-
フェスティバルin与田切,07」にぎわう
飯島町観光協会主催の「フェスティバルin与田切,07」は18日、残暑厳しい与田切公園でにぎやかに開かれた。
会場には小鳥の巣箱を作る木工教室、竹串パン、竹とんばやトンボ玉づくり、紙ヒコーキ大会など昔の遊びやゲーム、各種体験などが目白押し。
与田切川をせき止めて作った池には、20センチから50センチ以上のニジマスが700匹放流され、子どもは夢中になって、大物を狙ってつかみ取りをした。捕まえたニジマスはその場で焼き、熱々をほおばった。
高所作業車の搭乗体験では、子どもたちは12メートルの上空から公園を見下ろし、遊覧車気分を味わった。
飲食コーナーでは五平もちやカレー、馬ロッケちゃん、かき氷などが販売され、来場者の食欲を満たした。
野外ステージではフルートのさわやかな音色を赤松林に響かせた。 -
駒ケ根市民チャンピオン「大きなワラビ」
駒ケ根市の何でもナンバーワンを決める市民チャンピオンの「大きなワラビ」部門で、上赤須の自営業遠藤正治さん(52)方に自生するワラビの1本が、昨年遠藤さん方で認定された57センチの記録を大きく上回る120センチで認定された。遠藤さんは「元はアルストロメリアやニラを栽培していた畑だが、3年前ほどからワラビが自然に増えてきた。以前の肥料が利いているのかもしれない」と話している=写真。
遠藤さんは「背の高いプルーン」などで合計6つの市民チャンピオンを保持している。 -
小林剛追悼展 写真仲間たちがしのんで企画
身近な花を題材としたマクロ写真で見る人を魅了した、伊那市西箕輪の農業小林剛さんが本年1月、56歳で亡くなったのをしのび、小林さんが所属した写真愛好者グループ「なんじゃもんじゃ」が17日、同市立伊那図書館1階の広域情報コーナーで追悼展を始めた。温厚だった小林さんの人柄が表れた作品20点が並んだ。入場無料。26日まで。
サックスやドラム、フルートなどを演奏し、仲間とともにバンド活動を続けていた小林さんは15年ほど前、新しい表現方法を求めて写真を学び始めたという。被写体の多くは、アジサイ、アカツメクサ、ゲンノショウコなどの草花。肺ガンで体が不自由だった晩年は、自宅周辺で撮影した写真を自分でデジタル加工し、プリントしていたという。
「あまり自分のことを多く語らない人だったが一本、芯が通った人だった」竏窒ニいう小林さん。自分に妥協しない性格でメキメキと写真の腕を上達させた。カメラ雑誌に投稿した写真は、数多く上位入賞を果した。小林さんは生前、「接写をやると、普段とは違った見方で花を見ることが出来ておもしろい」と話していたという。
昨年9月下旬に市駅前ビルいなっせであったグループ展が地元で最後の作品展となった。「あれが最後になるとは思わなかった」「どの写真も小林さんの心の優しさが表われていた」などと、故人との別れを惜しむ声は多い。
音楽活動でも活躍した小林さん。本年2月には、約40人の音楽仲間が集まり、追悼ライブを開いた。小林さんの等身大の遺影を囲み、生演奏は5時間にも及んだという。小林さんと同じバンドでベースを担当した西尾宏人さん(37)=同市西箕輪=は「一緒に同じステージに立っている不思議な感覚だった。気さくで、みんなに慕われていた人だった」と振り返る。
追悼展に並んだデジタル加工の写真「マリーゴールド」は、小林さんのお気に入りの一つだった。中学生時代から知り合いで、同追悼展を企画した一人のアンクルさん=箕輪町=は「私も好きな写真で、彼の病室にも飾られていた」。「作品を通じて小林君の・ス心・スを見てほしい」と来場を呼び掛けている。
20日は休館日。午前10時縲恁゚後7時。
小林さんが好きだったデジタル加工写真の「マリーゴールド」 -
猛暑に涼を求めて、宮田村でも連日35度以上に
猛暑で宮田村役場に設置してある温度計も連日35度以上を記録。村内では涼を求める光景が各所でみられた。
15日は最高気温が37・2度に。16日に続いて17日も午後3時半に36・2度まで上昇し、熱中症も気にかかる・ス酷暑・スが続いている。
町二区の仲なかふれあいセンターの駐車場には、7月末から簡易プールが設置してあるが、この厳しい暑さに親子づれに人気。
若い母親らは「家にいても暑いだけ。ここに来れば、みんなとふれあえるし」と、水遊びする我が子の姿に目を細めた。 -
成人式で宮田中吹奏楽部が演奏
宮田村の成人式は15日に宮田中学校で開いたが、アトラクションで新成人の後輩にあたる同校吹奏楽部の生徒たちが演奏を披露した。
校歌やサザンオールスターズの「TSUNAMI」など多彩な5曲。
映画「パイレーツオブカリビアン」のテーマ曲も盛り込んだが、勇ましく迫力ある演奏で新成人の・ス船出・スを祝った。
後輩の心温まるステージに、新成人は大きな拍手で応えていた。 -
榛原県道花の会が信州ふるさとの道ふれあい事業にかかる協定を締結
伊那市東春近の榛原県道花の会(伊藤忠朗代表、会員103人)と、伊那市、伊那建設事務所はこのほど、「信州ふるさとの道ふれあい事業(アダプトシステム)」にかかる協定を締結した。
アダプトシステムは道路環境の向上や住民同士の交流促進を目的とする制度。美化活動などにボランティアで取り組む団体に対して県が清掃用具や材料などを支給し、市町村が清掃活動などで生じたごみを処分することで団体の活動を支援する。
今回協定を結んだ榛原県道花の会は本年度発足したボランティア団体。96年から榛原バス停の前後約800メートルの花壇の維持管理や歩道の美化活動に努めてきた組織が母体となっているおり、99年には伊那市の花づくり大賞の最優秀賞を受賞している。
これで伊那建設事務所管内では13団体が同協定を締結していることになった。 -
長谷浦の「山の家」で東京の子どもたちが1週間泊まり込みで自然を学ぶ
伊那市長谷の浦にある「山の家」で16日から、東京少年少女センター(神代洋一会長)の中学生約15人が、1週間の泊まり込みでじかの自然に触れながらの体験学習に取り組んでいる。
東京少年少女センターは、東京に住む子どもたちの仲間づくりや異年齢間でのつながりづくりなどを促すための活動を展開しているNPOで、青空教室の開催、雪祭りなどさまざまなイベントを企画している。
中学生を対象とする「夏の学校」は、大学生や夏の学校の卒業生らが教師となり、自然をふんだんに取り入れた集団学習を行うもので、もともと浦の分校があったあと地を活用して毎年開催している。今年は「水」をテーマに、川遊びなどを行う予定で、期間中の食事は基本的に子どもたちが自炊して用意する。こうした取り組みを通じて、子どもたちは学ぶことの喜びを知り、本当の仲間を作って帰って行くという。
目的地に到着した中学生たちは、互いに自己紹介をしながら、これから始まる生活への期待を語っていた。 -
「いなっせ」で中高生が勉強の追い込み
夏休み終盤を迎えた中学・高校生らが、伊那市駅前ビルいなっせで、勉強の追い込みに入っている=写真。臨時の学習コーナーを含めて全約70席が連日いっぱいの状態で、生徒たちが熱心に励む。
下校後も利用できるように36席の学習室が常設されているものの、学校が夏休みに入ってからは満席が続き、5階の臨時コーナーも開放された。利用しているのは伊那中学校や伊那弥生ケ丘高校、伊那北高校などの地元の中高生が中心。空調の効いた環境の良さなどに人気があり、午前8時半の開場前から廊下に列をつくる。
「家にいると、ついテレビとか見ちゃうけど、ここなら大丈夫」「静かなので、はかどります」と生徒たち。休み明けのテストに向けて参考書や教科書を開き、根気良く問題に取り組む。 -
早乙女勝元講演会
第19回平和のための信州・戦争展が開かれている駒ケ根市の総合文化センターで最終日の16日、作家で東京大空襲・戦災資料センター初代館長の早乙女勝元さんの講演会「いのちと平和の尊さを」が開かれた。早乙女さんは「10万人が死んだといわれる東京大空襲の夜を生き延びたが、終戦を実感したのは、灯火管制がなくなって明るい電灯の下で家族で食卓を囲んだ時だ。平和って明るいんだ、と思った」と話した上で平和憲法について「今の日本にはえたいの知れぬ胸騒ぎを感じる。戦後62年で最大の分かれ道に差しかかっているが、道を誤らないために憲法改正を許してはならない」と強く訴えかけた=写真。
聴衆は真剣な表情で早乙女さんをじっと見詰め、時折深くうなずいたりしながら話に耳を傾けていた。 -
大人の一歩に母校で給食を、宮田村成人式は中学校で
宮田村の成人式は15日開き、・ス母校・スで人生の節目を祝おうと今年も宮田中学校を会場にした。昼食会は給食を再現。旧友や恩師と語らい、大人の一歩を踏み出した。
新成人114人のうち76人が出席。式典終了後にランチルームに集まり、全員で協力して配膳するなど、給食の時間を再現した。
村内で採れた野菜を使ったサラダなど、地元味覚ふんだんのメニュー。
人気の高かったソフト麺、牛乳に入れる粉末のミルメークも用意され、新成人は懐かしの味に舌鼓を打った。
中学校時代の写真もスライドで上映。会食しながら、思い出話にも花も咲かせた。
中学校での成人式は4年目で、式典で清水靖夫村長は「社会の一員として自覚を持ち力強く歩んで」と激励。
新成人代表の清水郁應さん=町二区=は「宮田の地で仲間とともに学んだことを思い出し、夢に向っていきたい」とあいさつした。 -
【記者室】新成人の態度
上伊那のいくつかの市町村で成人式があった。駒ケ根市の式を取材した折、新成人の態度はどうだろうかと意地悪い目でじっくりと観察してみたが、式典中、大声でしゃべる人も携帯電話を操作する人もなく、立派な態度だった。祝辞の途中に居眠りする人が数人いたのはご愛きょうだ▼数年前、全国のあちこちで新成人が会場で騒ぐなどのトラブルが起きて社会問題化したことがあったが、幸いにして最近はあまり聞かない。出席者が・ス大人・スになったのだろうか▼式本来の目的を忘れて同窓会と化しているのだからもうやめたら竏窒ネどの批判もあるが、成人の節目を意識するこれほどの機会はほかにない。内容にひと工夫欲しい気もするが、続けていく意義は十分ある。(白鳥文男)
-
駒ケ根市内各地で盆踊り
お盆中の14日夜、駒ケ根市内のそれぞれの地区では各区分館主催の盆踊り大会がにぎやかに催された。
北割二区の盆踊り大会は宮澤印刷の駐車場にやぐらやテントを設置した特設会場で開かれた。景気づけに勇壮な和太鼓が演奏されてにぎやかに踊りがスタート=写真。集まった区民らはやぐらの周りで輪になって踊ったりじゃんけん大会や花火に歓声を上げたりして、夜のふけるのも忘れて夏の一夜を楽しんだ。
会場では焼きそば、かき氷、スイカ、焼きトウモロコシ、わたあめなどが無料で振る舞われ、訪れた親子連れが何度もお代わりを繰り返していた。 -
駒ケ根市成人式
駒ケ根市の成人式が15日、市文化会館で開かれた。今年度新たに成人を迎えた466人(男性222、女性244)のうち273人が出席し、人生の節目を祝った。新成人代表の宮脇惇さん=町三=は「成人になって飲酒、喫煙が可能になるが、飲酒運転は絶対にせず、たばこは周りの迷惑にならないようマナーを守りたい。社会人としての自覚を持ち、ルールを守って生活していきたい」と謝辞を述べた。中原正純市長は「人生を築く上で成人は大きな節目。変化の激しい時代だからこそ『温故知新』を大切にしてほしい。若い感性を生かして大きな志を抱き、学びの心と向上心をもって研さん、精進することを期待する」と力強く激励した。
式典後には中学校の恩師らによるビデオメッセージが上映され、新成人は久しぶりに見る懐かしい顔と楽しい語り掛けに歓声を上げていた。
アトラクションとして、式に先立ち駒ケ根太鼓が、式典後に市民吹奏楽団がそれぞれ演奏を披露。新成人は素晴らしい演奏に大きな拍手を送っていた。 -
【伝える】東伊那の登戸研究所跡
子どもたちの無邪気な歓声が明るく響く駒ケ根市の東伊那小学校グラウンド。その西側に接する急斜面を少し下った木立ちの中に高さ2メートル、幅1・5メートルほどの横穴がぽっかりと暗い口を開けている。
太平洋戦争末期に、旧陸軍の登戸研究所が薬品などの貯蔵庫として使ったとみられる壕(ごう)の跡だ。
入口は2つ。穴は5メートルほどの間隔で隣り合っているが、水平に延びる2本のトンネルは土の中で結ばれておらず、それぞれ独立している。内部の総延長は20メートルほどらしいが、天井や壁がくずれかかって危険なため正確に確認はできない。土地所有者の湯沢梅次郎さん(71)=東伊那栗林=は当時小学校1年生だった。
「子どものころ穴に入ってみたことがあったが、内部も入口とほぼ同じ大きさのトンネルでけっこう広かった。中には薬品を置くための棚が並んでいたと思う。入口は今は土がむき出しだが、当時はしっかりした材木で囲ってあったな」
登戸研究所は毒薬、細菌、風船爆弾などの特殊兵器の研究、開発、製造を行っていた陸軍の一部門。米軍による爆撃を避けるため、1945(昭和20年)3月に神奈川県川崎市の登戸から中沢村(現駒ケ根市中沢)や伊那村(同東伊那)など上伊那南部に疎開してきた。研究部門の本部は中沢国民学校(現中沢小学校)に置かれたらしい。湯沢さん宅も接収され、上級将校の宿舎に充てられた。研究員だった伴繁雄技術少佐も滞在していたという(伴少佐は戦後『陸軍登戸研究所の真実』を出版し、軍極秘事項として多くの謎に包まれたままだった研究所の内幕を公表して話題を呼んだ)。湯沢さん方の敷地内には壕のほか工場棟も建設されたが、本格稼動の前に終戦を迎え、直ちに撤去された。
湯沢さんは「跡には何も残らなかった。だがその後すぐ、東伊那の小学生がどこかの倉庫に忍び込み、中にあったチョコレートを食べて体の具合を悪くしたという話を聞いた。どうも研究所の試作品だったということだ。幸い死ぬようなことはなかったらしいがね」と話す。
壕(ごう)は戦後長くそのままの状態で残っていた。しかし、小学校グラウンドのすぐ下ということもあり、子どもたちが度々探検と称して入り込んだ。湯沢さんは周囲の土が粘土質で軟らかいことから崩落の危険を感じ、立ち入り禁止の札を立てたり、入口にバリケードを作って入れないようにしたが、相手は子ども。あまり効果はなかった。最近になっていよいよ横穴の天井部分が陥没を始め、いつ全体が崩れ落ちるか分からない状態となったため、遂に埋め戻しを決意。現在工事に入っている。
湯沢さんは言う。「貴重な歴史の遺産としての価値を考えると残念な気もするが、子どもたちの安全には代えられない」
工事は9月中にも完了する予定だ。穴は跡形もなくなり、ここに登戸研究所の施設があった証拠は完全に失われる。研究所で使われていた備品なども終戦直後にすべて処分されたため、手がかりとなる物はほかに何もない。ただ一つだけ、倉庫で使われていた木製の薬品棚が湯沢さん宅の物置に残っているだけだ。 -
箕輪町成人式
07年度箕輪町成人式は15日、町文化センターであった。新成人約200人が出席し、大人としての自覚を胸に新たな人生の節目を祝い、懐かしい友や恩師との再会を喜んだ。
新成人の有志で組織する成人式実行委員会による式で、対象は339人(男性176人、女性163人)。みのわ太鼓の祝太鼓演奏で開幕した。
実行委員長の中林秀二さんは、「成人式を区切りに自分自身はもちろん地域を守る立場に変わる。さまざまな権利を与えられるようになり、義務、責任も負わないといけない。義務をまっとうし、権利の意味をはき違えないように、強さと誇りをもって歩いていく」とあいさつした。
新成人を代表して唐沢真義さん、有賀多恵さんが意見発表した。
平沢豊満町長は、「成人として出発する今、積極的、建設的姿勢で悔いのない人生を送ってほしい。社会人としての義務と責務をしっかりかみ締め、世界に通用する日本人として活躍されることを願う」と祝いの言葉を送った。
式後は記念撮影し、町民体育館で立食パーティーがあった。 -
飲酒運転撲滅へ
交通少年団が新成人に呼びかけ箕輪町内の小学5、6年生有志で組織する町交通少年団(団長・小林交石町交通安全協会長)は15日、成人式があった町文化センターで、新成人に「飲酒運転をしないでください」と呼びかけた。
飲酒運転撲滅を願い、毎年恒例の活動。団員11人が参加した。
式を終え、立食パーティーに向かう新成人に、啓発グッズとしてクーラーバッグを手渡し、交通マナーを守るよう大きな声で呼びかけた。新成人は「ありがとう」と笑顔で受け取っていた。 -
上伊那で成人式
上伊那の伊那市、駒ケ根市、辰野町、箕輪町、飯島町、宮田村で15日、それぞれ成人式があった。首長らが新成人にエールを送ったほか、市町村ごとに学校給食の再現、恩師からのビデオメッセージ、吹奏楽や太鼓演奏などが盛り込まれ、20歳の節目を祝った。
会場には開始時刻前から、和服や浴衣、スーツ、ジーパンなどの姿で新成人が続々と集まり、友人と再会を喜び、近況を話したり、写真を撮ったりする光景が目立った。
◇ ◇
伊那市成人式は、伊那地域の新成人817人(男390人、女427人)のうち、6割の520人が出席した。
式辞に立った小坂市長は「若さと希望に満ちた皆さん。世界に目を向け、生きがいを見いだしてほしい」と未来に向かって羽ばたくことを期待。62回目の終戦記念日に当たり「被爆国として戦争の悲惨さを自覚し、平和を望む」と述べた。
新成人代表の大学生小池真人さん(21)=上の原出身・愛知県在住=は「家族や地域などに支えられてきたが、これからは社会を創造する役割を担っていく。逆境を乗り越え、一歩一歩自分の道を歩んでいきたい」と決意を述べた。
そのほか、小出太鼓の迫力ある祝太鼓や万歳三唱、新成人が自由に歓談できるトーキング・タイムなどもあり、今回初めて新成人が司会を務めた。
記念品には音楽ギフト券を贈った。
◇ ◇
伊那市は、伊那地域の成人者を対象に、成人式に関するアンケートを取った。アンケート結果を参考に、08年度中に時期や開催方法などを方向づける。
成人式は、合併協議で合併後3年間、旧市町村単位(伊那8月15日、高遠町1月2日、長谷1月1日)で開かれるが、その後、どうするかは検討課題になっている。
設問は選択方式で▽開催方法は市全体か、分散か▽時期は正月、成人の日、成人の日前日の日曜日、8月15日▽式の内容は式典のみ、式典と記念撮影、式典とアトラクション竏窒ネど6項目。
出席者にアンケート用紙を配り、式典終了後、回収箱に入れてもらった。
来年1月、高遠町・長谷の成人式でも同様のアンケートを取る。 -
かんてんぱぱでとちの木オープン
伊那市西春近にあるかんてんぱぱガーデン山野草園内にこのほど、そば処「栃の木」がオープンし、訪れる観光客らに憩いの時間を提供している。
もともとアジサイ小屋として開放していた建物に、客席と調理室を設置し、4月下旬から営業を開始した「栃の木」。趣味が講じて、本格的にそばを打つようになった有賀利夫さん(59)が朝早くからそばを打っている。そば粉はすべて地粉を使っており、香りを十分に引き出すために石うすで粗挽きにしているほか、二八より若干そば粉の割合が多い「外そば」とすることで、香りとコシの両方を楽しめるようになっている。
盛りそばのほか、カモ肉の入った「きのこつけそば」などの人気も高く、訪れた観光客らはアカマツ林の涼しさとともに、打ちたてそばの触感と香りを楽しんでいる。
有賀さんは「『おいしいそばになりますように』と思いを込めて打っている。ぜひ一度足を運んでいただければ」と話していた。
営業時間は午前11時縲恁゚後3時(そばが無くなり次第終了)。水曜日が定休となる。 -
食の安全・安心モニターの勉強会
長野県食の安全・安心モニターの勉強会が10日、伊那市の県伊那合同庁舎であった。上伊那地区でモニターに選ばれた主婦や栄養士会関係者などに委嘱状が手渡され、同制度の概要や食品に関する法律のポイントなどを学んだ=写真。
同制度は食の安全・安心に関心の高い人に食品衛生監視などを体験してもらう中で、安全・安心に関する意見を募ったり情報交換をすることを目的とするもの。
この日は公募によって選ばれたモニター12人が集まり、モニター活動での注意点や食の安全に関する主な法規などを学習。
参加者らは「今は農薬に関する規制が厳しくなってはいるが、中には出荷直前に使っても良いと表記されているものもある。そういう消毒はどうなっているのか」などといった日ごろから感じていた疑問を投げかけ、理解を深めていた。 -
大芝高原に祭りムード盛り上げる提灯
南箕輪村で25日にある第22回大芝高原まつりに向け、祭り会場となる大芝高原内の大芝湖周辺に、祭りを盛り上げる提灯が飾り付けられた。
大芝湖西側の通路沿いと、おまつりステージの会場になる湖や愛の鐘周辺を取り囲むように、赤、青、緑、黄色などカラフルな提灯が並んでいる。
祭りは午前10時に湖上ステージで開会式。今年は新たに「縁台将棋」を加えた19イベントを計画している。 -
第2回三峰川自然再生地区観察会
三峰川みらい会議(織井秀夫代表)は11日、国土交通省が実施した「自然再生事業」の現場、伊那市美篶青島の三峰川河川敷で、06年4月の事業完了後の河川の変化を観察する集まりを開いた。観察は2回目。会員や一般住民ら約15人が集まり、以前に種をまいた在来植物の成育状態などを見た。
在来植物を増やそう竏窒ニ、昨年10月に地域住民らで、同河川の在来種カワラニガナ、カワラサイコ、カワラヨモギの3種類の種をまいた場所を観察。カワラヨモギの成育状態は順調だったが、繁殖力の弱い残りの2種は「これから根を伸ばしていけば大きくなる」とし、成長を見守ることにした。
そのほか、河川内に繁茂する木の伐採や河床整備などの同事業について、国土交通省の委託で施行後の追跡調査をしているコンサルタント会社の関係者が説明。参加者とともに河川敷を歩き、外来植物が多く進出している現状なども一緒に確認した。
在来植物の種をまいた場所で成育状態を観察する参加者 -
駒ケ根市民チャンピオン「背の高いユリ」
駒ケ根市の何でもナンバー1を決める市民チャンピオンに13日、背の高いユリが初めて認定された。ユリは中沢のデイサービスセンター竜東やまびこ園(吉沢みはる園長)の庭に育った物で、高さは2メートル70センチ。96年の記録を10センチ上回った。同園の庭に咲く花々の手入れをしている職員の塩沢正己さんは「場所が建物の西側で、一日中日が当たらないのが良いのかもしれない。特別な肥料を与えるなどの手入れは何もしていないが、土がユリに合っているのかな」と話している=写真。
-
信州戦争展
第19回平和のための信州戦争展が16日まで駒ケ根市の文化センターで開かれている。太平洋戦争の現実を伝えるパネルや写真、当時の軍服や戦死者の遺書など、多くの資料を展示している=写真。写真家高橋邦典さんの作品展も併せて開かれているほか、イラク戦争の展示などもある。
14日の証言コーナーでは体験者3人が戦争の悲惨さを来場者に語り掛けた。1945(昭和20)年3月の東京大空襲を経験した松崎岩夫さんは「B29の焼夷弾爆撃で東京の東半分が火の海。道路や川に裸の死体がごろごろしていた。体の焼けるにおいが充満してしいたが、気がおかしくなっていたのか、悲惨さはそれほど感じなかった」と当時の体験を生々しく語った。
実行委員長の清水久志さんは、特に戦争を知らない世代に来てもらい、日本と世界のために何ができるか考える機会にしてほしい竏窒ニしている。
15、16日にも戦争体験者3人による証言が行われるほか、16日午前10時からは作家で東京大空襲・戦災資料センター初代館長の早乙女勝元さんによる講演「いのちの平和の尊さを」が大ホールで開かれる。
午前10時縲恁゚後5時。入場料は大人300円、高校生以下無料。 -
伊那部町で骨董市
伊那市西町区の伊那部町納涼祭に合わせ、骨董市が14、15日、地区内の旧井澤家住宅で開いている。古陶器、古民具、古銭、掛軸など約1500点が並ぶ。15日は、伊那部集会所周辺で納涼祭がある。同納涼祭実行委員会の主催。
骨董市は、同地区の納涼祭と秋の文化祭に合わせ年2回あり、今回で15回目。上伊那を中心とした5社が出品し、多く人が雰囲気のある日本家屋内で買い物を楽しんでいる=写真。関係者によると、瀬戸物やガラス食器など、手ごろな品の売れ行きがよいという。
納涼祭のカラオケ大会では、プロ演歌歌手の条かおりさんの出演を予定している。そのほか、伊那弥生ヶ丘高校の吹奏楽部による演奏、輪投げやヨーヨー釣りなどのゲームなどの催しを企画。豚汁、ビール、ジュースなどの無料コーナーもある。
15日の骨董市は午前9時縲恁゚後6時。納涼祭は午後3時縲恁゚後8時。雨天決行。 -
小沢区の子どもたちが五十数年ぶりに振り万灯で先祖の霊を迎える
伊那市小沢区で13日夜、お盆の伝統行事「振り万灯」があった。地域の小学生など約20人と保護者、地域のお年寄りなどが下小沢橋の上に集まり、子どもたちが振り万灯に挑戦=写真。大きな火の玉の迫力に戸惑いながらも果敢に縄を回し、先祖の霊を迎えた。
同地区では今年、地区の伝統文化を子どもたちに引き継いでいくことなどを目的として、五十数年ぶりに振り万灯を復活。13日の夜に「迎え火」として振ることとなった。
始めに万灯を振ったことのあるお年寄りたちが万灯の振り方を説明。子どもたちは最初、大きな円を描いて回る火の玉に驚き、尻込みしていたが、「大丈夫」「やってみな」などいう声に誘われて恐る恐る挑戦。麦が弾ける「パチパチ」という音とともに幻想的な火の輪が浮かび上がり、ギャラリーからは「すごい」と声が挙がった。
上手に回せて一安心した子どもたちは親のもとに駆け寄り、「恐かったけど面白かった」と話していた。
地元のお年寄りたちは「昔はもっとたくさん並んでやっていたから、麦の音もすごくて迫力があった」「まあ1年目だからこんなもの。段々とやって、続けていくってもんだら」と笑顔を見せた。 -
山で森で盆を満喫
上伊那のキャンプ場やプールなどは盆期間中、地元住民や帰省客、県外者らでにぎわいを見せている。暑い日差しが照りつけるが、木々に囲まれたキャンプ場でのんびり過ごしたり、プールで水しぶきを上げたりと思い思いに楽しんでいる。
伊那市長谷の南アルプス林道バスは、夏山シーズンの登山客らで始発便から長蛇の列ができるほど。豪雨災害の影響があった昨年同時期と比べ、4千人ほど上回っている。
利用客は中京、東京、関西方面が多く、韓国からのツアー3団体も来た。
愛知県豊橋市の太田耕造さん(57)は2泊3日の日程で、会社の仲間5人と一緒に、仙丈ケ岳(標高3033メートル)へ登った。「標高3000メートル級の山が比較的楽に登れて展望が良い」と40年来、夏休みを利用して南アを訪れている。下山後「登山を口実に酒を飲むのが楽しみ。暑くて疲れたが、最高だった」と話した。
埼玉県の坂谷吉子さん(70)は夫と2人で、北沢峠周辺を日帰りハイキング。「こちらは涼しい」と高遠城址公園なども立ち寄った。
林道バス営業所は7月中旬縲・月初旬の土・日曜日がピークになると見込んでいたが、台風の接近で利用者数が想定より伸びなかった。今シーズンで最も多かったのは7月28日の1330人。午前6時の始発便前に、早朝便を運行するなどして対応している。
16日までは、北沢峠周辺を散策する帰省客らが増えると見込む。
10月に入ると、紅葉シーズンで、利用客の増加に期待する。
林道バスは三峰橋付近の戸台口から北沢峠を結ぶ延長22・6キロ。所要時間は1時間。
##(写真)
南ア林道バス営業所前は長蛇の列=12日始発便 -
飛び立てなかった海軍二等飛行兵曹
伊那市長谷中尾
大出達雄さん(80)“浜までは 海女も蓑(みの)着る 時雨時”
「海に潜る海女であっても、陸にいるときに雨が降れば自分の体を気遣って蓑を着る。だから、命は絶対粗末にしてはいけない。大切にしろ」
大井海軍航空隊にいたある司令官は、自作の詩とともにそう語った。その言葉は印象的だった。62年経った今でも鮮明に覚えている竏秩B
◇ ◇
栃木県出身。航空戦力の立て直しを目的として国が海軍航空隊の増員を進める中、甲種飛行予科練習生に自ら志願したのは中学3年生の時だった。1943年、入隊試験に合格。茨城県の土浦海軍航空隊甲種13期に配属となり、基礎となる体力づくりのほか、精神教育、陸戦、軍制などといった知識を徹底的に叩き込まれた。
翌年ほどなくして予科を修了し、偵察員を養成するために開設された静岡県の大井海軍航空隊第39期に配属となる。
大井に移ってからは、爆撃、射撃、航法など、実際に知っていなければ自分の死に直結する実践的な訓練が中心となった。厳しい訓練を必死でこなす一方、周囲の状況から、日々悪化していく戦況を感じずにはいられなかった。
敵の艦載機が航空隊の上空を頻繁に飛び、その爆撃で命を落とす友人を目の当たりにする。そんな日常が続き、自分も生きて帰れないことを覚悟した。
「土浦にいた時は『戦局は極めて悪化の一途をたどっている。人間魚雷として志願してくれ』という訓示があった。この訓示により、自分たちより2カ月遅く入った同期の仲間が随分と持っていかれた。土浦を出てからも、関西や鹿児島の方に行った同期の仲間は特攻機に乗って亡くなっている」
敗戦色が濃くなってきた1945年3月、突如として偵察術の訓練が中止となり、自分たちが使っていた訓練用の航空機を使い、特攻隊として編成された八洲隊の訓練が始まった。
いよいよ自分も危ない竏秩Bそう感じ、兵士らの繕い物をするため兵舎に出入りしていた女性に手紙を託し、航空隊の外にある班長の下宿に父と弟を呼び出し、面会を果たした。
しかし、最終的には航空機の数が足りず、順番待ちをしたまま飛び立つことなく終戦を迎えた。
◇ ◇
終戦後、社会的にも、精神的にも立ち直るには時間がかかった。社会的な復帰を果たした後も、思い出したくない記憶は封印し、極力表に出さないことを心がけた。
しかし10年ほど前からは、大井海軍航空隊のOB会に参加したり自分の戦争体験を語るなど、過去の記憶をたどるとともに自分の経験を伝える活動に取り組み始めた。
「それまではあまり思い出したくもないので、OB会にも参加していなかったし、戦争のことを語ることもなかった。しかし、平和を守るためには戦争をしないという合意づくりが大切だと気付いた。だからこそ、自分の経験を伝えていこうと思う。若い世代には、平和を守ることがいかに大切かを伝えていきたい」 -
子育て中のお父さん、お母さんもリフレッシュを竏猪~前ジャズin高遠が開催
高遠町在住のジャズピアニスト・緒方美音子さん(35)らによる「盆前ジャズin高遠」が11日夕方、伊那市の高遠町総合福祉センターであった。子育て中の家族連れなど200人以上が集まり、心地良いリズムと迫力のある演奏を楽しんだ=写真。
大学卒業後、働きながらジャズピアニストとして活動を続けていた緒方さん。高遠町へ越してきた2年前からは、活動を休止していた。しかし、子どもの保育園で知り合った友人らから演奏を依頼されたことをきっかけに活動を再開。そんな中、夫の転勤で今月末に渡米することが決まり、「渡米前最後のコンサートを」という友人らの要望を受け、今回のコンサートを企画した。
コンサートには、大学時代からともに演奏をしている佐藤友信さん(バス)、浅谷カヲルさん(ドラム)も出演。緒方さんのオリジナル曲を中心に、「古里」「遠き山に日は落ちて」などの童謡も、バラード調で披露。最後はセカンドアルバムのタイトル曲「SHOOTING STAR(シューティング・スター)」を演奏。大人だけでなく、子どもたちも演奏に合わせて体を動かすなどしてコンサートを満喫していた。 -
三峰川電力が三峰川風力発電事業計画にかかる環境影響評価の方法書を縦覧
伊那市の入笠山、鹿嶺高原一帯で風力発電事業の検討をしている三峰川電力(酒井宗二社長)は13日から、同事業にかかる環境影響評価の方法書の縦覧を行っている。
環境面での調査方法に対して広く意見を募ることを目的とするもので、9月12日までの午前8時半縲恁゚後5時(土日、祝日は除く)、同社ホームページ(http:www.mibuden.com)で縦覧できる。
これに伴なう意見書の提出を9月26日(必着)まで郵送FAX、電子メール受け付けており、住所、氏名を明記すること。ホームページ上からも意見を提出できるようになっている。
なお、縦覧は事業の可否を問うものではないとしている。
意見書の提出先は〒396竏・403長野県伊那市長谷黒河内2895三峰川電力会社。
問い合わせは三峰川電力三峰川発電所(TEL98・2027)へ。 -
東春近の農地・水・環境を守る会
自然石積み水路「親子観察会」伊那市の「東春近の農地・水・環境を守る会」(伊東由和会長)は12日、東春近の中殿島から田原に残る昔ながらの自然石積み水路を観察する「夏休み親子観察会」を開いた。小中学生33人、水路を案内する会員ら合計100人が班別に水路の名前、深さ、現状などを観察して歩いた。
農業用水路で、地域住民の希望でコンクリートにするのではなく自然石積みを残してきた。しかし痛みも進み、会として地域に啓蒙活動を続けながら保護に取り組もうと検討。5カ年計画の事業第1弾として、観察、概要調査、問題提起を挙げ、親子で水路の存在を知り水路の価値を感じてもらおうと観察会を計画した。
最も大きな水路「清水川」の観察では、会員から昔は自然の川で50年ほど前にまっすぐに改修し今に至っていること、昔は周辺の水田の持ち主が盆前に川掃除をしたこと、アメノウオ、赤魚、ウナギなどがいて川遊びをしたことなどを話した。小学生は、石積みを興味深く観察したり、川幅や水深を測って記録。東春近小学校6年の沼波晃輝君は、「魚がいて面白い」と話していた。
参加した子どもたちは、「水が岩から染み出てくるところを初めて見た」「トンボがいっぱいいて驚いた」などの感想を挙げ、どんな川になったらいいと思うか-との問いかけには「生き物がたくさんいる川」「自然のままの川」と答えた。
会では今後、小学5、6年生と中学生を中心に水路マップを作る予定。