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松竹大歌舞伎鑑賞教室
駒ケ根市文化財団は18日、松竹大歌舞伎を文化会館で開いた。昼の部の公演には伊南地区の中学3年生約700人が招待され、普段見ることのない一流の伝統芸能に親しんだ。
演目の上演に先立ち、難解なイメージのある歌舞伎の世界に親しみを持ってもらおうと「歌舞伎の見方」が行われ、俳優らが義太夫や演技など、歌舞伎の楽しみ方を面白おかしく解説した。舞台には客席の中学生ら十数人が求めに応じて飛び入りで登場。「足をこう開いて、首をこう回して」などと、ここぞという時のポーズである見得の切り方の指導を受けた=写真。何となく頼りない見得に、見守る同級生からは大きな笑いと拍手が送られていた。
演目の『俊寛』は平清盛に逆らった僧俊寛が独りだけ孤島に置き去りにされる物語。中学生らは間近で見る歌舞伎の迫力と美しさに夢中で見入っていた。 -
あばれみこし完成
350年の歴史を誇る宮田村津島神社祇園祭の主役「あばれみこし」が出来あがり、17日には氏子総代や祭典委員ら関係者が集まり完成式を開いた。21日の祭り本番には壊される運命にあるが「素晴らしい出来映え。一生懸命練りあげ、壊したい」と、伝統を今に受け継ぐ職人たちの苦労に感謝した。
氏子3地区の大工が毎年回り番でみこしを製作し、今年は町三区の加藤建築が当番。棟りょうの加藤政義さんから伝統を継承し、林繁さん(53)、太田善太郎さん(56)の2人の職人が担った。
完成式は加藤建築の工場で開き、出来あがったばかりのみこしを前に林さんは「先輩から受け継いだ型板などを用いて、無事に今年も完成した。楽しい祭りにしてほしい」とあいさつ。
伊藤賢治氏子総代会長は「壊すのがもったいないほど。素晴らしいみこしを作って頂いた」と感謝し、祭りの成功を誓った。
あばれみこしは神社周辺を練り歩いた後に、境内石段から投げ落とされ、粉々になるまで壊されるのが伝統。そのため毎年、職人が全てを手作りするが、寸分変わらぬ姿で再生し、今に伝えている。 -
祭典委員長を励ます会
いよいよ本番‐。宮田村津島神社祇園祭宵祭は21日に行われるが、伝統の「あばれみこし」の統括責任者でもある2年祭祭典委員長は今年、町一区の伊藤進さんが当番。17日夜にはみこしを担ぐ「奉仕者」と呼ばれる男性ら関係者50人が集まり、委員長を励ます会を開いた。勇壮で華麗なみこしを披露すると、団結心を高めた。
祭典委員長は氏子である町一区、町二区、町三区が順番で担うのがしきたり。
町一区では10年前から、委員長を全員で盛りたてようと3年に1度巡ってきた時には、励ます会を開いている。
この日は同区の奉仕者団結式も兼ね、伊藤委員長は「意欲が燃えてきた。ひとつの伝統を町一区から発信しよう」とあいさつ。氏子総代らは「一致団結して伝統をつなぎ、委員長をみんなでサポートして」と激励した。
励ます会の中谷俊治会長、東野昌裕顧問は「委員長を励ます取り組みは町一区独自のもの。次代も見すえ地区挙げて伝統を守っていきたい」と話していた。 -
20周年の長持ち保存会、祇園祭に向け練習に熱
発足20周年の宮田村町二区の有志らでつくる「長持ち保存会」は、22日の津島神社祇園祭本祭の奉納に向けて練習を開始した。一緒に練り歩く花笠踊りには今年も、県看護大学(駒ケ根市)の女子学生5人が協力。前日の宵祭に比べ比較的静かな本祭を盛り上げようと、意気込んでいる。
独特の長持ち唄にあわせ、隊列を組むメンバー。宵祭の「あばれみこし」とはひと味違った風格で、本祭では区内を練り歩く。
戦前は芸者衆が出たり、手踊りがあるなど賑やかだったという本祭。戦後は神事が中心となったが、20年前からは長持ち保存会の奉納が彩りを添えてきた。
「メンバーの平均年齢は65歳以上だが、これからも築いた伝統を大切にしていきたい」と花井茂治会長。本番に向けて全員の意気もあがる。 -
滝沢孝夫さん(56)駒ケ根市福岡
戦争・平和をテーマにした手作りの朗読劇を上演する「この子たちの夏を読む会」の脚本、演出を担当する。今年は書下ろしの新作「青い目の人形縲怺w校日誌縲怐v。8月3日の公演に向け、小中学生や一般の出演者の朗読指導を精力的に進めている。
2000年夏上演された地人会の朗読劇「この子たちの夏」に触発された「飯島平和を考える会」を中心に、飯島町の「この子たちの夏を読む会」が発足。02年、故・葛岡雄治さん(赤坂)が町内の戦争体験者の話をもとにオリジナル朗読劇「小林上等兵のヒロシマ」のシナリオを起し、それを手伝ったことがきっかけで、脚本や演出を手掛けることに。
「小林上等兵のヒロシマ」は02年8月、飯島文化館小ホールで初演。好評で翌年、大ホールでの再演を計画したが、既に病魔に蝕まれていた葛岡さんは翌年4月亡くなり、亡くなる直前に次のテーマ「望郷のうた ああ信州満蒙開拓団」のプロット(構想)が託された。これを基に、さらに多くの開拓団関係者から聞き取り調査を進め、シナリオを書いた。「志願し先遣隊として満州に渡った人の話では、現地民の土地をただ同然で強制的に買い上げ、開拓民に与えた。土地を追われた現地民は開拓民に雇われたり、あるいは反発して、匪賊になって開拓民を襲った。その話を聞き、衝撃を受けた。学校では教わらない事実を、後世の伝えていかなくてはならないと、使命感に燃えた」。
町在住の後藤俊夫映画監督のアドバイスを受けながら完成させ、03年夏、「望郷のうた、ああ信州満蒙開拓団」を初演。「自分が書いたものが舞台に上がり、感動した」。
05年は銃後の守り、軍事教育、戦争下での子どもたちなど飯島町の戦時下を描いた「あの日の記憶」を書き上げた。
オリジナル3作目となる今年は「いつかは書きたい」と温めていた七久保小学校に大切に保存されている「青い目の人形縲怺w校日誌縲怐vをテーマにした。
副題は「世界の平和は子どもから」。同校に現存する「昭和2年学校日誌」。関係者の手記、信濃教育界の「青い目の人形特集」などを参考にした。
物語は1927年(昭和2年)4月2日、日の丸と星条旗の旗を振って、人形を迎える式から始まる。ギューと抱くと「ママー」となく人形に子どもたちは大喜び。日中戦争から太平洋戦争へと軍靴の響く中、敵国の人形として、壊されようとしたが、時の校長と女性教師の働きで書架の奥深く隠された。そして、1986年、人形は発見され、再び日の目を見るまで、激動の昭和を時代背景に、人形を通して、平和の尊さを訴える。
「声高に反戦を訴えるのではなく、人形の気持ちを思い、人形からの無言のメッセージを受けとってほしい」と話す。
公演は8月3日午後7時から、文化館で、入場料500円。
詳細は文化館(TEL86・5877) -
郷土の石工「肥野喜六」石仏写真展
江戸時代末期から大正期を生きた郷土の石工肥野喜六が刻んだ石仏の写真展が駒ケ根市の市立博物館で8月31日まで開かれている。素朴で愛嬌のある特徴的な表情の地蔵など、喜六が刻んだ石仏の写真100点以上を展示している=写真。喜六の使ったつちやのみなどの道具類も併せて公開されている。
写真の多くは3月に行われた見学会で撮影されたもの。駒ケ根市内をはじめ、宮田村、飯島町、松川町に足を伸ばして喜六の作品を追った。
喜六は1842(天保13)年、現在の飯田市で鍛冶職人の次男として生まれたとされる。移住した赤穂で石工として暮らし、数々の地蔵、馬頭観音などを残した。1924(大正13)年、83歳で没。
喜六に詳しい田中清文学芸員による展示説明会が8月5日午後1時30分に同館で開かれる。喜六の曾孫に当たる肥野邦夫さんの話も聞ける。
問い合わせは同館(TEL83・1135)へ。 -
県看護大オープンキャンパス
駒ケ根市の県看護大(深山智代学長)は16日、大学について入学希望者らに説明する「オープンキャンパス」を開いた。県内外から高校生や保護者など、ほぼ例年並みの約230人が同大キャンパスを訪れ、教職員の説明を聞いたり、学内の施設を見学したりした=写真。
深山学長は「本学は今年度、開学13年目を迎える。開学以来引き継いでいるのは、個性を大事にする、というモットーだ。今日は少しでも多く大学のことを知ってほしい」と呼び掛けた。参加者らは教育内容、入試の概要や学生生活、就職状況などについて担当の教職員からそれぞれ説明を受けた後、小グループに分かれて学内を見学した。参加者らは施設を見ながら「きれいな建物だね」「合格して入学したいね」などと話し合っていた。 -
箕輪中部小、東小で耐震補強工事など始まる
箕輪町は、町内2小学校で耐震補強工事などをする。箕輪中部小学校で耐震補強・大規模改造工事が始まり、箕輪東小学校は夏休みを待って耐震補強工事に取り掛かる。
中部小の耐震補強工事は教室棟(南校舎)、管理棟、昇降口。校長室、職員室、事務室、保健室は旧体育館に移動し、工事に支障のある教室は他教室に移動した。既設の木造間仕切り壁やコンクリートブロック壁などを壊し、新たに鉄筋コンクリートの壁にして補強する。
併せて大規模改造工事でトイレを改造する。南校舎4カ所、管理棟2カ所。和式トイレを洋式に替える。南校舎廊下の床の張替えもする。
請負金額は、建築主体工事が箕輪建設工業1億2579万円。機械設備工事はマツシマで4200万円。電気設備工事はみのわ電気工事で1207万5千円。
東小の耐震補強工事は南校舎で、1階普通教室の2カ所と2階図書館の1カ所。中部小と同様の工事で補強する。請負金額は新橋屋建設で983万8500円。
工期はいずれも9月28日。 -
県看護大公開講座
駒ケ根市の県看護大は14日、07年度第1回の公開講座を同大で開いた。聴講を申し込んだ一般市民や学生など約100人が集まり、同大精神看護学講座の講師松崎緑さんの「心の病をもつ人々とともに生活するために」を聴いた。松崎さんは精神病への偏見が現代でも根強いことを説明した上で「障害者自立支援法が施行されたことにより、心の病を持つ人たちも地域社会で生活することが多くなる。共に生きていくために互いにもっと理解することが必要」と訴えた。聴講者はスクリーンをじっと見つめ、時折メモを取ったりしながら熱心に講義に聴き入っていた。講義の前後には幻聴や幻覚を疑似体験できる装置(バーチャル・ハルシネーション)の体験が別室で行われ、参加者は統合失調症の症状を体感して精神病への理解を深めていた=写真。
公開講座は今年さらに2回が予定されている。第2回は9月30日に看護形態機能学講座の喬炎教授が「再生、古代ギリシャ神話の幻想から現代医療の現場へ」を、第3回は12月15日に病態・治療看護学講座の岩月和彦教授がそれぞれ講義する。申し込み・問い合わせは同大(TEL81・5100)へ。 -
フルートコンサート
駒ケ根市のフルート愛好家らのグループ「QUE SERA」(ケ・セラ)が15日、駒ケ根市の文化会館大ホールで開かれたベルギーのフルート奏者クリスチャン・プルビエさんのコンサートの前座に登場し、繊細なハーモニーを響かせた=写真。プルビエさんの演奏に先立ってステージに立ったメンバーらの表情は緊張のせいか一様に硬かったが、曲が始まると演奏に集中。日ごろの練習の成果を見事に発揮し、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』、『大きな古時計』の2曲を演奏した。演奏を終えるとメンバーらは緊張が解けてようやくほっとした表情を見せていた。
飯島フルートクラブ「桜瑠璃」もヨハン・シュトラウスの『ラデツキー行進曲』を演奏し、大きな拍手を受けていた。
プルビエさんはビバルディのフルート協奏曲『海の嵐』、ドボルザークの「ソナチネ ト長調作品100』のほか、日本の曲などを演奏。大柄な体から迫力ある音色を繰り出して聴衆をうならせた。 -
箕輪南宮神社の例大祭
箕輪町木下の箕輪南宮神社で15日、例大祭があった。町無形文化財である鹿頭踊りを奉納した。
400年以上続く鹿頭踊りは雨ごい祈願として、鹿頭を奉納したのが始まり。今は、鹿の頭に似せて作った色鮮やかなかぶりものを付けた子どもたちが境内を回って奉納している。
神事は天竜川の東西に分けて受け持ち、今回は富田、大泉、大泉新田、大萱が当番。
当番地区の保育園年長児から小学校2年生までの24人が神社や区役員らと一緒に、神社周辺300メートルを歩き、境内で太鼓の音に合わせて、円を描くように3周した。
鹿頭は、編んだわらの上に、鹿の頭を形づくり、着物5反分を頭から足まで垂らす。重さは3キロ余にもなり、保護者に鹿頭を持ち上げてもらう子どももいた。
境内には地域住民らが集まり、かわいらしい行列を見守った。
鹿踊りを奉納すると、必ずといっていいほど、その日のうちに雨が降るという。
また、遷座祭もあり、厄年の男性がみこしを担ぎ、ご神体を三日町の秋宮へ移した。 -
芝平山絵図を虫干し
伊那市指定文化財で、高遠町歴史博物館に所蔵されている芝平山絵図の虫干しが15日、上山田の芝平公民館であった。
絵図は、高遠領6カ村と諏訪領12カ村の境界争いが幾度となく繰り返され、高遠、諏訪奉行所、江戸幕府評定所へ訴訟。1708年、判決と合わせ、紛争が起きないように絵図を作り、高遠と諏訪に渡された。
絵図には芝平山を中心に、道や川筋などが書かれ、諏訪領民の立ち入りを禁じる境界線が引かれている。裏面には、裁定について記される。
虫干しは年1回(7月15日)で、御堂垣外、荒町、北原、栗田、四日市場、芝平の持ち回り。
各地区総代ら約10人が集まり、木箱に入った絵図を取り出し、畳の上に広げた。大きさは縦1・8メートル、横2・4メートル。
伊東義人高遠総合支所長が「芝平山をめぐり、6カ村は高遠藩から295両を借りて訴訟した」などと説明し、総代らは絵図を見ながら興味深げに聞き入っていた。
絵図のほか、芝平地区の3千分の1の絵図(1890年)や芝平山の張子の模型も出した。
##(写真)
芝平山絵図を見る総代ら -
伊那市民吹奏楽団 11月に第30回記念演奏会
伊那市民吹奏楽団(竹内健団長、50人)は11月24日、県伊那文化会館大ホールで第30回定期演奏会を開く。30回の節目を記念し、一般から合唱団員を募り「カルミナ・ブラーナ」に挑戦する。
市民吹奏楽団は76年に発足し、78年から年1回、定期演奏会を続けている。今回は「カルミナ竏秩vを選曲し、地域の音楽愛好家の協力を得て、舞台を作り上げる。吹奏楽と合唱の組み合わせで、伊那では初めての演奏になるという。
「カルミナ竏秩vは道徳、風刺、恋愛など約300編の世俗詩集から24の詩に、ドイツの作曲家カール・オルフが曲をつけ、独唱、合唱用の作品にした。曲はラテン語、ドイツ語で歌う。
合唱団員の募集は100人を目標にしているが、集まったのは、およそ半分。
竹内団長は「やる気さえあれば、初心者でも歌うことができる」と参加を呼びかける。
合唱指導は、田中真郎さんが務める。すでに練習は始まっており「アクセントをしっかりつけて」と指示が飛び、集まった団員は楽譜を見ながら、会場に歌声を響かせている。
練習は9月まで月1回で、10月から回数を増やす。いずれも日曜日午後6時から、伊那公民館で開く。
直接、練習会場(次回は8月5日)で申し込むこともできる。
詳しくは、伊那市民吹奏楽団ホームページに載る。
問い合わせは、竹内団長(TEL83・8002、ファクス83・8013)へ。 -
半世紀の活動に終止符 上伊那PTA母親文庫
半世紀にわたる読み聞かせ活動を続けてきた「上伊那PTA母親文庫(親子文庫)」は14日、伊那市美篶の信州INAセミナーハウスで解散の会を開いた。伊那市教育長ら来賓や歴代運営委員長ら約40人が出席。関係者で歴史を振り返るなどして、長き活動に終止符を打った。
同文庫は「母親が教養を高め子供たちの健全育成」を理念に1951(昭和26)年12月、更科とともに県内で初めて発足し、本年で56年が立つ。巡回文庫や配本などの地域に密着した読書活動などが認められ94、2006年には読書推進運動協議会の全国表彰を受けている。
最盛期約5千人いた会員は、読書、活字離れに伴い現在では50人足らずに減少。拠点としていた上伊那図書館が03年に閉館となり、活動を進めることが難しくなったため今年、「道筋を決めた」(金丸恵美子運営委員長)。
解散の会で金丸運営委員長は「ここに集まった皆さんと解散の会ができることを感謝したい」とあいさつ。解散後は各小中学校の母親文庫に活動を引き継ぎ、市町村単位で会が結成できれば竏窒ニ期待した。
上伊那PTA母親文庫は、最後の活動として、57年から年1回発行してきた文集「石楠花(しゃくなげ)」の創刊記念50号を10月末に発刊する予定。上伊那図書館改修後の施設に同文集など、同文庫の・ス歴史・スが納められるという。
解散の会で「夏の思い出」を歌う出席者ら -
高遠、高遠北、長谷の3小学校2年生交流
伊那市の高遠北小学校で12日、2年生による同校を含む高遠、長谷小学校3校の交流会があった。遊びなどの交流を通じて、校外での友だちの輪を広げる目的。年間3回を企画していて、初回のこの日、子どもたちはドッチボールなどをして楽しんだ=写真。
交流会に高遠小41人、高遠北小10人、長谷小7人の計58人の児童が参加した。フォークダンスを一緒に踊ったり、各児童が作った自分の名刺を新しい友だちに配ったりして交流。名刺には自分の好きな食べ物や遊びを記入するなどの工夫があった。
高遠小学校の林千尋ちゃん(8)は「一緒に遊べておもしろかった。ちょっとだけ友だちも出来た」と話していた。
今後の予定としては、プレゼント交換や各学校の紹介などのイベントを開き、交流を深めていく。 -
箕輪町
サークル「楽しいハーモニカ」04年度の箕輪町公民館ハーモニカ講座の受講生有志が、講座終了後もハーモニカを続けようとサークルを作った。05年度の講座の有志も仲間に加わった。講師だった箕輪町木下の山本勝さんに引き続き指導を依頼し、皆で練習に励んでいる。
会員は24人。第2・第4木曜日に町文化センター研修室に集まる。使うハーモニカは「C」「A」「Am」の3本が中心。演奏曲は主に童謡・唱歌で、講師から何曲か楽譜をもらい、4グループに分かれてグループごとに練習する。順番に講師の前で吹き、個人指導も受ける。
グループ練習をすると、皆が一緒に吹いて互いに合わせていくので、自然に音が合ってくる。「一人で吹くとテンポが速くなったり遅くなったりするので、一緒に吹くことが一番勉強になる」と山本さんは言う。さらに、一緒に吹く中で、自分のくせも気付いて直すことができるという。
発表の場は、町の文化祭。時間制限の中で演奏曲を考え、2曲から3曲を披露する。
年2回くらいは要請を受けて福祉施設も訪問し、お年寄りがよく知っている「ふるさと」「ゆうやけこやけ」などの曲を選んで発表もしている。
ハーモニカは、「楽器そのものが手軽に入手でき、昔懐かしい曲が吹ける。最初はとっつきやすいが、吹き始めるとこれが難しい」と矢萩進代表。「技術を要求される。自分もうまくなりたいと思うからね」。奥が深い世界だという。
最初はハーモニカも1、2本持っていればいいと思うのだが、練習が進むと演奏の幅が広がるので別のハーモニカを購入するようになる。会員は最低でも4、5本は持っており、曲によって使い分け、1曲、また1曲とレパートリーを増やしていく。
皆で教え合い、和気あいあいと練習するサークル。これまで文化センターだけで練習をしてきたが、外に出てみよう-と、ながた荘に場所を移し、懇親を深めながらの練習も計画している。(村上裕子) -
あばれみこし製作に宮田小6年がお手伝い
宮田村宮田小学校6年生は12日、350年ほど前から村に伝わる津島神社祇園祭の主役「あばれみこし」の製作現場を見学した。棟りょうの配慮で、みこしを飾る金紙貼りの手伝いも体験。長い歴史のなかでも小学生が製作に関わるのは初めてとみられ、みこしが勇姿を披露する21日の祭り本番を子どもたちは心待ちにした。
あばれみこしは氏子3地区の大工が毎年回り番で担当するのがしきたり。
今年は町三区の加藤建築が当番で、105人の児童は工場を訪れた。
6年生の一部は4年生の時に、棟りょうの加藤政義さんから祭りやみこしの由来を聞いたことがあり、その時に「2年後に製作当番が回ってきた時は、みんなにも作らせてあげる」と約束していた。
2年越しの夢が現実となり、子どもたちは大喜び。仕上げともいうべき、金紙貼りに汗を流した。
「僕がつくったみこしをお母さんに見せたい」「みこしって、担ぐ人も作る人も愛情を込めているんだと知った」など、学校へ帰ってからこの日の体験を感想文にしたためた児童たち。
祇園祭では境内石段から男衆に投げ落とされ、粉々になるまで壊されるのがみこしの運命だが「もったいな気がする」と話す児童もいた。
加藤さんは「村の伝統である祇園祭を大切に思ってもらえればうれしい」と、目を細めていた。 -
AEDの取り扱い学ぶ 伊那東小保護者
伊那市の伊那東小学校で11日、同校の夏休み中のプール監視当番を務める保護者を対象とした救急法講習会(水難救助法)があった。同校では自動体外式除細動器(AED)を校内に設置していて、AEDの操作方法の講習もあった=写真。
保護者約80人が参加した。水難事故発生時の対応のため、胸骨圧迫、人工呼吸などの心肺蘇生法などを受講。AEDの取り扱いでは機械(講習用)の音声ガイダンスに従いながら手順を学んだ。
市は1日、市内の全中学校と伊那、伊那東、伊那北、新山の5小学校の計11小中学校にAEDを設置した。小学校は優先度調査の結果から3年間で全校に行き渡らせる計画だ。 -
関悦子さん(61)中川村大草桑原
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「ギリシャヤギの敷物は染色していないから、色落ちがない。丈夫で長持ち、使えば使うほど味が出る」-。6月初旬に「村内外の人にどんな仕事をしているか、見ていただこう」と、初めて中川村大草桑原の自宅で「ワイン家のもの作り展」を開いた。
夫のイエルカ・ワインさんが設計制作したまきストーブや焼物と一緒に妻の関悦子さんはギリシャのヤギの毛の手織りの敷物を並べた。「7日間に村内外から300人以上来場していただいた。村の人に敷物を買っていただき、本当にうれしかった」と笑顔。
1945年埼玉県生まれ。ミッション系大学を卒業。幼少のころから、物づくりに興味があり、レザークラフトを習った。6年間、制作に励み、東京の公募展にも出品したり、指導もした。レザークラフトは皮を染めて、加工するが「染めない皮の方がきれい」と感じて、皮を染めることに疑問を持った。このことが皮から織物に変わるきっかけになった。
教会のミサに使う祭服を手掛ける、東京都世田谷の林良子さんに弟子入り、4年間で日本の織物の基本から学んだが「自分は何をしたらいいか」と自らの進む道に悩んだ。そんな時、アメリカ女性、ドロシーミラーさんと知合い、教職の夫の理解もあり渡米。
図書館で開いた展示会で、バニーポッパーズさんのギリシャヤギの敷物を見て「シンプルでストロング、これをやりたい。強く引かれる物に出会えた」と教えをこうと、「1枚編むだけなら」と条件付きで指導を受け、後は自分でいろいろと工夫した。
帰国後、埼玉県浦和市で2年間、制作に没頭し、30枚作りため、東京の原宿が初個展を開いた。「素材の良さが認められ、好評でよく売れた。これでスタートラインにつけた」。以後、2年に1度定期的に個展を開いた。
そのうちに「田舎でに入って、じっくりと制作したい」という気持ちが強まり、奥多摩や、秩父と田舎ぐらしの場を探した。参禅に通った京都で、現在の夫、チェコ人のイエルカ・ワインさんと出会い、前の夫の後押しもあり、群馬県下仁田で所帯を持つことができた。
「高い山に近い所に住みたい」というイエルカさんの希望で、大鹿村の1番奥の釜沢に空き家を見つけ、移り住み、11年間暮らした。飯田市に出るまで半日もかかり、買物には至って不便だった。ここで長女を出産、同地区で赤ちゃんの産声を聞いたのは20縲・0年ぶりとかで、周りから祝福された。夫婦で織物を織ったり、近所の人にいちから教わりながら野菜づくりもした。
長女が小学5年になった時、高校にはここから通えないと、11年前に中川村大草桑原に移住「町が近くなり便がよくなった。桑原の人々に明るく歓迎され、自分たちの社会に取り込んでくれた」と喜ぶ。
また、「桑原の人たちは自分の意見をしっかり持っており、行政に対してもはっきりものがいえる」と感心する。
「長野県に来て、人は1人では生きられない。みんなに助けられて、生きていることを学んだ。だから、自分たちでできることは一生懸命頑張らなくては」と話す。夫と2人暮らし(大口国江) -
中学生カナダホームステイ&語学研修の旅
南箕輪村で壮行会南箕輪村教育委員会は10日、カナダホームステイ&語学研修の旅に参加する南箕輪中学校の2年生5人の壮行会を村民センターで開いた。
研修はカナダのレスブリッジに滞在し、ホームステイしながら語学研修や校外活動をする。カナディアンロッキー見学やバンフ市内観光もある。30日から8月10日までの12日間。
唐木一直村長は「自分の目で、肌で海外を見て感じてきてほしい。経験は最大の財産になる。これからの人生にきっと役に立つ。しっかり学んできてほしい」とあいさつ。伊藤修教育長、南箕輪中学校の堀田実校長も激励した。
中学生は、「英語をすらすら話せるようになりたい」「カナダと日本の文化、料理、環境の違いを学びたい」など、一人ずつ抱負を語った。 -
親育ち元気アップ講座
箕輪町子どもセンターはこのほど、0歳から3歳の親子を対象にした親育ち元気アップ講座「わらべうたを楽しみながら親子のふれあいを深めましょう」を松島コミュニティセンターで開いた。親子対象講座に40組、大人対象講座に11人が参加し、親子のきずなを深める一手段であるわらべうたを学び合った。
講師は、千葉県在住の小林衛己子さん。93年に0縲・歳児の母子遊びの講座「まめっちょ」を設立し遊びや育児を指導。98年にわらべ唄保育研究会を設立し、全国でわらべうたの講習会をしている。
2、3歳児の親子を対象にした講座では、講師が子ども一人ひとりに布をふわっと飛ばしながら渡し、親子で布を吹いて飛ばしたり、丸めて広げるなどして遊んだ。子守歌も1曲皆で歌って覚えた。
講師は、最近は自動車やベビーカーの利用で親子の距離が遠いことを指摘。「わらべうたで肌と肌で触れ合ってほしい。丸ごと子どもを愛して、いつも愛してるよと言ってほしい」と話した。 -
中沢小児童会チャレンジ祭
駒ケ根市の中沢小学校(北原三千生校長)で11日、児童会チャレンジ祭が開かれた。学年を縦割りにした8つの仲良し班がそれぞれ趣向を凝らして企画・運営する楽しいゲームやアトラクションが学校中を舞台に展開。児童らは年に一度の祭りを存分に楽しんだ。
10本のペットボトルを倒すボウリングは、簡単そうに見えてなかなか思い通りのコースにボールが行かず、児童らは苦労していたが、時折ストライクが出ると大きな歓声が上がっていた=写真。
体育館では壁に貼った1縲・の数字を狙ってボールを投げる「ストラックアウト」と障害物競争が催された。障害は(1)ぞうきんがけ(2)跳び箱(3)縄跳び(4)マット上で前転(5)平均台(6)玉入れ竏秩B児童らは少しでも速いタイムを出そうと果敢に障害物に挑戦した。ほかにも、お化け屋敷、宝探し、射的、クイズラリーなどのアトラクションが催され、児童らは限られた時間内に全部のコーナーを回ろうとチャレンジカード(スタンプラリーの台紙)を手にして校内を急ぎ足で歩き回っていた。 -
上伊那教育講演会
県教職員組合上伊那支部、上伊那PTA連合会は7日、伊那市狐島のJA上伊那本所フラワーホールで、年一度の上伊那教育講演会を開いた。保護者や教員ら約200人が出席。駒ヶ根市教育長の中原稻雄さんが「食を通して親子のあり方を考える」と題して話した=写真。
中原さんは、現在、食育が必要とされている理由、子どもたちの育ちの現状とその原因などについて説明し、「国の対策として、生活習慣病に困る医療費の割合が全体の6割を占め、10兆円を超えた」などと警鐘を鳴らした。
中原さんは「食を中心に家庭生活の基本の形が崩れ始めた」とし、「メディア依存の生活スタイルから我が家のものさしがなくなり始めた」と主張。「食の正しい情報を選び活用する力をどうやって身に付けていくかが課題」だと指摘した。
「食を見直すことは生活を見直すこと。生活を見直すことは生き方を見直すこと」と中原さん。「国の将来を託す大切な子どもたちへの食育を通して、ここで改めて大人も自分がいかにいい加減だったかを知る必要がある」と呼びかけた。 -
駒工「くくり募集」へ
駒ケ根高業高校(本間秀明校長)はこれまで機械、電気、情報技術の各科ごとに行なってきた入学者の選抜方法を08年度選抜から3科一括の「くくり募集」に変更する方針を打ち出した。9日夜に同校で開かれた「駒工を考える会」=写真=で本間校長が報告した。変更は県教育委員会の承認を経て正式に決定される見通し。
「くくり募集」で入学した生徒は1年次ではどの学科にも属さずに共通の内容を履修し、2年進級時に生徒の希望や適正などを総合的に判断した上で卒業時までの学科を決定する。2年次以降は専門課程となるため、原則として転科は認められない。
変更の理由について同校は「適正が分からないまま入学したために後で進路について悩んだり、勉強への意欲をなくしたりする生徒が少なからずあった。1年間工業の基礎を勉強しながら自分の適性を見つけ、2年次以降に本当に勉強したい学科に進んでもらいたい」としている。本間校長は「ここ数年定員割れが続いている状況を改善し、さらに魅力ある高校にしていくための対策の一環だ」と述べた。
くくり募集は全国69高校、県内でも下高井農林、須坂園芸など4校(07年度)で実施されているが、南信では初となる。 -
琴伝流大正琴御園琴正会 結成30年
伊那市御園の農家の主婦らでつくる大正琴グループ「琴伝流大正琴御園琴正会」は本年、結成30周年を迎えた。メンバーは結成当時から活動を続ける12人で、30年の月日が経た現在、年齢は67縲・6歳。大正琴を通じ、いろいろな経験を重ねながら仲間たちは交流の輪を広げている。
同会は、日本バイオリン研究所大正琴全国普及会(駒ヶ根市)が広める琴伝流の教室の一つ。発足は同流派が誕生した1年後の1977(昭和52)年。教室は、御園公民館を会場に月2回のペースで開いていて、1時間30分の練習は休みなしで行う。本当に大正琴が好きな人たちばかりが集まる。
地区大会、県大会、全国大会など各種大会に出場してきた。全国大会の「琴伝流大正琴祭り」への参加は、第1回大会から連続10回出場を果す。日本バイオリン研究所とともに普及活動として全国に出向いたこともあり、これらは交流の輪を広げる思い出として、それぞれの胸に刻まれている。
指導者は、メンバーの一人である唐沢孝江さん(76)。発足後から1年間、日本バイオリン研究所から講師が月1回の指導に訪れたが、それ以降は高校時代までコーラスを学んでいた唐沢さんが曲をアレンジするなどして、仲間たちとともに大正琴を学んできた。
「大正琴を弾くことによって、さわやかな疲れを感じ、充実した時間を持てることをうれしく思っている。指を動かすと脳も喜ぶそうで、大正琴のおかげで一人ひとりの人生が輝いている」(唐沢さん)
30年間の時の流れをともにした仲間たちの絆(きずな)は強く、さまざまな経験を積み重ねながら、人生を理解し、思いやる心を深めてきた。「年だからといって後ろ向きな考え方はせず、前向きに希望と期待と夢を自分に懸けてみたいと張り切って言える私たちです」と唐沢さんは話す。
メンバーの楽しみは発表会で演奏すること。晴れ舞台でオシャレをして演奏することで、いつまでも活力にあふれる、若い気持ちのままでいられるという。 -
【グラスアート・インストラクター 下島育子さん】
光を通してさまざまな色に輝くステンドグラス。教会などで目にするその華麗な美しさに魅せられ、いつかは自分の手で作ってみたいとあこがれていた。だが、伝統的なステンドグラスの製作はH型断面の鉛の枠に色ガラスをカットしてはめ込んでゆくため、専門的な工具や高い技術、経験が必要だ。自分にはとても無理竏窒ニあきらめていたある日、趣味としてたしなんでいたパッチワークの本の中に「グラスアート」の紹介記事があるのを見つけてむさぼるように読んだ。
グラスアートの基本的な製作方法は、1枚の透明なガラスの表面に亜鉛のリード線(接着剤付き)を図案の線の上に貼り付け、リード線で仕切られた区画の形に合わせて好みの色のフィルム(同じく接着剤付き)を切って貼り付ける竏窒ニいう手軽なもの。リード線は指先で楽に曲げられるほど軟らかいので力は要らず、フィルムを切るのもガラスと違って専用工具や技術は必要なく、カッターやはさみで簡単にできる。
「これだ」と早速出版社に問い合わせて講師を紹介してもらい、少し遠かったが思い切って甲府市の教室に通い始めた。
「やってみて、こんなに簡単にできるのかとびっくりしたり、うれしかったり。ほんの少しのスペースさえあればいいので、自宅のこたつの上でもできるくらい。始めてよかったと心から思いました」
通い始めてから5か月後の05年2月にコースを修了し、長野県で初となる日本グラスアート協会インストラクターの認定証を受けた。自宅の一部を改装して手作り工房「りんごの木」を開き、注文に応じて作品の制作と販売を行うほか、各地のアート展、クラフト展に出展している。創作活動の一方で駒ケ根市、伊那市、飯島町などで教室を開き、幅広い年齢層に技術の指導をしている。
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制作で一番神経を使うのは、フィルムを貼る際、ガラス面との間に気泡ができないようにすることだ。
「ほんの小さな気泡でも作品は台無しになってしまう。だから絶対にほこりが入らないよう、ガラスはアルコールや水でしつこいくらい何回も洗浄するし、部屋の中にもほこりやちりが漂わないように気を使います。小品ならまだしも、一つ一つの区画の面積が広い大作となるとさらに大変。だからこそ、思い通りに仕上がった時の満足感は大きい」
フィルムの色は約100種類にも及ぶ。さらにフィルムを2、3枚重ねることで、自分だけのこだわりの色をつくり出すこともできる。
「どの部分にどんな色を選ぶのかが楽しい。それが作品の個性であり、感性の発揮のしどころです。フィルムやリード線は、色によっては経年変化で渋い色合いになることもあってまた違った味わいも楽しめる。制作は簡単でどなたにでもできますから、一度体験してみませんか。すごく楽しいですよ」
(白鳥文男)
手作り工房「りんごの木」 TEL83・1353 -
大曲り橋の命名、住民みんなで祝って
宮田村町一区にかつて伊那街道の宿場町があったことを今に伝える由緒ある字名「大曲り」が、街道筋の大沢川にかかる無名の橋に名を残すことになり8日、地元15世帯約40人が集まり・ス命名・スの記念式典を開いた。
江戸時代から続く歴史的な地名を風化させたくないと、各世帯が快く賛同した。
寄付により「大曲り」などと刻んだ御影石製の表札を4種類製作。橋の両端に設置し、この日の式典で70歳代から90歳代の地区の長老が除幕した。
最長老の池上喜さん(94)と本田峻太君(9)がくす玉を割り、全員で記念撮影。世代を超えて「大曲り」の名前を思い出の1ページに刻み込んだ。
発起人の本田秀明さん(75)と高橋清八さん(81)は「世代が変わったりするなかで、大曲りの名前がどこかへ行ってしまうのではと危ぐしていた。今は名前を残したいという皆さんの意思を強く感じています」とあいさつした。
引き続き、バーベキューで交流会。長老から昔話を聞く若い人たちの姿もあり「字名を通じて地域の絆を改めて感じる」と祝杯をあげた。 -
伊那中 防犯教室
伊那市の伊那中学校(白鳥始校長)で3日、防犯教室があった。全校生徒約450人に対し、伊那署生活安全課の署員が、パソコンや携帯電話にかかわる犯罪の被害者にならないために注意を促した=写真。
インターネットオークションによる、摸造品販売や掲示板での誹謗中傷などの被害ケースを扱った啓発ビデオを鑑賞するなどして説明。署員は「インターネットは便利だが裏もある。被害に合わないためにも注意して」と呼びかけた。
出会い系サイトや迷惑メールなどに気を付けることを指摘。架空請求などは、高齢者が被害者になることが多かったが、最近は未成年者を標的とした犯罪が増えてきているとも話した。 -
伊那混声合唱団 創立50周年祝う演奏会
創立50周年を向かえた、伊那混声合唱団は7日夜、伊那市の県伊那文化会館大ホールで、第40回演奏会を開いた。団員28人はこれまでの思い出の曲やOB・OG団員との合唱など16曲を披露し、その美声で50年の節目を祝う記念演奏会に集まった約800人を魅了した。
演奏は、これまでの演奏会で歌ったハイドンやモーツアルトの名曲のほか、愛唱歌や現代ヒット曲を4ステージに分けて発表。メーンステージでは、OB・OG団員35人と一緒に混声合唱組曲「筑後川」をダイナミックに歌い上げた。
同合唱団は58(昭和33)年5月、「伊那市民合唱団」として誕生した。レクイエムなどの宗教曲やポピュラーソングなど幅広いジャンルの曲をてがけては、地域の演奏会などに出演し、演奏交流の輪を広げている。
平沢誠幹事長は「50年の歴史を振り返るよいチャンスとなるが、それも踏み台にし、もっと深く、高く求めていきたい」と語った。 -
日本画を描く
箕輪町
小川節子さん「日本画・洋画・染色 三人展」を箕輪町で開いた。信州美術会、伊那美術協会、みのわ美術会で共に活動する仲間との初の個展。日本画の大作15点を出品した。4日間の会期で来場は500人余。成功裏に終わった。
「全くの素人でしょ。個展はしないと決めていたけど、70歳になって、やっても神様もお怒りにならないかなと思って。やってよかった。もうちょっと描いてみようかなと思いました」
日本画を始めたのは35年前。信州大学教育学部を卒業し、高校で家庭科を教えていた。「家庭科だけではちょっとさみしい」と思っていたところ、小説で俳人・杉田久女が、ただ結婚しているだけではつまらないと俳句を始めた話を読み、「私も何かやろう」と思い立った。小説は大変、短歌は先生が身近にいない…と考えていたころ、偶然テレビで日本画を見た。伊那市に日本画の先生のグループがあることを知り、入会した。
飯田市の先生に教えを受けた時期もあるが、現在は洋画家の柴田久慶さんに師事している。
1年にだいたい2作品描く。「大きい絵はやるぞという気になる」と、大きさは50号から80号。描きたい題材が見つかると、胸の中に入れて温め、段々掘り起こしていく。機が熟したところで、はがきの半分くらいの大きさの紙5、6枚に鉛筆で構想を描く。先生に教えを仰ぎ1枚を決めると、今度は50号を縮尺してパステルで描き、それから本番となる。
色を塗る作業も時間がかかり、作品にもよるが構想を練ってから完成まで最低3、4カ月を費やす。
自宅で描いた作品を持って行き、柴田久慶さんのアドバイスを受ける。教室では仲間と一緒に油絵を描く。「基礎訓練が大事だから」と、裸婦デッサン会にも参加する。「自分と向き合って描く時間が持てることもいい」という。
日本画県展に第2回から出品し続けてきたが、8年前、一大決心をして県展に出品。2年連続入選した。次の2年間は落選。それから2年間は出品しなかったが、仲間から「出すべきよ」と言われ一昨年に再び出品して入選。昨年も入選した。
洋画への転向を考えたこともあったが、「日本画は色がうんときれいに塗れる気がする。下に塗った色が出てくる。それが面白い」と、日本画の色に魅力を感じている。
「絵を描くことそのものは厳しくて苦しいけど、いい仲間がいて楽しい」。今は、今年の県展出品に向け作品と向き合っている。(村上裕子)