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南アルプス国立公園指定50周年記念特集⑩
伊那市長谷の長谷中学校に伝わる南アルプス太鼓。 4月25日に行われた南アルプス開山祭では、魂のこもった太鼓の音が山に響きました。 演奏したのは、長谷中学校の3年生です。 5月上旬、生徒達が練習に励んでいました。 太鼓が初めて披露されたのは、発足した昭和61年の長谷中学校文化祭「くろゆり祭」です。 当時の赤羽敬一校長が、地域に根差した教育を取り入れようと、南アルプス太鼓を始めました。 昭和61年の発足当時から生徒達に指導しているのは伊那市長谷市野瀬の宮下由紀夫さんです。 宮下さんは、30年続く長谷太鼓・創龍会の打頭を務めています。 宮下さんが作曲した「仙丈」は、南アルプスの仙丈ケ岳の雄大さをイメージして作られました。 28年間、長谷中学校に伝わる南アルプス太鼓。 毎年3年生が伝統を受け継ぎ、1年間を通して様々なイベントで披露しています。 その年によって掛け声や曲の雰囲気が異なります。 バチを構えた瞬間、生徒達の表情が変わりました。 先輩から代々受け継がれている長谷中学校の南アルプス太鼓。 長谷中学校ではこれからもその伝統を引き継ぎ、太鼓の音に思いを込めて南アルプスへ響かせます。
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南ア国立公園指定50周年記念特集⑨
【平山】「『春の小仙丈ケ岳に行こう!』ということでこもれび山荘管理人の竹元直亮さんと、スタッフの狩野俊一さんに案内してもらいます。宜しくお願いします。竹元さん。春の小仙丈ケ岳の魅力はどんなところですか?」 【竹元さん】「仙丈ケ岳は駒ヶ岳と比べると雪が多く残る山なので冬山ほど気象条件は悪くなく雪山が楽しめると思います。」 竹元さんは、学生時代に山岳会に所属していて豊富な経験を持ちます。 春の山は危険も伴うということで、初心者は上級者と一緒にいく必要があります。 今回は、私達初心者にペースを合わせてゆっくりしたペースで登山してくれました。 会話を楽しみながら歩くのが「ゆる山」の鉄則だそうです。 4合目から5合目の間に、第一の関門があります。 【竹元さん】「両側が落ちているこういうところを立地というんでけど、狭いので1回と止まって装備を確認してみてください」 恐る恐る立地を越えていきます。ちらりと横を見ると断崖絶壁。もしも踏み外せば命はありません。 【竹元さん】「落ち着いて。蹴りこみながら、一歩一歩作りながら歩いていく感じで」 4合目を抜けた辺りで視界が開け、東駒ヶ岳や栗沢山などが一望できました。 【平山】「なんだか嬉しいです。今日始めてこんな風に山の姿を見ることができて」 5合目を抜けてしばらく歩くと樹林帯が終わります。 森林限界まで来ると、一面銀世界となり、これまでと景色が一変しました。 小仙丈直下の急登と呼ばれる最後の難関です。 初心者にはまっすぐに切り立つ崖に見えます。 【平山】「これ本当に登るんですよね?壁みたい。大丈夫かな」 登り始め、後ろを振り返るとその急勾配に足がすくみます。 【狩野さん・竹元さん】「着きました」 【平山】「オー。小仙丈ケ岳。着きました。着きました。2,864メートルです!」 3人でハイタッチをして登頂を喜びました。 【平山】「すごい眺めだな~本当に。」 【竹元さん】「北岳、仙丈ケ岳のカール、中央アルプスも見えます。八ヶ岳も見えてます。」 【平山】「本当、初体験なんで、こんな景色見たことないですね。ちょっと感動しちゃうな~」 3人で記念に万歳しました。 【竹元さん】「南アルプス国立公園指定50周年おめでとうございます。バンザーイ」 【竹元さん・狩野さん・平山】「バンザーイ」 初体験の春山登山。自らの足であるき到着した小仙丈の山頂からは、山々が織り成す奇跡の眺望が広がっていました。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集⑧
南アルプスの登山口、北沢峠まで続く林道バスの安全を日々、守っている人たちがいます。 午前6時。伊那市長谷黒河内にある、伊那市営南アルプス林道バス営業所。パトロール員の西村福雄さんの1日が始まります。 大きな落石を道路脇によせる西村さん。「こんなのまだ楽だよ」と話します。 林道沿いは地盤が緩いため、雪解けの時期や大雨の後は、落石が多くみられます。毎朝、バスが通る前に、林道を整備するのが西村さんの仕事です。 数メートル進んでは車を停め、落ちている石などを片付けます。バスで行けば40分ほどの歌宿まで、西村さんは1時間半ほどかけて行きます。 南アルプス林道バスは、4月下旬から11月までの登山シーズン中に運行が行われています。シーズン中の利用者は平均して4万6千人。この間、職員10人がバスの運行に携わっています。林道は、自然保護のためのマイカー規制がされています。 南アルプス林道バスは昭和55年、1980年に林道の開通と共に開業しました。これまでにバスの事故は1度も起きていません。 開業当時から運転手をつとめている人もいます。西村茂さん65歳。30歳の時から運転手をしています。毎朝、運行前にバスの安全点検をします。 安全点検と点呼を終えると、登山者を乗せて、標高1680mの歌宿を目指します。 途中バスを停め、石灰岩の岩壁に咲くシナノコザクラを乗客に紹介します。「バスに乗るだけでなく、いろんな事が知れたと言われるのがうれしい」と西村さんは話していました。 パトロールを終えた西村福雄さん「お客さんにきれいな林道だねと言ってもらえる感動がひとつの楽しみ」と話します。 南アルプス林道バスを守る人たち。 林道を愛する思いが、無事故の歴史を築きあげています。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集⑦
手紙「先月の甲斐駒ヶ岳での当方会員の遭難事故に際しましては、ひとかたならぬお世話になりましてありがとうございます。 せっかくの連休にもかかわらず私共のために危険な救助活動に力を尽くしてくださいました。 突然のでき事に驚きと悲しみと不安でいっぱいだった私たちにとってどんなに心強く救われた思いがしたことか・・・ ご家族の手でご葬儀を終えられまして、私共もお別れをいたしました。 本人は、まだまだ大好きな山登りを続けていきたかったのだろうと思うと胸がいたむばかりです。 今後は、各自1人1人が万全の準備を怠ることなく安全登山を楽しむよう留意するつもりでおります。 南アルプス北部地区山岳遭難防止対策協会隊長 西村和美様」 登山者の遭難救助活動をしている南アルプス北部地区山岳遭難防止対策協会は、昭和37年1962年12月に旧長谷村の浦公民館で発足しました。 協会は、南アルプスの北部、鋸岳から塩見岳までが主な管轄エリア。 隊員は、80人で、市役所職員がその大半を占めています。 山岳遭難が発生した場合は、消防団と同様24時間365日出動を求められます。 おととし、創立50周年を迎えた協会は、南アルプスの歴史とともに歩んできました。 4代目隊長の西村さんは「一番の自慢は、二次遭難を出していないこと」と話します。 長谷溝口の西村和美さん69歳。 仕事は第一線を退き趣味の木工を楽しんでいます。 平成5年から隊長となり、今も現役で隊を指揮しています。 南ア北部を知り尽くし、守ってきました。自然と動物、酒と自由をこよなく愛する山男で、その気さくな人柄は、隊員から厚い信頼を受けています。 隊長就任以来の出動回数は70回以上。 救助活動には常に危険がつきまといます。 隊の発足当時から現在まで活動を見守ってきた長谷総合支所長の中山晶計さん。 隊員を山に送り出す家族にも寄り添いました。 中高年を中心とした登山ブーム、軽装備の登山者の増加、技術やモラルの低下で遭難事故も増加傾向にあります。 登山者には遭難者にはなるなと呼びかけ、二次遭難は出さない。 南アルプス北部遭難対策協会のプライドです。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集⑥
旧長谷村公民館は、南アルプスの紹介や登山事故防止を目的に、国立公園に指定された昭和39年に八ミリ映画「南アへの道」を制作しました。 3,000メートル級の山がつらなる南アルプス国立公園は、甲斐駒・鳳凰山系、白峰山系、赤石山系の3つの大きな山系により構成された日本を代表する山岳公園です。 公園の範囲は山梨県、長野県、静岡県の3県にまたがり、東西はおよそ15km 南北は50kmに及び総面積は35,000haあります。 南北に長いこの山脈は、富士山に次いで日本高い北岳をはじめ、仙丈ケ岳、塩見岳など3,000メートル級の山が10、2,500メートル以上は36あります。 南アルプスの森林限界より上の高山帯にはお花畑が分布していて、キタダケソウ、タカネビランジなどといった固有種など貴重な植物が群生しています。 また、ニホンカモシカなど30種類以上の哺乳類が確認され、なかでもライチョウの生息地としては世界で最も南に位置する場所で、重要な地域となっています。 南アルプスの多くの山はもともと海の底にあった地層でできていて、中央構造線を中心とした長野県内では、日本列島の土台を作ったプレートが作り出した貴重な地質を観察する事ができ、平成20年に日本ジオパークに認定されました。 国内に30か所ある国立公園。 南アルプスは昭和39年6月1日全国で23番目に指定されました。 伊那市長谷総合支所の中山晶計総合支所長。 旧長谷村役場職員だった中山さんに当時の事を伺いました。 中山さんは「指定以前の昭和36年頃から登山道の整備や山小屋修復など、国立公園指定に伴い増加が予想される登山者の受け入れの準備が役場を中心に行われていた」と話ます。 国立公園指定により、全国的に名前が知られるようになった南アルプス。年間に訪れる人は、年々増加傾向にあり、ここ10年は約60万人となっています。 昭和55年 南アルプス林道が開設し北沢峠まで行けるようになると登山が楽しめる山へとなりました。 登山客が集中する夏山シーズンは、高山植物の踏みあらしや、排泄物による環境悪化が問題となっています。 また、気候変動による高山植物の衰退、ニホンジカによる食害など課題は少なくありません。 伊那市などは、増加する登山者に対して環境負荷軽減に向け登山客に持ち帰る事ができる携帯トイレの普及を目指しています。 公園を管理する南アルプス自然保護官の中村仁さんは「自然の変化を細やかにとらえながら、みんながこの環境を次の世代にいかに残していくか行動し、活動していくことで、次の50年に南アルプスの自然が残せる」と話します。 国立公園指定から50年の節目を迎えた南アルプス 先人たちが残してくれたこの自然を、次の50年に向け守り伝えていく事が私たちの役割かもしれません。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集⑤
「1億年のロマン 戸台の化石」 伊那市長谷戸台。 ここにあるのが化石です。 今からおよそ1億2,000万年前の白亜紀の化石を数多く産出しています。 海抜1,000メートル以上の戸台で、海の生物の化石が発見される…長い年月と地球の偉大さを感じます。 北村健治さん71歳。 「戸台の化石」保存会の会長で、戸台のアンモナイトの発見者です。 北村さんは「叩けば簡単に割れる。光っているものは全て化石、小さすぎて全てを判別することは困難」と話します。 続けて「地層の沈下速度は一定、きれいな面を作って沈下していく、これを層理という。一緒にアンモナイトやサンカクガイなども沈下している、戸台の化石は空洞がなく潰れている、そのため層理面を探せば化石は出てくる。」と話していました。 これまでに戸台で発掘された化石は5,720標本を数えます。 これら全ては、戸台の化石保存会により、伊那市の長谷公民館、戸台の化石資料室に展示・保管されています。 北村さんによると「化石というとアンモナイトに注目が集まるが、戸台の化石を有名にしたのは実はサンカクガイ、サンカクガイの化石は日本の中でも2~3番目の古さで発見されている」ということです。 保存会では毎年学習会も開き、太古のロマンを子どもたちに伝えています。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集④
2008年に撮影された南アルプス仙丈ケ岳の馬の背の様子です。 山肌が見えてしまっています。 原因は、ニホンジカが植物を食べてしまったから。 ニホンジカの食害から高山植物を守ろうと、南アルプスを構成する伊那市などの4市町村や3つの地方事務所、信州大学農学部などにより2007年に南アルプス食害対策協議会が発足しました。 南アルプスの植物を守ろうと、奔走し続けている人たちがいます。 信州大学農学部食料生産科学科の竹田謙一准教授。 南アルプス食害対策協議会発足当時から、その一員として研究を続けています。 竹田准教授は、「南アルプスにはもともとニホンジカがたくさん生息していた。それで里に下りられなくなったニホンジカが、上に上がってきた」と話します。 協議会では、2008年から、仙丈ケ岳の馬の背のお花畑に防護柵を設置しています。 2009年には、ボランティアを含め44人が参加しました。 シカの侵入を防ぎ、食べられてしまった花を復元させるためです。 防護柵を張った直後のお花畑です。 その2年後のお花畑です。 シナノキンバイや、ミヤマキンポウゲなどの貴重な植物が戻ってきました。 竹田准教授は、「柵の中と外では植物の量が全く違う。残念ながら、多様な植物が一度に戻ってはいないが、1年に1種類ほどのペースで戻ってきている」と話しています。 しかし、根本的な対策には、ニホンジカの個体数を減らすことが必要です。 協議会では、猟友会に委託して個体数調整を行っています。 南信森林管理署の発表によりますと、昨年度は南アルプスの国有林で1,771頭のニホンジカが捕獲されました。 竹田准教授は、「これからは、被害にあっている場所で捕獲をしていくことが必要になってくる」と話します。 長谷猟友会の北原幸彦会長。 地元の猟友会として、ニホンジカの捕獲に取り組んでいます。 狩猟歴60年のベテランです。 北原さんは、「罠にいっぱいかかってればいいと思うけれど、かわいそうだなあと思って処理してくる」と話していました。 長谷猟友会は、山梨県側の猟友会と協力して、南アルプスでニホンジカの捕獲を行っています。 長野県側は、2011年に初めて高山帯での捕獲に踏み出しました。 標高2000メートルの大平山荘付近でくくりわなを設置しました。 また、昨年度は、環境省が初めて高山帯で銃による捕獲実験を行いました。 北原さんは、「一人では守れない。みなさんの協力が必要なこと」と話しています。 竹田准教授は、「高山帯でできること、里でできることをそれぞれやっていくことが求められる」と話していました。 ニホンジカの食害から、貴重な高山植物を守るための地道な取り組みが続きます。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集③
南アルプス開拓の父。竹澤長衛。 1889年明治22年に黒河内村。今の伊那市長谷戸台に生まれました。 狩猟と山案内を生業とし、南アルプスを誰もが安心して登れる山にしたいと登山道を整備し山小屋を建てました。 1958年昭和33年。 69歳でその生涯に幕を閉じるまで登山者の安全と山の開拓に尽力した功績は今も語り継がれています。 今から59年前の1955年、昭和30年に長衛とともに山に登りクマ撃ちに出かけたことがある、矢沢章一さんと、建石繁明さん。 矢澤さんはクマ撃ちの撮影のために同行。 長衛たちとは別に登山をしていた建石さんは長衛小屋に一泊。 翌朝仙丈に向かいましたが大雪のため引き返したところ長衛や矢澤さんたちといきあい長衛に怒鳴られたといいます。 そして建石さんも加わりクマ撃ちに出かけ途中一休みしたときの写真。 左から長衛の息子昭一。長衛。そして27歳のときの矢澤さんと21歳のときの建石さん。 この時クマは見つからず代わりにカモシカを見つけ射止めました。 矢澤さんの話ではこの時、長衛はカモシカの睾丸を切り取りそのまま食べてしまったということです。 今のように林道バスが走っていなかった当時は長谷戸台の赤河原から山頂を目指しました。 赤河原沿いの山を登った自宅跡近くに「長衛ここに眠る」と刻まれた碑が建立されています。 娘の五十嵐睦子さんは亡き父を思い、よくここを訪れます。 五十嵐さんは「父長衛には生前とても可愛がってもらった。偉大な父だったと今でも思う」と話していました。 長衛が亡くなってから6年後の1964年昭和39年に国立公園に指定された南アルプス。 その豊かな自然にひかれ毎年多くの登山者が訪れます。 長衛は生前「おれが死んだら仙丈の方へ向けて埋めろ。いつもここから山を見守っている」と遺言しその生涯を閉じたといいます。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集②
藤井利衣子さん42歳。 去年9月、南アルプスジオパークを推進する専門臨時職員として採用されました。 宮城県仙台市出身の藤井さんは、13年にわたり大学で学び、全国各地で教員や会社勤め、ジオパーク関係の仕事などを経験した異色の経歴の持ち主。 去年まで鳥取県立博物館付属山陰海岸学習館職員として約2年半、山陰海岸ジオパークにかかわっていました。 藤井さんがジオパークに興味を持ったきっかけが大学時代の講義でした。 藤井さんが働く伊那市役所の世界自然遺産登録推進室。ジオパークとは地球の成り立ちや大地のでき方を知ることが出来る場所をいいます。平成20年12月に伊那市の一部を含む中央構造線エリアが日本ジオパークに認定されました。 藤井さんは各種イベントの企画、運営、ジオガイドの活動調整や育成など、南アルプスジオパークに関する仕事に携わっています。 今年3月には、藤井さんが中心となって企画した親子で楽しめるイベントが開かれました。 ジオパークについて感心をもってもらおうとアンモナイトの化石で型をとるストラップづくりや鹿肉を使ったシカケバブづくりなどのコーナーが設けられ大盛況でした。 また、4月からは南アルプスを授業に取り入れた教育プログラムが長谷中学校を皮切りにはじまりました。 講師は、藤井さんが務め、生徒たちにジオパークや南アルプスの成り立ちについて解説しました。 藤井さんは、名古屋に住む夫と離れて市内で単身生活をしています。 藤井さんが趣味としているのが手芸。ジオパークのオリジナルカーディガンを作りました。 休日には、もうひとつの趣味でもあるランニングを楽しんでいます。南アルプスを眺めながら走るのが爽快と話す藤井さん。 伊那での暮らしも半年が過ぎました。 今年9月には、伊那市で日本ジオパーク南アルプス大会が開かれます。 藤井さんは地元をはじめ全国各地の人たちにジオパークの魅力を伝えて行きたいと話します。
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南アルプス国立公園指定50周年記念特集①
「本当に好きでなければ来ませんよ、千葉から。でも本当にここの良さを知ってきているので、それをみなさんに分かってもらいたいというのもありますね。素敵でしょって思う」 南アルプス林道バスの営業所がある伊那市長谷黒河内に住む志村千恵子さん。 山登りが趣味の志村さんは、これまでに仙丈に80回以上登るなど手つかずの原生林が多く残る南アルプスが特に好きで、夫の裕幸さんと2人、11年前に千葉県千葉市から総世帯10戸の黒川集落に越してきました。 得意としている菓子づくりや料理の腕前を活かし、一昨年平成24年3月に自宅を改装しコーヒーとワッフルの店「木楽茶屋」をオープンさせました。 店内には、南アルプスに関する写真が飾られています。 山を眺めなるだけでなく山と共に生きていくことが夢だった志村さん夫妻は、4人の子どもを育て上げた後、この生活を始めました。 しかし、去年10月。毎年訪れているという仙丈ケ岳と北岳の間にある両俣小屋に向かう途中、夫の裕幸さんが突然倒れ帰らぬ人となってしまいました。 「あそこでなんで主人が突然倒れなくてはいけなかったのかって未だに理由が分からない。検死の時もどこも悪くないし立ち止まった時が亡くなった時。穏やかな顔をしているんですよね。主人が1番好きな場所で亡くなったということになるんですよね。 やっぱりこうやって涙が浮かんできてしまうんですけど、まだ気持ち的にはすっきりしてないので。でもこの景色が好きで来たのに何をやっているんだって言われているような気もするし」 20年以上にわたり南アルプスに登り続けてきた志村さん。 自身の豊富な登山経験と山での夫の死を通し、近年軽装で3千メートル級の山に挑戦する登山者が増えていることに警鐘を鳴らします。 「お父さんもいつも言っていたんですけど、人がいっぱい来てくれるのはいいんですけど南アルプスは南アルプスなので山に登るんだってことも含めて簡単に行けるところではないんだっていうこと、事故が起きてからでは遅いのでね」 最愛の夫の死を半年たった今でもなかなか受け入れられないと話す志村さん。 それでも、夫と2人で始めた今の生活を続けていく決意です。 「毎日この景色を眺めて暮らすことがお父さんの夢だったわけですから、それを私が続けていかなくてはいけないので。本当は2人で見ていたい景色だったんですけどね。1人になってしまったが山も登り続けるし店もやり続けたい」 都会での生活を捨て山で生きると決めた志村さん夫妻。大好きな南アルプスのふもとでお気に入りの景色を眺めます。