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飯島町国民保護協議会
飯島町は20日、飯島町国民保護協議会(会長・高坂町長、19人)を設置、武力攻撃事態などにおける国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)に基く飯島町国民保護計画の策定について諮問した。
国の国民保護法、事態対処法の制定を受け、町は6月定例会で町国民保護協議会条例、町国民保護対策本部及び緊急対処事態対策本部条例を制定。町防災集会室で開いた初会議で県や町、警察、消防、公共機関、医療機関など19人を委員委嘱した。
この後、国民保護法制の概要や町国民保護計画(素案)の概要について説明を受け、協議した。
町国民保護計画(素案)は総論、平素からの備えや予防、武力攻撃事態等への対処、復旧、緊急対処事態への対処の5編からなり、総論には基本理念、町の責務、基本方針のほか、対象とする事態を▽着陸上侵攻▽ゲリラ、特殊部隊による攻撃▽弾道ミサイル攻撃▽航空攻撃-とした。
平素からの備えや予防には、組織体制の整備、避難、救援及び平素からの備え、物資や資材の備蓄、整備-などを挙げた。
武力攻撃事態等の対処には▽警報、避難の指示▽避難住民の誘導▽救援▽武力攻撃災害への対処-などを盛りこんだ。
今後、12月までに委員や住民の意見を取りまとめ、県との意見調整を行なう。素案を修正し、2月、第2回協議会で協議、答申する。3月、県の承認を得て、議会に報告、公表する予定。 -
勝山織物飯島きぬの里、志村明代表(53)、
飯島町飯島の勝山織物飯島きぬの里は、代表の志村明さんを中心に、釜田友紀さん、秋本賀子さん、永長ゆう紀さんの4人で、養蚕から、製糸、織まで一貫して、絹織物を生産する全国的にも、ほかに類をみない工房だ。
きぬの里が町内の空家を借り、生産をスタートしたのは4年前。 4人の出会いは、さらに数年遡り、志村さんが10年間、講師を務めた愛媛県野村町(現西予市)の野村シルク博物館の染織講座、繭からの糸づくり、染色、手機織りまでに全工程を習得し「シルクにかかわる仕事をしたい」と、意気投合した。
野村町はかつて西日本有数の養蚕地帯だったが、湿度が高いため、糸の節が上がりやすく、絹織物生産には最適とは言えなかった。 自然環境のいい場所で絹織物を続けようと、場所を探した。湿度が低く、歴史的に良質な繭が生産されていた蚕飼いの里、伊那谷に着目し、飯島町の空家を借り、生産拠点を構えた。空家は改修が必要なため、京都西陣の勝山織物の資金提供を受け、3年前から本格稼働を開始した。蚕を飼い始めたのは2年前から。かつて養蚕地帯だった飯島町も、繭価格の低迷や後継者不足、安価な輸入品や化学繊維との競合に勝てず、養蚕農家は激減、今では1軒だけ。
「このままでは、最高品質の繭を生産する日本の養蚕の技術、道具など全てが無くなってしまう。まず、自分たちが使う、良質の繭を自分たちで生産しよう」と、県新規就農里親研修制度を利用し、以前、養蚕をしていた宮沢八千代さんに指導を受けた。
赤坂で桑園4アールと蚕室用にハウスを借り、春、夏、秋の3回、合わせて7箱を飼育、成長、脱皮を繰り返し、約8センチに生育、体が透き通ると、まぶしに入れる。糸を吐き出し、数日で繭になる。
生産した繭は冷蔵したり、長期保存するために約1週間塩漬けした後、座繰器を用い、糸を引き出し、枠に巻き取る。天然染料で染め、経糸の長さをそろえ、機に掛け織り上げる。
織り上がった布は、湯通し、天日干し、さらに木槌で叩いて風合いを出す。製糸から仕上げるまで、最低でも1カ月から1カ月半かかるとか。
秋本さんは「蚕の個体差が大きく、おやといなどのタイミングが難しいが、繭は節が上がり難く、格段に品質の良い繭が出来た」と話す。
代表の志村さんは「着物産業が縮小する中で、素材を重要視し、最高品質の物を作りたい、需要は少ないが、必ずある。日本から養蚕がなくなることは、日本では最高級の絹織物が出来なくなること。『なくしていいのか』という危機感もあった。養蚕から、織りまで全工程を行なうことで、時代の変化を回避できるのでは」と話す。 -
冬の鉢花の女王、シンビジューム出荷始まる
飯島町岩間で冬を華麗に彩る鉢花の女王、シンビジュームの出荷が本格的に始まった。
ピンクの直立系を中心に数10種類、1万7000鉢を生産する小林洋蘭園(小林千晃園主)では、現在、ピンク系中輪の「エレガントピンク」「ハレルヤ」、大輪の白花「シークレットラブ」など10種類が関東方面に送られている。ピークは11月末から12月中旬で、毎週1500鉢が出荷される。
今年の新品種は「エレガントピンク」「ピンクペチュエル」など桜色が中心。
近年、人気があるのは花付きのいいキャスレード系、コンパクトで飾りやすいテーブルシンビジューム、豪華
なアーチタイプとか。 小林さんは「シンビジュームは丈夫で長持ち。贈答にも最適」と話す。
23縲・6日まで七久保の道の駅花の里いいじまで飯島産のシクラメンや洋蘭の展示即売会があり、産地ならではの特別価格で販売される。
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冬の鉢花の女王、シンビジューム出荷始まる
飯島町岩間で冬を華麗に彩る鉢花の女王、シンビジュームの出荷が本格的に始まった。
ピンクの直立系を中心に数10種類、1万7千鉢を生産する小林洋蘭園(小林千晃園主)は現在、ピンク系中輪の「エレガントピンク」「ハレルヤ」、大輪の白花「シークレットラブ」など10種類が関東方面に送られている。ピークは11月末から12月中旬で、毎週1500鉢が出荷される。
新品種は「エレガントピンク」「ピンクペチュエル」など桜色が中心。近年、人気があるのは花付きのいいキャスレード系、コンパクトで飾りやすいテーブルシンビジューム、豪華なアーチタイプという。
小林さんは「シンビジュームは丈夫で長持ち。贈答にも最適」と話す。
23縲・6日、七久保の道の駅花の里いいじまで、飯島産のシクラメンや洋蘭の展示即売会があり、産地ならではの特別価格で販売される。 -
井口(旧姓小林)深雪さんが講演
飯島町の飯島中学校で15日、今年3月イタリア・トリノで開催されたパラリンピックの金メダリスト、井口(旧姓小林)深雪さん(33、視覚障害者=を招き、教育講演会を開いた。全校生徒と保護者約百人が聴講した。
講演に先立ち、プロジェクターでバイアスロン競技について理解を深め、トリノパラリンピックでの井口さんの活躍を映したビデオを鑑賞した。また、壇上で、10メートル離れた位置に腹ばい、2・5センチの的を打つバイアスロン射撃を実演、見事的中させ、並外れた正確さと集中力に感嘆の声が上がった。各学年の代表生徒3人と小林孝行教諭も挑戦、惜しくも的中できず、競技の難易度の高さを示した。
「私の歩んだ道」と題した講演では盲学校での恩師との出会い、バイアスロンを始めたきっかけから話し始め、トリノのロングで金、ショートで銀の2個のメダルを取れたことに触れ「23歳から目標を持ち、10年掛けて、頑張ったことが結果につながった。目標を達成するには時間が掛かる。メダルを取ったのは自分だが、両親の思い、ガイドの小林卓司さんや恩師、裏方で支えてくれた色々な人のお蔭で取ることができた。自分1人の力では勝つことはできない」と話し「友だちを大切に、両親とよく話し、夢や目標に向かって、一生懸命頑張り、やり抜いて」と呼び掛けた。 -
日本初のサツマイモ入りうどん「こがねうどん」を開発、17日発売
飯島町の食品製造、販売、飲食業の有志でつくる「さつまいもゆめプロジェクト(斉藤俊陽代表、4人)」はサツマイモをつなぎとして練り込んだ乾めんを開発、「こがねうどん」のネーミングで17日から、1800袋限定で販売する。町内で栽培されている焼酎用のイモ、こがねせんがんを用いたうどんは、サツマイモ独特の自然の甘みと色、もちっとした食感が味わえるご当地うどん、食材やギフトとして、期待が高まっている。
共同開発したのは、食品製造の斉藤俊陽さん、料理店の伊藤昇志さん、酒類販売の池上明さん、食品販売の富永芳一さん。
昨年から、サツマイモの焼酎以外の二次的活用として、日本の食文化、めん類に着目し、県工業技術センター加工食品技術員や製粉業者の指導を受けながら、研究を重ね、課題のあく抜きを克服し、保存がきき、商品として扱いやすい乾めんに仕上げた。
製粉と製造は長野市の食品会社に委託した。商品パッケージは水彩画家、佐々木桂子さんが描いた「こがねせんがん」を用いた。
企画開発を担当した富永さんは「ほのかに甘みがあり、こしがあっておいしい。市場の反応を見ながら、販路拡大など次の展開を考えたい」と話している。
ちなみに価格は1袋(250グラム)480円。メンバーの店舗で販売する。
詳細はヤナギヤ(090・4460・0841)マルイチフード(TEL86・3260)天七(TEL86・3055)、池上酒店(TEL86・2011) -
飯島で住宅火災
13日午後9時50分ごろ、飯島町飯島南町の自営業宮脇重治さん(71)方から出火。木造瓦ぶき一部2階建て住宅の2階部分29・7平方メートルを焼いて午後11時15分に鎮火した。けが人はなかった。
駒ケ根署は風呂場の煙突付近から出火したものと見て原因を調べている。 -
移動志昴会in飯島町
飯島文化館で12日、県議会の「移動志昴会in飯島町(県政報告会)」があり、ゲストの板倉敏和副知事が「防災-安心安全の地域づくり」をテーマに講演し、多くの町民が聴講した。
会長の保科俶教県議や上伊那郡選出の清水洋県議ら全6議員が出席、保科会長は「村井県政がどういう方向を向いていくのか、見守り、看視するとともに、施策を提言していきたい。地域に根ざした議会活動で、情報を公開し、意見を頂き、県政の中で具現化したい」と開催趣旨に触れてあいさつ。
この後、板倉副知事が「防災、安全安心の地域づくり」をテーマに講演。この中で、板倉副知事は「東海地震はいつ発生してもおかしくない。今世紀前半での発生が懸念されており、中部圏、近畿圏などの防災対策を早急に確立していく必要がある」と気を引き締め、消防団員の減少、サラリーマン化など消防団の現況にも触れた。 引き続き、防災や県政全般について、参加者も加わり、パネルディスカッションした。 -
町発足50周年記念、子ども議会
近い将来、町を担う小・中学生と、現在の担い手である大人が一緒になってこれからの町づくりを考える飯島町発足50周年記念事業、「子ども議会(横山今日子議長)」が12日、議場であった。町内3小中学校の代表児童、生徒ら18人が議員になり、理事者や町幹部に質問をした。
質問は環境問題や防災対策、産業振興、財政など町政の広範な課題をはじめ、小・中学生ならではの視点に立った福祉問題を取上げ、率直に質した。答弁に立った高坂町長は、子どもたちに理解できるようにと、言葉を選びながら、丁寧に答弁した。
このうち、自然保護・環境問題は関心が高く、山田菖平君(飯中2年)、大嶋一輝君(七小6年)、堀越咲良さん(飯小5年)、高橋知世さん(飯小5年)がそれぞれの切り口でごみの減量化や、自然を守る方策について質問。高坂町長は「分別収集の徹底や、ごみゼロの日の実施」など具体的に答えた。
また、松村源貴君(飯中2年)は7月の豪雨災害を挙げ「大災害を想定し、どのくらいの備蓄物資があるのか」と質問。高坂町長は米や毛布など品目毎の備蓄数を示し「人口の5%、500人分の備蓄がある」とした。
来春、中学生となる伊藤友梨亜さん(七小6年)は「中学の制服をかわいいデザインにして」と女子ならではの切実な訴えには「そういう意見が多くあれば、検討委員会をつくり検討したい」と優しく答えた。「50周年記念にタイムカプセルの埋設」を提案した久根美奈子さん(七小5年)に対する答弁は「学校で検討してほしい。場所の提供は可能」と前向き答弁をした。
16議員の質問終了後、副議長の松田慧さん(飯小6年)が「笑顔でふれあいがいっぱいのあたたかい町をつくる要望書」を提案、全会一致で採択、閉会した。
この日の子ども議会で出された意見、要望は可能な限り行政運営に生かされる。 -
飯島写楽会が「発足20周年記念写真展」
飯島町の写真愛好グループ「飯島写楽会(矢亀政美会長、10人)」は七久保の道の駅、花の里いいじまで「発足20周年記念写真展」を19日まで開いている=写真。
各地の桜や紅葉、ユリの花咲く富士見高原、秋の千人塚公園、本郷のそばの花など風景や動植物、自然、生活、祭りなどを写したA1から4つ切まで60点を展示した。
矢亀会長は「10人10色の個性的な写真を見て欲しい」と来場を呼び掛けている。
同会は隔月で例会を開き、作品を持ち寄り互いに批評し合ったり、年1回、県内外で撮影会も行なっている。現在、新規会員を募集している。
詳細は矢亀さん(TEL86・4808) -
河川パトロール、中田切川沿いで
飯島町は9日、河川に不法投棄されている廃棄物の早期発見と回収を目的に、巡回パトロールを行った。町や伊那建設事務所、上伊那地方事務所、駒ケ根署員ら6人が以前不法投棄のあった中田切川沿いの2カ所を重点的にパトロールした。
このうち、町道久根平線沿いでは、道路沿いのやぶの中に、空き缶やペットボトル、弁当くずなどのごみでごみ袋はたちまちパンパンに膨れ上がった。
また、田切グリーン工業団地周辺の河川敷でも、投げ捨てられた空き缶やビニールを拾うなど、2カ所で約20キロの可燃ごみ、空き缶などを拾い集めた。
道路沿いの数カ所には赤い鳥居が設置され、その付近にはさすがにごみは無く、役場住民福祉課の春日学さんは「鳥居の効果は大きく、以前よりもごみを減っている」と話していた。 -
桃沢さんの梨園で、梨の学習
飯島町飯島小学校4年1組(湯沢滋教諭、33人)は9日、本郷の桃沢匡行さんの果樹園で、梨づくりの話を聞いた。
同学級は総合的学習の一環として、町内の片桐文雄さん宅から、二十世紀梨の一枝を借り、花摘みから摘果、袋掛け、収穫販売まで、一連の梨づくりを体験し、学習のまとめとして、梨づくり名人、桃沢さんから話を聞いた。
子どもたちは桃沢家が普及させた盃状式仕立て方の特徴について質問、桃沢さんは「木の自然の性質を生かし、無駄な枝が出ないように工夫した。収量も多くなった」と答えた。
また、「伊那谷でなぜ、二十世紀梨が栽培されるようになったか」については「かつて、伊那谷は養蚕が盛んだったが、昭和の初めに繭価格が暴落し、それに代わるものとして、果樹栽培が始まった。夏、乾燥し、土地が肥え、黒斑病などが病虫害の発生が少なく、梨栽培に適しているから」とした。
このほか、花粉つけはどうするのか、ほかにどんな果樹を栽培しているのか、天皇陛下が視察に来た時の様子などを聞いた。 -
飯島町育樹祭に150人
ピリと冷えこみ、カラっと晴れた8日、飯島町飯島寺社平町有林で06年度飯島町育樹祭があった。町内2小学校のみどりの少年団、飯島中学校環境委員会の合わせて60人をはじめ、議会や各種団体、林業関係者ら150人が参加、森林学習やヒノキの枝打ち作業を通じて、森林の持つ恵みに感謝し、健全な森を次世代に引き継ぐ気運を高めた。
開会式に続き、児童・生徒は町や上伊那地方事務所林務課職員を講師に「森の学校」、林や木を見ながら森林の持つ多面的役割や、緑の大切さを学んだ。
一方、大人たちは11年生のヒノキ林0・3ヘクタールで、10年後、20年後に見事な美林に成長することを夢見ながら、枝打ち作業。手の届く高さまでの枝を太いものから、細い小枝まで、1本残さず丁寧にのこぎりで切り落とした。
約1時間の作業に汗した後、森林浴をしながら、町が用意した昼食を囲んだ。 -
宮下啓さん(82)飯島町南仲町
飯島町の遺族会長や上伊那遺族会副会長を歴任するなど、多年にわたり、戦没者遺族の援護のために尽力し、県戦没者遺族大会(10月25日、須坂市開催)で、県知事表彰を受賞した。
「兄をニューギニアで、サイパン島やパガン島で多くの戦友を亡くした。命ある限り、慰霊を続け、遺族の相談に乗っていきたい」。
1924年飯島町生まれ。41年、19歳で海軍に志願、鈴鹿航空隊に入隊。海軍通信学校で通信、暗号の訓練を受け、大湊航空隊の配属となった。44年2月サイパン島に渡り、周辺諸島を偵察中に、サイパン島は米軍の攻撃を受け、帰着できず、近くのパガン島に不時着。不時着したとたん、米軍機30機の猛攻を受けた。「足と手に爆弾を受け、命からがら、飛行場をはいずって逃げた」。以後終戦の45年8月まで1年4カ月、米軍の攻撃にさらされながら、ネズミやトカゲ、カタツムリ、ブタイモを食べて命をつないだ「戦死と戦病死、栄養失調で400人が200人になった」。終戦と同時に武装解除させられ、米軍から戦利品の米が渡された「1年5カ月ぶりの米の飯で全員が下痢をした。腹の中はすっかり野生化してしまっていた。かゆから慣らした」。46年10月初旬、戦友の遺骨を抱いて復員船で内地に戻った。しばらくは結核と栄養失調のため家で療養した。その間2回手術と受け、腕や足に受けた破片を取り出した。
48年、兄(克己さん)の戦死公報が届いた。東部ニューギニアで44年9月3日に亡くなっていた。「兄は戦闘機乗りだったので、覚悟はしていたものの、どこかでという思いは捨てきれかった:」
上伊那遺族会長まで務めた父(良蔵さん)が77年に亡くなり、遺族会の仕事を引継いだ。遺族会副会長、会長、上伊那副会長と遺族会に30年間かかわった。相談員も12年間務め、遺族のさまざまな相談に乗ってきた「遺族が和やかに暮らすことが英霊に対する1番の慰めになる」という。
1昨年夏、ニューギニアに慰霊巡拝の旅に出掛けた。「現地人の案内で密林に入り、1メートルも掘ると、草の根、木の根にからませながら、日本軍の兵士が小銃を肩に立てかけた、そのままの姿で横たわっていた。水辺では水を求めて、もう一歩のところで息絶えた英霊もいた。そういう悲惨な状態を目にしても、どうしてやることもできない。ただ慰霊を続けるだけ」と話す。
妻と2人ぐらし(大口国江) -
七久保地区文化祭
飯島町の七久保公民館は5日、七久保地区文化祭を七久保林業センターで開いた。区内の保育園児、小・中学生や各種文化団体などによる書道、絵画、アレンジフラワー、生け花、盆栽、俳句などの作品が会場いっぱいに展示され、訪れた区民らの目を楽しませた=写真。会場前の広場では焼肉の食べ放題や商品交換会、宝投げなどが催されたほか、豚汁が無料で振る舞われ、多くの来場者で終日にぎわった。
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与田切公園でマレットゴルフコース整備
冬期間(12月縲・月)閉鎖される飯島町の与田切公園をマレットゴルフコースとして有効活用しようと6日、与田切公園芝生広場などで、マレットゴルフ愛好団体でつくる利用団体連絡協議会(小林真直会長)役員ら24人がカップの位置決めや芝の切り取り、玉止などの準備作業に精を出した。9日には構成員40人余による本格的なコース整備を行ない、アウト9ホールパー36、イン9ホールパー36を完成させ、10日のオープンに備える。
参加者はカップ位置の芝生を円形に切り取り、深さ30センチ余の穴を掘り、カップを埋めた。川に近いため、石も多く、スコップやバールでこじるなどして石を取り除いた。
また、OBラインに沿って、間伐材で玉止をしたり、古いはざ足を使って、ツツジの植え込みにボールが飛び込まないように柵も結った。
南町の古沢寅吉さん(85)は「今までは、冬場は町外に出掛けていたが、これからは近くでプレーできる。健康づくりのため、仲間を誘って、大いに利用したい」と話していた。
10日オープン、26日はオープン記念大会を予定する。 -
七久保浄化センター安全祈願祭
飯島町は2日、七久保新屋敷の現地で、町や上下水道運営協議会委員、施工業者ら約60人が出席し、公共下水道七久保浄化センターの安全祈願祭を行ない、工事中の無事故と期限内完成を祈った=写真。
七久保浄化センターは敷地面積約3000平方メートル、管理棟(床面積32平方メートル)移動脱水車棟(床面積223平方メートル)を建設。水処理はPCD(オキシデーションディッチ)方式、処理能力1日800立法メートル、対象地区は七久保区の北街道、南街道、新屋敷、新田、針ケ平など、計画人口1700人。汚泥処理工程で県下で初めて、生物処理による減量化システムを導入する。 -
冬場の与田切公園をマレットゴルフで有効活用
冬期間(12月縲・月)閉鎖される飯島町の与田切公園をマレットゴルフコースとして有効活用しようと2日夜、与田切公園冬季マレットゴルフコース利用団体全体会議が役場であった。町内マレットゴルフ愛好11団体の代表が出席し、利用団体連絡協議会を立ち上げ、公園を管理する町振興公社(理事長・高坂町長)と利用と管理に関する覚書を交わした。6日、9日協議会がコース整備し、10日から開放する。
全体会では飯島マレットゴルフ愛好会の小林真直会長が「町内には冬季使用できるコースがなく、冬期間閉鎖されている与田切公園を利用できないかと、研究してきた。芝生広場や多目的広場は日当たりが良く、コースに適している。打ち出し板やカップなど手作りできる」と経過説明。町振興公社の折山誠事務局長は「高齢者の冬場の運動、親ぼくの場として、与田切公園を住民協働でコース整備し、有効活用することは町としても望ましい。除雪などできるだけ協力したい」と町の考えを説明し、公的施設を特定の人が一定期間占用するについて、責任の所在の明確化が必要とし、連絡協議会設立を要請した。
これを受け、連絡協議会規約を決め、会長に小林真直さん、同副に大野茂さん、竹沢一成さんを選んだ。
また、「利用並び管理に関する覚書」について協議し、覚書には▽協議会は期間中適切な利用と維持管理に努め、春には公園機能を失うことのないように原形に復する▽開放期間は11月10日縲・7年4月10日▽開放場所は野外ステージ周辺芝生広場、多目的広場東端と周辺園路、トイレ▽コース設置品は期限内に撤去する▽利用者の限定-などを盛りこんだ。 -
伊那谷初の無暖房・低燃費住宅一般公開
飯島町の井坪建設が施工した伊那谷初の無暖房・低燃費住宅が完成、3、4日駒ケ根市福岡のモデル分譲地区で一般公開している=写真。
この住宅は壁面30センチ、床下35センチ、屋根35センチの厚さの発泡スチロール板を敷き詰め、開口部はペア樹脂サッシをはめ込んだ高断熱、高気密仕様。
同社は信州大学の山下恭弘教授が主催する「信州の快適な住まいを考える会」の一員として、原油価格高騰や環境に配慮し、無暖房、低燃費住宅を研究。実験棟での実証実験の成果を受け、モデル住宅を建設し、光熱費や温熱環境のデータを蓄積し、本格的取り組みのステップとする。
また、モデル分譲地の一角に無暖房仕様のエコマンションを2棟建設、同時に公開している。
駒ケ岳SA南のモデル分譲地は全6区画、85坪縲・4坪、無暖房住宅を建築する条件で、400万円の特別価格で販売中。
4日の一般公開は午前10時縲恁゚後5時。詳細は井坪建設(TEL86・8778) -
JA上伊那飯島支所農業祭にぎやかに
JA上伊那飯島支所の第11回農業祭は3、4日、飯島支所などで開催。好天に恵まれた初日、農産物品評会、演芸大会、テント村、農機具・自動車展示即売など多彩なイベントが繰り広げられ、町内外の買い物客で終日にぎわっている。
手芸や生花が並ぶ「はなみずき展」、町内小中学生書道、絵画展など各展示会場には多くの人が足を運び、知人や家族の作品に足を止めていた。
特設ステージでは多数の賞品が用意された宝投げが行われ、アフリカンドラムや飯島中学校吹奏楽部の演奏などが祭を盛り上げた。
4日は宝投げは午前11時15分、午後3時15分の2回。ステージでは午前10時からお陣屋太鼓、大声大会(子どもの部)、午後1時30分から、大声大会(大人の部)、リズム体操、大正琴の演奏などを予定する。 -
長編劇映画「Beauty-美しきもの」がクランクイン
飯島町在住の後藤俊夫監督(67)がメガホンを取る長編劇映画「Beauty-美しきもの」が2日、飯島町岩間でクランクインした。
初日の撮影現場は伊那谷伊那路村を想定した飯島町岩間の半次の家のセット。後藤監督、主役の高橋平君(11、東京都)をはじめ、スタッフ、俳優ら約50人が参加した。高橋君が扮する少年半次が、こけしを仕上げ、山道を元気に駆け下る映画の最初のシーンと、半次の祖父で木地師、半造役の井川比佐志さん(69)が家でろくろを回し、木地をつくる場面を撮った。
西山際に作られた半次の家のセットは、古い倉庫を改装したもので、石置き屋根で、古びた引戸と、水車もあり昭和10年代の民家を彷彿させる出来映え。
本番を前に、井川さんは南木曽町伝統工芸協会の木地師からろくろの扱いについて、指導を受けるなど、役づくりに熱心に取り組んでいた。
撮影終了後、後藤監督は「タイトルが『村歌舞伎一代』から『ビューティー』に変更になり、なじめないところもあろうかと思うが、伊那谷の美、ふるさとの美、村歌舞伎を継承しようとする魂の美しさが表現できれば。地方歌舞伎は11月の紅葉、2月の雪、5月の緑と、自然の美しさをバックにあった。撮影は長期にわたるが、俳優、スタッフが創意を持ち、いい作品にしたい」。高橋君は「ぞうりで走ることは大変だった。これからも大変なことがあると思うが、貫き通したい」。井川さんは「伊那谷は初めて。息子や孫をむざむざと戦地に送り出す肉親の辛さを画面を通じて感じてほしい」と話していた。
今後のスケジュールは19日午前8時30分から、大鹿村大碩神社舞台で飯島町民ら約百人がエキストラで出演し、歌舞伎シーンを撮影する。
完成は07年8月ころ、07年末か08年初、全国公開の予定 -
伊南行政組合議会第5回臨時会
伊南行政組合議会は2日、第5回臨時会を開いた。伊南行政組合消防本部・北消防署の建築工事請負契約の締結と、契約に伴う一般会計補正予算について審議、採決し、いずれも原案通り可決して閉会した。
消防本部・北消防署の完成時期は当初計画していた08年から1年前倒しして07年10月としている。庁舎は鉄骨2階建てで述べ床面積は約1630平方メートル。訓練塔2棟、駐輪場を含めた工事一式の契約金額は3億2865万円で、業者は指名競争入札により赤穂・小澤・富貴屋建設共同企業体。機械設備工事は光洋設備で契約金額は5229万円。電気設備工事は小林電気商会で契約金額は5282万円。
一般会計補正予算は歳入歳出にそれぞれ2290万円を追加、総額18億6079万円となる。 -
伊南行政組合議会議員定数削減へ
伊南行政組合議会の議員定数等検討委員会(北澤洋委員長)は2日開いた議員全員協議会で、議会を構成する伊南4市町村の各定数からそれぞれ1を削減し、現行の合計21を17とする議員定数削減案を示して議員の理解を求めた。これにより各市町村別の定数は駒ケ根市7、飯島町4、中川村3、宮田村3となる。新定数の適用時期は07年4月30日が適当としている。
今年2月に設置された議員定数等検討委員会は削減の必要性や削減数などについて各市町村議会の意見を参考にしながら検討してきた。 -
飯島町民生児童委員協議会が全国表彰
飯島町民生児童委員協議会(横田克年会長、24人)はこのほど、徳島市で行なわれた全国民生児童委員大会(26日、マスティー徳島で開催)で優良民児協として全国表彰を受賞した。県内では2カ所のみ。
1日、役場に横田会長と奥田富子副会長が訪れ、高坂町長に喜びの報告をした。
同協議会は毎月定例会で事例研究を行なうなど積極的に活動するとともに、主任児童委員を中心に「子育て支援ネットワーク」「地域支援チーム」「おしゃべりいずみの会」を開催し、児童問題などを地域全体で取り組み、子育て支援に効果を上げている-などの活動が認められた。
横田会長は「今までの各委員の長い地道な活動、努力が報われ、栄えある全国表彰を受賞した」と報告「受賞を機に、委員が一丸になって、心新たに福祉向上に努力したい」と話した。高坂町長は受賞を祝福し、一層の活動を期待した。 -
長編劇映画「Beauty-美しきもの」クランクインを前に安全祈願
飯島町在住の後藤俊夫監督(67)がメガホンを取る長編劇映画「Beauty-美しきもの」のクランクインを前に1日、飯島町七久保のロケ隊の宿舎千寿荘駐車場で安全祈願祭を行なった。後藤監督をはじめメーンスタッフ、子役、地元関係者ら約40人が参列し、撮影中の安全と、映画の成功を祈願した。
茅野宮司による神事の後、後藤監督は「撮影は来年5月までと長きにわたるが、地元のみなさんと交流を深めながら、けがのないように良い仕事をしよう」と呼び掛けた。
主役、半次の少年時代を演じる高橋平君(東京都、小学4年)は「病気やけがに気をつけ、遊びと撮影のけじめをつけて頑張りたい」。準主役、雪男役の大島空良君(辰野中1年)は「みんなの足を引っ張らず、中学生なので、がき大将になって引っ張っていきたい」とそれぞれ抱負を述べた。
クランクイン初日の2日は、飯島町岩間で、主人公半次の家と、半次少年が駆け下る最初のシーンを撮影する予定。 -
戦後処理
「ニューギニアの密林では、1メートルも掘ると、草の根、木の根にからませながら、今でも日本軍の兵士が小銃を肩に立てかけた、そのままの姿で横たわっている。水辺では水を求めて、もう一歩のところで息絶えた英霊も」▼戦後61年、どこか戦争は昔話のような感覚の中で、前飯島町遺族会長の宮下啓さんの話に衝撃を受けた。兄はニューギニアで戦死、自らも南方で戦い、九死に一生を得て帰還。1昨年夏、ニューギニアに慰霊巡拝の旅をし、英霊の悲惨な姿を目の当たりにしてきた宮下さん「どうしてやることもできない。ただ慰霊を続けるだけ」▼今も山野に屍をさらしている英霊を思うと、遺骨収集が終らない限り、戦後処理は終結しないのだと実感した(大口記者)
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未来の・ス三四郎・スが熱戦、飯島町柔道大会
飯島町柔道大会は29日開き、未来の・ス三四郎・スを目指す小学生22人が熱戦を繰り広げた。
町柔道クラブの児童が出場。低、中、高学年別で対戦したほか、年齢無差別による総合の部も設けた。
練習してきた技を出して組み合う子どもたち。礼に始まり礼に終わる武道の真ずいにもふれ、真剣勝負に臨んだ。
指導員の上原春男さんは「一生懸命練習している選手は大会でも技が出せる。人間形成、健全育成とともに、勝つことも学んでいきたい」と話した。
上位結果は次の通り。
【1・2年】(1)真島昂佑(2)宮崎瑠叶(3)下平丈、小出康介【3、4年】(1)下平駿也(2)清水将臣(3)北沢錬、北沢豪【5・6年】(1)宮崎龍人(2)浦野慎太郎(3)真島悠佑、清水賢太【総合】(1)真島悠佑(2)宮崎龍人(3)下平駿也、北沢錬 -
飯島町発足50年周年記念式典
1956年9月発足、今年50周年を迎えた飯島町は28日、発足50周年記念式典を飯島文化館で行ない、220人が出席し、自治功労表彰やふるさと大使の紹介などで、節目を祝い、さらなる発展を誓った。
飯島中学校吹奏楽部のファンファーレ、飯島町の3小中学校の児童生徒の合唱「町歌斉唱」でオープニング。 式辞で高坂町長は「飯島町は自立を選択し、多様化、高度化する行政課題に住民や地域と連携、協働しながら、活力ある町づくりを進めている。50周年を節目に、『みんながつくる自然豊かなふれあいのまち』をテーマに、さらなる発展への新たなスタートとしたい」と述べた。
引き続き、各分野で町の発展に尽力した10人10団体を表彰、多額寄付者には感謝状を贈った。
最後に町民憲章を唱和し式を閉じ、町体育館に移動し、祝賀会に臨んだ。
祝賀会場には、飯島陣屋があったことにちなみ、ルーツをたどる記念事業、陣屋ウォーク一行66人が代官行列で到着。出迎えた高坂町長らに田島好美実行委員長は「4月29日駿府陣屋を出発、8回240キロを完歩し、事故もけがもなく、無事到着した」と口上を述べた。 -
いいさとねっと梅戸が菊見物
飯島町飯島の宅幼老所いいさとねっと梅戸の利用者と職員16人は26日、駒ケ根市中沢吉瀬の片桐義明さん宅に菊見に出掛けた。7分咲きの菊すだれ、5分咲きの懸がい、500輪余の花をつけた千輪菊など150鉢の菊を鑑賞し「見事だね」「花のカーテンのようだ」としきりに感心していた。
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ふるさと大使交流会
飯島町は27日、飯島町発足50周年記念事業として、初めてふるさと大使交流会を開いた=写真。
ふるさと大使10人のうち、後藤純雄さん(ゴトウ・プロジェクト代表)、後藤俊夫さん(映画監督)、染谷和巳さん(アイウィル代表)、宮沢正さん(ミヤザワフルート会長)、芦部巧さん(日本料理巴里たから経営)の5人が来町し、町の新しい施設や企業、観光拠点などを視察し、理事者や町議会、幹部職員と親しく懇談した。
会の冒頭で、高坂町長は「ふるさと飯島を思う気持ちをざっくばらんに語りあい、活力に満ちた飯島町に向け、各種施策への提言をお願いしたい」と歓迎あいさつ。
自己紹介に続き、早速、町のマイクロバスで町内視察。本格操業が開始した田切の内掘醸造アルプス工場の見学。上の原のアグリネーチャーいいじま、観光と産業振興の拠点、道の駅花の里いいじまを見て回り、紅葉が始まった千人塚公園にも足を伸ばした。最後は飯島セラミックを見学し、ホテル陣屋で、「ふるさといいじまに寄せる思い」をテーマに懇談した。