西箕輪中学校教諭 宮下健治さん(36)
ケニアのナイロビで3年間の派遣教員生活 「体験することが一番の学び」
03年4月、在外教育施設の派遣教員として、妻と1歳の長女を連れて、東アフリカの中心都市にあるナイロビ日本人学校へ赴任した。
「体験することは一番の学びだと思っている。肌で感じることが学習の近道。だから自分は外の世界へ出掛けた」
中学校には外国籍の生徒が増えていた。外国人への接し方に困惑し、自分の理解の限界を実感。海外旅行の経験も少ない「ちっぽけ」な自分を見つめ直すため、文部科学省などの試験を受け、ナイロビで3年間の教員生活を送った。
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ケニア共和国の首都ナイロビは、人口200万縲・00万人(推定)が集中するケニア最大の都市だ。
赤道直下には位置するが、標高は1750メートルで、年間通しても気温は30度を越えることが少ない快適な気候。行政機関が集まる高層ビルがある中心部の周りには、ライオン、キリン、シマウマ、ゾウなどが暮らすサバンナとの間に、極貧層が居住するスラム街が点在している。
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郊外にあるナイロビ日本人学校には、商社、国際協力機構(JICA)、ボランティアなどで現地に住む日本人の子どもたちが通う。
小学1年生竏鋳・w3年生の9学年、約30人の児童、生徒たちが日本と同じカリキュラムで勉強。周りにある7つの国際人学校、現地校との交流会もあり「和太鼓」「書道」「折り紙」などの日本文化を共に体験しながら交友を深めた。
しかし、校外は「外を自由に歩けない」ほどの危険が待ち受けている。ライオンやバッファローが襲ってくるのではなく、人が危害を加えてくるのだ。
金品目当てのカージャック、強盗は日常茶飯事で、夜中には銃声が聞こえてくることもある危険地帯。人口全体の6縲・割のケニア人が住む点在したスラム街では、十分な教育が受けられないだけでなく、1、2歳の死亡率が高く、生活は恵まれていない。
現地で補習塾を運営する日本人との出会いで、スラム街に住む子どもたちと交流する機会を得た。日本人学校の生徒らと共に、畑で育てた野菜を売って必要経費を捻出し、理科や図工の授業を企画して交流会を数回開いた。
「ケニアの社会には大きな二面性が存在した。私たちが暮すほんの一部の上流社会と、多くのケニア人が暮らすスラム的な社会。ケニアという国を知ったつもりだったが、この交流を通じて自分たちにできることを考え、実行したことは生徒や自分にとって非常に大きい」
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ナイロビで体験した思い出は自信となった。出会った人との交流の中で、多くの違った価値観を知ることは財産。「今まで以上にいろいろな生徒たちと深く関わり、手助けができる」と思えるようになった。
「人から聞いた話を100パーセント信じて、人に伝えることは止めようと思った。外へいってみて分かったことは肌で感じること。実際に聞いてきたは自信を持って言える。自分で経験したことでないことは話すべきではない」
帰国してからは西箕輪中学校で教べんをとる。担任クラスでは、総合の時間を使って保育園や福祉施設の訪問などの校外授業。専門教科の理科では、教科書を開かず、まずは予想しながら実験をすることで、体験の中で得られる学習に力を入れている。