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井月朗読劇 稽古はじまる
漂白の俳人井上井月の生き様や作品、風土などを朗読劇で表現する「コラージュ風狂のうたびと」の稽古が29日から始まりました。 稽古は、これから月に2回のペースで行われ、9月5日の本番をめざします。 今日は、朗読者として応募した10人のうち7人が初稽古に参加しました。 演出を担当する阿部裕吉さんの指導で、井月の俳句を詠みました。 7人は、会社員や主婦などで上伊那地域在住者です。 風狂のうたびとは、井月研究家で俳人でもある春日愚良子さんの脚本をもとにした朗読劇で、音楽や映像も加えます。 今後は子どもの演技者も加えていきます。 稽古に加え井月の足跡をめぐったり、映画ほかいびとの北村皆雄監督の講話も計画されています。 井月の朗読劇「コラージュ風狂のうたびと」は、9月5日にいなっせで上演される予定です。
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県議選 告示まで1週間
長野県議会議員選挙告示まで1週間となりました。 伊那市区は、昭和54年以来の無投票となる公算が大きくなっています。 一方上伊那郡区は、定数2に対して4人が立候補を表明しています。 定数2の県議選伊那市区に立候補を表明しているのは、 現職の向山公人さんと新人の酒井茂さんのみです。 27日は、立候補届け出書類の事前審査が行われました。 伊那市役所1階の多目的ホールに設けられた審査会場です。 午前中は、酒井陣営、午後は向山陣営が審査を受けました。 審査は、4月3日の告示当日の立候補の届け出をスムーズに行うためのものです。 市民団体や日本共産党などで組織する伊那市区候補者検討会議は、候補者擁立を断念しました。 27日マスコミ各社に書面で伝えました。 それによりますと、「家庭の事情、仕事との関係など様々な理由があり、決意に至らず今日を迎えた。会として候補者擁立を断念せざるを得ないとの結論に達した。4年後に向けて市民の代表を県議会に送り出せるよう取り組みを続けていく。」としています。 27日午後5時現在で届出書類を持ち帰った人はおらず、昭和54年以来の無投票となる公算が大きくなりました。 一方、定数2の上伊那郡区には、4人が立候補を表明しています。 現職の垣内基良さん、現職の小林伸陽さん、新人の矢ケ崎克彦さん、新人の寺平秀行さんです。 上伊那郡区の事前審査は、伊那合同庁舎で行われ、それぞれの陣営が審査を受けていました。 県議会議員選挙は、4月3日告示、12日投開票です。
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信濃グランセローズ 南箕輪村へ
ルートインBCリーグの信濃グランセローズは、27日から29日まで南箕輪村で第2次キャンプをはります。 27日は、村営大芝野球場でキャンプインセレモニーが行われました。 選手29人、監督やスタッフ4人の33人です。 村を代表し唐木一直村長は、「温泉でゆっくり疲れをいやし、今年こそ優勝してください。」と選手たちを激励しました。 去年グランセローズは、前期は3位、後期は2位でした。 岡本克道監督は、「優勝に向かって一日一日を大切に戦っていきたい」と健闘を誓っていました。 29日までのキャンプ中は、練習試合のほかに少年野球教室やファンミーティングなどが計画されています。 今シーズンは、4月11日に開幕し、5月3日と7月18日に大芝野球場で公式戦が予定されています。 なお、伊那ケーブルテレビでは、観戦チケットを希望者にプレゼントしています。
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聴導犬のお墓完成
宮田村の日本聴導犬協会に聴導犬・介助犬として貢献した犬などを葬るお墓が完成し、27日竣工式が行われました。 お墓は、供養メモリアルと名付けられ、協会の訓練施設東側につくられました。 竣工式には、協会やボランティア、里親などが参加してお墓の完成を祝いました。 日本聴導犬協会が1996年に発足してから犬12頭、ネコは2匹亡くなっていて、これまで協会長宅で骨壺が保管されていました。 協会では、インターネット募金などで個人や団体から183万円の支援を受けてお墓を完成させ、飼い主だった里親が納骨しました。 納骨をすませた東京都の大沢光彦さんは、「仲間たちと一緒に故郷で暮らせるのは幸せで、ほっとした思いだ」と亡き愛犬をしのんでいました。 お墓は、犬が走り回る公園をイメージしてつくられています。
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たかずやの里に本届く
県内の企業が児童福祉施設に絵本を贈る子ども達に笑顔を贈ろう実行委員会は、伊那市東春近の児童養護施設たかずやの里に10冊を寄贈しました。 20日、協賛企業を代表してキタノヤ電器の北原國人社長がたかずやの里を訪れ、施設を運営するたかずや福祉会の埋橋良和理事長に絵本を手渡しました。 埋橋理事長は、「子どもの活字離れが進んでいるといわれているが、善意の絵本なので有効に活用していきたい」と感謝していました。 この取り組みは、子どもたちに絵本を読んでもらい、表現力や考える力を育ててもらおうというもので、今回で6回目です。 県内の80社ほどが協賛していて、20の施設にあわせて200冊を贈ります。 本を手渡した北原社長は、「こどもたちの生活も目の当たりにすることができた。今後も協力をしていきたい」と話していました。
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大型紙芝居 新作「ヤマトタケル伝説」完成
地域の民話を掘り起し、大型の紙芝居にして伝えている「糸ぐるま」代表の久保田文子さんは、15作目となる新作紙芝居「ヤマトタケル伝説」を制作しました。 26日、制作発表が行われ、長谷保育園の園児や地元住民が新作の紙芝居「ヤマトタケル伝説」を鑑賞しました。 久保田さんは長谷など地元に伝わる民話を題材に切り絵の紙芝居を作り伝えていく活動を35年前から行っています。 今回の作品は、山梨県北杜市に伝わるヤマトタケルが植えたとされる桜の伝説と、長谷でヤマトタケルが大蛇を退治したとされる伝説を、ひとつの物語として構成したものです。 長谷には、ヤマトタケルが倒した大蛇の血で赤く染まった川を「赤河原」と呼び、大蛇の首は熱田神社に祭られたとの伝説があります。 久保田さんは来月長谷中学校での上演を予定しているほか、山梨県の北杜市でも上演したいと話していました。
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井上井月の本を北村会長が出版
井上井月顕彰会の北村皆雄会長は、漂泊の俳人、井上井月の生い立ちや普段の生活、幕末から明治にかけてどう生き抜いたかなどを、書いた本を18日に出版しました。 この日は、井上井月顕彰会が伊那市役所で、18日に、岩波書店から出版された本について記者会見を開きました。 出版したのは、伊那市出身で井上井月顕彰会会長で映画監督の北村皆雄さんです。 北村会長が書いた本、「俳人井月、幕末維新 風狂に死す)」は、井月の生活、明治維新の荒波をどう生き抜いたかなどを書いたものです。 この日は他に、映画「ほかいびと 伊那の井月」が4月と5月にヨーロッパ3か国で上映されることが報告されました。 公開されるのはフランス、ドイツ、イタリアで、字幕付きで上映されます。 上映後は、北村さんの対談や講演なども計画されているということです。 井上井月顕彰会は、「ヨーロッパにも俳句の文化があり、上映を通して、井月の魅力が伝われば嬉しい」と話していました。
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公立高校後期選抜合格発表
公立高校の後期選抜の合格発表が20日行われ、全日制では、県内で1万1,135人が合格しました。 このうち伊那北高校では、午前8時30分に合格者の受験番号が記された掲示板が運びだされました。 今年伊那北高校は、普通科200人の募集に対し217人が受験し、204人が合格、理数科は、4人の募集に対し7人が受験し4人が合格しました。 なお、再募集は、辰野高校商業科で8人、上伊那農業高校生産環境科で2人、生物化学科で11人、高遠高校普通科で24人、箕輪進修高校の普通科Ⅲ部と工業科Ⅰ部でそれぞれ若干名です。 伊那北高校の入学式は、4月6日に行われます。
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東日本大震災から4年 3.11の今⑩ 循環の輪復活を
南箕輪村南原の原富男さん。 3月5日、福島県郡山市にある社会福祉法人にんじん舎をめざします。 にんじん舎では、障害者の共同作業所として、会津地鶏を育て、卵をとり、糞は醗酵させ肥料にする循環のサイクルができあがっていました。 しかし、震災による福島第一原発事故により、その鶏糞から放射能が検出されたため、鶏糞は行き場所を失ってしまったのです。 そこで白羽の矢がたったのはチェルノブイリ原発事故で汚染された土壌を浄化するバイオガスの技術でした。 原さんは、去年にんじん舎の鶏舎脇にバイオガスプラントを建設しました。 さらに今回は、そのガスを使って発電させようというのです。 プラントにガス発電を組み込むのは原さんにとってはじめてのチャレンジ。不安もあります。 翌日6日、施設利用者にあたたかく迎えられた原さん。さっそく鶏舎脇のプラントへ向かいます。 ガスのホースを発電機に入れて回します。 ガソリンを切り、ガスに切り替えます。 うまくいきません。 送りこむガスの量を変えながら試行錯誤を繰り返します。 音が変わってきました。 10分以上たっても止まりません。 ライトもついています。 成功です。 バイオガスだけで発電機は動き続けています。 放射能が含まれた鶏糞をプラントに入れることで、ガスと電気を生み、放射能が取り除かれた液肥は、再び畑に帰っていくという循環のサイクルが復活したのです。 伊那のバイオガスとウクライナの技術が今フクシマで稼働し始めています。 放射能に負けずに戦う人たちがフクシマにはいます。
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伊那谷遺産 100件に
国土交通省天竜川上流河川事務所の人と暮らしの伊那谷遺産選定事業は、目標としていた100件に到達しました。 13日、駒ケ根市の天竜川上流河川事務所で開かれた選定委員会で新たに3件が追加されトータル101件になりました。 伊那市高遠町の法華道、伊那市野底の柵立堤防、飯島町の隅之木碑です。 法華道は、高遠の荊口から入笠山の東斜面を通り、富士見町につながる全長22キロの道です。 道沿いには多くの古刹が並び、法華経伝来の足跡を今に伝える歴史の道でもあったことから法華道と呼ばれました。 伊那谷遺産選定を聞いた伊那市の北原厚さん。 芝平出身の北原さんは、古道復活に力を注いできました。 平成11年から10年以上にわたり藪を狩り続け、今では、多くの人がトレッキングを楽しんでいます。 また、野底の柵立堤防は古くから堤防が築かれ、壊されるたびに修復し、洪水を防いできた歴史を今に伝えています。 高遠藩の阪本天山は、深刻な財政難にもかかわらず、私財もなげうち堤防を築いたとされています。 特殊な工法で大型の柵のようであったことから柵立堤防と呼ばれました。 伊那谷遺産は、先人の営みを再確認して情報発信することで、防災教育や地域振興につなげようと、平成24年から選定作業がスタートしました。 選定委員会委員長の笹本正治信州大学副学長は、「伊那谷遺産選定は、日本で最も進んだソフト面からの防災へのアプローチだ」と話しています。
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東日本大震災から4年 3.11の今⑨ 宮城県石巻市の今
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、震度6強の大地震が宮城県石巻市を襲いました。 2015年1月末現在、死者は、3,176人、行方不明者は425人となっています。 石巻市の復興政策部復興政策課の岡道夫課長に話を聞きました。 「大津波警報が発令された直後、標高50mの日和山に避難をした。徒歩で避難する人や、車で避難する人でいたるところで渋滞が発生していた。」 一番多くの犠牲者を出したのが、石巻市南浜町と門脇町です。 二つの地区を見渡せる日和山公園(ひよりやまこうえん)、鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)には、毎日犠牲者に手を合わせる人の姿があります。 [震災体験者の話](地元の人) 「津波が陸橋の高さまで来て、陸橋のテッペンに車が2~3台引っかかってそこで一晩過ごした。すその方にいた車は全て流された。取り残された人たちは翌日自衛隊のヘリが来て救出された。」 [岡道夫課長] 「住まいの供給は今年度から平成27年度にかけて一気に加速していける。平成27年8月には市場が完全復旧し再開できる。漁港の水揚げについても、震災前の90%まで回復してきた。」 震災から4年、石巻市は復興に向け、明るい光が見えてきた反面、仮設住宅にはまだ、20,000人を超える人たちが生活しています。 [岡道夫課長] 「「復興頑張って」とメッセージをいただいている。それを励みにこれからもがんばる。」
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東日本大震災から4年
東日本大震災から11日で4年となります。 地震が発生した午後2時46分、上伊那の各地でも黙とうを行い、犠牲者の冥福や被災地の復興を祈る人達の姿がみられました。 福島第一原発事故による放射能汚染により2011年に福島県伊達市から伊那市に移住し再起をかけ果樹栽培をしている佐藤浩信さんです。 選定作業をしていた佐藤さんは、時間になると、福島の方角を向いて手を合わせました。 宮城県気仙沼の津波からの復興支援を行っている伊那市通り町のワイルドツリーです。 毎年3月11日には無料のキャンドル作り体験を行って復興を願うメッセージを照らします。 伊那市の中心市街地です。 防災無線のサイレンが鳴ると手を合わせる人もいました。 市議会の一般質問が行われていた、伊那市役所内の議場。 午後2時46分、議会を一時中断し、市の理事者や市議会議員全員が起立し黙とうを捧げていました。 伊那市の東部中学校です。 タカトウコヒガンザクラを通して、宮城県仙台市の高砂中学校と交流をしています。 この日は2年生およそ290人が、インターネット回線を使い高砂中と活動報告を行いました。 東日本大震災では、地震やその後に発生した津波で、1万8475人の人が亡くなったり、行方不明となっています。 震災から4年が経過した今でも、被災した東北を中心に仮設住宅など避難生活をおくっている人は22万9千人にのぼります。
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まもなく4年
3月11日の東日本大震災福島第1原発事故からまもなく4年。 8日は、脱原発を訴える集会とデモ行進が伊那市で行われました。 いなっせ北側広場には、70人が集まり、脱原発を訴えました。 さよなら原発上伊那の会の山本真吾会長は、「福島はまだ終息していない。伊那から発信していきたい。」と参加者によびかけました。 集会では、参加者が、それぞれの思いを発表しました。 集会に引き続き、反原発を訴えるプラカードなどを手にした参加者が、いなっせから伊那北駅までをデモ行進して、脱原発をアピールしていました。
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東日本大震災から4年 3.11の今④ 被災地の犬・猫は今
福島県南相馬市で行場を失い保護された猫マーマ 飼育放棄された犬や猫の飼い主探しなど上伊那を中心に救済活動をしているハッピーテールが預かっています。 震災後多くの人々が避難所生活を強いられました。ペットたちも同じです。 当時の報道は人の命、人の生活が優先でした。 その時映像で犬や猫が放浪している姿を見たハッピーテールの福元麻子さん。 「何か自分にできないか」と思い被災地の福島県へ車を走らせました。 福元さんはその後も、被災地へ足を運び犬猫みなしご救援隊が保護した犬13匹、猫3匹を引き取りました。 その後、里親を募集しすべての犬と猫が県内の一般家庭に引きとられました。 震災直後の動物達の様子などを映した一冊の本「鼓動」があります。 この表紙の写真に写っている犬は現在諏訪市にいます。 飼い主の林朱美さんです。 名前はラッキー。福島県で迷っていた所を保護されました。 林さんは「我が家の番犬としてこれからも一緒に生活していきたい」と話していました。 箕輪町北小河内の竹内和之さん宅では、被災地の犬が生んだ子犬を3年前から飼っています。 名前はジュリです。 竹内さんは「せっかくここに来たからずっと可愛がってやりたい」と話していました。 東日本大震災から4年。 家族の元に帰れなかった犬や猫たちは今、新しい家族のもとで新しい生活を送っています。 福元さんは「最後まで大切に育ててほしい」と話していました。
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長野県公衆衛生専門学校 12人卒業
長野県公衆衛生専門学校の卒業式が6日行われ、歯科衛生士になるための3年間の課程を学んだ12人が学び舎を巣立ちました。 式では、合木康典校長から卒業生1人1人に卒業証書が手渡されました。 卒業生12人のうち、上伊那出身は7人です。 卒業生12人全員が、県内の歯科診療所への就職が決まっているということです。 在校生を代表して、島﨑美桜さんは「初心忘るべからず、という言葉を胸に歯科衛生士として熟練の域に達しても向上心を忘れないでください」と送辞を述べました。 卒業生を代表して稲原有妙子さんは「これからが本当のスタートだという気持ちで、患者さんに信頼してもらえる歯科衛生士を目指します」と答辞を述べました。 式の最後には卒業生全員で「旅立ちの日に」を歌いました。
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東日本大震災から4年 3.11の今③ 海苔網がつなぐ絆
2014年12月、いなっせ北側広場。 伊那商工会議所青年部企画のイルミネーションが行われました。 ここで使われたのは、海苔の漁で使う網です。 宮城県の漁師からもらったものです。 宮城県東松島市の海側に位置する、大曲浜地区。 海苔の養殖生産が盛んな地域です。 イルミネーションの網は震災前、ここで使われていました。 伊那商工会議所青年部の高見洋平さん。 今でも大切に網を保管しています。 高見さんは、去年11月、大曲浜を訪れ、漁師と一緒に海苔の漁も体験しました。 復興にむけて頑張っている漁師たちの事を伊那の人にも知ってもらい、東北に目を向けてもらおうと、網を使ったイルミネーションを企画しました。 震災直後、壊滅的な被害を受けた大曲浜。 震災後、漁師たちは、海苔の養殖が盛んな大曲浜を復活させようと奮闘しました。その時にみつけたのが、あの網でした。 大曲浜の海苔漁師、津田大さんは「道具をかき集める事しかできなかった。網一つでも貴重なものだった」と話します。 伊那商工会議所青年部の高見洋平さんは、そんな漁師たちの姿を見てファンなったと話します。「東北に関心を持つ、その事もこれからの復興支援の一つの形なのかな」- 漁師の津田さんは「今は復興の様子を見せたい。元に戻るだけじゃなく、進化した東北を見せる事が皆さんへの恩返し」と話していました。 午前5時半。今日も漁師たちが海へと向かっていきました。 伊那商工会議所青年部では、今月下旬にも義援金を東北に届けに行く予定です。
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商機拡大へ 中央アルプスビジネスフェア
上伊那を中心とした企業が商機拡大を図る中央アルプスビジネスフェアが5日伊那市の伊那勤労者福祉センターで開かれ、会場では商談や製品のPRが行われていました。 ビジネスフェアは上伊那の経済団体などでつくる実行委員会が開いたもので県内外から129の企業や団体が出展しました。 上伊那の産業の情報発信や商談の場にしようと開かれていて今回で4回目です。 県外からも13社が出展していて会場では商談や商品の説明が行われていました。 地元と県外企業合同による次世代産業展示コーナーでは水素と酸素の科学反応により電気をおこす燃料電池が紹介されていました。 また県外から出展した企業は上伊那でのビジネス展開に期待していました。 実行委員会では「ビジネスフェアは開催するだけではなく中身のあるものにしなければならない。ビジネスチャンスを広げ出荷高のアップにつなげていきたい。」と話していました。 また今後の展開としてキャラバン隊を組んで他の地域に出向き製品を売り込んでいくことも考えたいとしています。 中央アルプスビジネスフェアはあすも伊那勤労者福祉センターで開かれ新卒者向けの企業説明会などが予定されています。
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東日本大震災から4年 3.11の今① 4年目の苦悩と挑戦
「ブレちゃうのよね。ここにいたら福島の話題ゼロ。忘れていってしまう。でも忘れてはいけない。」 東日本大震災による福島から自主避難した果樹農家佐藤浩信さん。この時期は、リンゴの剪定作業に励んでいます。 佐藤さんは特色ある果樹栽培とビジネス戦略で福島を代表する農家として知られていました。佐藤さんが作る商品は、高級果物ギフトを扱う百貨店や老舗の果物店などで販売されてきました。 しかし、東日本大震災が発生。 福島第一原発事故により自主避難した佐藤さんは、被災直後の4月に西箕輪に再起をかけ移り住んできました。 佐藤さんは、移住してすぐに、桃とさくらんぼを西箕輪の畑に植えました。 去年の夏、4年目を迎え、4メートルほどに成長した桃が、初めての荷を迎えました。「まだ、納得の味じゃない…」 今回は、地元の直売所に出荷しました。 佐藤さんは、現状を打破する突破口を模索して、動き続けています。 月に2~3回は、福島に戻り、日曜日は、東京で商談会。2月は福島の農業者の代表として香港に。ニュージーランドの農業研修にも1週間、参加しました。 香港では、小売店でどのように日本の商品が扱われているか、その現状を確認しました。「福島がダメだってことはわかってはいたけど。福島の商品ぜんぜん売れない。どうしたらいいかわかんない。本当に全然わかんない」 福島の商品が売れない。この現実は佐藤さんに重くのしかかります。 佐藤さんの果物栽培。それは戦いだといいます。 福島県民が長野の地で、挑み続けて作り出す味を、ふるさと福島の再起のために役立てたい。 佐藤さんはその一貫した思いを、責務として自分に課して、戦い続けます。
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春感じるクリスマスローズ
信濃クリスマスローズ愛好会は、伊那市西春近のかんてんぱぱくぬぎの杜ホールでクリスマスローズ展を開いています。 会場には、会員が育てたクリスマスローズ160鉢が並んでいます。 愛好会は、上伊那を中心に会員は30人です。 会では、「原種から交配した最新の花までさまざまな色や形が楽しめる。好みのものを探してほしい。」と話しています。 クリスマスローズ展は、3月1日までかんてんぱぱくぬぎの杜で開かれています。
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井月顕彰会新会長に北村監督
井上井月顕彰会の理事会が27日伊那市手良の井上井月顕彰会館で開かれ、1月に死去した堀内功会長の後任に、映画ほかいびとの監督をつとめた北村皆雄さんが決まりました。 顕彰会は、27日記者会見を開き、新しい役員体制を発表しました。 副会長の下島大輔さん、竹入弘元さん、平澤春樹さんは留任し、新しい会長に北村皆雄さんが選ばれました。 北村さんは、美篶出身、東京都在住で、映画監督です。 堀内前会長とは、父親の代から親交があったということです。 顕彰会では、今後5年をめどに昭和5年初版でこれまでに5回の改定版が出ている井月全集を全面的に改定し刷新した新しい井月全集を出版する考えを発表しました。 北村会長の任期は、堀内前会長の残任期間となる平成28年11月30日までとなっています。 なお、28日は、高遠さくらホテルで堀内功前会長のお別れの会が予定されています。
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タカノと信大が医療機器共同開発
オフィスチェアの開発などを行っている宮田村のタカノ株式会社と信州大学医学部は脳神経外科などの手術でドクターの負担を軽減する医療機器を共同開発しました。 23日はタカノ株式会社伊那工場で新商品の発表会が開かれました。 「サージカルボディサポート」と呼ばれるこの医療機器は立った姿勢で4時間以上行われる脳神経外科の手術でドクターの負担を軽減するために開発されました。 タカノはオフィスチェアの開発製造を50年以上手がけていて人体サポートのノウハウがあることから開発に携わりました。 信大医学部脳神経外科学講師の伊東清志さんは腰が支えられることにより体の負担が少なくなり手術に集中できると言います。 この医療機器サージカルボディサポートは3月から発売され標準価格は120万円となっています。
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春高伊那駅伝 懸垂幕でPR
3月22日に開かれる「春の高校伊那駅伝」を盛り上げるため23日、伊那市役所の西側駐車場に懸垂幕が設置されました。 懸垂幕は、幅がおよそ1メートル、高さが11メートルで、大会を盛り上げようと、伊那市が毎年この時期に設置していて、大会の日まで掲げられます。 今年の春の高校伊那駅伝は、男子が38回目、女子が31回目となり、男女合わせて、過去最多となる、207チームがエントリーしています。 男子が過去最多で141チーム、女子は去年より6チーム少ない66チームとなっています。 大会は、伊那市陸上競技場を発着に、男子が6区間42.195キロ、女子は5区間21.0975キロをたすきで繋ぎます。 春の高校伊那駅伝は、3月22日(日)に開かれ、女子が午前10時、男子が午後0時5分スタートとなっています。
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東京の平野さん 疎開した無量寺訪れる
太平洋戦争末期に東京から集団学童疎開で箕輪町の無量寺に来ていた平野(ひらの)鍾(あつむ)さんは、戦後70年の節目に20日無量寺を再度訪れました。 78歳の平野さんは、昭和20年3月の東京大空襲がきっかけでその年の11月まで箕輪町の無量寺に学童疎開していました。 東京都中野区の桃園第三国民学校の児童70人が集団疎開したもので、本堂に泊まり、近くの学校で勉強したということです。 平野さんは、昭和20年の1月1日から日記をつけていて、疎開当時の様子も書いていました。 今日、無量寺では、当時の住職の子どもにあたる杉本正樹さんやおばが寮母で東京の子どもたちと親しく接したという漆戸薫さんらが平野さんと対面しました。 平野さんは、疎開する際に東京から荷物を送るときに使った荷札を持参し、当時の様子を話ながら忘れかけていた記憶をつなぎ合わせていました。 平野さんたちが寝泊まりしていた本堂です。 70年前の記憶がよみがえります。 終戦末期、箕輪町内の寺に東京から疎開した児童は、約600人にのぼるといわれています。
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南アルプス食害対策協議会 今年度の活動を報告
鹿の食害から高山植物を保護する活動を行っている南アルプス食害対策協議会が19日に開かれ、辛み成分で作った忌避材の散布など、新たな被害防止策の提案や、今年度の活動報告が行われました。 国や県、信州大学農学部、伊那市などの関係自治体でつくる南アルプス食害対策協議会は、鹿による高山植物の被害を防ごうと2008年から防護柵を設置しています。 今年度は新たに5か所増やし、馬の背周辺に12か所、1,150m設置しました。 結果、防護柵内で植生は回復していますが、マルバダケブキなど高い再生力のある植物が目立ち種類が増えず単調化していると報告されました。 また、信大農学部の竹田謙一准教授は、防護柵に替わる新しい被害防止策を提案しました。 辛み成分のカプサイシンで作った「忌避材」を撒き、鹿の嫌う匂いや痛みを与える方法です。 入笠山で8日間実験したところ、牧草を食べる鹿が減少した可能性があるという事です。 竹田准教授は、ある程度の効果は確認できたとして、忌避材の持続性や散布方法、カプサイシンの濃度などを研究していきたいとまとめました。 協議会会長の白鳥孝市長は、「組織や地域の枠組みを超えて南アルプスの自然を保全していきたい」と話していました。
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リニア見据えた道路整備計画まとまる
リニア中央新幹線の開業を見据え広域的な道路網について考える検討委員会は17日、上伊那・飯伊地域の連携強化など基本方針を盛り込んだ提言書をまとめました。 委員会では、南信地域における広域道路の基本的な考え方などを5回に渡り検討してきました。 17日は飯田消費生活センターで6回目の会議が開かれ、南信広域道路ネットワーク計画案をまとめました。 南信地域における広域道路の基本的な考えは交流拡大、上伊那・飯伊地域の連携強化、リニア中央新幹線長野県駅の利便性向上の3つを基本方針としています。 広域的な交流を支える道路、活性化を支える道路として国道153号、国道361号などを挙げています。 リニアが開業し道路が整備された場合、伊那谷在住者の東京への60分圏域人口カバー率は27%から39%に、90分圏域は60%から94%になると試算しています。 リニアが開業した際、伊那市から東京までの時間は120分としていてスマートICや国道・県道などが将来的に整備された場合、90分に短縮。 また名古屋へは90分から60分になると試算しています。 南信地域広域道路ネットワーク計画は、飯田建設事務所長に提言する予定で、県では今後の道路整備計画に反映していきたいとしています
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信州大学と県内ケーブル局が連携フォーラム
信州大学と日本ケーブルテレビ連盟信越支部長野県協議会が共催して、飯田市遠山郷の霜月まつりについて語り合うフォーラムが15日、飯田市で行われました。 フォーラムは信州大学とケーブルテレビ連盟長野県協議会が地域貢献を目的に連携協定を結んだことで始まり今年で3回目です。 コーディネーターに信大の笹本正治副学長を迎え霜月まつりに関わる6人のパネリストがそれぞれの立場から話しをしました。 霜月まつりを長年研究してきた飯田市美術博物館の櫻井弘人学芸員は、祭りが行われる意味や歴史的背景などを説明しました。 祭りを主催する宮司の宇佐美秀臣さんは地区の人口が減少するなか女性がいないと祭りが成り立たないとして時代に合わせて祭りの形を変えていく必要があると述べました。 フォーラムは飯田ケーブルテレビが取材した霜月まつりの映像を上映しながら進行しました。 参加したおよそ130人は迫力ある映像と合わせて祭りの現状についての理解を深めていました。 祭りを継承し保存していく若者の立場から参加した南信濃の平澤一也さんは出張公演など保存や継承について述べました。 取材する立場として参加した飯田ケーブルテレビの清水千晶さんは地元のメディアとして貴重な映像を記録として残すとともに祭りの現状や課題を伝えていくことが大切だと述べました。 霜月まつりのフォーラムは3月1日午前9時からの放送を予定しています。
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リニア見据え将来ビジョン策定
伊那商工会議所は、リニア時代に向けた地域集客力の創造を柱とした将来ビジョンを策定し、13日発表しました。 川上健夫会頭と、将来ビジョン特別委員会の委員長で八十二銀行伊那支店長の酒井光一さんらが伊那商工会館で発表しました。 平成26年度から28年度までの第26期、3年間のビジョンを示したもので、リニア時代に向けた地域集客力の創造を核としています。 重点的に取り組むのは、地域力の向上や地域資源を活用した観光振興・魅力づくりなどをあげています。 具体的には、街中音楽祭の実施や林業資源を活用した新エネルギーに関わる観光産業の創出、入笠山や鹿嶺高原を中心に魅力ある観光コースの調査研究です。 去年2月に将来ビジョン特別委員会を発足させ、様々な業種の代表から意見を聞くなどして検討を進めてきました。 川上健夫会頭は、「リニア中央新幹線が12年後に東京~名古屋間が開業することで、大きな時代の転換を迎え、新たな人の流れが生まれる」と話し、この将来ビジョンに沿った商工会議所運営を目指したいとしています。 この将来ビジョンは、3月の総会で正式に決定され、27年度から具現化されていく予定です。
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福島南相馬 菜の花プロジェクト
福島第一原発事故による農地の放射能汚染を菜の花で浄化する南相馬市の菜の花プロジェクトで、第1号となる菜種油ができ販売が始まっています。 おととし、2013年の秋にまいた菜種は、去年6月に収穫され、10ヘクタールから7トンの菜種がとれました。 その菜種をしぼったのがこのなたねオイル油菜(ゆな)ちゃんです。 菜の花には放射性セシウムを吸着する性質があり、チェルノブイリ原発事故があったウクライナ地方でも栽培されています。 プロジェクトに参加しているチェルノブイリ救援中部理事長で南箕輪村の原富男さんも購入を呼び掛けています。 小さいビンが1,000円、大きなビンが2,500円です。 福島県南相馬市は、東日本大震災の原発事故により農地が放射能に汚染されました。 「原発に負けずに農業を続けたい」 有機農家やチェルノブイリ原発事故後に菜種による除染をしてきた救援中部、東北大学などが南相馬農地再生協議会を組織し、菜の花プロジェクトを立ち上げました。 ここに地元相馬農業高校も加わり、絞った菜種油を油菜ちゃんと命名、デザインも考えました。 菜種による農地の除染は、年3パーセントと長い時間が必要ですが、菜種を栽培した土地は、他の野菜を育てても2年間セシウムを吸着しないことがわかっていて、南相馬の農業再生の大きな力となりそうです。 東日本大震災からもうすぐ4年。 なたねオイル油菜ちゃんには、被災地の農業再生にかける思いが詰まっています。
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歌手米倉颯音さん市長を訪問
伊那市富県出身で、高遠高校から音楽大学に進みプロ歌手となった米倉颯音(よねくらはやと)さんが5日市役所を訪れ白鳥孝市長に地元でのリサイタル開催を報告しました。 イタリア歌曲を披露した米倉さん。2010年に歌手デビューし、去年2月頃から地元伊那地域での活動を本格化させています。 平成のささきいさおのキャッチコピーで、クラシックから演歌、ポップスまで幅広いジャンルをこなします。 作詞も手掛ける米倉さんは、去年8月にリリースした伊那慕情で地元の風景を歌いこみました。 米倉さんは、3月28日にいなっせでスプリングリサイタルを開きます。 クラシックや日本歌曲、演歌、歌謡曲を披露する予定で、多くの人に聞きに来てほしいと来場をよびかけています。 白鳥市長は、「ぜひ活躍してください」と米倉さんを激励していました。
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南ア世界自然遺産「可能性認められない」
伊那市を含む関係10市町村が、世界自然遺産登録を目指してきた南アルプスですが、環境省は、4日、「世界遺産としての可能性は認められなかった」との結論を発表しました。 環境省がきのう公表した自然遺産登録候補地の調査検討業務報告書によると、候補地となっていた5地域のうち、「阿寒・屈斜路・摩周」「日高山脈」「南アルプス」については、「世界遺産としての可能性は認められなかった」と結論づけました。 理由としては、「生物多様性保全、景観の美しさ、環境の機能、地学を含めた重要な特性や価値を持っているが、専門家でない人々にとって、印象的で、理解しやすく、明白なものでなくてはならず、これらの地域は、この点が異なっている」としています。 伊那市を含む長野、山梨、静岡の関係10市町村でつくる南アルプス世界自然遺産登録推進協議会が、南アルプスの登録に向け、2007年から活動してきました。 報告書の公表を受けて、白鳥孝伊那市長は次のように話しています。 伊那市では、「世界遺産の可能性がゼロになったと思っていない。南アを活用した地域振興策や、環境保護などの取り組みが今後も変わることはない」としています。 10市町村の推進協議会の総会は毎年、5月頃開かれていて、その場で、今後の方向性について話し合うものとみられます。