箕輪町
山本恵子さん
父の生きた証を本に
父親の死から10年。「不妄語戒 父 山田海淳の歩んだ道」を自費出版した。「父のために何か残したい。父が懸命に生きたことを伝えたい」との強い思いを抱き筆を執った。
山田海淳さんは1909(明治42)年、松本市生まれ。代用教員として教べんを取るが、円乗寺住職の坂本上人との出会いから僧侶になる。円乗寺で弟子として約10年、その後1939(昭和14)年に独立し日蓮宗教会所の住職に。47年に寺に昇格し現在の塩尻市宗賀忍尚山大乗寺となり、住職として50余年、寺の発展に尽くした人だったという。
3人姉妹の長女。父親が96年に86歳で亡くなるまでの3年近くを一緒に暮らし、最期を看とった。
亡くなる4日前まで毎日書いていたという父親の日記や記録。熱が何度あった-など病状までも刻銘に記され、「亡くなった当時は手にすることができなかった」。2003年に母親が他界するまで日記は開けられなかったという。
「母は人が訪ねてきたときに父の思い出を語っていたけど、母も亡くなり語る人がいなくなってしまった。日記や記録もこのままだと眠ったままになる。寺を出て箕輪に来たので、私しか書く人はいない、どうしても書いておかないといけないと思ったんです」
日記や記録を読みながら、記憶をたどりながらの執筆。初の経験だった。自身の葬式の段取りまですべて整えて最期を迎えた父の死、説話、寺の歴史、寺の生活、後継者問題、母のことなど10章にわたって書き綴った。
原稿は夫の勝さんがワープロで清書。妹2人にも原稿を見てもらい、修正を加えるなどして書き上げ、父親の座右の銘「不妄語戒(うそ、いつわりを言わない)」を本の題名にした。
「自分の絵手紙を入れてほんわかとしたものにしたかった」。絵手紙歴は14年。挿絵として使うのに絵手紙の文字が邪魔なのでは-という周囲の意見で悩んだが、「絵手紙を抜いたら私の本ではなくなってしまう気がして…」。ここ1年半ほど日記のように書き続けた絵手紙の中から、選びに選んだ39点を掲載した。
看病をしながら身内がなくなる寸前のどうしようもないむなしさに襲われていたとき、絵手紙の友から「先のことはどうでもいい。今日一日だけ一生懸命やればいい」という内容の手紙をもらった。「辛くて辛くて消え入りそうだった。今日を精一杯やればいい。それだけを考えていた」。そんなときに出てきた言葉「今日一日だけ」をホウズキに書き添えた絵手紙も載せた。
「父は、ばかがいくつもつくくらい正直で、それを貫き通した人だった。何でもできて頼れる、子煩悩で温かい人。冗談も言っておもしろいことも話したけど、間違ったことは一つも言わず、まっすぐな人だった」
父親の歩んだ道を語り継ごうと書いた100冊の本は、親戚や親しい人、檀家に配った。「皆さんとても喜んでくれた。涙を流して読んだ、感激したと言ってくれただけでやったかいがありました」。本を読み、わざわざお参りに来てくれた人もいたという。
「執筆は父の本だけです」。人生で最初で最後の本。大切な宝物に触れるようにページをめくった。(村上裕子)