常福寺で宗良親王の春法要
南北朝時代に長谷で薨(こう)去したとされる宗良親王の春法要が7日、伊那市長谷の常福寺であった。
宗良親王は後醍醐天皇の皇子。一度は出家したが、父と南朝のために還俗し、大鹿村大河原で南朝方を指揮した。亡くなった場所は長年不明とされてきたが、明治中ごろに子犬沢で発見された円形無縫塔が宗良親王の墓だと分かった。また、1940年に常福寺本本堂の屋根で見つかった僧形坐像の中に入っていた古文書にも、宗良親王がこの地で薨去したことが記されていたため、無縫塔は常福寺境内北側の小山に安置し、僧形坐像は本堂に納め、親王が薨去したとされる10月1日と5月に例祭を続けてきた。
例年春は、本堂の僧形坐像の前で開かれており、この日も一人ひとりが像の前で手を合わせた。
その後の奉賛会では、伊那市文化財審議委員・久保村覚人さんによる講和があり、北条氏が鎌倉奪回を目指した「大徳王寺城の戦い」について見識を深めた。
秋法要は墓前で行う。