伊藤允子さん(62)
アメリカン3Dアート講師、アトリエ・ミミパンソン
「完成した時の喜び、作品をほめてもらった時のうれしさ。子どもから大人まで気軽に楽しめるアート」-。
14世紀のイギリスの学術書から誕生した「3DBООKS(飛び出す絵本)から始まった3Dアート。4、5枚のカードをカットし、遠近法により、除々に立ち上げ、立体感を出す、アメリカ生まれの今、注目の自分で創るインテリアアート。
◇◇
東京都出身。1980年、3Dアートの第1人者、藤井理恵さんの作品展で藤井さんに出会い「やってみないか」と誘われ、軽い気持ちで体験教室に。時間内に完成出来なかった作品を、藤井さんはきれいに組み立てて自宅に届けてくれた。「そこまでやってくれるなら」と、藤井さんの熱意にほだされ、教室に通うようになった。藤井さんは初めて会った時から、3Dアートの担い手にと白羽の矢を立てていたようだ。
最初はアメリカの風景画の作成が中心で、「作る以上はおかしな物は作れない」と真剣に作品づくりに励んだ。「子どもがなく、夫婦2人でのんびり暮らしていたため、カルチャースクールの講師になろうという欲は無かった。しかし、いい作品を作ろうという気持ちはひと一倍あった。他人との競争でなく、自分の感性の生かした作品を作りたいと思った」。
89年に講師に、92年にはアメリカ本部の講師になり、日本橋三越の文化センターの講師に迎えられた。翌年はよみうり日本テレビ文化センターからも声がかかった。「カルチャースクールは夢を追うもの。生徒さんは優雅に楽しくやりましょうという奥様方がほとんどで、講師も生活感がない方が喜ばれた」。
背伸びしない、自然体で教えるセミナーは、生徒に好評。感性豊かで、格調高い作品は高く評価され、追っかけのファンができるほどになった。
97年独立しアトリエ・ミミパンソンをオープン。スタッフ5人を抱え、のんびりと楽しく教えていた。
そんな時、夫の和男さんは定年を機に第2の人生は田舎暮らしをしようと提案。「そんなに長野県に行きたいのなら、一緒に行ってあげよう」と、土地を探し、03年中川村に家を建て、移転した。「中川村のみなさんはいい人ばかり。後から来て、お仲間に入れていただき、みんなと仲良く暮らせてうれしい」。
現在、自宅(アトリエ・ミミパンソン)と中川村田島のア・ラ・ソンテなかがわで3Dアートを教えている。
詳細は伊藤さん(TEL88・4858)2人暮らし。大口国江
)