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宮田村保育園秋の遠足
宮田村3つの保育園は4日、秋の遠足を行った。秋色濃くした村内を歩き、公園遊びなどを満喫した。
中央保育園の年中、年長、西保育園の全園児、東保育園の年長園児は新田区のふれあい広場へ。
芝生広場でかけまわったり、滑り台などの遊具で思いっきり遊んだり。
昼食は家族がつくってくれたお弁当。可愛い盛り付けに「おいしい。みんな食べちゃった」と、満面の笑顔が広がった。
食後はもうひと遊び。景色を楽しみながら歩き、帰路についた。 -
箕輪町郷土博物館で木彫講座
箕輪町郷土博物館で1日、「気軽に木彫講座」があった。講師に箕輪町の木彫家・中澤達彦さんを迎え、中学生から70代までの10人が、木彫の基礎を習いながらウェルカムボードを製作した=写真。
歴史、自然、民俗、芸術分野に関係する所蔵品を展示する同館は、こうした分野への認識を深めてもらうことを目的とする体験講座を開いているが、芸術に関連する講座は今回が初めて。身近な芸術に親しむとともに郷土の芸術に対する理解を深めてもらうおう竏窒ニ、地元で活躍する中澤さんの協力を得た。
参加者は、ボードに秋のモチーフなどを描いた後、彫刻刀を使い分けながらさまざまな質感の表現に挑戦。中澤さんがアドバイスをしながら一人ひとりの作品に少しずつ手を加えると、作品はみるみる様変わりし、参加者は「すごい」と関心していた。 -
伊那市立手良小5年生が牛飼育
伊那市の手良小学校5年生24人が3日、地元の酪農家から子牛を借り受けて飼育を始めた。およそ半年間体験し、食や命の大切さについて考える。
上伊那畜産振興協議会の「レンタル牛飼育体験事業」で、04年度の美篶小に続いて2校目。子牛(3カ月齢)は乳用牛のホルスタイン。体重は現在約100キロで、順調にいけば半年後には300キロ近くに成長するといい、酪農家の指導を受けながら牛の体調管理に努める。
この日は、学校に牛が到着すると、児童たちは歓声をあげながら出迎え。エサのやり方など飼育方法の説明を受けたほか、今後定期的にする体温や体重の測り方を学んだ。エサや水の残り具合、体温の高低などから牛の変化を観察し、異常がないか確認していく。
協議会が7月に同校で実施した乳絞りなどの体験学習をきっかけに、飼育を申し入れた。事前に24平方メートルの囲いに一部屋根を取り付けた簡易牛舎を作ったり、子牛を「ミント」と名付けるなど、受け入れ準備を整え、心待ちにしていたという。
児童たちは「借り受けたからには責任がある。みんなで協力し、助け合って飼育したい」などと張り切っていた。 -
教育委員長に春日氏再任
宮田村教育委員会は臨時会を2日開き、互選により委員長に春日親夫氏(75)=新田区=を再任した。任期は2007年9月30日までの1年間。
春日氏は1996年から委員長職。この日は、新たに委員となった保科和幸氏(67)=町2区=に辞令を交付し、互選により同氏は委員長職務代理者に就いた。 -
第3回文化懇談会
みのわ芸術文化協会はこのほど、第3回文化懇談会を町文化センターで開いた。「くらしの中の文学」をテーマに会員らが活動や体験を発表し、文学活動について語り合った。
俳句、短歌、川柳、古典文学などに親しんでいる会員ら45人が参加し、3人が体験発表した。
みのわ俳句会の平出つる子さんは、短歌から俳句に転向し、夫婦でずっと俳句を続けていることを話した。俳句の魅力を▽旅行で句を作って帰ると風の流れまで思い出すことができる▽紙と鉛筆だけでできる▽皆で集まり皆で話し合うことがいい-とし、「俳句の言わない叙情にほれた。やっていてつくづくよかったと思う。自然に心遊ばせ極楽の時間を持てたことが幸せ。俳句、自然、仲間を愛して続けていきたい」と語った。
文学作品発表の場として芸文協だより、町文化センターの掲示板のほか、今回初めて「みのわ短歌・俳句集」(仮名)の刊行も決めた。07年秋の刊行予定で準備を進める。 -
5匹の子獅子を従え、和やかに獅子舞い
珍しい、楽しい、子沢山のしし舞-。五穀豊じょうと地域の安寧を祈願する駒ケ根市中沢本曽倉の御坂山神社の秋祭りが30日、にぎやかに行なわれた。
御坂山神社の氏子でつくる保存会が、本曽倉と原地区内を、親ししと小学生が操る5匹の子ししが練り歩き、辻辻では笛や太鼓に合わせ、親子のスキンシップや勇壮なしし舞を披露した。道中では新築や新婚の家では、悪魔払いを行い、家内安全や子孫繁栄を祈願した。
保存会によると、親子獅子の練歩きは県内では同神社のみとか。 -
ふるさと史跡探訪に30人
駒ケ根市の赤穂公民館・駒ケ根青年会議所共催のふるさと史跡探訪が1日あり、30人が参加し、北は宮田村の北の城公園、南は中川村の大草城址公園まで伊南4市町村6カ所を巡り、各施設の専門講師の話を聞き、郷土の歴史に理解を深めた。
このうち、飯島陣屋では代官しか入れなかった玄関から上がり、書役の部屋で、学芸員の丸山浩隆さんは「陣屋の掟では展示物は手で触れてお確かめ候となっている」と説明。 参加者は早速、江戸時代の長持ちや文箱のふたを取って、中身を見たり、5つ玉のそろばんをはじくなどした。
また白州では「お芝居の白州よりも狭い」と感想を。責め道具「せめ板」に座り「痛い、痛い」と悲鳴を上げるなど、江戸時代にタイムスリップして、陣屋を楽しんだ。 -
津島神社の祇園祭りのお囃子を収録、CD化
宮田村津島神社の祇園祭りのお囃子を後世に伝えるために、宮田祇園囃子保存会(川手友幸会長)は1日、村民会館で演奏の収録をした=写真。
大人会員の後継者確保が難しく、高齢化が進み、口伝による伝承が懸念されることから、県地域伝統文化伝承事業の認定を受け、CD70枚を制作し、子ども囃子結成25周年記念として、子ども会員に贈る。
この日は子どもや大人約60人が参加し、林立する集音マイクの前で本囃子の「越後獅子」「軒すだれ」「あげは」、帰り囃子の「六方」「お花見」など6曲を演奏し収録した。 -
横浜の高校生が稲刈り体験
飯島町飯島上の原総合交流体験施設「アグリネーチャーいいじま」に横浜市の私立橘学苑高校1年生180人が24日から30日まで、3班に分かれて訪れ、学校田35アールで稲刈りを体験している。
自然と人とのつながりを体感する「創造学習」の一環、今年で4年目。
28日は生徒60人がJA上伊那の職員の指導で2人ひと組になって、かまで刈る、わらで束ねるなど手際よく作業を進めた。
5月中旬に学校で育苗した中苗を持ち込み手植えし、7月には草取りもし、収穫の秋を迎えた。
村田歩教諭は「今年は草取りを丁寧にしたので、上々の出来」と話している。
刈り取った稲束は学校に持ちかえり、はざ干しした後、手でしごいて脱穀、精米し、正月の七草かゆなどで味わう。 -
ラオスにスニーカーを贈る活動を展開、
飯島町の飯島中学校3年3組(小林孝行教諭、34人)は29日、ABNスニーカーキャンペーンに協力し、町内外から集めたスニーカー884足を協賛店のシューマート(伊那市)に持ちこんだ。
同クラスは1年生の時から「国際協力」をテーマに「清龍の活動(総合的活動)」を展開、ラオスにスニーカーを贈るボランティア活動もその一環。1昨年9月「ラオスでは子どもたちは靴がなく裸足、そのため、けがも多い」と聞き、ちらしやポスターを制作し、町内の公共施設や商店にはらせてもらい、スニーカーを集め、昨年9月第1回分として760足を送った。
引き続き、活動を継続し、町内はもとより、伊那市など郡内各地から子ども用から大人サイズまで昨年よりも百足余多い、たくさんのスニーカーが寄せられた。
靴店が寄贈した新品をはじめ、そのままはける程度のよい物も多かったが、中には汚れた物もあり、生徒たちはたわしや靴ブラシで汚れを落した。
小林教諭は「活動が広く知られるようになり、町外からも多数寄せられた」。代表の伊藤稜汰君「多くの人の協力で良い活動でき、楽しかった」と話していた。
来年3月で卒業する同クラスの活動は、1年1組に引継がれることになり、年1組の松村源貴君は「しっかり引継ぎ、頑張ります」と誓った。 -
和紙ちぎり絵展
伊那市通り町のニシザワデパート4階で30日から、和紙ちぎり絵展が始まった。水彩画のような画風が特徴で、花や風景など新作180点が並ぶ。1日まで。
ちぎり絵「しゅんこう」認定講師の中村早恵子さん=御園区=の指導を受ける県の老人大学修了生の「七絵会」「二千絵会」と、地域で開く「御園教室」の合同作品展で、75人が出品した。
富士山や樹木を題材に、4枚を一つの額に収めて新緑、紅葉など四季の移ろいを表現したり、源氏物語を創作したりと工夫を凝らしている。
そのほか、思い出の写真からキャンプファイヤーの様子を作品に仕上げた「駒ケ根高原の夜」、まさかりを担いだ「金太郎」、「鯉の滝のぼり」「ばら」「月見」などバラエティーに富む。中には、ちぎり絵を取り入れた「秋色の街」のランプシェイドも。
中村さんは「男性を含め、意欲的に取り組んだ作品がそろった。指先で表現できる楽しさ、和紙のすばらしさを感じてほしい」と話している。
1日は午前10時縲恁゚後5時。実演コーナーもある。 -
芙蓉会日本画展
駒ケ根市の日本画愛好会「芙蓉会」(高橋豊子代表、17人)は第28回作品展を同市の赤穂公民館で2日まで開いている。会員15人が思い思いに描いたアヤメ、ボタン、バラ、ツバキ、ユリなどの作品約70点が展示されている。訪れた人たちは「きれいだね」「華やかでいいね」などと話しながら作品に見入っている=写真。
同会は月2回の教室を赤穂公民館で開き、楽しく創作に励んでいる。
午前9時縲恁゚後5時。入場無料。問い合わせは赤穂公民館(TEL83・4060)へ。 -
手漉き竹紙の難波淑子(なんばよしこ)さん
身近な竹を気が遠くなるような時間を掛け、竹百%の強く美しい竹紙(ちくし)に-。
竹紙は中国唐代に作られ、宗代に流行、日本では江戸時代に薩摩藩や土佐藩で作られた。竹紙に出会い、手紙やはがきなど平面的な利用から、立体的、アート的なものへと発展させる。
◇◇
新潟県生まれ、高校卒業後、子どもの頃から興味があった服飾関係に。企画からデザイン、販売まで縫製以外ならなんでもこなした゜「企画が好きで、白1色だった男性のYシャツのカラー化にもかかわった」。ファッションはいつも、1年後、2年後を見据えた時代の先取り「すごく疲れた。山暮らしをしたい」と信州の菅平へ。数年間、東京で生活費を稼ぎ、菅平の自然の中で、絵を描いたり、本を読む生活をした。「自然に触れ合うことで、自分が癒されることを知った」。
竹絵を描く友人とのかかわりの中で「大きな竹(モウソウチク)が多い、南信に住みたい」と、あちらこちら探し、3年前に、友人と2人で中川村大草に移り住んだ。「伸びやかなで美しい村。人々の言葉が優しい」とすっかり気に入った。
前後して、竹紙を知り、文献で調べたり、友人に教わったり、さらに南牧村の工房に通い、竹紙づくりの基礎を習った。
竹紙の製法は竹を切り、1年間水に浸け、腐らせ、繊維を取り出し煮る。煮た物を叩いて綿状にし、漉く。
「竹は身近で、手に入りやすい素材。百%竹の竹紙は竹繊維のため、強靭で美しい」と竹紙の魅力を。
シンプルな竹紙だけでなく、絹糸や古布を漉きこんだり、墨流し工法など工夫は広がる。さらに平面から、かごやランプシェードなど立体へ、漉きの工程で表出した浮きや透かしを生かしたアートな表現へと、竹紙の可能性を追求する。
「竹を厄介物扱い。竹も自然の1部、人も竹も自然に生かされている。竹を大切にした。竹で村起しができれば」と期待する(大口国江)。 -
箕輪町の小松咲子さん
長野県障害者文化芸術祭・工芸部門で奨励賞受賞箕輪町松島の小松咲子さん(72)が、第9回長野県障害者文化芸術祭inサンアップルの工芸部門で奨励賞を受賞した。27日、町役場を訪れ、平沢豊満町長に受賞報告をした。
文化芸術祭は9月16日縲・8日、長野市のサンアップルであった。小松さんは作品展の工芸部門にビーズ工芸を応募し、初出品で奨励賞を受賞した。応募総数は638点、工芸部門は157点だった。
作品は「花車」。直径4ミリのビーズを両面テープを張った台紙の上にはりつけて絵にするもので、見本の写真を見ながら25色のビーズ約700個をはって仕上げた。
小松さんは50歳代で脳梗塞になり言語障害がある。上伊那生協病院のデイケアに週1回通い、リハビリで今回の作品を作った。「花車」は2作品目。周囲の勧めで応募した。「自分では形ができただけでうれしかった。こんな賞がもらえると思わなかった。うれしい」と笑顔で話した。
平沢豊満町長は受賞を祝い、「根気がいりますね。楽しみにやりながら、お元気で長生きしてください」と話した。 -
飯島七久保小交通安全教室
飯島町の七久保小学校で秋の交通安全運動期間中の28日、全校で交通安全教室を開いた。1年生は学校周辺道路で正しい歩き方を、2、3年生は校庭で自転車の乗り方の基礎を、4-6年生は学校からJR七久保駅までのコースで、交通ルールや正しい自転車の乗り方を実習した。
全体会で、細川道子校長は▽絶対飛び出しをしない▽自転車に乗る時はかならずヘルメットをかぶる▽道路は縦1列で歩く-などを挙げ「必ず守って、安全歩行、安全走行を」と呼び掛けた。
また、七久保駐在所の平松所員は「歩く時は右側。横断中に歩行者用信号機が点滅し出したら、渡り切る。渡る前に点滅したら、止まる。自転車はタイヤの空気やベル、ブレーキなど点検してから乗る」など歩き方、自転車の乗り方を説明。
この後、実習に移り、児童らは教諭や安協役員の指示に従いながら、安全歩行、安全走行を身につけた。 -
碓井伍一展
飯島町飯島駅前ヤナギヤ2階アミカホールでは4周年特別企画として、碓井伍一展が23日まで開かれている=写真。
フランス公募展ル・サロン入選作の「廻る」「白の誘惑」「翔く」「展」などのほか、水彩、油彩の風景画「「白い花の咲く頃」「晩秋」「桜の園」、油彩の人物画など約30点。独創的な感性とエネルギーで、多才な表現世界を展開する。
このほか、「上伊那よもやま話」「漂泊の俳人井月の風景」などの挿絵原画も並べた。 期間中の22日午後3時から、碓井さんのギャラリートークもある。
碓井さんは35年伊那市生まれ。パリ・ルサン永久会員、パリ国際サロン会員、04カンヌ国際芸術祭最優秀賞受賞。 -
箕輪工業高校の未来を育てる会が新たに設置する多部制・単位制高校について知事などに陳情
箕輪工業高等学校の未来を育てる会(会長・平澤豊満箕輪町長)は29日、長野県庁を訪れ、高校改革プランに基づき箕輪工業高校へ新たに設置する多部制・単位制高校に関する陳情書を、村井知事と県教育委員会に提出した。
陳情事項は(1)充実した施設・設備整備に向けた十分な予算措置(2)午前部に工業科1学級を設置すること竏窒フ2点。
県教委は実施計画の中で、新しい多部制・単位制には「普通科」を設置し、教育課程の中で工業科目などの専門科目が履修できるようにする案を示している。しかし未来を育てる会は、工業が盛んな上伊那地域では、即戦力となる人材の育成が必要であると判断。最先端技術などが習得できる環境を整えるためにも、工業科の設置が必要竏窒ニした。また、十分な施設整備には、県教委が箕工の増設費用として試算する1億7千万円という額は不十分と認識し、十分な配慮を求めた。
陳情を終えた平澤会長は「施設整備には最低でも5億は必要だと考えている。陳情に対しては知事、県教委とも好意的だった」と手ごたえを語っていた。
今後未来を育てる会は、構想する高校の実現に向けた具体的バックアップをしていく。 -
【おもしろかっぱ館館長 小平容大さん】
第4代のかっぱ館館長を務める。かっぱにちなんだ陶芸や水墨画講座のほか、昆虫の観察、天体の観測などの各種の講座の企画・運営を精力的にこなす一方で、持ち前の穏やかな物腰で来館者に展示物の解説をしている。
「元気に楽しくやっています。やりたいことを思い通りにできることが楽しいですね」
◇ ◇
貧しい農家に長男として生まれ、姉と2人の妹に囲まれて育った。
「女の子たちとゴム跳びや石蹴りをして遊ぶことが多かったですね。ほかの男の子がするような運動はあまり好きではなかったな」
赤穂高校卒業と同時に駒ケ根市役所に就職。中でも福祉畑には通算11年間籍を置いた。
「福祉の仕事は性格に合っていたし、好きでした。市役所の仕事は本来定められた規則通りにやるべきものだが、市民の相談を受けた時などには住民サービスの原点を考え、直感で判断して仕事をした。そうしたやり方でも結果として人のためになりましたからね。だから周りの人たちからは、市役所の人にしてはユニークだ、公務員の良くないイメージがない竏窒ネどとよく言われたものです」
その後、赤穂公民館の主事を6年務めた。社会教育に携わる中で、福祉にもある意味で通じていると感じた。
「ノーマライゼーションという言葉がある。すべての人が住み慣れた地域で人として尊重され、普通の生活を送れることこそがノーマル(正常)であり、望ましい社会だ竏窒ニする考え方ですが、そこに到達できていない人を手助けするのが福祉であり、社会教育。ノーマライゼーションを目指す地域、ぬくもりのある地域づくりを目標にして仕事をしました」
市民課長を最後に市役所を退職し、03年4月にかっぱ館へ。
「今までの仕事の総決算という感じです。かっぱはきれいな水に住むというが、みんなに自然を好きになってもらい、自然の中で生かされていることに気づくような環境教育の手伝いができたらいいなと思ってやっています」
◇ ◇
「容大」は「大きな心でゆるす」という意味を込めて名付けられたものだという。
「そんな人間に少しでも近づけるよう、これからも努力していきたいですね」
(白鳥文男) -
6年1組洗濯上手に
宮田村宮田小学校で27日、家庭科の研究授業があり、6年1組(山田智寿教諭)が「洗濯上手になろう」をテーマに授業を公開。今までの学習や家族に聞いた知恵を生かして、汚れた靴下を様々な方法で手洗いした。工夫する楽しさを感じつつ、家事の大変さや喜びも学んだ。
上伊那一円の技術家庭科教諭ら約50人が参観。児童は想いおもいに工夫を凝らして、泥や土などで汚れた自分の靴下を手洗いした。
洗濯板を活用したり、固形石けんで汚れをじかに落としたり。
水、お湯、洗剤と3度に分けて洗う女子の姿も。頑固な汚れに「何でうまく落ちないのかな?」と頭をひねる児童もいた。
洗って、すすいで、干した後は、全員でまとめの意見交換。
「手で洗うと時間がかかるけど、細かい所まで汚れが落ちる」「靴下同士でこすりあわせたら汚れがとれた」「洗濯板のほうが、早く落ちる」など、工夫の成果を発表しあった。 -
県絶滅危ぐ種のアカショウビンを保護
駒ケ根市南割の山中で21日、県絶滅危ぐ種2類に指定されているアカショウビンが保護され、市内福岡の鳥獣教護ボランティアの小口泰人さんが養生している。
ブッポウソウ目カワセミ科のアカショウビンは夏鳥。全長28センチ、羽根を広げると40センチにもなる大型。くちばしが長く、全身が朱色と赤紫色の毛でおおわれている。個体数が極めて少なく、深い山の中に、ひっそりと生息しているため、目にすることは極まれ。
保護された時は、傷つき、空腹状態だったため、魚などのえさを与え、現在ではかなり回復してきたという。 小口さんは「渡りの途中で、けがをしたものと思われる」と話していた。 -
まほらいな市民大学 7期生61人修了
伊那市のまほらいな市民大学第7期生の修了証書授与式が26日、市駅前ビルいなっせであった。生涯学習を目的に勉学に励んできた市民61人(男25・女36)が、2年間の受講を終えて卒業した。
修了生一人ひとりに証書を手渡した小坂樫男市長は「育んできた学ぶ仲間との心のきずなは一人ひとりの宝になったと思う。これからも積極的に学ぶ姿勢を大切に」と式辞を述べた。
在学生代表の堀米昭利さん(77)=荒井区=は「皆さんとの思い出を胸にさらなる市民大学の発展に励みたい」と感謝の言葉。修了生代表の唐木利章さん(73)=坂下区=は「皆さんとの心の交流は大きな収穫があった。2年間ありがとうございました」と答辞した。
7期生は2年間で高遠町、長谷の歴史、文化を学んだほか、市内の寺社めぐり、修学旅行、学生交流会を実施。平均取得単位数は全45単位中約33単位で、精勤者は11人だった。最高齢者は81歳男性、最年少者は58歳女性。 -
中川東小で交通安全教室
中川村の中川東小学校で秋の交通安全運動期間中の26日、全校で交通安全教室を開いた。1、2年生は校庭で自転車の乗り方の基本と、校庭の模擬道路で安全走行を、3-6年生は学校周辺道路で交通ルールや正しい自転車の乗り方を実習した。
1、2年生を前に、大草駐在所の深沢所員は「自転車は左端を走行し、押す時は右側を歩く。右足はペタルに、左足は地面に付け、後ろの安全を確認してからスタートする。止まる時も右足はペタルに、左足は地面に着ける」と乗り方の基本を説明した。
この後、実習に移り、児童らは教諭や安協役員の指示に従いながら、自転車の乗り方、止まり方の基本や、安全走行を身につけた。 -
協力隊でマラウイ派遣の唐沢さんあいさつ
青年海外協力隊でアフリカ南部のマラウイに派遣される飯島町田切の唐沢国洋さん(26)は25日、飯島町役場に訪れ、高坂町長から激励を受けた。
高坂町長は激励金を手渡し「町出身者の隊員は男性では初めて。マラウイの子どもたちの教育向上のために頑張って」と期待を込めた。
小学生の頃から、いつかは青年海外協力隊に参加したいと考え、県内の中学校で3年間、理数科講師として実務体験を積み、応募した。任国では政府系のチェロ中等学校(日本では中3から高校)で理数科を教える。
唐沢さんは「以前から、開発途上国のアフリカで何ができるか,考えていた。早く行って活動し、マラウイの教育向上に貢献したい」と張り切っている。
高坂町長は「学校で教えるだけでなく、地域の人々の中に入り、いろいろと体験してほしい。病気にならないように体に気をつけて」と話した。
唐沢さんは10月2日に出国し、マラウイに向かう。派遣期間2年。 -
第27回上伊那地区高校演劇合同発表会
第27回上伊那地区高校演劇合同発表会(上伊那地区高校演劇連盟など主催)は24日、伊那市の県伊那文化会館大ホールであった。上伊那の5校が出演し、熱演を繰り広げた。
出演は赤穂、上伊那農業、伊那西、伊那弥生ヶ丘、辰野高校。各校の上演時間は1時間で、人間の奥底に眠る差別意識、環境問題、高校を舞台にテストの有無を考えるなど、さまざまテーマの作品を演じた。
演出家の飯島岱さん、舞台美術家で昭和音大芸術運営学科講師の和田平介さんが講師を務め、各舞台の終了時に講評した。
県合同発表会(11月4-5日、長野県県民文化会館)の予選会も兼ね、伊那弥生ヶ丘高校が出場校に選ばれた。 -
【記者室】定時制生徒の思い
南信地区の定時制高校生徒による生活体験発表大会が駒ケ根市で開かれた。味わってきた苦悩や挫折、悲しみなどのさまざまな経験を淡々と語る彼らの言葉を聞いているうちに目頭が熱くなってきた▼彼らが定時制を選んだ理由は、周囲になじめず不登校になって竏秩Aグレて一度は高校を退学したが高卒の資格が欲しくて竏秩A家庭の経済事情で竏窒ネどとさまざま。だが彼らは苦しい現実に真剣に向き合い、もがきながらも己に打ち勝ってきた。それが自信になっていることが発表する表情からもうかがえた▼多くの苦しみを経験したからだろうか、彼らには共通した芯の強さを感じる。働きながら通学する生徒も多いが、どうか困難に負けず胸を張って堂々と生きてほしい。(白鳥記者)
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定時制生活体験南信大会
第35回南信地区高校定時制生徒生活体験発表大会(県高等学校長会定時制通信制教育振興会主催)が24日、駒ケ根市のアイ・パルいなんで開かれた。上伊那からは3人が出場し、赤穂4年の古谷サラさんが最優秀賞、箕輪工3年の押野悟司さんが優秀賞を獲得。飯田長姫4年の森親良さんとともに県大会(10月22日、松本市)への出場を決めた。
出場者らはそれぞれ緊張した表情で演台に上がり、応援に駆けつけた150人を超える同級生や教職員らに語りかけるように、これまでに経験した挫折、友情、感謝、夢などについて発表した。最優秀賞を受賞した古谷さんは、家庭の事情を考えて選んだ定時制に入学後、大嫌いだった勉強をしっかりやろうと決心し、周囲の励ましを感じながらようやく将来の希望を持てるまで変わることができた自分について生き生きと語った。
結果は次の通り(敬称略)。
▼最優秀賞=古谷サラ(赤穂4)▼優秀賞=押野悟司(箕輪工3)森親良(飯田長姫4)▼優良賞=河合真希(上伊那農1)川原さとみ(岡谷工4)大川千里奈(諏訪実業3)中平哲也(飯田工4)平井美香(飯田長姫1) -
伊那東小学校新校舎建設の安全祈願祭
生徒数増加による教室数不足と校舎の老朽化に伴い、新たな管理建設棟を建設する伊那東小学校で25日、安全祈願祭があった。新校舎は、市土地開発公社が取得した現在の校舎北側の約2400平方メートルに建設する予定で、予定地内にある新築住宅1棟は、取り壊さずに学童クラブとして利用することで建設コストの削減を図る。新校舎は教室数の不足を想定している08年4月から使用開始となる。
建て替える管理教室棟は、新校舎ができるまでは活用し、新校舎の利用が始まり次第、解体作業に着手する。旧校舎の跡地の一部には、既存校舎と新校舎をつなぐ渡り廊下を建設。そのほかは更地とし、利用方法を検討していく。工事の完了は08年9月。
新校舎の建設に当たっては、ワークショップを開き、地域住民や保護者からの意見も募った。
延べ面積は約4千平方メートル。1階は鉄骨コンクリート造、2階は鉄骨造の2階建て。工事費は約11億円。普通教室15部屋、自律教室2部屋を設けるほか、音楽室、理科室、パソコン教室、職員室なども設置する。 -
「飯島町の石造文化財」
飯島町教育委員会は
このほど、身近な文化財6「飯島町の石造文化財」を発刊した。
A4判110ページ。町内約2千基の石造物の中から、馬頭観音、地蔵菩薩、聖観音・如意輪観音、題目塔、弘法太子、五輪塔、道祖神、山の神、伝説の石などをカラー写真で紹介し、由来などを解説した。また、2千基の石造物一覧、石造物の位置を地図で示した。
右手をほおに当て、小首を傾げた松福寺の如意輪観音像が表紙を飾り、慈福院の守屋貞治作の延命地蔵尊(町文化財指定)や、木食行者が修業をしている姿を写した「関の地蔵尊(町指定文化財)、聖徳寺の「六斗名号塔(町指定文化財)」、たたくとカンカンと金属音がする「カンカン石」。日待ちをした「庚申塔」。蛇を刻んだ「蛇神」。猫を彫った「猫神」などの動物供養塔、歴史劇にもなった「金宝院養山供養塔」などを掲載した。
81年から石造物調査を始め、86年に「飯島町石造物一覧表」を発刊。同書をもとに、写真や解説などを加えて、300部発行。頒布価格2000円(文化館、飯島陣屋で販売)。
丸山浩隆学芸員は「薄く持ちやすくした。この本を持って出掛け、身近な石造文化財に親しんで」と話している。 -
高遠高校福祉コース2年生 赤ちゃん抱っこ体験
伊那市の高遠高校2年福祉コースの生徒15人が20日、高遠町の保健センターであった乳児3カ月定期診断で、「だっこ体験」をした。母親から話を聞きながら、子育てについて関心を深める目的。中には初めて赤ちゃんを腕に抱く男子生徒もいた。
福祉コースの2年生(30人)を対象とした、恒例の校外体験活動。この日は半分の生徒となる男子5人、女子10人の計15人が定期検診に訪れる親子と交流を深め、子どもの健やかな成長、発達に必要な知識を学んだ。
生徒たちは保護者から育児の大変さなどを聞いたほか、おむつの取り替えなども体験。羽柴浩さん(16)は「子育ては大変だと知った。自分にも子どもができたら子育てを手伝いたい」と感想を述べていた。
佐原美佳教諭は「赤ちゃんの肌に触れる体験を通じて、母親にとって子どもがどれだけ大切かを知ってもらいたい」と話していた。
10月18日、残りの生徒15人を対象に「だっこ体験」をする。事後指導として、体験活動での感想や疑問などを保健士を交えて話し合う予定になっている。
母親に育児についての話を聞きながら赤ちゃんを腕に抱く生徒(高遠町保健センター) -
縁起絵師 北原富貴男さん(93) 伊那市境区
毎日、午前4時前に起床。朝の静けさの中、色紙に向かって筆を持つ。色紙の中心下方に、水墨でだるまの絵を描き、右上から般若心経を記す。仕上げるまでの2時間半は席を立たず、般若心経を唱えながら集中する。1日1枚ずつ描き上げるのが、朝飯前の日課。
家族から「冬くらい、やめりゃあいいに」と言われるが、習慣になっているため、自然と目が覚める。
80歳ごろ、ボケ防止になればとだるまの絵を描き始めた。すでに10年以上が経つ。掛け軸を除き、色紙だけで3千枚を超える。
般若心経の276字は、すべて頭の中に入っているが、雑音が入ると、文字が抜けたり、同じ文字を重ね書きしたりしてしまうことも。「色紙で一番最初に描くのは目。目がものをいうもんで難しい。10枚描けば、10枚とも違う。なかなか同じには描けない」。
題材はだるま1本に絞る。自宅にあっただるまの絵を見本に写していたのが始まり。達磨大師は禅宗の初祖。描いていると、気持ちが落ち着く。
当初、独学で描いていたが、しばらくしてだるま画や禅画の通信教育講座「日本宗教画法学院」で学び、93年に縁起絵師を得た。雅号は歴草。99年に中国小林書画院の名誉教授、05年12月に日本禅画家協会などの禅書芸術師教場の認可をそれぞれ受けた。「年だもんで、人に教えることはできん」というが、毎日1枚ずつ増える色紙は知人らに配っている。
般若心経の一文字の大きさは1センチほどと細かく、目が疲れるときもある。しかし「年間300枚を目標に、できる限り続けたい」と話す。
上伊那の吟詠教室、楠洲流聖楠会のメンバーでもあり、現役で活動する。宗家故伊藤楠洲さんと同級生で、71年の発足以来、35年間会計を務めている。「そろそろ、だれかに預けようかなと思っているところ」だ。
長生きの秘けつは「こんなことしてるもんで、長持ちしてるんじゃないかな」と語った。
(湯沢康江)