【元青年海外協力隊員
堀内信輔さん・洋輔さん】
駒ケ根市赤穂福岡
共に青年海外協力隊員として開発途上国に赴き、現地で数年間にわたって技術指導などの任に当たったきた。
兄・信輔さんは卓球指導でモルディブ(99縲・2年)とザンビア(03年)を、エイズ対策で再びザンビア(05年)を訪れた。
「ザンビアではエイズで身近な人が死んでいく現実を目の当たりにした。テレビやラジオでも大々的にキャンペーンをやっていて、向こうにいると人ごとではないとひしひしと感じる。苦しんでいるたくさんの人たちのために役に立ちたかったから、勉強しなおして2回目はエイズ対策で行くことにしました」
自身も生まれつき心臓に穴が開いていたため「20歳ぐらいまでしか生きられないだろう」と言われていたが、小学5年生の時、生死を懸けた手術を行って成功。健康体を得た経験を持っている。術後のリハビリを兼ね、選手だった母親や兄の勧めで始めた卓球が大学卒業後、青年海外協力隊への道を開くことになった。
「現地での活動は仕事という意識は全然なかった。だから休みなんかなくてもまったく気にならない。嫌々やるのでなく、本当に一生懸命だとそういう気持ちになることがよく分かった」
「文化や習慣、考え方が異なった国で暮らす楽しみを味わってしまいましたからね。機会があればまた行きたい。今は教員目指して勉強中だが、日本で生活に困ったらモルジブに行って魚でも捕って暮らしますよ」
◇ ◇
弟・洋輔さんは卓球指導でチュニジア(03縲・5年)を訪れた。
「兄の協力隊での活動を見て影響を受け、海外ボランティアに興味を持った。でも協力隊の試験は難しくて…。試験が終わった直後、どうせ落ちると思って東南アジアや英国に旅行に行っちゃった。帰ってきたら受かっていたのでびっくりしました」
「チュニジアで日本と一番違うのは宗教心の強さ。現地人に『自分の宗教は仏教だ』と説明しても分かってくれず、イスラムに改宗しろと言われる。でも意外に首都などではタブーのはずの豚肉や酒もある。女性の服もかなり開放的でした」
「彼らは感情を押さえることをしないのでけんかはしょっちゅうするが、日本の学校でよくあるような陰湿ないじめなどはない。一人一人が明確な意志を持っているから集団で同じ行動を取ることはないんです。考え方の違う外国人をまとめながら仕事をするのは大変でしょうとよく聞かれるが、案外向こうの人たちの方がまとめやすい。彼らにはイスラムから来る共通の道徳心があるから。かえって日本人の方がバラバラでまとめるのは大変かもしれない」
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「日本に帰って来ると感じることだが、向こうでは自分ももっと人間らしく生きていたような気がする。もちろん日本は住みやすいけれど、どの国にもそれぞれ日本とは違う良いところがある竏秩B結局住むのは世界のどこでもいいんじゃないかな」と2人は口をそろえる。
「でもね…食べる物だけは日本がいいね」
(白鳥文男)