宮田方式の・ス象徴・ス村農地利用委員会が廃止、新たな組織に移管
農地の所有と利用を分離する・ス一村一農場・スの理念で、全国的な集団営農の先駆けとなった宮田村。その中枢を担ってきた「村農地利用委員会」が、廃止となる。国の米政策に対応する形で発足した村農業農村支援センター、村営農組合へ事業移管するもの。・ス宮田方式・スとして全国的に脚光を浴びた組織だが、培った25年の歴史を良い形で引き継いでほしい、と関係者は惜しみながら新たな組織形態に期待を寄せる。
村は13日開会の村議会9月定例会に、村農業農村支援センター設置条例制定案を提出。
同センターは2年前に既に設置されているが、条例により名実ともに村の農政の中枢を担う最高機関となる。
これに伴い、宮田方式の根幹を成して農地流動化の地域間調整などを担った「村農地利用委員会」が、農政の方向性を出す中心的役割を果たした「村農業構造政策推進協議会」とともに廃止されることになった。
「土地は自分のものだが、土はみんなで生かして使う」という考えで、村農地利用委員会は1981(昭和56)年に設置。
村長を委員長として、各地区から委員を選出。農家、地域間の調整を図り、生産性を図るため農地の流動化を図ってきた。
7日は廃止前の最後の委員会を開き、今後も主導的な立場で村の関与を求めたほか、地域間調整など土地利用機能の発展的継承を要望する意見などが出た。
村産業課は「支援センターの設置で二重の組織になっており、それを解消するもの。村の農業は今までも行政が深く関わっており、今後も考えに変わりはない」と話した。