーね」と冗談交じりに笑いながら、「参与は死ぬまで。何もできないけど見守っていきたい」と、団員450人を見てきた優しい眼差しで語った。(村上裕子)

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