【小学校で炭焼き指導 宮下秀春さん】
駒ケ根市中沢中割
1991年、特色ある学校づくりのため、中沢の伝統産業である炭焼きを学習に取り入れようと学校に炭焼き窯を造ることを思い立った中沢小学校とPTAが窯造りの指導を依頼。「子どもたちのためなら」と快く引き受けた。
窯造りの作業にはPTAの役員らが中心になって取り組んだが、炭焼きを経験したことのない世代で要領がまったく分からず、作業は思うようにはかどらなかった。初めての取り組みでもあり、理解不足からか協力する人の数も少なかったが、苦労の末何とか完成にこぎつけた。
やれやれと思ってホッとしたのもつかの間、仕事はそれで終わりではなかった。教職員や児童らは炭焼きのことを何も知らない。原木の切り出しから火入れ、炭出しまで一部始終を丁寧に説明し、手取り足取り根気よく教えた。
いよいよ窯に火を入れて炭を焼き始めると、夜中や朝方を含め1日10回も学校に通っては火加減などを調節した。
「微妙な温度管理が必要だからね。でも炭焼きは昔からそういうもの。夜でも朝でも特に苦にはならないよ」
どんな炭が焼けたかと期待する児童らに「あせるな」と教えた。
「造ったばかりの窯ですぐに良い炭は焼けない。だから最初はおぞい木を入れるんだ。3回目ぐらいからだな、良い炭が焼けるようになるのは。そうしたらナラの木を入れる。炭はやっぱりナラだからね」
◇ ◇
炭焼きをしていた父の姿を子どものころから見て育った。
「根っから山が好きでね。中学を出て以来ずっと山仕事をしていた。40歳ごろから造り酒屋の長生社で働いたが、定年になってまた山の仕事に戻った。山には今でも年間200日ぐらいは出るかな。頼まれるわけじゃないがよその山に行ってカラマツに巻きついたつる草を取ったりもしているよ。何しろ山が好きなんだ」
父の代に1町歩だった山は5町歩に増えている。自分の窯は山の中にあったが、小学校に窯を造った年に自宅近くに新しく造った。長い経験に裏打ちされたこだわりで良質の炭を焼いて出荷を続けている。
「もう300回も焼いているかな。まだいけると思うよ。でも今度新しい窯を造ろうと思っていろいろ考えているところなんだ」
◇ ◇
小学校の窯も老朽化したため昨年新たな窯を造ることになり、再びその指揮を取った。
「今度は20センチばかり背を高くした。炭のためには良くないが、前の窯の時は出入りに苦労したからね」
最初の窯を造ったころの炭焼きの回数は年に2回だったが、新しい窯ができて4回に増えている。
「時には大変だと思うこともある。でもね、子どもたちと炭焼きをするのは楽しいんだ。大きなパワーをもらっているよ」
(白鳥文男)