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村井知事に聞く(上)
伊那毎日新聞社などが加盟する長野県新聞協会は、当選後初の新年を迎えた村井仁知事にあらためて県政の方針や課題などを聞いた。(2回に分けて掲載)
竏鋳m事として初めての新年を迎えた心境と今年の抱負は。
村井仁知事 昨年、思いもかけないことだったが、6月の末に要請を受けて知事選に立候補し、告示まで20日間という短い期間の選挙だったが、県民のご信任を得ることができた。知事に就任して初めての正月を迎え、あらためて責任の重さに身の引き締まる思い。昨年は豪雨災害などもあり、必ずしも長野県にとって明るいことばかりではなかったが、今年はどうか平和で良い年になってほしい。
私自身は田中県政の中で、採るべきものは採る、改めるべきは改めるということで、後退しない長野県政ということをモットーに進めてきた。11月に機構改革の人事をしたが、あれでもなお、もう少しいろいろ考えなくてはならないことがある。4月の年度始めに若干、懸案だった組織を整備したい。
それから何といっても大きな課題は、年末に向けて5カ年の中期計画をきっちり整備したいと思っている。中期計画と称してコモンズによる信州ルネッサンス計画というのができたが、あまりにも抽象的で、やはり行政はある時間軸を明確にして、どういうことをやるんだということをはっきりとお示しすることが必要。私は選挙のときに、マニフェストのようなものを作らないのはなぜだと、随分お叱りを受けたが、あのときは、私がやりたいことはたくさん具体的にあったが、それを体系的に整理して、実現の可能性まで十分に吟味して提示するほどには、実態を知らない。そういう立場の人間が無責任にいろいろ言ってはいけない。できもしないことを並べるにすぎない。私は実状を知るためのさまざまな事はお約束した。それがボイス81であり、車座集会も小泉内閣のタウンミーティングと一緒で、非常にいいことだと思ったから、こういうのはやると申したが、具体的なことは言わなかった。やはり、組織的に県庁組織のすべての力を結集して作成するのが、計画の本来の姿なのではないのか。そういう意味では年末までに5カ年計画を長野県の中期計画としてきちんと作りたい。そこではいついつまでに何をするということまで含めて、かっちりしたものをやりたい。これがある意味では今年の一番の作業だろう。
それから2番目は、長野県庁に昨年9月1日に入り、一番まいったのは、皆さん知事が言うことに非常に注目なさる。就任したときのあいさつで、知事の顔色なんか見るなと、県民の目線を常に意識して、本当の県民益になるようなサービスを皆さんにやってほしいと申し上げたが、依然として知事の顔色を見る雰囲気は消えていない。9月以来4カ月経っても、いろんな機会に申し上げているが、そういう状態がまだ変わらない。非常に残念。各部局が部局の組織の権限というものを十分に生かして、なすべきことをきちんとやってほしい。このことは本庁の部局もそうだが、県の出先機関、地方事務所をはじめとする各機関も、それぞれの地域の実情を直に一番よく分かっているのは、市町村と連携とって一番よく分かっているのは、そういう地方事務所であり、建設事務所であり、保健所なのだから、そこで完結する話はどんどんやってほしい。そういう意味で、ぜひそれぞれの職員が、自分の職責というものを大事にして、いきいきと仕事をしていくような、そういう県組織になってほしいと、これが私の2つ目のお願い。
それから3つ目は、将来の長野県を見据えて、いま自分たちは何をしなくてはならないかという議論を、県庁職員がまず率先して、市町村職員や民間の皆様、あるいは学会の皆様と、いろんな形で接触を深めて、広範な論議をしていただきたい。要するに自由闊達な論議をありとあらゆるレベルでやってほしいというのが私の願い。それを通じて初めて、県庁組織というものが、お高くとまってすましている県庁組織ではなくて、本当に県民の県庁組織になっていく。81の輝く自立した市町村が主役の長野県づくりのためのサービスをする、そういう県政になっていくと思っています。
竏抽e地から道路整備などで多くの陳情・要望が寄せられている。厳しい財政状況の中で、財源をどう確保し、地域の願いに応えていくか。また、優先順位を決める際の観点は。
村井知事 地域から要望の寄せられた個所については「必要性」「重要性」「緊急性」「効率性」など様々な観点から客観的な評価を行い、実施個所を決めていきたい。
竏窒烽、少し具体的に
村井知事 別の切り口で言うなら、例えば、しかかり中、工事途中で止まってしまったというようなものは、早くやった方が良いのではないか。ただ、道路で具体的にそういうのがあるかというと…。地域で反対が起きてしまってにっちもさっちも行かないというような、これはしょうがない。反対が多いから。
竏駐c中知事が中止した事業が各地にある。そういうのはどうするか。
村井知事 調べてみたら、田中知事が明確に中止した事業に、道路はあまりない。
竏苧痰ヲば飯田の方には、飯田から伊賀良に行く大きな橋があるが、それもやめちゃった。
竏酎コ井知事 それは、田中知事がやめちゃったということになっているんだが、県の土木部の主張としては、やっぱり、緊急性が認められないからやめることにしたんだという、説明になってしまっている。私は道路について、田中知事が明らかに中止したものを、全部さらってもってこいと言って出させた。そしたら出てこない。しかし、おっしゃるように、あれは確かに田中さんがやめさせたはずだという。思い当たることが私の選挙区内にもあった。それはどうなんだと言ったら、いや、用地買収がうまくいかなくて進められなかったなんて言われた。具体の話になると、そういう話になって、結果的にないという話になってしまう。ただ、おっしゃる通り、実際、地元には知事がダメと言ったからダメだということになっている。その手の話で、地元でやれるような環境が出来ていて、県が勝手に止めたようなものは、最優先にやりたい。例え話としては、こっちから道路の整備ができてきた、あっちからも道路の整備ができてきた、橋げたも出来た。橋脚が出来たところで止まったというようなやつがある。そういうのは上部工だけやれば良いわけだから、投資効率という点から言うと、過去に投資した分が皆、無駄になっているわけだから、そういう意味では、それをぜひやりたい。そういうのを優先的に片づけたい。それがやはり過去の投資を生かしていく一番の方法ではないかと。
竏窒オかし、県の財政から見ると、6年間のものを一挙にという訳にはいかない。そうすると選択がなかなか難しくなるのではないか。
村井知事 それは、自ずから順序出てくるのではないか。
竏註謔ルど、あらゆる機会をとらえて、将来のことを議論してほしいという話だったが、田中県政になって、あらゆる団体の懇親会に県の職員は出てはいけないということだった。そこら辺は…
村井知事 あれは絶対おかしい。県の職員と市町村の職員が、実務レベルでいろいろな相談をしないというのは、非常にまずい。会費制でやるのは官官接待でも何でもない。会費制であったら大いにやってほしい。私も市町村長方と会費でやらせていただく。
(つづく) -
定年を前に起業を決意
伊那商工会議所内の上伊那地域チャレンジ起業相談室は、専任のコーディネーターが新しく事業を始めようとする人や、小規模事業者の経営革新を進める上で悩みや疑問などの相談に応じている。
過去3年間の相談者数をみると、04年度が234人、05年度が155人、06年度(昨年11月末)が74人で、開業者数はそれぞれ25人、19人、12人となっている。本年度も前年度並みを見込む。
年代別では30縲・0代が大半を占め、60代は5人。
業種はサービス業、飲食業が多く、卸小売業、製造業、建設業と続く。美容師など自分の経験を生かして独立する、「飲食店をやってみたい」と開業を目指すケースが目立つという。
上伊那で起業を決断した3人を紹介する。
伊那市に住む会社員の50代男性は10月ごろを目途に、技術コンサルタントの活動を始める。事業の目的に、アイデアで社会貢献することを掲げる。それは「金もうけは、人のつながりではないか」と考えているからだ。
約30年間、製造業で機械加工、製品開発、ラインの自動化の経験を積んだ。電気主任技術者3種を取得し、機械に関する知識を体得した。
商品開発で困っている企業、自動化や省力化で困っている企業をターゲットに、自分のアイデアで付加価値を生み、具体的な商品開発などを手がけていく。まだ具体的な方向は見えていないが、ごみを流しても発電できるような水力発電など環境に配慮したものや、弱者といわれる人たちに役立つものなどを考え、大手企業が入り込まないすき間をねらう。
これまでいくつかのアイデア商品を開発したが、なかなか売れなかった。売れない原因は「ニーズがないところには売れない」だった。売るには、消費者の気持ちを捉える商品を作ること。そうすることで、人の役に立とうと、20代から考えていた独立を決めた。
製造業の現場を見ている中で、団塊世代の退職に伴う「技術の継承」を危ぐする。指導しても、経験で積んだ指先感覚の技術は伝えきれない。
パソコンばかりを頼り、先輩の技を盗むことをしなくなった若者。機械が故障しても把握が出来ない。技術者の技術力が落ちていることを感じている。
「技術力は、韓国や台湾に一部抜かれている。これから、ますます国際間競争が激しくなり、独創的な商品や加工技術が必要になってくる」
今のところ、技術者は個々の企業での「点」でしかない。インターネットなどを通じた横のつながりを持ち、情報交換の場、悩み解決の場で交流を図る形を作り、全国へ、世界へと輪を広げる。
一つのコンセプトに対し、技術者が技術を持ち寄り、お互いの得意分野を生かしながら、一つの製品を作り出す。
「アイデアは無限。日本の製造業を少しでも元気にする手助けをしたい」と夢を大きく膨らませる。
◇ ◇
伊那市高遠町片倉の守屋豊さん(54)は、高遠そばの店「ますや」オープンに向けて準備中だ。
高遠そばは、辛味大根、焼きみそ、刻みネギを合わせた「からつゆ」で食べる地域食。家庭で食べられているが、なかなか店では食べることが出来ない。「素朴で豪快な高遠そば」を売りに、自ら粉をひき、打った「二八そば」「あらびき十割」を提供する。ゆでたてを味わってほしいと1人前を2回に分けて出したり、客にからつゆのみそをといてもらったりと工夫を凝らす。
いずれはソバの栽培から始め、そばを作って、粉をひいて、打つのが理想。
「子どものころから、おふくろが打つそばが好きだった。食べる専門だった」と言うが、10年ほど前、北信のそば屋で食べたそばがおいしく、いつか店を持とうと独立を考えた。踏ん切りがつかずにいたが、企業も厳しい状況。どうせ始めるなら体力、気力があるうちにと決意した。25年間、勤務した総合小売業を退職し、一昨年5月、東京の専門学校へ通い、そば打ちの基本を学んだ。
店では、そば以外にも、長いもを使ったとろろなど地域食も用意。できるだけ地元産の食材を使いたいと考え、地域の活性化にひと役買う。
前の職場で、魚をさばいたり、総菜を作ったりし、販売や買い付けなども経験した。調理師免許が開業に役立つことになった。
店は、桜の名所で知られる高遠城址公園へと続くループ橋の下。客の顔が見えるように、18席を配置する。
「客とのコミュニケーションを取りながら、和気あいあいとした雰囲気のある店に」と抱負を語る。
すでにホームページ(massya.com)を開設。高遠そばの由来、開業に至る経過、そばをひく石うすの電動化への挑戦、お品書き、そば屋を食べ歩いたそば巡りなどを紹介し、反響を呼んでいる。
店の完成は2月下旬。4月上旬に本格オープンする。
「立地がいいわけではない。厳しい戦いになるでしょう」と話しながら、自分の可能性を探る。
◇ ◇
駒ケ根市福岡の西村希予子さん(58)は昨年10月初旬、癒(いや)し空間「愛」をオープン。「心も体もいやしたい」と客に満足してもらえる店を目指す。
野口医学研究所認定のリンパセラピーアドバイザー。リンパセラピーとは、リンパの流れに沿って圧を加えながら、肌をなでることで、リンパの流れを促進し、体にたまった老廃物を出し、心と体を自然状態に戻すもの。
特別養護老人ホームに勤務していたが、肩こりや腰のはりがあり、年を重ねるごとに体に疲れが残るようになった。定年を前に、一昨年3月に退職した。
その後、傾聴療法士、介護予防運動指導員などの資格を取得。
自らも肩こりを経験しているだけに、介護者も健康であってほしいと「心も体もいやしてあげられる場を」と起業を決意した。しかし、若くないこと、仕事として成り立つのかという不安があった。
そんなとき、伊那商工会議所・上伊那地域チャレンジ起業相談室が主催する「創業塾」を知った。顧客満足度やマーケティングなどを学び、背中を押されるように開業に踏み切った。
自宅の一部を改修し、温石ベッドを置き、利用者の体をマッサージする。利用者の話にも、ゆっくりと耳を傾ける。
店には「足が冷たい」「腰痛がある」「肩が凝る」など若者から中高年まで幅広い年齢層の女性が訪れる。利用者から「起きるとき、腰に気をつけていたが、スムーズになった」「手先の冷たさが解消された」など寄せられた喜びの言葉を励みに、前に向かって歩み始めた。
◇ ◇
小規模事業者を取り巻く経営環境は厳しく、開業率よりも廃業率が上回る状況。創業を実現できるように支援し、新規開業の促進、地域雇用の創出などを図ろうと、郡内で創業者を対象にしたセミナーが開かれている。
上伊那地域チャレンジ起業相談室などが昨年9縲・0月に開催した「創業塾」には伊那市、駒ケ根市を中心に、30縲・0代の19人が受講。女性が6割を占めた。
異業種の集まりであるものの「創業」という同じ目的に向かい、悩みや夢を語り合い、モチベーションアップにつながった様子。「情報共有できる仲間と出会い、刺激を受けた」「客とのコミュニケーション手段や税金の知識を知ることができた」など効果を上げている。
「24時間、自分のために時間が費やせる。やりがいのあることかなと思う」「リスクがあっても、悔いのないように生きたい」。新たな挑戦が始まった。 -
頼られる熟練の腕
伊那市西箕輪の精密加工「フロンティア」(菊池睦昭社長)は6年前から、60歳を超えたベテランの技術者を採用している。「雇う」ではなく「協力してもらう」という考え方を持つ。
少子化などに伴い、企業もますます厳しくなる中、日本経済を支えてきた人の技術を継承していかなければと考えた。ベテランは即戦力。「小さいとこは、そういう人たちに協力してもらって強くなれるんだよね。時代についていくには、ベテランの知恵に現代の技術をプラスすること」と話す。
従業員の年齢は20縲・0代とバランスよく構成される。そのうち60代は4人。
地元の大手精密メーカーで腕を磨いてきた技術者たちが働く。ベテランは、新しいことに直面しても、今までの体験を通して身につけた技術を応用できる力があるという。「人生でも、仕事でも、経験者にはかなわない。定年だと言ってねかせてしまうのは、社会の損失」。頼られれば意欲も出る。
64歳の丸山伸之さんは、定年を超えてからの採用に「今までの経験を生かせることは幸せ。働ける場があることはありがたい」と仕事にやりがいを感じている。中山重喜さん(65)も「同じ年代がそろっているため、働きやすい職場環境」と言う。
「いいものを作りたい」という現場の思いは同じで、ベテランは若者から「パソコンを教えてもらおう」、若者はベテランから「知らない技術を覚えたい」と互いのギャップを埋め、コミュニケーションを図る環境が整っている。歯車が合うことで、企業にも活気が生まれる。
松沢秀充さん(66)らは「工業高校や訓練校を出ても、図面の見方、工具や機械の基礎など現場での知識は薄い」と指摘する。同じことを何度も聞きに来るなど自分たちの時代と比べ「覚える」ことが劣ると感じる。
若者には、自分たちの姿から仕事に対する心構えを学んでほしいと思っている。
同社の定年は60歳。しかし、次の定年は従業員が自らで決める。
生き生きと働くには、健康が第一。体調管理は、それぞれに任せているが「病院に行きたい」と言えば、そちらを優先する。そのため、全従業員に理解してもらうことが重要となる。
「定年を過ぎても、ひと花咲かせてほしい」(菊池社長)。ベテランのチャレンジ精神を若者へと受け継ぐ。 -
2007年
団塊の世代が大量引退へ企業の情報化を担うなど、戦後日本経済の中で大きな役割を果たしてきた・ス団塊の世代・スが大量に定年を迎える2007年。この世代が蓄積してきた技術・技能の継承、社会保障への影響などが国内の大きな関心事となっている。上伊那では団塊世代の大量引退をどのように受け止めているのか。競争社会にもまれながら戦後日本の新たな価値観を生み出してきた世代をねぎらい、雇用延長や起業などの新たな展開を応援する施策にも期待がかかる。
職人制度や「社内の学校」
第2次世界大戦直後の1947年から49年のベビーブームに生まれた・ス団塊の世代・ス。中でも人数が最も多いとされる1947年生まれが、07年には60歳の定年を迎える。
団塊世代の定年退職は2010年まで続き、それに伴うさまざまな不安・課題が国内では数年前から「2007年問題」として取り上げられてきた。特に、企業のIT基幹系システムを構築し、さらに運用などに携わってきた世代が一斉に会社を辞めることで、企業現場固有のマニュアル化しづらい技術・技能の継承が途絶え、基幹システムの維持が困難になるのではないか、と危惧されている。
上伊那の主要企業でははたしてどうか。07年の定年退職者数がここ数年の平均の3倍以上に達する企業もいくつかあるが、いずれも、基幹システムについては、構築時期のずれや団塊世代の人数規模などの関係で大きな不安はなく、技術・技能の継承面全般についても、「影響はある」としながらも混乱や戸惑いはないようだ。
特に、職人的な作業や機械化困難な作業の多い企業で危機感が強いとされているが、上伊那の各企業の技術・技能伝承が比較的円滑に進んでいる背景には各社の・ス職人制度・スあるいはそれに準ずるシステムの導入が功を奏している例があることも見落とせない。
6年前から・ス職人制度・スを導入している製造業大手のKOA(本社・伊那市)は、卓越した「技」を対象に経営陣が・ス職人・スを認定。専門技術・技能を磨いて伝承することが社員の「働きがい」にもつながっている。人事担当者は「人事制度の一環で、特別、団塊の世代を意識したわけではない」とした上で、その効果を認める。
エンジニアリング部門なども抱える建設業の大手ヤマウラ(本社・駒ヶ根市)は、社内にいる「現代の名工」や県溶接コンクール優勝者などが「先生」になり、新人を指導する「社内の学校づくり」に4、5年前から取り組み、技能の伝承教育に成果を上げている。
65歳定年時代
多くが再雇用で対応
高年齢者雇用安定法改正で06年4月から雇用延長が企業に義務づけられ・ス60歳定年・スから・ス65歳定年・スへと段階的に移行していく動きが、技術継承に対する不安を緩和しているとも考えられる。
改正高年齢者雇用安定法では、現在定年を65歳未満に設定している企業は(1)定年を65歳まで引き上げる(2)65歳までの「継続雇用制度」を導入する(3)定年制を廃止する竏窒フいずれかを実施することを義務づけている。(2)の継続雇用制度には「勤務延長制度」と「再雇用制度」があり、上伊那の多くの企業は「再雇用」を選択。定年退職の社員が望めば、社内評価基準に照らし合わせて「嘱託社員」か「契約社員」として再雇用する。
新規採用を手控えて雇用延長したり、55歳以上の給与体系を見なおす中で生涯賃金が増えるように工夫する例も見られる。
数年前のリストラ(早期退職)の影響で団塊世代の07年退職が極端に少なくなった製造業大手もある。ライン作業者を中心に約100人が会社を去り、そのうち50代は20人前後いた。わずかな07年退職者は再雇用する方向だ。
一方、社員二十数人の規模で業績を上げている精密加工のフロンティア(本社・伊那市)は早くから、定年過ぎのベテラン技術者を雇用している。かつて地元大手メーカーで腕を磨いた経験があるような技術者たちだ。菊地睦昭社長は言う。「小規模会社こそ、そういう人たちに助けてもらって強くなれる。頭がぼけるか、体が動かなくなるまではしっかり働いて、技術と精神を残していってほしい」 -
50代・60代へ熱いラブコール
・ス団塊の世代・スが60歳の定年を迎えることによる大量退職が07年から始まる。まだまだ元気に働ける熟練技術(技能)者の継続雇用や新天地(別会社)での採用など、上伊那の経済活動を停滞させないための各種取り組みに期待がかかる。一方、定年を目前にして一念発起、起業を決意したパワフルな50代もいる。自治体や商工会議所なども・ス大量引退・スの「負」のイメージを「正」に変えるべく、ようやく施策を展開し始めた。
【商議所・自治体の対応】
伊那商工会議所は創業支援事業として04年に「創業塾」を開設。起業のためのアドバイスなど、年間30時間の講座を展開している。受講者は団塊世代に限らないが、伊藤正専務理事代行は「熟練者の技術や技能を埋もれさせたくない」と応援する。
これまでに、旅行業、飲食業、製造業などの起業例がある。今年も何人かが、50代からの再出発に挑戦する。
一方、過疎化などに悩む自治体も、団塊世代の受け入れ(U・I・Jターン)で地域を活性化しようとの動きを見せ始めた。
伊那市の庁内若手チームは「高遠大学」や「メールマガジン配信」などの各種施策をまとめて昨年12月に市へ提案した。
「高遠大学」は、全国的にも知名度の高い「高遠」の名を使い、団塊世代に人気があるそば打ち、陶芸、農業などを体験、学習してもらう企画。「まず一回、市にお金を落としてくれる。伊那市のすばらしさに触れ、将来的に移住につながれば」と期待する。
メールマガジンの配信も、市の様々な情報を送ることで将来の移住や帰郷につなげる。
同チームは「自治体による団塊世代の争奪戦という状況。伊那市は他市町村に遅れをとっている」として、提案が採用されることを期待。
市は提言を関係部課で検討し、近く方向性を打ち出す。 -
話題の騒音おばさんに
話題の騒音おばさんに控訴審判決が下った。未決拘留日数を差引くと3カ月もすれば出てこられるとか。反省の色なく近隣住民にとって、出所後が脅威。持家では簡単に引っ越すわけにも行かず、人間関係のストレスはいかばかりか。家庭事情には同情の余地はあるが、それを差引いても余りある罵詈雑言、騒音のすさまじさはリング上のボクサーも顔負けのエキサイトぶり▼仕事上色々な人に会うが、他人の思惑や常識など一切お構いなし。自分が正義、自分が法律という、極まれに騒音おばさんタイプの人にも。そんな時はひたすら逃げる▼今年も多くのいい人と出会い、助けられ、仕事をさせていただいた。心から感謝。来年も人に恵まれ、のどかに暮らしたいと思う(大口国江)
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クリスマス商戦 おもちゃ店にぎわう
クリスマスを前にした23日、上伊那のおもちゃ店はクリスマスプレゼントを買い求める母親らの姿が目立った。男女関係なく、ゲーム機「DS Lite(ライト)」、据え置き型ゲーム機「wii(ウィー)」は圧倒的な人気で、入荷すればすぐ売り切れてしまうほどだ。
ベルシャイン伊那店のおもちゃ売り場は11月中旬からプレゼント用の賞品が売れ始め、23、24日がピーク。キャラクターが分散しているため、少量多品種を用意している。
孫の要望にこたえようと商品名を書いたメモを持ってくる祖父母や、店内に並ぶ商品を見ながら間違えのないように携帯電話で確認する母親の姿が目立つ。
売れているおもちゃは、男の子が戦隊ボウケンジャーの合体ロボット、女の子がアニメキャラクター「きらりん☆レボリューション」の着せ替えができるカードゲーム。
景気がよくなってきているとはいえ、価格が安いものだったり、ボリュームが減ったりしているという。
一方、ハローマック伊那FC店では「DS」「wii」を除く人気のおもちゃは、男の子が仮面ライダーかぶとの変身ベルト、女の子が「きらりん竏秩v。
「wii」は毎日、問い合わせの電話があるものの、品切れ状態のため「手に入れるのは難しく、苦労されているのではないでしょうか」と話していた。 -
花ロマン(6)シクラメン
冬の窓辺を飾る代表的な鉢花シクラメン。ポピュラーな鉢花でありながら、驚くほど多彩。上伊那でシクラメン栽培が始まったのは1970年頃から。当時は種まきから出荷まで15カ月も掛かり、冬の高級鉢花として、1鉢を大切に飾っていた。その後、底面給水など省力化が進み、生産量が爆発的に増加したため、価格低迷は現在まで続いている。上伊那のシクラメン農家は約20軒、ほとんどが30年選手。サクラソウ科の植物で、原種は地中海沿岸の森林地帯に自生する。花びらの先端がかがり火をつけたように、後方に大きく反転し、和名カガリビバナという、この古くて、日々進化する花に魅せられ、こだわりの花づくりをする3人にスポットを当てた。「世界一小さい花を」と、限界に挑戦する伊那市東春近のきのくにや花園の飯島光豊さん、高品質の花で定評がある駒ケ根市南割の信州ナーセリーの塩沢崇さん、「究極の赤」を求める宮崎健治さん(宮崎園芸)、3人三様のこだわりのシクラメンがロマンをかき立てる(大口国江)
超ミニ、限界の5センチを確立(きのくにや花園の飯島さん)
初めて見た人はまず、目を丸くして「これでもシクラメン」と驚く。造花と間違えて、水をやらなかった人のいたほど。
シクラメン栽培歴35年の飯島さんがミニ系に着目したのは15年前。「大鉢の値段が低迷する中、ミニ系を大量生産した方が採算が取れるのでは:」と、超ミニの種を輸入し、肥料や水、土、鉢など試行錯誤を重ね、7年前に6センチ鉢の超ミニを完成。「もっと小さく」と肥培管理に心血を注ぎ、02年にようやく5センチ鉢を完成させ、「世界1小さい花」と、衝撃のデビューを果たした。現在は5センチ鉢のみ5万鉢栽培する。「3センチ鉢で成功したという話は聞いたが、葉の数だけつぼみが次々と出て、春まで咲かせるには5センチが限界」と話す。
「シクラメンは本当にきれいな花、毎日見ていても飽きない」(信州ナーセリーの塩沢さん)
1965年、農業研修生としてアメリカに渡り、そこでシクラメンと出会い、帰国後、新鉄砲ユリから転向、上伊那のシクラメン栽培の草分け的存在である。現在は丈夫で手間がかからないミニ(ガーデン)を5万5千鉢と贈答用の大鉢3千鉢を生産する。最近まで主流だったミディータイプは全く作っていない。「ホームセンターに安い花が出回り、手を掛けても、採算が取れないから」とか。
新品種は色っぽいネーミングの「ランジェリーピンク」、オレンジ系でフリンジが華やかな「アランチーニドレス」、羽根つきの羽根のような「プルマージョ」などを作る。
「シクラメンは難しい花、何10年作っても1年生、だから作り続ける」と話す。
「色々と新しい花は追い求めたが、最後は赤」
(宮崎園芸の宮崎さん)
6センチの超ミニから、ガーデンシクラメン、贈答用の大鉢まで7万鉢を栽培する。昨年まで、ビクトリアのがく花や八重、葉がギザギザなもの、花色がベージュ、グリーンと珍花、稀少花を栽培していた宮崎園芸だが、今年は赤やピンク、紫とオーソドックスの花に切り替えた。「珍花や稀少花は市場性が低い。いろいろと作ってみたが、結局、一般的な赤、ピンク、紫に落ちついた。赤は暖かく、パワーがあると人気があり、何種類か栽培しているが、なかなか気にいった花はない」と「究極の赤」を求め、その対極にある「白」も「シクラメンは絶対に白」という顧客もいて外せないとか。このほか、ガクが発達し、花が2重のように見える「冬桜シリーズ」は「日本的で、シクラメンらしくない形がいい」とお気に入り。
作る人も買う人もこだわりのある花、それがシクラメンのようだ。
(1)飯島光豊さんと超ミ(2)超ミニがン万鉢
(3)超ミニと大鉢「どち
らもしっかり咲きます」または、
(5)甘い雰囲気のランジェリーピンク
(8)日本的な冬桜シリーズ
(9)がくが花のように見える冬桜のアップ -
記者室
中高年の主婦が集まり、自殺が話題になった。統計的にはともかく「主婦は自殺ができない」と言う結論に。その理由は家計を預かる主婦として葬式代の工面がつかないうちは死ねない。身の回りをきちんと整理しておかないと恥かしい、これが1番大変。日頃ずぼらに暮らしていると、台所、押し入れ、物置と半年は掛かる。気の長い死神も逃げ出す。片付けも3日もやれば疲れて死ぬ気も失せる▼もっともらしく言えば、心の問題は時が解決する。死ぬこともタイミング、それを外すと死ねないとか。周りに自殺志願者がいたら「3日だけ生きて」と、3日過ぎたら、もう1週間、そのうち、死にたくなくなるとか▼経験者ではないだろうが、妙に説得力があり、感心した(大口国江)
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落ち葉
落ち葉の季節。朝の冷えこみで、金色に輝いたイチョウも、鮮血のような鮮やかな紅葉も潔く葉を落した。木から離れ、自由になった葉は宙にくるくると舞い踊る。そして歩道をからからと走る。時には止まり、集い、また離れ、さまよう。やがて、歩道の端のU字溝に積もる。もう走れない。落ち葉の季節はうら悲しい気分にさせる▼が、木は葉を落とし、丸坊主になっても、冬空に向かって凛と立つ。枝先には冬芽を持ち、春には芽吹く、花も咲かせる、だから潔く葉を落す▼厳しい冬に向かって、しっかりとした冬芽(希望と言い換えてもいい)を持っていないから「うら悲しい」なのだ。小さくても希望の火を見付け燃やせることができれば「冬は楽し」なのだが:(大口国江)
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ワークショップ経営セミナー(5)
県経営者協会上伊那支部情報委員会など5団体は24日、飯田市の飯伊地域地場産業振興センターで経営改善研究会「第5回ワークショップ経営セミナー」を開いた=写真。
ワークショップ経営は、方針や目標の管理を小単位の「ショップ」に任せ、生産性の向上や採算性の改善などを図り、企業の体質強化につなげる方法。
下伊那の中小企業5社、10人余が出席し、伊那テクノバレー地域センターコーディネーター明石安弘さんから、部下を統率して経営目標を達成するショップ長の職務遂行能力基準の位置づけや賞与との関連など説明を受けた。
明石さんは「実力主義を強化しなければ、不公平感が出て、企業の活力の低下を招く」と社員教育の重要性を含め、成果が人件費を上回る人事制度の考えを示した。
また、参加企業が作成した「職務能力基準」(試案)の紹介もあった。
参加した飯田精機=下伊那郡喬木村=の林敏郎社長は「ショップ経営は成果があると判断している。収支状況を把握し、部門ごとに改善を進めたい」と話した。
セミナーは、経協の会員事業所を対象に、ITを活用した経営改善アンケートの結果を受け、経営改善の実践に生かそうと初めて企画。製造業の経営者や製造現場の責任者など6社が参加し、7月から5回、現場を視察したり、ショップの編成方法などを学んだりした。
セミナーは今回で終了するが、飯伊地域地場産業振興センターは12月、下伊那の参加企業を対象に、経営改善研究会を立ち上げる。各企業の実態に合わせ、ショップ経営を取り入れた経営改善を進める。
経協などは、ソフト開発など支援の必要があれば協力するという。 -
長編劇映画「Beauty-美しきもの」が大鹿村大磧神社で伊那路歌舞伎シーンを撮影
飯島町在住の後藤俊夫監督(67)がメガホンを取る長編劇映画「Beauty-美しきもの」の撮影が26日、大鹿村大河原の大磧神社舞台で行なわれた。地元の大鹿歌舞伎(映画では伊那路歌舞伎)の上演シーンを撮影した。上下伊那の住民500人余が観客役で出演し、後藤監督の指示のもと、タイムリーな掛け声、即興の野次、花を投げたり、時には笑い転げるなど大熱演で、映画を盛り上げた。
村歌舞伎の演目は平賀源内作「神霊矢口渡」の「頓兵衛住家の段」。美丈夫の新田義峰役の役者が花道をしすしずと登場すると、客席から「待ってました!」「いい、男!」と声が掛かり、矢口の渡し守、頓兵衛の娘、お舟には「ほれちゃだめよ」と、すかさず野次、バラバラと花も飛んだ。
また、熊谷直実が大見得を切ったとたん、かつらが落ち、客席に転げるシーンもあり、エキストラ500人は文句無しの大笑いを演じて、後藤監督も大満足、1回で「ОK」が出た。
参加者は自前や借り物の銘仙の着物、もんぺ、半てん、詰襟学生服、セーラー服など昭和10年代の服装で参加。「本番」の声が掛かり、カチンコが鳴ると緊張するが、準備やテスト時は、酒を酌み交わしたり、お菓子をつまんだりと、ロケを楽しんいた。
家族4人で参加した飯島町七久保の竹沢綾子さんは「たんすの肥やしになっていた着物が日の目を見た。勇気を出して、出て良かった」。大鹿村の近藤元さんは「いつもの大鹿歌舞伎の雰囲気が出ている」と話していた。 -
かんてんぱぱで南信州の工芸作家展vol.3
伊那市西春近のかんてんぱぱホールで22日から、飯田・下伊那を中心として活躍する8人のクラフト作家による「南信州の工芸作家展vol・3」が開かれている。木工や陶芸、ガラスクラフトなど多彩な約800点が、訪れた人の目を楽しませている=写真。
普段は別々に活動しているさまざまな分野の作家が年に一度開く合同展で3年目。幅広い人にさまざまな作品を見てもらおう竏窒ニ、下伊那よりも県内の各地区から訪れやすい上伊那地区での開催をしており、毎年多くの来場者でにぎわいを見せている。
今年は、器や皿、壁掛けなどといった日常生活雑貨から、染め織りのスカーフやトンボ玉のアクセサリーなど、身近で楽しめるクラフト作品を一堂に展示販売。それぞれの作家が取り組むクラフトの違いも楽しめる。
入場無料。午前10時縲恁゚後5時半(最終日は午後3時まで)。26日まで。 -
未来技術セミナー
地域の産業を支援する県テクノ財団伊那テクノバレー地域センター(向山孝一会長)は17日、21世紀未来技術セミナーを駒ケ根市の駒ケ根駅前ビル・アルパで開いた。南信各地の金属加工企業経営者や技術者など約50人が集まり、「鍛造・金属プレス加工の最新技術動向」をテーマにした講演2題を聴いた。参加者は時折メモを取ったりしながら、専門的な内容の講義に真剣な表情で耳を傾けていた=写真。
独立行政法人産業技術総合研究所デジタルものづくりセンターの加工応用技術研究チーム長で工学博士の大橋隆弘さんは「鍛造・金属プレスに関連する技術戦略と新加工技術の動向について」話した。大橋さんは経済産業省の指針などを示しながら「日本の製造業の国際競争力向上のためには、大企業を支えている中小企業のものづくり技術の高度化が不可欠だ」と訴えた。
山梨大大学院工学総合研究部助教授で工学博士の吉原正一郎さんは「マグネシウム合金の将来予測とプレス加工」について話した。 -
記者室
先の大戦で中国の最前線で戦った人の話を聞いた「純粋に東洋平和のために一命を投げ出して戦った。今考えると、政府にすっかり洗脳されていた。教育は怖い、中国や韓国が日本の教科書に干渉してくる気持ちもわかる」▼話を聞いて、中国では日本について、どう教えられているのか気になり、中国の小学校の歴史教科書を読んだ。北京原人から現代まで2百ページ、全編に渡り「愛国心」がにじみ、日本についての記述は日清戦争と抗日戦争が主で16ページ、否定的な日本像が描かれ、中国の若者達の反日感情の源を知った思いでショック▼16日教育基本法が単独採決で衆院を通過したが教育は国の根幹に関わる。参院では結論を急がす、時間数でなく実質審議を深めてと願う(大口国江)
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旭松食品中間決算
旭松食品(本店・飯田市)は16日、07年3月期中間決算を発表した。
納豆部門が好調に推移したことから連結売上高は87億1千万円(前年同期比2・4%増)、経常利益は固定費削減などで前年同期より30・1%増の5700万円。中間純利益は300万円となった。
部門別売上高は、凍み豆腐部門が21億9600万円(前年同期比3・4%減)、加工食品部門が20億4400万円(同5・3%増)、納豆部門が35億6700万円(同5・5%増)など。
通期予想は、売上高183億円、営業利益、経常利益ともに2億7千万円、当期純利益1億2千万円を見込む。 -
移動志昴会in飯島町
飯島文化館で12日、県議会の「移動志昴会in飯島町(県政報告会)」があり、ゲストの板倉敏和副知事が「防災-安心安全の地域づくり」をテーマに講演し、多くの町民が聴講した。
会長の保科俶教県議や上伊那郡選出の清水洋県議ら全6議員が出席、保科会長は「村井県政がどういう方向を向いていくのか、見守り、看視するとともに、施策を提言していきたい。地域に根ざした議会活動で、情報を公開し、意見を頂き、県政の中で具現化したい」と開催趣旨に触れてあいさつ。
この後、板倉副知事が「防災、安全安心の地域づくり」をテーマに講演。この中で、板倉副知事は「東海地震はいつ発生してもおかしくない。今世紀前半での発生が懸念されており、中部圏、近畿圏などの防災対策を早急に確立していく必要がある」と気を引き締め、消防団員の減少、サラリーマン化など消防団の現況にも触れた。 引き続き、防災や県政全般について、参加者も加わり、パネルディスカッションした。 -
立冬
7日は冬の気配が現れ始めると言われている二十四節気の一つ「立冬」。
月を通して強い寒気の南下がなかった10月は、中旬を中心に晴れて温かい日が続き、平年平均より1・8度ほど高い平均気温を記録。飯田の気象官署では、過去5番目に高い記録となった。
11月に入っても、しばらくは好天に恵まれていたが、長野地方気象台では、ぐずついた天気となった6日以降、徐々に寒気が入り込み、平年並みの寒さに戻ると予測。温かさが続いたこともあり、体感温度的にはかなり寒くなったように感じるという。 -
県中学駅伝で駒ヶ根東が男女大健闘
第17回長野県中学校駅伝競走大会は3日、松本市の信州スカイパーク陸上競技場内周回コースで男子106校、女子90校が激しい争いを展開し、男子は伊那松川(下伊那郡松川町)、女子は山辺(松本市)がいずれも2連覇を達成した。上伊那勢は、駒ケ根市の駒ヶ根東が男子2位、女子3位と大健闘した。駒ケ根市の赤穂は、昨年2位だった男子が11位に後退、女子は7位だった。
男子は6区間で、1区間がいずれも3キロ。
駒ヶ根東は1区で福沢潤一が、1位の松川と7秒差2位の好位置で宮脇千博に中継。主将の宮脇は区間賞の走りで差をさらに1秒縮めて3区小林純平へ。小林は松川を一気に抜き去り、10秒の差をつけて久保田光にたすきを渡した。久保田も区間4位の好走を見せたが松川につかまり、5区天野進、6区天野努も首位を奪い返すことはできなかった。
女子は5区間で、1区と5区が各3キロ、2縲・区が各2キロ。
駒ヶ根東は全員が区間6位以内に入る健闘を見せたが、1区篠田美樹、2区青木美智子、3区寺平稚博の実力派が序盤に予想以上の差をつけられたことから焦り、ペースを乱した。一方で1年生の活躍が目立ち、大会経験の少ない北原成美が4区で区間3位になり、故障から復帰した福沢志穂が5区で競技場に入ってから1人抜く勝負強さを見せるなど、来季へ期待をもたせた。
同中陸上部の竹田正樹監督は「男子は全員が設定タイムを上回る好走を見せたが、松川はそれ以上に良かった。女子は勝てるはずなのに、という気持ちが焦りにつながった」と分析。今大会で引退となる男子主将宮脇、女子同青木は「くやしい」と泣きじゃくりながらも1位校の強さと気迫を認め、来季の後輩による雪辱に期待していた。 -
第4回ワークショップ経営セミナー
上・下伊那の中小企業の体質強化につなげる経営改善研究会「第4回ワークショップ経営セミナー」(県経営者協会上伊那支部情報委員会など主催)が27日、飯田市の飯伊地域地場産業振興センターであった。製造業9社から約20人が出席した。
ショップ経営は、方針や目標の管理を小単位の「ショップ」に任せる自主管理の手段。
今回は、伊那テクノバレー地域センターのコーディネーター明石安弘さんを講師に迎え、部門別の仕事の責任・権限と情報のやりとり、部下を統率して経営目標を達成するショップ長の職務遂行能力基準などを研修した。
明石さんは、部門ごとの損益計算項目から、生産性を上げる考え方を示し「小改善を標準化して維持する。その責任の権限を明確にし、全員がショップ経営の状況を把握して改善に活用することが重要」と話した。また、ショップの利益を安定的に確保し、客が満足する商品やサービスを提供し続けるため、従業員が安全で働きやすい職場、やる気を持てる環境管理なども挙げた。 -
記者室
横浜の橘幼稚園の年長園児が今年も2泊3日の予定でアグリネーチャーに訪れ、自然を楽しんだ。幼子を2泊3日の旅に出すには親も勇気がいる。園に対して全幅の信頼がなければできない▼親なら誰でも、子どもの教師や学校を信頼したいと願うが、無条件に信頼できないという現実をしばしば、突き付けられる。信頼して、相談したことが裏目に出て、いじめのきっかけになった福岡県の中学教師はなにも特別の例ではない。以前、子供の面前で汚い言葉で罵り、体罰を与える現場を見て、あれでは、子供達に「いじめてもいい」と免罪符を与えるようなものと感じた▼良くも悪くも教師の一言は重い。たった一言が生徒の未来を広げ、たった一言が未来を摘み取る事も(大口記者)
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高校サッカー県大会準々決勝 伊那北・松商に惜敗
サッカーの第85回全国高校選手権県大会は21日、準々決勝4試合を南長野運動公園球技場(長野市)など2会場で開き、伊那北は0竏・で松商学園に敗れた。
前半の失点を追う伊那北は後半9分、右サイドにスピードのあるFW村田大地(2年)を投入。中盤を支配する松商に対し、村田は素早い飛び出しと、粘り強いドリブルでチャンスをつくるが、得点にはつながらなかった。
「守りを中心に流れの中で得点」を目指し、守備的布陣で強豪の松商を1失点に抑えたことに杉田勝徳監督は「守備は上出来だった」と称賛。「ここまで(ベスト8)くる力はなかったのに、気持ちでは負けていなかったので勝ち進めた」と大会を総括した。
○…1、2年生中心の新チームを支えたのは、精神的支柱となった、久保田雅子マネージャー(3年)の存在だった。同学年チームでは達成できなかった決勝・準決勝の会場、「アルウィン」進出の夢を託したが叶わなかった。
DF倉田直樹(2年)主将は「マネージャーのために勝ちたかったが、オレたちの頑張る姿を最後に見せれてよかった」。久保田マネージャーは「負けたけど嬉しい。こんな素敵なチームはない」と目を赤くして微笑んだ。 -
女性起業セミナー始まる
県商工会連合会南信支所の女性起業セミナーが17日、伊那市の西春近商工会館で始まった。セミナーは24日までの3回で、創業を目指す女性を支援する。
申込者は上伊那の20縲・0代の女性18人で、3分の2がエステや飲食など具体的に創業を計画している。セミナーでは、ビジネスプランの作成、開業手続きと支援策などを学ぶ。また、地元の若手起業者から起業の経緯や起業して気づいたことなど体験談を聞く場も設けている。
初回は、経営コンサルタントの星井あき子さんが創業の心構え、マーケティングの基本を講義。
星井さんは、ビジネスを始めるアイデアは▽自分が得意とすること▽生活で不便だと感じていること竏窒ネど身の回りを見渡すとヒントがあるとし「既存と同じことをやっても、そこに客は魅力を感じない。事業のプロセスから一部を取り出したり、ばらばらで提供されている商品やサービスを統合したりと付加価値をつけ、差別化を図る」と事例を挙げながらアドバイスした。
セミナーは本年度からの取り組みで、下伊那に続いて開催。県商工会連合会は、シニアアドバイザー事業として、創業を目指す人などに、専門家の個別派遣(3回まで無料)の活用を促している。
問い合わせは、南信支所シニアアドバイザーセンター(TEL0265・24・8406)へ。 -
歌のつどい
発足35周年を迎えた県内の声楽研究グループ「ベッラ・ヴォーチェ」は7日、県伊那文化会館で「歌のつどい」を開いた。2年ぶりの演奏会で、会員は日ごろの勉強成果を堂々と披露した。
今回はイタリアやドイツのオペラなどに加え、日本歌曲の良さを伝えたいと「紅葉」や「故郷」など「ふるさとの四季より」を盛り込んだ。
ソプラノ独唱が中心で、バリトン独唱、ソプラノ二重唱など14のプログラムを展開。会場に美しい歌声が響き渡り、一曲ごとに拍手が送られた。
メンバーは地元をはじめ、松本市、諏訪市、飯田市などの音楽教室の指導者や学校の音楽教諭など13人。「ベッラ・ヴォーチェ」はイタリア語で「美しい声」を意味し、月1回、東京芸術大学名誉教授岡部多喜子さんの指導を受けている。
岡部さんは「一人として同じ声はない。その人の特徴を生かしながら、楽しく、一生懸命歌っている」と話した。 -
記者室
最近の北朝鮮の動きを見ていると、国際社会の中で孤立し、国際連盟を脱退し、やがて、第二次大戦に突入した時の日本に似ているようで非常に怖い▼小、中学生時代、ユネスコを通じた米国の支援で学校給食が行なわれ、脱脂粉乳とパンのお世話になった。あの給食でどれほど多くの子どもたちが命をつないだことか。そのためか原爆を投下した米国に対してそれほどの悪感情を持たなかったような気がする▼同じ事を北朝鮮に対してできないだろう。米国の脱脂粉乳と小麦粉を食べて生き長らえた世代が1キロづつ拠出し、飢えに苦しむ北朝鮮の子どもたちに民間レベルで米を贈る。政府の制裁決議とは別に、民間は太陽作戦で、関係修復というのは夢物語だろうか(大口記者)
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ふるさと史跡探訪に30人
駒ケ根市の赤穂公民館・駒ケ根青年会議所共催のふるさと史跡探訪が1日あり、30人が参加し、北は宮田村の北の城公園、南は中川村の大草城址公園まで伊南4市町村6カ所を巡り、各施設の専門講師の話を聞き、郷土の歴史に理解を深めた。
このうち、飯島陣屋では代官しか入れなかった玄関から上がり、書役の部屋で、学芸員の丸山浩隆さんは「陣屋の掟では展示物は手で触れてお確かめ候となっている」と説明。 参加者は早速、江戸時代の長持ちや文箱のふたを取って、中身を見たり、5つ玉のそろばんをはじくなどした。
また白州では「お芝居の白州よりも狭い」と感想を。責め道具「せめ板」に座り「痛い、痛い」と悲鳴を上げるなど、江戸時代にタイムスリップして、陣屋を楽しんだ。 -
第3回ワークショップ経営セミナー
県経営者協会上伊那支部情報委員会など5団体が主催する経営改善研究会「ワークショップ経営セミナー」の第3回が29日、飯田市の飯伊地域地場産業振興センターであった。上・下伊那の製造業6社、約20人が出席した。
ショップ経営は、方針や目標の管理を小単位の「ショップ」に任せる自主管理の手段で、生産性の向上や採算性の改善などを図り、企業の体質強化につなげるもの。
今回は、各社の小単位分けの進ちょく状況の発表、部門損益指標の考え方などの研修があった。
産業クラスターマネージャー松島信雄さんはショップ経営の推進について▽決算の結果がショップごとに出て、経営参画意識が高まる、改善点が見えてくるなど従業員のやりがいにつながる▽業務をやりやすくする竏窒ネど経験を交えながら利点を話した。
各社の進ちょく状況では「体制の見直しで、効率よくするために、どう分けるのかネックになって具体的に進んでいない」「2部門が入り乱れている。営業経費がわかる仕組みにしたい」など発表。コーディネーター明石安弘さんは「品質管理できることを考えてグループ分けするといい」など1社ごとにアドバイスした。 -
「天竜川水系健康診断」84河川・99カ所で補完調査
民間中心の企業・団体が水質検査をする「天竜川水系健康診断」が28日から始まった。初旬予定が天候不良で中止となり、測定回数、場所などを変更しての取り組む。リサイクルシステム研究会(向山孝一会長)などが主催し10回目。
これまでの水質調査結果をまとめるにあたり、今回は補完することを目的に調査。諏訪湖から遠州灘に至る水系を対象に、今まで調査のない河川を含む84河川、99カ所を、40企業・団体の110人が10月1日までに1回測定する。
毎年参加の上伊那農業高校生は、従来の24時間・2時間おきの13回連続観測をした。伊那市の小沢川で、午前10時から測定を開始した。測定値を初回と正午で比べると、COD(化学的酸素消費量)が8以上から4に減ったことが分かり、「朝の生活排水が流れ込んだ影響があったのでは」と分析した。
生産環境科3年生の阿部玄太さん(17)ら3人は、水質向上に向けて、下水道の完備や、自分たちで川のごみ拾いをすることが必要だと話していた。 -
第18回光風会工芸部長野支部展
伊那市の県伊那文化会館で10月1日まで、第18回光風会工芸部長野支部展が開かれている=写真。陶芸、七宝、染色などの一線で活躍する県内作家の作品約60点が、訪れた人たちの目を楽しませている。
隔年で開催する支部展を県伊那文化会館で開くのは3回目。東京都美術館で開かれる光風会展に出展した作品が中心で、一人が1、2点を出展ている。
1912年から続く光風会からは、多数の著名作家も輩出されており、若手からベテランまでが活躍している。各作家は、作品製作を通して新らたな分野に挑戦しており、個性豊かな作品が並んでいる。
和泉清支部長は「地方ではなかなか見られない大きな作品もそろっているので、ぜひ大勢の人に見に来てほしい」と話していた。
入場無料。午前9時縲恁゚後5時(最終日は午後4時まで)。 -
中病で第1回長野メディカルラリー
第1回長野県病院前救急初療競技会(長野メディカルラリー)が23日、伊那市の伊那中央病院であった。県内の病院関係者、消防署員でつくる8チームが出場し、救急の模擬現場を体験した。
これは、救急初療にかかわる医師・看護師、救急隊の連携を深め、地域の救急医療の推進を図るとともに、医師や看護師に救急現場を体験してもらうねらい。
競技会では交通事故、集団災害、山林での事故など実例に基づく4つのステーションを用意。1チーム4人で、各現場の状況に応じて対処し、医師や救急救命士が現場の安全、負傷者の観察、応援要請、感染防御などの基準で採点した。
乳児がかぜで病院に向かう途中、運転手が低血糖で自動車が病院駐車場の塀にぶつかった。乳児の母親は日本語が通じないという設定では、交通事故と間違えるチームが目立った。
終了後、ステーションの解説があり、参加者は現場での見落としや対処方法など改めて気づく場面も。
飯田広域消防の救急救命士は「訓練ということで、現場の把握がしづらかった。疑問を持ち、情報収集しなければと思った。落とし穴にはまったが、これを現場で生かしたい」と話した。
メディカルラリーは全国的に開かれており、参加経験を持つ伊那中央病院の北沢公男医師が救急技能の向上に役立てたいと、賛同する病院・消防署関係者で実行委員会を組織、打ち合わせを重ねて開いた。実行委員会は来年以降も続けたいとしている。