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【全国マスターズカップでベストマスターズ賞 荒井勝義さん】

【全国マスターズカップでベストマスターズ賞 荒井勝義さん】

 第13回全国マスターズカップ(8月、千葉県国際総合水泳場、日本スイミングクラブ協会主催)に、所属するスイミングクラブの会員、指導者らでつくる「チームAFAS(アファス)」のメンバーとして出場。50メートルと100メートルバタフライで大会記録を更新しての優勝を果たし、年代別優秀選手に贈られるベストマスターズ賞に輝いた。
 ◇ ◇
 神奈川県厚木市に生まれ育った。3歳の時、持病だった小児ぜんそくを心配した両親が「運動することで少しでも病気が良くなってくれれば竏秩vとスイミングクラブに通わせたのが水泳との出合い。
「始めたころのことはよく覚えていないんです。でも、泳ぐのが嫌だと思った記憶はない。母に手を引かれてプールに通ったことを覚えています」
 すぐに才能を現し、選手育成コースに抜てきされた。これ以降、大学を卒業するまで練習に明け暮れる日々が延々と続くことになる。小児ぜんそくはいつの間にかきれいに治っていた。
 「小学生のころは『大きくなったらオリンピックに出るんだ』と周りに言っていたようです(笑)。それは無理としても、中学以降の現実的な目標として日本選手権への出場があった。それを果たすまでは水泳を続ける竏窒ニ父と約束したんです」
 泳ぎの才能を買われて推薦で高校に入学。練習は登校前に2時間、学校が終わってからは深夜にまで及んだ。泳ぐ距離は一日に1万縲・万5千メートル。
 「練習はつらいと思ったことはない。サボろうとか、休もうとか全然考えなかったし。つらかったのは、出場した大会で狙っていた記録が出なかった時ですね」
 そして高校3年の時、遂に日本選手権への出場を果たす。種目は得意の200メートルバタフライだったが、残念ながら予選で敗退。
 「けっこういけるつもりでいたんですが、やっぱり上はいるもんだなと…。自分の実力はこんなものかと思ってがっかりした」
 その後、大学に進学した後も水泳部に籍を置いて泳ぎ続けたが、卒業して就職すると目標がなくなり、半年ほど泳ぎから遠ざかった。
 ◇ ◇
 たまたま勤務先が法人会員になっていたことから、駒ケ根市のスイミングクラブ「AFAS伊南」で再び泳ぎ始めた。
 「高校も大学も推薦で入ったせいもあって、とにかく結果を出さなければならないというプレッシャーに追われるように泳ぎ続けてきた。今は全然違う。泳ぐことを楽しんでいます」
 「水泳は幾つになってもできる。物心つく前からずっと水泳が生活の中にあったけど、これからは楽しんで泳ぐのもいいかなと思う。いつまで続けられるか楽しみですね」
 (白鳥文男)

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