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野村陽子さんの植物細密画展
鮮やかなアクリル水彩で、植物のさまざまな表情をリアルに描く箕輪町出身の野村陽子さん(52)の「縲恬「山の原風景を考察する縲恂・コ陽子植物細密画展」が、13日まで伊那市西春近のかんてんぱぱホールで開かれている。ち密に描き込まれた野の草花や、四季折々の植物約100点が、見る人の目を引き付けている。
展示会は、野村さんがこのほど伊那食品工業から出版した作品集『かんてんぱぱガーデンに咲く花』の出版記念として開催。本に納められたかんてんぱぱガーデンの草花原画や、ここ2、3年で手がけた四季折々の作品が並ぶ。
現在は山梨県北杜市、清里在住。植物細密画は子育てが一段落した8年前に始めた。清里の豊かな自然と、以前から関心のあった細密画が結び付き、独自の手法で製作活動を続け、昨年は植物細密画の国際展に入選した。
「植物をじっくり観察することで、新たな発見がある」と話す野村さんは、驚きや植物の新たな一面も作品にとらえ、その時の感動や思いなどを、作品横にコメントしている。
野村さんは「細密画がどんな絵かを知り、もう少し植物に近づいてもらえれば」と話している。
入場無料。13日まで。 -
みのわ町民文化祭 音楽・芸能の広場
箕輪町発足50周年記念事業「生涯学習フェスティバルまなびピア箕輪2005」の催しの一つ、「みのわ町民文化祭」音楽・芸能の広場が5日、町文化センターであり、町民が生涯学習の取り組みの成果を披露した。
まなびピア箕輪6年目の今年、展示の広場・音楽の広場・芸能の広場は、98年までの「箕輪町民文化祭」の名称を復活させ新たに「みのわ町民文化祭」とし、町民が自ら取り組み、町の皆の文化祭という意識を高め、独自性を出した文化祭にしようと、実行委員会を作って開いた。
音楽の広場は合唱や大正琴、金管バンド、吹奏楽、ハーモニカ、邦楽など20プログラム。芸能の広場はジャズダンス、エアロビクス、バレエ、日舞、民謡など25プログラム。各団体とも日ごろの練習の成果を存分に発揮して堂々と発表。会場を埋めた観客は惜しみない拍手を送った。 -
住民が日ごろの成果披露 にぎやかに文化祭
伊那市の手良公民館で5、6日、文化祭が開かれている。公民館クラブ・サークルを中心に、盆栽、書、絵手紙など活動の成果が約520点並ぶ。力作ぞろいの展示は、地域文化の進行に一役買っている。
本年は特別展「手良在住の工芸家展」を企画。木彫りの人形作家・荒井耀子さんと、陶芸家・島るり子さんの作品が、それぞれ10点ほど並んでいる。
6日午後12時30分から、近くの手良小学校体育館で詩吟や民謡などのクラブ学習発表会がある。 -
宮田菊花展、3年連続春日さんが村長賞
宮田村の菊愛好家でつくる「宮田菊友会」は6日まで、第20回菊花展を村民会館で開いている。村文化祭にあわせ恒例で、会員が約130点を出品。村長賞に春日要さん=南割区=の「国華東天」を選ぶなど、各賞も決めた。
春日さんは3年連続で村長賞を受賞。そのほかの会員も甲乙つけがたい力作揃いで、「どれも優秀だ」と田中彦一会長は評価した。
新品種の出品などもあり意欲的。色彩豊かな会場に、訪れた人たちからはため息ももれていた。
入選者は次の皆さん。
【村長賞】春日要【全菊連会長賞A】平沢菊美【同B】太田梅男【村議長賞】春日きんよ【教育長賞】春日寿三子【公民館長賞】城倉久子【JA支所長賞】春日要【商工会長賞】田中彦一【菊友会長賞】城倉久子【観光ホテル賞】春日きんよ【花井木工賞】橋爪千春【モトスポット平沢賞】春日要【レストハウス太田賞】平沢菊美【ダイヤ堂賞】春日寿三子 -
にぎやかに宮田村文化祭
第32回宮田村文化祭は5、6日、村民会館一帯で開いている。体育センターが会場の作品展には、昨年を100点近く上回る1170点に及ぶ村民の力作を展示。村内のママさんサークルや建設労連宮田支部、生協などの各種コーナーもあり、子どもから大人までが文化の秋を満喫した。
作品展には絵画や写真、手芸や木工など多彩な力作が勢揃い。心の病と向き合う当事者グループ「さくら」のメンバーが陶芸を初出品するなど、意欲的な作品も集まっている。
村民会館では文化財企画展を開き、先月末に村内の田中下遺跡から穴に突き刺す非常に珍しい状態で出土したばかりの石斧(せきふ)などを展示。
サークル「まほうのくれよん」はこどものひろばを開き、チビッコが楽しいゲームなどを満喫。自然を呼び戻す会は水槽に入れて淡水魚を展示した。
6日も午前9時から午後4時まで開き、午前9時20分からは村民会館ホールで芸能発表会を行なう。 -
はらぺこ保育園、田楽座へ遠足
母親ら有志が立ち上げた保育園「はらぺこ」(伊那市富県北福地)の子どもたちが2日、同地区にある歌舞劇団「田楽座」を訪問し、団員と一緒に太鼓を楽しんだ。
「はらぺこ」と「田楽座」は同じ地区内にあるため、互いに交流を深めたいと考えていた。そのため今回は、ハイキングとして子どもたちが訪問。寄り道をしながら約1時間半ほどの道のりを歩いた。同園は3歳から6歳までの子どもが共に活動しており、小さい子にとっては少々大変な距離でもあったが、休憩を挟みながら全員が無事歩き通した。ハイキングは今年3回目。保育士の小林成親さん(38)は「4月に比べ子どもたちは、楽しみながら歩けるようになった」と話す。
到着後は団員と交流。普段から子どもと接する機会も多いメンバーだが、この年齢の子を、多数同時に相手するのは初めて。しかし楽しい話と手ほどきで、子どもの関心を引きつけ「森のくまさん」などを一緒に演奏。長時間歩いた子どもたちも、疲れを忘れて初めて演奏する太鼓の魅力に引き込まれていた。 -
いなっせ2周年記念、中学生吹奏楽フェスティバル
伊那市駅前ビル「いなっせ」のオープン2周年を記念して3日、多目的広場で市内3中学校の吹奏楽部による「吹奏楽フェスティバル」があった。生徒の家族など約200人が、各校の演奏に耳を傾けた。
2年目で、伊那、伊那東部、春富の部員約120人が参加。2曲ずつと3校合同の演奏もあり、迫力ある音色が、広場に響いた。
1、2年生にとっては、3年生の引退後、初めてのコンサート。なかなか集まる機会のない中学生同士が交流する機会にもなっており、今後も継続したいとしている。
来年は10月末に開く予定。新伊那市となる高遠町、長谷村の中学校にも、参加を呼びかけていく。
感謝祭イベントとして5日は、3縲・歳の子どもを対象とした「講談社おはなし隊」が、6日は農産物や五平もちなどを販売する「いなっせ市」や「屋台横町」がある。また、両日とも感謝祭抽選会もある。 -
箕輪町指定文化財特別公開
箕輪町郷土博物館は3日、寺や個人所蔵により普段は見ることのできない町指定文化財の古文書と仏像を特別公開した。
11月1縲・日は「文化財保護強調週間」。文化財保護の普及・啓発のため全国的に文化財にかんする行事があり、町郷土博物館も週間に合わせて初めて計画した。
公開した町指定有形文化財は、「普済寺文書」(普済寺所蔵)、「渕井文書」「金銅製誕生仏」(いずれも個人所蔵)。
普済寺文書は「寺領安堵状」「寺領書出」(いずれも天正12年)「朝日受永朱印状」(慶長6年)。渕井文書は「知行安堵状」(天正14年)「知行書出」(天正15年)。
徳川家康が箕輪領を治めていたことを証明する重要な史料で、「寺や渕井氏がそれまで所有してきた土地は従来通り所有を認めるかわりに、徳川氏に忠誠を誓いなさい」という意味の文書だという。
「金銅製誕生仏」は、県史跡の上ノ平城跡で出土。お釈迦様の誕生を祝う花まつりのときに甘茶をかける仏像として知られる。古い形式の痕跡が見られ、箕輪地方と仏教との関係を考えるうえでも貴重な史料。
来館者は、文書や誕生仏をのぞきこむようにじっくりと眺め、貴重な文化財に関心を寄せていた。 -
はら美術で大森祥吾個展
伊那谷の豊かな自然を柔らかい色彩で情緒的に描く辰野町出身の画家・大森祥吾さん(58)の個展が、8日まで伊那市旭町のはら美術で開かれている。懐かしさを感じさせる田園や山々などの油彩・水彩画55点が、訪れた人を楽しませている。
全国で個展を開き、信濃美術館の企画展に招待出品した経歴を持つ大森さんが、同会場で個展を開くのは4年ぶり。前回は海外が題材の作品もあったが、今回は日本の山をテーマとした作品が中心。
季節を彩る紅葉や稲穂、桜などの背後にそびえる仙丈ヶ岳や駒ヶ岳をとらえた作品は、古里の郷愁を感じさせ、四季それぞれの表情を伝える。
大森さんは「全国をまわってみて、山、川、田園がある伊那谷の魅力に改めて気付いた」と話す。
今回は、近年モチーフとして描き続けている富士山をとらえた作品も並ぶ。
入場無料。 -
中川東小で全校マラソン
中川村の中川東小学校は2日、紅葉が始まった学校周辺道路で、全校マラソン大会を行った。
低学年は学校周辺の約1キロ、中学年は学校から大草城址公園まで2キロ、高学年は米沢酒造を経て、大草城址公園までの3キロと、それぞれ、体力と脚力に合ったコースで、互いに励ましあいながら、完走を目指した。
コース沿いには多数の保護者や、近くのみなかた保育園の園児も駆けつけ、懸命に走る児童らに、最後まで走りぬくように、声援を送っていた。 -
本郷地区で石造物めぐり
飯島町教育委員会は3日、小学生から高齢者まで約30人が参加し、町郷土研究会(桃沢匡行会長)会員を講師に、本郷地区で石造物めぐりをした。
文化館に集合し、マイクロバスで本郷地区の入口に。本郷街道の面影を今に残す辻に、弘法大師像が祭られたほこらを見学。桃沢会長は大師像の前に置かれた直径50センチほどの平らの石を指して「かんかん石と呼ばれ、子どものころ、学校の行き帰りにたたいた。余りたたくと雨が降るといわれた」と説明。子どもたちが石でたたくと、キンキンと不思議な音がした。
杉木立の道をゆっくりと進み、牛馬の爪きり場を見たり、「大悲庚申」と刻まれた元禄9年(1696年)に建立された町内では2番目に古い庚申搭を見ながら、庚申搭の由来や庚申の夜の過ごし方の話に耳を傾けた。
このほか、本郷神社の大黒天、養山の供養搭、寺坂の六地蔵など10カ所を見て回り、町の文化財に理解を深めた。 -
子ども音楽祭
飯島町教育委員会主催の第25回こども音楽祭が4日、飯島文化館であり、町内3小中学校、音楽団体などが参加、全員斉唱や2部合唱、3部合唱で歌声を響かせ、息の合った合奏を披露し、演奏する喜び、聴く楽しさをたん能した。
2部構成。全員の斉唱「ふるさと」でオープニング。七久保小学校6年が合奏「ルパン3世のテーマ」を演奏、飯島小学校5年生は2部合唱で「HEIWAの鐘」を披露した。
「子ども音のカーニバル」は合唱奏で「星の世界」を「童謡唱歌を歌う会」も「蛙の笛」「手のひらを太陽に」などをのどかに歌い上げた。
また、北沢郷子さん(駒ケ根市)がピアノソロで、モーツアルトの「トルコ行進曲」、ショパンの「子犬のワルツ」など3曲を演奏した。
2部はハーモニカ合奏「里の秋」でスタート、飯島小学校合唱部は同声3部合唱「ひっこりーのおくさん」を歌い、洗練練されたハーモニーで魅了し、飯島中学校吹奏楽部は高らか「ファンファーレ」を響かせ、最後は全員で町歌を歌って、余韻を残して音楽会の幕は下りた。 -
【記者室】肥満児解消は家族全員で
食欲の秋、スポーツの秋、運動会や各種スポーツで苦しそうに走る肥満児を目にした。子どもの肥満は怖い、生活習慣病の予備軍だ。大抵の親は子どもが食欲がないと死ぬほど心配するが、食欲がありすぎても、それほど気にしない▼小、中学校では血液検査を行い、総コレステロールや中性脂肪値が高い子どもについては、保護者に受診するように指導したり、相談窓口を開設しているが、食べ盛り子どもの肥満の解消は至難の技だ▼大人でさえ、ダイエットには、強固な意思の継続が必要だ。子どもの減量作戦は、一緒に食事をする家族全員が危機感を共有し、全員で取り組まなくては決して成功しない。そのためには、専門機関によるきめ細かい支援も必要だ。(大口記者)
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それぞれの分野功績たたえ表彰
伊那市は「文化の日」の3日、市功労者表彰式典を市役所で開いた。本年は自治、消防寄附などの8分野で市のために尽力した13人・2団体に表彰状を贈り、長年の功績をたたえた。
小坂樫男市長は「3市町村合併で新市伊那市は県内でも3番目の大きさになる。新市の将来図である、二つのアルプスに抱かれた自然共生都市として、自然と産業のバランスが取れた市を目指したい。今後とも新市のためにご協力をお願い申し上げる」と式辞を述べた。
受賞者を代表して小田切仁さん(75)は「50年の長い間、教育にかかわる仕事の場所を与えてもらい、大勢の人に支えられながら今日までこれたことを感謝する。自分なりに意欲を持って楽しく取り組めたことは何よりも幸せ。今後は一市民として、社会の一員としてさらに努力を重ね誠実に生きていきたいです」と感謝を述べた。 -
近隣の小中学生 音楽で交流
恒例の中部音楽会が2日、県伊那文化会館大ホールであった。「小学校の部」「中学校の部」の2部構成で、伊那市、南箕輪村から14小学校の6年生と、5中学校の3年生が参加。日ごろの音楽学習の成果を発表し合った。中部教職員会の主催。
他校の音楽の表現を聞き味わうことを通じて感性を磨き、互いの親ぼくを深めながら学校生活最後の音楽会にする目的。
小学校の部は混声合唱や、リコーダー演奏などの16プログラム。各学校ごと、発表の前に学年紹介をして他校との交流も深めた。
伊那市の富県小学校は、4弦楽器「バンドーラ」で「夜空ノムコウ」を演奏した。楽器は、児童らが4年生のときに、自分たちで育てた花の苗などを売って材料費を貯え、手作りで製作。澄んだ音色はホール全体をつつみ込み、大きな歓声を呼んだ。
伊那小学校の上沼碧ちゃんは練習の成果について「・ス歌うときの表情・スを心がけながら練習してきたが、本番では今までで一番うまくできた」と満足。他校の合唱にも「ハーモニーがきれいですごいと思った」と話していた。 -
わらべ歌で親子が触れ合う
中川村教育委員会の第3回元気っ子講座「わらべうた」が29日、社会体育館であり、村内外の親子70組140人が参加し、親子で心豊かな時を過ごした。
講師の近藤信子さん(音楽教室とんとんやかた主宰)は「日常の会話の中に、わらべうたを入れることで、温かいものが伝わる。わらべうたの力を知って」と話し、早速、「まーるくなーれ」と、歌で呼び掛け、大きな円を作り、なじみのわらべうた「なべなべ底ぬけ」を歌った。馬の親子になって、歌に合わせ、子どもを負ぶったり、だっこしたりして遊ぶ「うまはどしどし」と続いた。
お母さんたちは汗だくになって、子どもたちは「キャ、キャ」と歓声を上げながら、わらべうたを覚え、親子でパワフルに遊んだ。 -
宮田氏一族の慰霊碑を城址に建立
宮田村北割区に残る戦国時代の山城跡の保存活動に取り組む「宮田城址保存会」はこのほど、同城主で武田氏によって討たれた宮田氏一族の慰霊碑を城址に建立した。山中の作業で困難を極めたが、それだけに会員の喜びもひとしお。10日に清水靖夫村長らも招待して除幕する。
会員の浄財を使って慰霊碑を製作。今春に同会が整備した登城ルートを使い、2日半かけてふもとから城址まで運搬した。
作業にはのべ約20人の会員が参加したが、困難の連続。慰霊碑を載せた小型運搬機にも限界があり、道の細い部分や急坂などは人力で押したり、綱で引いたりもした。
通すためにわざわざ道の拡張も。しかし、その努力の甲斐もあって本丸付近に無事建立できた。
春日甲子雄会長は「大きな重機も使えず本当に大変だったが、慰霊碑の建立により、村を治めていた宮田氏について多くの人に理解を深めてもらえれば」と期待する。
同会は今年1月に発足し、当初14人だった会員も70人にまで増加。倒木で寸断されていた登城ルートを遊歩道として整備するなど、保存活動を展開している。慰霊碑の碑文は会員で城址近くの真慶寺住職赤尾義道さんが揮毫した。 -
愛着あるリンゴの実に自分の名前を
村内の農園の好意でリンゴの木を借りて栽培を体験している宮田村の宮田小学校3年3組は2日、実ったリンゴに自分の名前を記したシールを貼った。日焼けを利用し、半月後の収獲時には名前が実に刻まれる。葉摘みの作業も行い、汗を流した。
28人の児童は駒が原の農園に足を運び、自分が袋かけした愛着あるリンゴの実にシールを貼り付け。20日前後に予定する収穫の無事も祈った。
園主の樋屋喜吉さんは焼き芋を用意。作業を終えた子どもたちは感謝しながら味わい、近くに迫った収獲に想いを馳せていた。 -
青藍之会演舞発表会
創立20周年を迎えた演舞の愛好会「青藍之会」は30日、第18回演舞発表会を駒ケ根市文化会館で開いた。舞台は「日本に思いをよせて」「北から南へ日本舞めぐり」の2部構成で、日本の四季や自然などを歌と舞で表現した=写真。
あでやかな衣装をまとって登場した出演者らは、朗々と響く吟者の歌に乗せて見事な舞を次々に披露し、観衆の大きな拍手を浴びていた。 -
第28回子どもたちにゆきとどいた教育をすすめる父母・市民・子ども・教職員のつどい
「子どもたちにゆきとどいた教育をすすめる父母・市民子ども・教職員のつどい」が29日、伊那市民会館であった。28回目。高校生から一般まで約250人が集まり、作家・澤地久枝さんの講演を聞いたり、分科会での議論を通して、憲法問題や高校改革プランへの意識を高めた。
憲法9条改正が取りざたされる昨今、もっと敏感にこの問題を考えてほしい窶狽ニテーマを「平和と教育」縲恟繹ノ那から考える縲怩ニした。
憲法改正に反対する「9条の会」の呼びかけ人、澤地さんは、戦争が引き起こした悲惨な事実や、新しい歴史教科書が事実と乖離(かいり)した歴史を示す危機感を語り「自分の判断で行動できない子どもを育ててきた戦後60年が、自分たちの足元を崩すような社会を作り上げた」と批判。最後に「今は平和を守るためのバリアになるという決断を、一人一人がする時。子どもを戦場に送り出すような社会になるのはまだ止められる」と力を込めた。
4つの分科会は不登校・ニート問題や高校改革プランについて議論を深めた。高校生同士の分科会もあり「高校生が今できることは、もっとプランについて学習すること」などと話し合った。 -
伊沢音楽祭参加の東京芸大学生
高遠中・高生を一日レッスン伊沢修二記念音楽祭(29日開催)出演のため高遠町を訪れている東京芸大オーケストラの学生が30日、高遠中で、高遠中と高遠高の吹奏楽部の生徒に楽器の演奏法などを指導した。
フルート、クラリネット、サクソフォンなど楽器の種類ごとに芸大学生が指導するもので、毎年行われ、05年は6月に続いて2回目。その楽器専門の学生の指導に、生徒は食い入るように耳を傾けていた。
ユーフォニアムの教室では、芸大4年の小林敦さんが高遠中の2人を指導。楽器を吹くときの姿勢、呼吸法、指の動かし方などを教えながら、メトロノームの音に合わせて、練習曲を演奏した。
小林さんは「教えたことが今後の部活に生かされるとうれしい。1日だけのレッスンでは、その後の努力や成長が見えず残念」と話した。
レッスンを受けた2年の伊東有沙子さんは「ユーフォニアム専門の話が聞けてよかった」。同じく2年の今井香央里さんは「姿勢を正し、吹き方をきちんとすると音がとても変ることに驚いた」と感想を述べた。 -
瑞宝小綬章(教育功労)千田 俊明さん(70)
教育って“教えて育てる”って書くけど“共に育てる”だと思うんです窶煤B
1957年、阿智高校に赴任。以降、県内8校で、社会科などの教べんをとる。
心がけたのは「発表授業」。一方的に教えるのでなく、生徒自らが調査・発表する授業は苦労が大きい分、成功した時の感動が生徒の目を輝かせた。それは何より、自分にとっても喜びだった。
「文化祭などで生徒と一緒に活動するのが楽しかったから、教頭なる時は、寂しさもありました」
90年、県教育委員会学習指導課高校教育指導係長に就任。このころ長野県は、現役高校生の大学進学率低下。実態調査から状況把握に努め、小学生から高校生までの「学力向上のための実践方針」を作成。推進校の指定や理数科の設置など「特色ある高校づくり」の基礎となる取り組みを進めた結果、大学進学率は徐々に回復。昨年は全国で28番となった。
県教育センター所長を務め95年に退職。
教育の中心は生徒。生徒にとって何が大切かを基本に考え、教師はそれをフォローしていく窶狽サんな思いで勤め上げた38年間だった。
伊那市西春近。妻と2人暮し。 -
宮田村田中下遺跡から磨製石斧が珍しい状態で出土
宮田村の田中下遺跡から、縄文時代前期の墓とみられる縦穴が出土し、穴の壁ぎわに磨製石斧(せきふ)が縦に2本突き刺してある珍しい状態で見つかった。県立歴史館の宮下健司さんは「突き刺した状態でみつかった類例を聞いたことがない。副葬品とみられ、埋葬された人物が石斧づくりの名人だったなど因果関係が考えられる」と説明する。出土した石斧は5、6日に開く村文化祭企画展で村民会館に展示する。
遺跡内の道路付け替えに伴い、村教育委員会が発掘調査したところ先月20日に発見。穴は直径70センチ、深さ35センチで桶のような形をしており、北と西面に22センチと15センチの磨製石斧が縦に突き刺す形で埋められていた。
また、穴の底には31センチに達する大型の磨製石斧が横たわる形であり、近畿地方でつくられた「北白川下層式」と呼ばれる形式の土器もみつかった。
同遺跡は村北端に位置し、町1区、北割区、南割区の境。縄文前期の竪穴式住居跡や土器が出土している。
何かを埋めたり、貯蔵したと思われる穴も38ヵ所で見つかっているが、穴から石斧が出土するのは初めて。
村教委の小池孝文化財主任は「石斧は全て使用済み。使える道具を副葬品として埋めたとするならば、埋葬された人物は何か特別な人なのでは」とみる。
縄文時代に詳しい宮下さんも「佐渡では矢じりを散りばめた墓がみつかっており、ものづくりに秀でた故人を後世に伝えようとした形跡ととれる。甕の中に石斧を入れ一緒に埋葬する例もあるが、突き刺した状態は聞いたことがない」と話した。 -
宮田小6年2組キャンプ
宮田村の宮田小学校6年2組は2、3日、1泊2日の日程でキャンプを行っている。大久保区の太田切川河川敷にテントを張って、寝食をともに。協力して作業したり、野外遊びなどで汗を流した。
昨年も同河川敷でデイキャンプを楽しんだ児童たち。今年は6年生全体の宮田高原キャンプも経験し、「テントを張ることから全て自分たちの力でやってみたい」と企画した。
既存のテントを使うのではなく、ブルーシートを活用。木を支柱にロープを通して組みたてた。
協力しながらぺグを打ち込み立派に完成。自分たちだけの居住空間に喜び、寝転んだり、遊んだりした。
雨に降られた昨年とは違って、雲ひとつない快晴。食事の用意も33人全員で協力して、美味しく食べた。
夜は肝だめしをしたり、友人とおしゃべりしたり。寒さ考慮して近くの集落センターを借りて寝たが、家庭ではできない体験を満喫していた。 -
熊崎安二さん、旭日双光章
「長く務めてきたかいがあったと感慨無量」。飯島町教育長を皮きりに収入役、助役を歴任、町長は2期8年務め、町の発展に尽力した。
1928年中川村片桐に生まれ、農業技術員養成所卒業、宮田村や飯島町農協に勤務、農業共済を担当。63年、共済事業の役場移行により役場職員に。経済課を振り出しに議会事務局長、農林課長を歴任。農林課長時代は1100ヘクタールのほ場整備に関わり「農地は私有財産であり、減分率など農家の理解を得ることに苦労した」。49歳で教育長に抜擢され「男度胸で引き受け、県立高校の誘致に奔走し、飯島中学校の校舎建設も進めた」。
84年から収入役を拝命「利息が7-8%時代で、50億円の予算規模で利息で3500万円も稼いだ」
収入役から、助役に、95年に町長に就任。役場庁舎の建設や広小路の街路整備、ふるさと農道の整備、道の駅花の里いいじまの誘致にも尽力「七久保小学校の給食センターへの移行、保育園の再編など、子どもに直接関わる施策展開は、保護者の抵抗もあり、何度も足を運んで理解してもらった」と振り返る。「市町村合併の行方も気になったが、年齢的にみて迷惑をかけても」と03年勇退。現在、菊づくりやゴルフと悠々自適な日々。「時代もよく、健康と人に恵まれ、仕事一筋にまじめに一生懸命できた」と満足そう。 -
伊那公民館で文化祭
伊那公民館で3日まで、第28回文化祭が開かれている。陶芸や書、水墨画、木目込み人形、生け花など作品1200点が並び、訪れた人の目を楽しませている。
文化祭は、公民館で活動するクラブ・サークルの利用者、教室の受講生が日ごろの活動成果を披露する場として年1回開催。
展示には22団体が出展し、初心者からベテランまでの力作がそろう。転写技術を生かしたアートクラフト「ネイチャープリント」は初出展で、額やバック、布などにパンジーやサクランボなどがデザインされる。そのほか、木彫りのおじぞうさん、「伊那谷の春」「果物」を題材にした水彩画なども。
武田登館長は「年齢を重ねても利用者の学習意欲はすごい」とし「文化祭を通して地域の人を知り、ふれあう機会につながれば」と話している。
3日は午前9時縲恁゚後3時。ステージ発表は午前11時半からで、21団体が大正琴、コカリナ、民謡、合唱などを披露する。 -
箕輪町発足50周年記念特別展「箕輪町ができた頃…」
箕輪町生涯学習フェスティバルまなびピア箕輪2005の催しの一つ、町発足50周年記念特別展「箕輪町ができた頃…」が29日、町郷土博物館で始まった。会期は11月27日まで。毎週日曜日にイベントもある。
町は55年1月1日、旧中箕輪町、箕輪村、東箕輪村の3町村が合併して発足した。町発足当時に焦点をあて、時代の大きな転換期だった昭和30年代の箕輪町について、「景観・くらし・なりわい」の3つの視点で展示している。
景観は、国道153号線が舗装される以前の木下地区の写真と現在を比較。なりわいは養蚕や農閑期の仕事、当時の居間の風景、くらしは荷車、自在かぎ、電気コンロ、炭火アイロンなどの道具類を紹介している。
展示見学した郷土史クラブの小学生は、体験コーナーで蓄音機やラジオ、足踏みミシンなど当時の道具を実際に使ってみたり、居間に座ったり、古い写真や道具を興味深く見て楽しんでいた。
入館無料。開館時間は午前9時-午後5時(入館は午後4時半)。月曜休館(祝日は開館)。問い合わせは同館(TEL79・4860)へ。 -
箕輪町職員共済会作品展
箕輪町職員共済会(理事長・桑沢昭一助役)は2日まで、職員の作品展を役場3階講堂で開いている。一般の観覧もできる。
共済会のクラブ活動や個人の趣味、研究などの成果発表の場として毎年秋に開く恒例の展示会。会員は約330人で、呼びかけに応じて約70人が出展した。
盆石、盆栽、生け花、陶芸、編物、ビーズアクセサリー、織物、パッチワーク、トールペイント、粘土細工、木目込みアート、絵本、手描き友禅、絵画、写真など作品は多岐にわたり、いずれも力作ぞろい。「新潟県中越地震災害の記憶」と題した山古志地区を歩いた調査報告もある。 -
美篶で1876年製作の絵地図を発見
伊那市の美篶支所でこのほど、1874(明治7)年から10年間、県が各町村から地誌の提出を求めて製作した「長野縣町村誌」に付随する絵地図の草稿と思われる資料が発見された。支所は地域の小学校の教育に役立てるため、美篶小の資料館に寄贈した。
資料は支所の資料整理委員が資料室で発見。76(明治9)年7月に製作されたもので、旧美篶村の全体の略図を描いている。大きさは縦68センチ、横118センチ。同様の資料が市内で発見されているかは不明だが、「町村の合併などの歴史をたどるなかで、当時の資料が紛失しないでいるだけでも価値がある」と関係者の間でも注目度が高い。
長野縣町村誌の附図は現在、県立歴史館(千曲市)の収蔵庫にあり、旧美篶村の絵地図は2枚を保管。そのうち1枚については「明治初期長野縣町村繪地圖大鑑」(全5巻・郷土出版社)で紹介され、残りの1枚は発見された資料と基本的構図、縦横の方眼が入っていること、注釈の内容窶狽ネどが類似する。
歴史館の黒岩龍也専門主事は3枚の絵地図の関係性について「大鑑に載っている絵地図と時代設定は一致する。遠からず書式は一緒で、類似する2枚については清書と下書きの関係があるのでは」と分析している。
1874(明治7)年、当時の政府は廃藩置県に伴い新たに出来た各府県に国史編集局を設置し、全国の町村からの地誌の提出を命令。県でも各町村に町村誌編集人を置き、戸長・副戸長の責任で資料を出させ、10年間で84冊の長野縣町村誌にまとめた(1976年、伊那毎日新聞社で上伊那郡町村誌としても発刊している)。絵地図もまた、付随する資料として一緒に提出している。
上伊那郡村誌では長野縣町村誌について、「日本の地理、歴史窶煤Aなどをはじめて公にした最初の資料となったものばかりであり、今日の郷土の地理・歴史・産業誌の素因をつくった、最も画期的な大事業であった」と記されている。
地域住民で資料館の管理・運営を目的に組織する「美篶小学校資料館専門委員会」は、恒例の12月1日の開校記念日(本年度=104回目)の資料館企画展で資料を一般公開する。昭和初期(1933縲・1年)に学校職員が測量し手書きで製作した村図など、資料館で管理している昔の地域地図を共に並べ、歴史的変遷を探るための展示を予定している。
専門委員会の諸田秀委員長(75)=美篶笠原=は「古きを知ることで、自分たちが住んでいる場所の移り変わっていく様子を児童たちに学びとってもらえれば」と話している。 -
児童の学習成果・そば打ちも好評
伊那市の西春近北小学校のPTA(唐木寿夫会長)が主催する、年に一度の「PTAバザー」が29日、小学校体育館などであった。学年やクラス別のブースには日ごろの学習成果として、新米、竹トンボ、花の種、野菜などが並び、多くの地域住民でにぎわった=写真。
地域との交流、児童の出店体験などを目的とした恒例バザー。新事業として、学校、PTA、同窓会の3者で育てたソバを、同窓会が「手打ちソバ」にして販売し、大きな呼び物になった。
4年けやき組は、上伊那農業高校の生徒と一緒に、6月中旬から育ててきたキビを団子にして販売した。1パック6個入りで約40パック用意したが、入場開始から30分も立たないうちに完売。種まきからキビ団子までの過程を体験学習してきた児童らは「早く売れてよかった」と喜んでいた。
そのほか、PTAが地域に呼びかけて集めた生活食器などのバザーや、わたあめ、ポップコーン、焼き鳥などの出店も並んだ。