「富士乃湯」代表 栄信雄さん(73)
駒ケ根市中央
湯気に煙る高い天井に湯の流れる音やおけの音が反響し、浴槽にのんびりつかっている客が伸びをしながら「ああ、極楽極楽竏秩vとつぶやく竏秩Bそして壁には富士の絵。今ではめっきり少なくなった町の銭湯の昔ながらの風情を今に伝える「富士乃湯」の主だ。
父佐太一さんが1919(大正8)年に始めた銭湯を受け継いで50年間守ってきた。多くの銭湯が燃料に重油を使う中、今でもおが粉や木くずを使って湯を沸かしている。「やっぱりたき物の湯は違う。体の芯から温まる」と評判だ。
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子どもの時から家族皆で仕事をしたことを懐かしく振り返る。
「一番大変なのは燃料運びだった。近くの製材所を回っては木の車輪の大八車でおが粉や廃材、木の皮なんかを運んで来るんだが、道も今のように舗装なんかされていなかったから石ころや凹凸で大変だったなあ。その後タイヤのついたリヤカーになり、3輪トラックになってずいぶん楽になった」
仕事は今でも基本的に変わらない。朝9時ごろトラックで燃料のおが粉を取りに行く。釜と脱衣所の掃除を昼ごろまでに済ませてからたき付けをし、午後4時に開湯。温度調節に気を使いながら釜の番をし、奥さんが食事の時だけ番台に座る。閉湯は午後10時だが、最後のお客さんが出るのは11時を過ぎることも度々だ。浴槽とタイルを磨いて湯を抜くと午前零時を過ぎる。
「寝るのは1時過ぎかな。年だから腰が痛いよ。体のあっちこっちもね。そんな苦労しても儲かるどころじゃなく、続けていくのがやっと。お客さんが少ない時間でも火を止めるわけにはいかないし、水道料や電気料は必ずかかる。それに冬場はよけい大変なんだ。気温が低いと湯の温まりが悪くて燃料を余計に使うからね」
だが、体の動く限りやめるつもりはない。
「金銭ずくじゃないんだ。『ああ、いい湯だった』って言ってくれる人たちがいるからこそ今でもやっているんだよ」
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「壁の絵は一度駒ケ岳にしたことがあるんだ。でも評判は良くなかった。何だか落ち着かない、雰囲気がきついってね。だからすぐに元の富士に戻した。やっぱり銭湯には富士が合うようだね」
午後4時縲・0時、日・水曜日定休。
(白鳥文男)