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伊那市誕生一周年記念式典
新伊那市の誕生1周年を記念する式典が14日、伊那市の生涯学習センターであった。関係者など約300人が集まり、この1年を振り返るとともに新市のさらなる発展を願った。 小坂樫男市長はまちの基礎固めに取り組んできたこの1年に触れ「これから伊那市が発展するためには旧市町村の壁を取り払ったまちづくりが必要。合併効果を最大限に生かし、財政の建て直し、健全化に努めて、市民と行政の信頼に基づいた協働のまちづくりを目指したい」と語った。
式典では旧市の市歌を作曲した故・高木東六さんをはじめとする名誉市民3人に名誉市民賞を授与したほか、ふるさと大使13人に委嘱状を授与。オープニングセレモニーではふるさと大使の一人でシンセサイザー・ギター演奏者・天山さん(高遠町出身)が地元をイメージして作曲した5曲と、伊那養護学校の第二校歌とも言われている「どんぐりの行進」を高遠小学校合唱団19人とともに披露し、会場を楽しませた。 -
「新山っ子応援団」始動
伊那市の新山小学校の存続を願う有志の集まり「新山保育園・小学校を考える会」(若林敏明会長)は14日、同会の活動に関連し、住民ボランティアで結成する「新山っ子応援団」の取り組みを始めた。この日、同応援団は、保育園の保護者と一緒に園庭作業に汗を流した。
応援団は、少人数が問題となっている保育園と小学校の存続に向けた実践活動の一つ。小規模であることを逆手に取り、この地域でしかできない魅力ある教育現場をつくりあげることが目的。住民がそれぞれの特技などを生かし、子供たちに技術や知識など提供していく。
この日は、3月から募集したメンバー約50人のうち約10人が参加し、園内の畳の取り替えや窓拭き、庭木の剪定などを約3時間かけて作業。保護者と職員だけで行っていたこれまでの作業と比べはかどりをみせた。
若林会長は「地域の触れ合いの和も広がりをみせている。少人数であることをチャンスに代えて住民が結束し、実践活動を繰り広げて訴えていきたい」と話した。
さび付いた遊具の色の塗り替えをするボランティアら -
井上井月の新句見つかる
漂泊の俳人、井上井月(1822縲・7年)の新句「里みちは 馬も足高 大根曳(だいこひき)」が、伊那市内で見つかった。
井月研究会の矢島太郎代表によると、大根の豊作を喜ぶ句で「地面から大根が青首を出す。野を歩く農耕馬も足を高く上げて見える」と解釈し、自然との取り合わせを詠んだ。大きさは縦28センチ、横15センチ。「井月」の書体から見て、晩年の作品ではないかという。
所有していたのは、かな書道「竹葉会」を主宰する向山修さん。「井月がいろり端でお茶を飲んだと聞いたことがある」そうで、30年ほど前、手良にある実家の蔵で見つけた。書の観点から井月の研究を始めたばかりで、井月の俳句を題材にした書展を開いたことをきっかけに「井月全集」(高津才次郎編)に載っていない新句であることを知った。
矢島代表は「これまでに1800句余が見つかっている。注意すれば、個人宅で発見される可能性はある」と話す。
井月は江戸で和学や漢学などを学び、俳人・松尾芭蕉を慕って諸国を行脚。58年から30年間ほど伊那谷に住み、美篶で死去した。 -
桜の下 高遠ばやし巡行
タカトオコヒガンザクラが見ごろを迎えた高遠城址公園で12日夜、高遠ばやしの巡行があった。ライトアップされた公園内に、三味線や横笛、鼓などの音色が響き渡った。
高遠ばやし保存会員18人は高張ちょうちんを先頭に、高遠閣を出発、公園内を回った。行きはテンポの緩い本ばやし「松ばやし」「南蛮ばやし」、帰りはテンポの早い帰りばやし「御琴ばやし」「せのおばやし」を演奏。
桜を引き立てるように、会員もピンク色の法被に、花笠をかぶり、華やか。花見客が写真に収めていた。
観桜期に合わせた演奏は5年目。小松友衛会長は「満開の桜を見ながらの巡行は初めて。高遠ばやしはまつりのはやしだから、自分たちも楽しんでいる」と話した。
高遠ばやしは8つの町内に残り、それぞれが独自の曲を持つ。
16日も午後7時から、巡行がある。雨天中止。 -
宮田小防犯教室
宮田村宮田小学校は12日、全校対象の防犯教室を同校体育館で開いた。村駐在所の中田祐記さんと廣田哲也さんを講師に、不審者に遭遇した場合の対処法を実践交えて学習。万が一の場合「助けて、助けて」と繰り返し大声で周囲に知らせることが大切と学んだ。
中田さんは「助けて」と1回叫ぶだけではダメと指摘。周囲に分かってもらうまで「大きな声で助けを求め続けて」と話した。
学年ごと「助けて」と発声したり、携帯している防犯ホイッスルを吹いてみる練習も行った。
「お父さんが交通事故にあったから一緒に病院に行こう」と迫ってくる不審者を想定して、児童の代表が対処してみる場面も。
手をつかもうとする相手に「イヤだ」と断わり、迅速に逃げる対応をみせた。
中田さんは児童の質問にも答え「何を言われても知らない人にはついていかない。連れ去られそうになったら、すぐに近くの家へ逃げ込み、助けを求めて」と呼びかけた。
全校児童はこの日の下校時に、地域に点在している「安心の家」をまわってあいさつし、何かの場合に逃げ込む意識を再徹底した。 -
手良小学校の学童クラブ開所
伊那市内で12番目となる学童クラブが開所した手良小学校で11日夜、同クラブの入所式が開かれた。入所した1年生を中心とした児童17人とその保護者ら計約40人が集まり、開所を祝った。
手良地区の住民からの要望で学童クラブを開所。留守家庭児童の保護と健全育成のため放課後の同児童たちの居場所づくりを目的に設けた。同小学校体育館のミーティングルームを改修し、クラブの教室を設置している。
入所式で北原明教育長は「上級生が先頭になって楽しいクラブをつくって」とあいさつ。植木行雄校長は「クラブが充実するよう地域、市、学校が連携を取っていきたい」と話した。
クラブ指導員の女性は「上級生が小さな子の面倒をよくしてくれる」と感想。クラブの教室で宿題をこなし、学校の体育館や校庭で野球やドッジボールなどをして遊んでいるという。
児童クラブは、1983(昭和58)年に伊那小学校で初めて開所。現在、高遠町、長谷を含む全15小学校のうち、伊那西、新山、高遠北小学校を除いた12校に同クラブがある。
体育館に表札を設置する北原教育長と植木校長ら -
駒草会民謡発表会
駒ケ根民謡友の会、三味線晴駒会、雪輪民謡会主催の第21回駒草会民謡発表会が8日、駒ケ根市のアイ・パルいなんで開かれた=写真。約50組の出演者は緊張した表情で次々にステージに登場し、三味線や尺八、笛太鼓などの伴奏に合わせてそれぞれ自慢ののどを披露した。この道数十年というベテランから今日が初舞台という初心者まで、日ごろのけいこの成果を発揮しようと精いっぱいの歌を響かせた。客席の参加者らは時折手拍子を取ったりながら歌声に聴き入っていた。
上伊那各地の民謡クラブの賛助出演などもあり、ステージと客席が一体となって民謡づけの一日を楽しんでいた。 -
満開の桜の下で伊那節まつり
伊那市中央区にある伊那公園の「伊那節発祥之地」石碑前で11日、伊那節まつりがあった。48回目を数え、伊那節保存会員9人が保存会独自の伊那節「伊那の華」を披露した。
まつりには伊那商工会議所議員、市関係者、伊那公園桜愛護会員ら約50人が参加。
あいさつに立った向山公人会頭は、地域住民らに喜ばれる公園づくりや、伊那節が歌い継がれることを祈った。
そのあと、雨がぱらつく中、保存会員は太鼓や三味線、歌に合わせ、扇を使った振り付けで伊那節を踊った。
石碑は60(昭和35)年4月、伊那節発祥の地を広く知ってもらおうと市・伊那商工会議所が建立。伊那節を後世に伝えようと例年、桜の開花時期に合わせてまつりを開いている。
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伊那公園桜愛護会(伊藤一男会長)は15日午前11時縲恁゚後4時、伊那公園で「健康歩道を歩き・太鼓演奏を聴き・カラオケを楽しみながら食事をする会」を開く。
午前11時からの太鼓演奏には、地元の小出太鼓、伊那太鼓が出演。また、足裏のつぼを刺激する健康歩道で、正しい歩き方を指導する。午後1時から、カラオケを楽しむ会を開く。参加は自由。
公園内にはソメイヨシノを中心に、13品種302本が植えられ、ほぼ満開を迎えている。 -
伊那ビジネス専門学校で入学式
伊那市狐島の伊那ビジネス専門学校(三沢清美校長)は11日、07年度の入学式を同校で開いた。上伊那を中心に9人(情報経理学科8人、OAビジネス学科1人)が入学し、それぞれの学校生活をスタートした。
入学生代表で堀越悠香さん(18)=駒ヶ根市=が「本校の学生としての自覚と誇りを持って校則を守り学業に専念する」と宣誓。三沢校長は「なぜ学ぶのか自分自身で考え、を意識しながら勉学に励んで」と訓辞を述べた。
同校は、来年度から地域のニーズに答え情報経理学科に「パソコンエンジニア」「医療秘書」のいずれも2年制の新コースを設立する予定。パソコンエンジニアコースについては、本年度から試験的に内容を反映したカリキュラムを組んでいる。
また、学校施設内のバリアフリー化が済み、本年度は入学生9人のうち2人の障害者を受け入れてもいる。 -
矢沢たえ子さん(56)東伊那
群馬県の「日本絹の里全国まゆクラフトコンクール」に初めて「食育(いただきまーす)」で応募、いきなり最優秀を受賞した。「
普通なら捨ててしまうような、小さく形の悪い繭を見ていると、いろいろなアイデアが湧き、楽しく作った。コンクールのために作ったのではなく、たまたま、応募したら、最優秀になった」。
「食育」は祖父母、両親、子どもたちの家族6人がちゃぶ台を囲んだ食事風景と、市の職員がボードを使って食育について説明しているシーンを描いた。
献立はご飯、みそ汁、焼き魚、煮物など純和食を再現した。まゆ人形の着ている洋服も手作り、おじいさんは作務衣、お母さんは割烹着、子どもはTシャツと工夫した。
「『食育』という現代的テーマをまゆクラフトでアピールした。細かい所まで丁寧に作ってある」と評価されたという。
1950年東京生まれ。25年前、夫と2歳と3歳の息子2人と東伊那に移り住んだ。
まゆクラフトに関心を持ったのは6年前。東伊那のシルクミュージアム立ち上げに向け、まゆクラフト学習会の募集があった。「繭をまともに見たのも初めて。形がかわいい」とすっかり気に入り、動物や簡単な花づくりを体験し「自分に合っている」とのめりこんだ。和裁や洋裁、ぬいぐるみ作りなど、生来物作りが好きだったこともあって、まゆクラフトにはまった。
作品づくりを重ね、きれいなバラ、バラらしいバラが作れるようになり、大作のブーケにも挑戦した。
シルクミュージアムに地域のお年寄りからミニちゃんちゃんこが寄贈され、それに合う顔を作ったのが、人物づくりの始まり。「形の悪い繭、不ぞろいの繭を見ていると、それぞれの繭の表情が想像力をかき立てアイデアが生まれてきた」。
「食育は昨年調理師免許を取るために食育について勉強したことから、関心があった」。
これからは「一流の人に使ってもらえるような、最高のブーケを作りたい」。 -
ジュニアマイスターに認定
一定以上の数と水準の資格を取得した生徒に与えられる全国工業高等学校長協会のジュニアマイスター(シルバー)に駒ケ根工業高校(本間秀明校長)の電気科3年上山弘晃君(18)=飯島町、情報技術科2年福島裕也君(16)=飯島町=の2人が認定された。6日、本間校長が全校生徒の前で2人に認定証を伝達した=写真。福島君は同校で初めての1年生時点での認定。2人は「将来は電気工事会社に就職して取得した資格を生かしたい」「今後もさらに資格を取得してゴールド認定を目指し、その中から特に選ばれる特別表彰もできれば取りたい」と話している。
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「上伊那の太平洋戦争」を記録に
「写真記録・上伊那の太平洋戦争」を8月に発刊する予定のしなのき書房(長野市)は、昭和初期から終戦後の昭和30年までに上伊那で撮影された写真(風景、風俗、学校など)を広く募集している。
同書は「写真記録・信州の太平洋戦争シリーズ」として発刊されるもので、悲惨な太平洋戦争の記憶を風化させないようにと、「ふるさとの戦争」の写真約400枚を収録。・ス時代を証言する貴重な郷土資料・スとして後世に伝えられる。
編集協力は上伊那郷土研究会、収録対象地域は上伊那限定。A4判、上製本、248ページ。主な内容(予定)は
▽今に残る戦争遺跡▽高まる軍靴の足音▽昭和初期の教育▽日中戦争から太平洋戦争へ▽戦時下の教育▽銃後のくらし▽満州開拓を目指して▽敗戦からの復興▽伊那飛行場竏秩B
応募締切は5月上旬。連絡を受けてから同社が直接取材に訪れる。協力者には謝礼が出る。
問い合わせはしなのき書房(TEL026・284・7007)林さん。 -
由緒ある名水を宮田城址に、保存会が水場整備
宮田村北割区の住民有志でつくる宮田城址保存会(春日甲子雄会長)は、400メートルほど離れた上流の沢から引水して水場を整備した。かつて水の確保に苦しんだ区民を救った歴史ある名水でもあり、検査結果も良質で飲用可能。「長命水(ちょうめいすい)」と名付け、散策などに訪れた人の一服の・ス清涼剤・スになればと会員は話している。
春日会長によると、水源の南沢(城の沢)は、かつて水が乏しかった北割区南西部の集落に水を分配。「十貫水(じっかんみず)」と呼ばれ地域を潤したという。
中世の山城である宮田城を後世に伝えようと取り組む同保存会。登城ルートを再興するなど住民が憩えるよう整備を進めているが、水場も昨年10月末からコツコツと手作業で設置準備を進めてきた。
車は途中までしか入れないため、水源用タンクや石製の水受けなど、重い荷物も人力で背負って山道を運搬。 急斜面の導水パイプ設置など難工事の連続となったが、協力して完成にこぎつけた。
「みんなの力があってこそ」と春日会長。今後も気軽に訪れてもらえるよう、各種整備などを計画している。 -
こども相談員が業務開始
今月から宮田村教育委員会が設けた「こども室」に9日、専任のこども相談員1人が着任。業務を開始した。保育、小、中学校、高校とつながっていく子どもたち、そして保護者を支援。相談業務のほか現場も歩き、親子の悩み、困りごとに耳を傾ける。
相談員は村教委の臨時職員で、同教委の窓口が開いている平日は常勤する。
採用された沼野恵子さん=大田切区=は、元幼稚園教諭で長野市内の子育て支援センターに勤務した経験も。
3人の子どもの母親として宮田村の「まほうのくれよん」をはじめ各地の育児サークルの設立にも関わっており、子育ての悩みや相談にも通じている。
今後は既設の教育相談員やこども室の3人の職員らと連携をとりながら業務を進めるが、当面は入学前の子どもたちの支援が中心となりそうだ。
新井洋一教育長は「できるだけ気軽に相談できる雰囲気づくりを心がけて」と期待。
沼野さんは「顔を早く多くの人に知ってもらい、経験を生かしてパイプ役として役に立てれば」と話した。 -
世界的な音楽家が宮田村に活動拠点
世界的なビオラ奏者で東京音楽大学の学長も務めた兎束俊之さん(67)が宮田村に移住し、活動拠点となる音楽施設を備えた自宅を駒ケ原(新田区)に新築する。6日は現地で着工の地鎮祭があったが「世界中の音楽仲間が集まる。地域にも開放して、宮田から音楽の文化をさらに花開かせたい」と兎束さん。村も文化の里構想を持っており、関係者は一流音楽家の広がる夢に期待を寄せている。
兎束さんは、宮田村を拠点に国内外の有能な演奏家が集まる弦楽合奏団「アンサンブル信州in宮田」の結成に尽力。
5年目を迎える現在も音楽芸術監督として団員を率い、演奏会を精力的に開くなど、一流の音楽を伊那谷に伝えている。
何度も足を通わせるうちに、山々に囲まれた静かな土地柄にほれこみ、東京都内から移住することを決意。
いくつかの候補から2つのアルプスを望み、近くにサクラ並木がある駒ケ原を選んだ。
「音楽を語り、演奏する一生のすみ家にこんな良い場所はない」とお気に入り。
約650坪の敷地内に自宅を建設し、30畳ほどの演奏サロンも併設。交流拠点として、住民と音楽家が気楽にふれあえる接点にしたいとも構想する。
「仲間と演奏し、住民の皆さんに聴いてもらえたら。将来は宮田村でビオラの国際コンクールも開きたい」と夢は広がる一方だ。
完成は夏以降の予定。清水靖夫村長は「子どもたちにも感動を与えるアンサンブル信州は宮田の財産。兎束さんの夢に村も応援していきたい」と話した。 -
如月会生け花展
生け花の7流派が集う如月会(保科百子会長、101人)は第50回生け花展を駒ケ根駅前ビル・アルパで8日まで開いている。会員が心をこめて生けた大作3点、中作2点を含む85点の作品が並び、華やかな色と香りで会場を包んでいる。保科会長は「季節を感じられる作品を心掛けた。伝統文化の素晴らしさを感じてもらえたらうれしい」と話している。展覧会に合わせて咲かせたサクラなどをあしらったかれんな作品の数々に、訪れた人たちは「きれいだね」「素敵だね」などと話しながらじっくりと見入っている=写真。
入場無料。8日の開場時間は午前10時縲恁゚後4時30分。 -
はらぺこ保育園で入園式
伊那市富県の自由保育園「はらぺこ保育園」で7日、入園式があった。青空の下、同園の園児と保護者など集まり、歌を歌ったり手作りのペンダントをプレゼント。新しく迎える8人の園児とその家族を温かく迎えた。
里山の中にある園舎で野外活動を中心とした保育をしよう竏窒ニ母親ら有志が立ち上げた同園は今年で3年目。伊那市や駒ヶ根市からの入園希望者が多かった今年は、今まででも最も多く園児が入園した。
同園で2年目、3年目を迎える先輩園児たちは、同園の歌を大きな声で披露。また、新入園児一人ひとりの名前を呼んで手つなぎ遊びの輪に誘うなどした。
林美紀代表は「はらぺこのお兄さん、お姉さんはみなさんが来てくれるのをずっと待っていたので嬉しい。今年も山へ行ったり川へ行ったりしていっぱい遊びましょう」と新入園児に呼びかけた。
その後はもちつきを行い、新しい1年のスタートを喜んだ。 -
駒ケ根市内小中学校入学式
駒ケ根市内の全小中学校で5日、入学式が一斉に行われた。5小学校は午前に、2中学校は午後にそれぞれ式を行い、初々しい新入生を迎えて希望に満ちた新学期をスタートさせた。
赤穂中学校(杉田純治校長)では真新しい制服に身を包んだ295人の新入生が在校生や保護者らの拍手で迎えられた=写真。入学者を代表して桑原華さんは「今から始まる中学校生活への大きな希望で胸を膨らませている。運動会、白鈴祭、合唱コンクールなどの行事や部活、生徒会活動などに一生懸命取り組みたい。何も分からず不安も多いが、明るい笑顔で、大きな声であいさつすることはできる。一日一日を大切にし、充実した中学校生活を送りたい」と述べた。
杉田校長は式辞で「中学の3年間は人生を決める大きな成長の時期。スタートに当たって緊張と不安を覚えているだろうが、そんな自分に勇気を与える方法を教えよう。それは『おはようございます』などのあいさつの言葉だ。あいさつを体から発することで自分自身をはっきりと決められるし、人の和をつくれる。毎日元気に学校に来てほしい」と呼び掛けた。
入学者数は小学校が赤穂150、赤穂東88、赤穂南86、中沢29、東伊那14。中学校は赤穂295、東57。 -
中川西小入学式
中川村の2小学校で5日、07年度入学式が行われ、新入児童ら50人は心躍らせ、希望に満ちた義務教育の一歩を踏み出した。
このうち、中川西小学校(気賀沢厚典校長)では新1年生26人は、在校生や保護者、来賓の温かい拍手に迎えられて、手をつないで入場。
君が代斉唱の後、気賀沢校長は新1年生に「学校はいろいろな人が集まり、心をそろえて頑張る所。友だちといっぱい遊んで、うんと勉強して、心の体もたくましく成長させて」と呼び掛け、保護者には「全職員が力を合わせて、子どもたちの成長のために努力します」と誓った。
在校生らは「学校は
分からないことがあったら、なんでも聞いて。明日から一緒に頑張りましょう」と、西小の新しい仲間を歓迎した。
最後に、新1年生は歌「どきどきの1年生」を響かせ、式を閉じた。 -
飯島中学校入学式
飯島町の飯島中学校(竹沢代蔵校長)は6日、新入生96人を迎え、07年度入学式を行った。真新しい制服に身を包んだ新入生は、在校生や保護者の拍手の中、不安と期待を胸に、緊張した表情で入場した。
竹沢校長は「中学校の3年間は心も身体も最も成長する時。大きく成長するには、さまざまな活動に自分から進んで、本気で取り組むことが大切。継続は力なり、頑張ろうという気持ちを持ち続け、先輩に学び、一流の中学生になって」と式辞を述べた。
生徒会長の松村知明君は「分からないことがあったら、気軽に、先輩や先生方に声を掛けてください。1人の仲間として力になれると思います。元気であいさつを交わし、明るい学校生活を送ろう」と歓迎し、新入生代表の三石峻太君は「ひとり一人が目当てを持ち、伝統ある飯島中学校の生徒として恥かしくない、りっぱな中学生になります。先生方、先輩のみなさん、指導よろしくおねがいします」とあいさつした。
この日は飯島小学校と七久保小学校でも入学式が行なわれ、合わせて80人が義務教育のスタートを切った。 -
県看護大入学式
駒ケ根市の県看護大学(深山智代学長)は4日、07年度入学式を行った。難関を突破した学部生90人、大学院生15人が深山学長から入学許可を受け、晴れてあこがれの学生生活のスタートを切った=写真。深山学長は「意義のある学生生活にするため、個人の可能性を最大限に開花させること、個性尊重、視点の多様性を学ぶことなどの本学の理念を心に留め、折りに触れて思い起こしてほしい」と歓迎の言葉を述べた。新入生を代表して学部生の栗林綾香さんは「看護師にあこがれてこの大学に入学した。患者に思いやりを持ち、心を癒すことができる看護師になれるよう、知識や技術だけでなく、優しい感性を磨きたい」、大学院生の頭川典子さんは「この素晴らしい環境の中で、看護の現場で役立つ人材となれるよう日々努力していきたい」とそれぞれ決意を述べた。
式後、新入生らはガイダンスや昼食会、記念写真撮影などの日程を次々とこなし、あわただしい中にも自由で楽しい学生生活の第一歩を踏み出した。 -
県伊那文化会館学芸員
伊那市
林 誠さん(46)「展覧会で実物を見るのが本当にいい。良質の展覧会を提供し続ける責任がある」
伊那市の県伊那文化会館で、学芸員として美術展示の企画、貸し会場の管理などをしている。
東京で生まれ、9歳から高校卒業までを栃木県小山市で過ごした。美術が好きで高校までは絵を描き、大学では西洋美術史を専攻。学芸員の資格を取った。卒業後は民間企業で営業をしていたが、長野県職員の学芸員募集を人づてに聞き88年、採用されて長野の地にやってきた。
長野県信濃美術館に3カ月間席を置き、建設中だった伊那文化会館に異動になった。「前例が無いところからのスタート」。美術展示ホールの環境設定に1年半を費やした。
それまで、上下伊那ゆかりの作家を美術展覧会として鑑賞することが無く、中村不折、須山計一の展覧会を企画。これが実質的な仕事の出発点となる。
3年後に信濃美術館に配属され10数年。04年4月、再び伊那文化会館に戻った。
県庁所在地と違い人口規模や交通の便など難しい面もあるが、「地域に密着して文化に光を当て、広く紹介し知ってもらうことが主眼。独特の文化風土を持ったこの土地ならではの良さ」という。
「この地は美術作家が多く出ている。地元に知名度が無くてもレベルが高い作家が多い」。作家を発掘、検証する企画に取り組んできた。「期待しないで来たけど、こんなすごい人がいたんだね-という感想が返ってくるのが醍醐味。してやったりですね」。
展覧会は、素材が限られる上に所蔵品がなく100%借り物。低予算で学芸員は1人。「大変制約は大きい。その中で最高のパフォーマンスをするには、創意工夫をしないといけない。それが逆に楽しいとも言えますね」。企画内容もさることながら、地域の人と直に接することが大変重要-と、自らポスターの掲示をお願いして商店も歩く。
会場準備は、与えられた作品が本来持っている魅力を最大限発揮させる展示方法を常に意識する。「特別な演出をすることではない。作品を見ても駄目。耳で聞かないと駄目」。光を強くしてくれ、隣と仲が悪いから離して-と、作品の声が聞こえてくるという。作品の良さを殺さず、最後は鑑賞する客の立場で作為的な状況を与えないように展示する。
「展示のプロとしては、いい展覧会、いい照明だったでは駄目。いい作品だったと返ってくるのが目指すところ。主役は作品ですから」
展示ホールは開館から19年経った今もきれいな状態が保たれ、壁の張替えはしていない。「利用者がきれいに使ってくれていることに尽きる。発表者の意識が高い」。貸し会場の管理者として、信頼関係を得て気持ちよく使ってもらうためのサポートも大切にしている。
4日に始まった「信州から宇宙を見よう!-県内の宇宙スポットと天体写真展-」。今回は音響担当職員と協力し、本格的な機材を入れて展示会場に音楽を流す“ささやかな提案”をしている。
「複合施設の特徴を生かさないと新鮮味を失ってしまう」。専門職員が同じ屋根の下にいるメリットを生かし、施設と人材がうまくクロスオーバーする企画をしていくことが今後の課題だという。(村上裕子) -
子育て支援センター充実 伊那市
伊那市は3日、旧富県北部保育園と高遠町図書館2階・視聴覚室の計2個所へ、新たに「子育て支援センター」を開所した。富県は老朽化の進む東春近の施設からの移転で、高遠町は新設。この日、高遠町のセンターでは、早くも子ども連れの親子約10組が訪れ、遊具などで楽しんだ。
子育て支援センターは、小学校入学前の子どもと、その親を対象とした親子の触れ合いの場として約10年前に開設。高遠町地区からのニーズに答えてセンターを増所したことにより、現在市内に4個所ある。
各施設には特徴があり、今回開所した富県は、旧保育園の施設利用により園庭の砂場やプールが利用できる。高遠は図書館がある施設へ開設したため、親子の読み聞かせを楽しむことができるという。
市子育て支援課によると、センターの利用状況は年々増加の傾向。06年度の2月までの累計利用者延べ人数は、前年度比2172人増の2万1040人だった。
各センターでは、月一回の子育て講座で、保育士や栄養士などによる運動遊びや絵本の読み聞かせなども実施している。
各センターの開設時間は次の通り。
▽富県・竜南=月曜日縲恚燉j日、午前9時縲恁゚後4時▽上の原=毎日、午前9時縲恁゚後4時(土・日曜日、祝日は午後3時まで)▽高遠=毎週火・金曜日、午前9時30分縲恁゚後12時30分
表札を掲げる小坂樫男市長と利用者ら(高遠町図書館) -
小中学・高校で入学式
上伊那小中学校、高校で4日、07年度入学式が始まった。新入生らは緊張した面持ちで式に臨み、上級生らとの新しい学校生活をスタートした。
伊那東小(山本一夫校長)には、126人(男子59人、女子67人)が入学。在校生や保護者らが拍手で出迎える中、期待と不安の気持ちを交錯させながら式場へ入場した。
山本校長は「校舎の周りの桜の木も皆さんの入学を祝うように咲き出した。自分から元気よくあいさつし、友だちをたくさんつくって」と話した。
新入児童らは、校長や来賓の問い掛け一つひとつに対し、「はい!」と元気な返事。先輩らの「皆さんと私たちは今日から友だち」との迎えの言葉に歌声で答えた。
入学式のピークは5日。 -
宮田村の保育園入園式
宮田村の3保育園は3日、入園式を各園で開いた。89人の新たな友だちを迎え、元気に楽しく新たな生活が始まった。
東保育園の入園式は、新3歳児と未満児が保護者とともに入場。
拍手で出迎えた年長、年中のお兄さん、お姉さんと一緒に歌い、さっそく心通わせた。
飯島千恵子園長は「早く先生やお友達に慣れて、元気に遊びましょう」とあいさつ。
式終了後は保護者と別れ、友人との集団生活がスタート。泣いたり、親にしがみつく園児の姿もあったが、新たな一歩を踏み出した。 -
伊那市子育て教育支援相談室開所式
幼児期から青年期までの総合的な相談窓口「伊那市子育て教育支援相談室」の開所式が2日、山寺前橋町の「希望の家」であった。教育相談員、保健師、保育士、臨床心理士など、子育て支援に携わる関係スタッフを1カ所に常駐させ、軽度発達障害児の支援から不登校、いじめ、児童虐待など子育て、学校教育などに関する包括的な支援体制を実現。来室、電話相談のほか学校や保育園への巡回相談を行い、問題の予防にも努めていく。
市ではこれまで、子育て支援と児童相談に関する窓口が分かれていたため、各部署が連絡を取り合いながら対応しなければならない状態にあった。しかし、さまざまな問題に対処するためには総合的な支援体制が必要であると判断。相談窓口の一本化を図った。
相談室には各関係部署のスタッフが常駐するほか、県のホットラインと連携して24時間体制で緊急時の対応に当たる。今後は相談室の周知を図り、保育園や学校などを巡回しながら問題の掘り起こしに当たる。
山口志ほ香課長は「今の子どもの問題は大人社会から起こっているもの。子育てする親だけではなく、地域ぐるみで考えていくようにしていきたい」と話していた。
不登校、いじめ、学力不振、集団不適応などといった相談を中心に児童相談所に寄せられる相談件数は年々増加している。
相談室の対応時間は午前8時半縲恁゚後5時半。
問い合わせは(TEL72・0999)へ。 -
【アマチュア劇団演出家・俳優 肥野隆さん】
伊那市のアマチュア劇団「南信協同」創設にかかわり、現在も中心メンバーとして演出に役者に活躍しているほか、駒ケ根市民と劇団昴の共同公演などにも多数出演。演劇歴は半世紀にも及ぶが、舞台に懸ける情熱はいまだ衰えを見せない。
「この年でやっているのは自分ぐらいになってしまった。でも芝居は奥が深いからやめようとは思いません。演劇の楽しさはね、根本的には自分でありながらほかの人物になれること。自分ではない人間をつくっていくのが魅力です。自分そのままを演じるのは一番楽だがそうではなく、個性を生かして自分なりの役をつくり上げる、その課程がね」
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演劇との出合いは1958(昭和33)年、19歳の時。戦後間もなく結成された「赤穂演劇研究会」の会員だった知人が、運転していたトラックの事故で大けがをした。
「見舞いに行ったら研究会の仲間が相談していた。人数が足りなくなる、どうしようって。そこで『お前、頼む』と言われて協力することになったんです」
その年はスタッフとしての参加だったが、翌年の13期定期公演『恩讐の彼方に』(菊池寛原作)には役者として出演した。
「旅の若い夫婦役でね。追いはぎをしていた主人公の市九郎に斬られる役。でも初めて踏んだ舞台はとても新鮮で楽しかった。あの感覚は一度経験するともう忘れられません。中毒のようなものですね」
以来、毎年の定期公演に欠かさず出演し、「何をやったか記憶がないほど」たくさんの芝居にかかわった。
だが、その後赤穂研究会は若い人が入らず、活動停止状態に。一方で自分の仕事も忙しく、転勤などで1カ所に定住できない生活が続いたため、演劇をやりたくてもできない状態が続いた。
93年、伊那文化会館で翌年に上演する『早春賦』の参加者を募集していることを知り、スタッフでもいいからと応募したところ、いや、ぜひ役者で竏窒ニ乞われて久々の出演を果たした。せっかくの機会を1回限りで終わらせるのは惜しいと、新しい劇団をつくることを決意。メンバーは思うようには集まらなかったがようやく15人ぐらいが集まり、11月に「南信協同」設立にこぎつけた。
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役者だけでなく、演出にも意欲的に取り組んできた。
「芝居をやる人は個性が強いから皆の気持ちを統一するのはなかなか大変でね。だからこそ演出家が毅然としたリーダーシップでまとめなくちゃ良い芝居はできない。もし出来が悪ければそれは役者のせいでなく、演出が悪いということ。絶対的な責任があるんです。だから意見は聞くが最終決定は演出がする。けいこでは大きな声を上げることもしょっちゅうですよ」
「演劇で一番大事なのはとにかくお客さんが見て楽しんでくれること、これに尽きる。お客さんに楽しんでもらえない芝居ならやる意味はありません」
(白鳥文男) -
子育て10か条策定会議第3回
子育てのよりどころとなる駒ケ根市「子育て10か条」を選定する会議の第3回が26日、市役所南庁舎で開かれた。市民、団体の代表や教育関係者などで構成された委員約30人のうち14人が出席し、10か条策定に向けて意見を交わした=写真。
出席者らは5グループに分かれ、テレビを始めとするメディアや遊びの形態のほか、生活リズム、食育、地域とのかかわり、家族の協力などのテーマ別に「身近な人と元気よくあいさつしよう」「早寝早起き朝ご飯」など、具体的な文案を挙げてそれぞれ話し合った。文案は次回会議でさらに検討を加えた上で素案にまとめる。
2月に始まった会議は、当初3月中旬までに最終案をまとめて発表する計画だったが、じっくり検討したいとする意見が強く、策定は5月以降になる見通し。 -
春陽会会友
箕輪町松島
井上秀芳さん油の匂いが染み付いたアトリエでキャンバスに向かう。「白を追求し表現の対象にしている」。白色で描くのは、コンクリートなどでできた構造物。「白の魅力にとりつかれている。うっかりすれば冷たくなるし、うっかりすれば浮いてしまうし…。下に色を入れて落ち着かせるけど、非常に難しいですね」
小さいころから絵が好きだった。小学6年のとき、日米の絵の交換会で、全国の何点かのうちの1点に選ばれアメリカに絵が送られた。伊那市の殿島橋と西春近を臨む絵で、通常の画用紙よりも大きな紙に描いた。今でも鮮明に覚えている。
本格的に絵を描くようになったのは高校を卒業し就職してからだった。春陽会会員の故・志村一男さんに諏訪で出会い、師事した。「すごくかわいがって下さって、育ててもらった」。春陽会南信研究会で年3回開く勉強会にも通った。
現在は春陽会会友で、信州美術会、諏訪美術会などの会員でもある。
いつどこに出かけても、「あそこっ」と心に止まった景色を覚えている。後日、機会をみて必ずその場を訪れる。何度もデッサンをしたり、写真を撮ったり。コンピューターも活用し、写真を狭めたり、広げたりして構図を考えることもある。
絵になるときもあれば、ならないときもある。絵にならなくて、それでも何かあると頭の中で考えているうちに、こういう風に変化させたら面白いのでは-と、何年も経ってから絵になることもある。
伊那市長谷の美和ダムも、そんな場所の一つ。何回も通い、あるとき雪が降り積もった様を見て「あっ、これは絵になる」と思った。何枚もデッサンし、やっと作品に取り掛かった。
「自分の絵というものは分からないからね。デッサンを十何枚描いて研究する。でもこうやってキャンバスに描いてみると『まずい』『これはだめだ』となることもある」。一作品を仕上げるのに、1年から長いときは3年くらいのスパンで取り組む。
県展で、白の使い方が非常に美しい-と評価された。ある人に「絵が小さい」「まだ小さい」と言われていたが、数年前、「最近ようやく絵が大きくなったね」と言われ嬉しい思いもした。しかし、満足するときはない。
「白でやっていきたいと思っているけど、自分の白という形にはなっていない。白をやってる先生がいる。本当に美しい。足元にも及ばない。それくらい自分の絵は未熟だから。おそらく一生かかっても駄目じゃない。それぐらい奥が深い、そう思います」
なぜ絵を描くのか。
「やむにやまれない気持ち-と師匠はいつも言ってた。描きたい、表現したいという気持ちでしょう。絵は構成すると本当にどういう風にもなる。だから本当におもしろいですよ。終わりがない。だから描き続けるんでしょうね」(村上裕子) -
子どもプラン次世代育成支援地域行動計画の報告
伊那市次世代育成支援推進協議会(畑房男会長)は27日、今月19日にまとめた子育て支援のための総合計画「子どもプラン次世代育成支援地域行動計画」を小坂伊那市長に報告をした=写真。
法律に基づき旧3市町村は05年、5カ年計画で次世代育成支援行動計画を策定。それぞれに実施してきた。しかし、昨年の合併に伴い残りの3カ年は新伊那市のプランを策定することとなり、昨年9月から旧3市町村の取り組みを調整しながら新しい行動計画の策定を進めてきた。
新プランには住民アンケートの結果も取り入れ、病後時保育、休日保育など、市が07年度から取り組んでいこうとしている新事業も盛り込んでいる。また、具体的な数値目標を示すことで、より実践的な内容としたほか、これまで個々に取り組まれていた個別事業についても窓口を中心に関係機関が連携を図れる体制を提言している。
畑会長は「それぞれの特色を取り入れ、子育て環境や価値観の多様化に配慮した。子どもたちがいきいきと生きられる活力ある伊那市をつくってほしい」と語った。