下平憲夫さん
伊南交通安全協会飯島支会長
「見通しの良い交差点や走り慣れた生活道など意外と事故は多い。ハンドルを持ったら油断は禁物。余裕を持った行動を」と訴える。
飯島町南町に生まれ、大学卒業後、木工機械メーカーの下平製作所の本社勤務。73年長野工場(飯島町赤坂)に異動になり、営業畑に10年、北海道から関東、甲信越、北陸と飛び回った。「営業はまず、自分を売ることから始まる。仕事を通じて、人とのコミュニケーションがとれるようになり、人間的に成長した」と振り返る。
27歳で消防団に入団。当時、花形だった「自動車分団」に配属。班長で一端退団し、37歳で再入団し副分団長、分団長と務めた。さらに数年後、副団長、団長と3度目のお勤めに励んだ。「消防団は入らないよりも入った方がいい。上下関係、規律も教えてくれる。入団当時は団員数も多く、血気盛ん。ポンプ操法は大いに盛り上がった」とか。
本郷の夜間の火事、与田切川の鉄砲水による行方不明者の捜索など、分団長として現場を指揮した。「いくら探してもわからない不明者を、家族が執念で探し当てたのには感動した。現場では、若い人の命を預かっているので、団員が犠牲にならないように1番気を使う。現場の異常な興奮状態の中でも、常備消防と消防団との役割分担を守り、命令系統をきちっとさせるようにしてきた」と話す。
副団長4年、団長4年務め、通算17年の団生活にピリオド。その後、伊南交通安全協会の役員に「ボランティアは消防団で十分」と固辞したが、断れきれずに4年前、副支会長の大役を。今井豊支会長を助け、交通安全標語の募集、会則の見直し、高齢者の交通安全教室、飯島町の特産品、リンゴやナシを使った啓発活動など、飯島支会独自の取り組みに力を入れた。
今年5月に支会長に就任「啓発活動の成果もあり、昔よりも良くなったが、シートベルト着用率はまだまだ低い。着用率百%を目指し、シートベルトをつけてからエンジンキーを回すように徹底させたい。高齢者は増加する一方、被害者も加害者も高齢者という事故が増えている。高齢者交通安全教室にも力を注ぎたい。死亡事故ゼロ千日達成も目標の1つ」と抱負を語る。
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