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日本水彩画会員
伊那市
宮原淳一さん(71)

日本水彩画会員<br>伊那市<br>宮原淳一さん(71)

 森や林の一部分を切り取り、葉の一枚一枚まで忠実に描く細密画。7色の緑で神秘の世界を描く。
 森、林、郷土の人々、仲間の絵描き…。「すべてにありがとう」の思いを込め28日から、「人生最初で最後」の個展を伊那市の県伊那文化会館で開く。
 「信州の人間だから自然が染み付いている。緑が原点にある」
 5月になると放浪癖が出てくる。魂をゆるがすような何かを感じる場所を求め、森や林の中を2カ月近くも自転車と足でさまよう。期待と不安を胸に毎日、毎日。
 「きっと今年も会えるだろう。早く会いたい。新しい恋人みたいにね。会えたときは『ここだ!』って立ち尽くすね」
 こうして巡り合った場所にイーゼルを据え、夏中毎日通って描き続ける。「葉の一枚一枚が全部違う。描いてくれと語りかけてくる。小さな葉でも愛しく、そこに生命感がある。おろそかにしたら成り立たない」。描き終わらないときは、「自分の精神と体に染み込ませて」、家で仕上げる。60号の作品を仕上げるのに7、8カ月という月日を費やす。
 小学生のころから周囲に絵が上手だと言われ、高校3年で県展と全国児童画展に入選。絵の道を夢見たが、親の反対で断念し、大学で経済を学んだ。
 卒業後、親の会社である宮原電気工事を経営。わずか4年で3倍の規模にまで成長させるが、62年から高校の倫理社会の教諭として新たなスタートを切った。南信の高校で教べんを取り94年の退職後も、04年まで非常勤で勤めた。
 絵筆を握ったのは定年後。96年ころから本格的に水彩画に取り組み始めた。
 99年、日本水彩画会展に初出品で初入選し、石井柏亭賞(2等賞)を受賞。だれかに師事するわけでもなく独学で制作。絵の経歴はなく、ただ友に誘われて出品しただけだったが、「新人が入選した」と騒ぎになった。
 その後、01年に奨励賞、03、05年に会友奨励賞を受賞する快挙を成し遂げ、05年に会員になった。日本水彩画会の理事長は、「すい星のように現れ…異例の早さで会員に推挙された」と展覧会に寄せた言葉に記している。
 「今まではとんとん拍子できた。でも、今年は本当に苦しみ抜いた」
 日本水彩選抜展(7月25縲・0日、東京セントラル美術館)に出品する60号の新作。一部がどうしても思うように描けず、「水彩では邪道だけど色をつけては落とし、つけては落としを繰り返し、紙に穴が開いたらやめようと思った」。苦しみ抜いた末、「向こうからヒントなり力を与えてくれる」ことを経験した。
 「苦しみを避けたりせず、通り抜けないと光が見えてこない。絵でも人生でも同じ。どんな問題が起ころうと、どうどうと受けてたつ。うまくいかなくても乗り越えていこうとね。うまくいかないことが大事。今年はそれが分かった」
 20年間、座禅を続け、教育畑を歩みながら思想、哲学を研究。これらの蓄積が芸術、絵画に生きている。「根本的な命の感動、すばらしさを受けてもらいたい。自然環境の大切さも伝えたい」。若い世代、未来に伝えようと精魂込めて描く。(村上裕子)

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