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伊沢修二の留学先 ブリッジウォーター大教授らが来伊
高遠が生んだ偉人、伊沢修二(1851縲・917年)が留学した米国ブリッジウォーター州立大学のウィンカイ・トゥー教授ら6人が24、25日の日程で来伊し、伊沢修二の生家や高遠藩校進徳館などを回った。
トゥー教授(43)は、日本や中国の教育、文化などを研究しており、伊沢修二の故郷を訪ねたいと足を運んだ。
元高遠町図書館長の森下正夫さんが「伊沢修二は文化の宝石みたいな人」と表現し「進徳館教育を受け、大学で近代教育を身につけ、音楽教育、障害児教育などに業績を上げた」と説明。
トゥー教授は「アメリカと日本の関係に大切な人。伊沢先生が育った環境がわかり、感銘を受けている」と話した。
大学には、伊沢修二の渡航記録や写真などの資料が残っているそうで「また来日して資料を詳しく調べたい。10月に町内で開く伊沢修二の偉業を顕彰する記念音楽祭も見たい」とした。
25日は、酒井副市長らを表敬訪問。
酒井副市長らは、民間レベルで幅広い交流が深まることに期待し、中学生海外研修事業を「マサチューセッツ州でできれば」と検討課題とした。
伊沢修二は東京音楽大学(現東京芸術大学)の初代校長で、1875年から2年間、当時のブリッジウォーター師範学校に留学した。 -
プロ棋士祝賀会と記念囲碁大会
今年度の入段者は全国でわずか6人という超難関を突破して今年4月に晴れてプロ棋士となった駒ケ根市町二区出身の大沢健朗さん(20)=名古屋市=の入段祝賀会が24日、日本棋院駒ケ根支部(宮沢優支部長)の主催で駒ケ根市のアイ・パルいなんで開かれた。恩師をはじめ囲碁関係者など約120人が集まり、苦労の末の快挙達成を祝った。大沢さんはあいさつで「小学校卒業と同時にプロを目指して名古屋市で院生生活を始めたが、周囲とのレベルの違いにがく然とした。いつか追いついてやる、と思っていたが何年もプロ試験に落ち続け、勝負に向いていないと一時はあきらめかけた」と苦しかった時期を振り返った。その上で「だが自分には囲碁しかない、もう一度頑張ろうと必死に努力してみたら負ける気がしなくなり、勝つことができるようになったことで、それまでの努力が足りなかっただけだと気がついた。今年ようやくプロになれたが、1局1局しっかり勝つことを目標に頑張っていきたい」と述べた。
祝賀会に先立って記念の囲碁大会も併せて開催され、約60人が参加して対局を楽しんだ。大沢さんは希望者との指導碁で一度に数人を相手にするなど、プロの実力の一端を披露。時折和やかな表情を見せながら親ぼくを深めた=写真。 -
第4回子どもを育む上伊那地域ネットワークフォーラム
第4回子どもを育む上伊那地域ネットワークフォーラムが23日、伊那市の生涯学習センターであった。『子育てハッピーアドバイス』の著者で精神科医、スクールカウンセラーとして活躍する明橋大二さんを講師に迎え、自己肯定感を育む子育てや不登校、ひきこもり支援のあり方について考えた=写真。上伊那子どもサポートセンター主催。
明橋さんは、現代の子どもをめぐるさまざまな問題の根幹には、子どもたちの極端な自己評価の低さがあることを指摘。「自己肯定感」という観点を問題としてこなかったこれまでの日本の子育てについて触れ「もっともっと子どもを誉めてやっていいのではないか」と語った。
また、いじめや虐待などといったさまざまな要因によって自己肯定感が傷つけられてしまった子どもたちに対して勉強やしつけなどといったものを押し付けると、子どもたちは「自分はできない」と思い込み、さらに自己評価を低くしてしまうため、自己評価が低くなっている子どもたちに対してはまず、頑張りを認め、ねぎらってあげることで、自己肯定感を育て直してあげることが必要とした。
不登校については「心身のオーバーヒートに対してサーモスタットが作動した状態。きわめて自然な生理的現象」と説明。心身の疲れが収まれば再び回路はつながるため、むりやり回路をつなごうとするのではなく、まずは子どもの症状を大事にして付き合い、それを無理矢理押さえ込んだりしないことが大切なことを示した。 -
第7回みのわ芸術祭
みのわ芸術文化協会の第7回みのわ芸術祭は23、24日、町文化センターであった。協会に所属する団体が舞台発表や作品展示で日ごろの活動の成果を披露しあった。
初日の舞台発表は第1部で「中山晋平記念音楽賞」受賞曲の披露演奏や、長谷ざんざ節保存会による長谷の民謡「きんにょんにょ」などがあった。第2部はコーラス、舞踊、詩吟、太極拳などで、箕輪町民謡を楽しむ会は「箕輪町の歌」に振り付けをした踊りも発表した。
作品展示は2日間開き、絵画、陶芸、木彫、アートフラワー、ちぎり絵、パッチワーク、書道、短歌、俳句など多彩にそろった。いずれも力作で、来場者が関心を寄せて見入っていた。 -
高遠の歴史と文化財の講座・開講
伊那市の高遠町公民館は22日夜、町総合福祉センターやますそで、恒例の公民館講座「高遠の歴史と文化財の講座」を開講した。初回は市内から34人が参加し、町歴史博物館の北原紀孝館長が「高遠城の変遷竏苧jの城主をたどる竏秩vと題して話した=写真。
北原館長は、武田信玄が攻め入るまで高遠を治めていた・ス諏訪の一族・スをはじめとする、室町時代から江戸時代までの約500年の間に城主を務めた26人を紹介。特に地元でNHK大河ドラマ化を目指す「保科正之(1611竏・3年)」について、その功績などを説明した。
正之公は徳川家康の孫。高遠で26歳まで住んだ後、会津藩主を務める。その後は、江戸で20年間暮らし、幼かった4代将軍を支えた。江戸では「殉死の制度」「人質の制度」を廃止し、都市計画や福祉政策に携わった経歴がある竏窒ニした。
北原さんは「正之は青春時代を高遠で過し、人道的制度をこの地で学んだといえる。これらの哲学を生み出した、この風土がそうさせた」と話した。
同講座は、郷土の歴史と文化財について学習する目的で開き、13年目を向かえる人気講座。本年は、「高遠城の歴史を知る」をテーマに、7月13日までの計4回を計画。高遠城の構造や特徴、城内の桜などについて3人の講師から学ぶ。 -
地域の古くからの呼び名を橋に名付けて後世に
宮田村町一区に残る字名(あざな)「大曲り」。江戸時代に賑わいを誇った伊那街道や宮田宿の歴史を今に伝える由緒ある地名だ。社会変化などで歴史の片隅に忘れ去られつつあったが、後世に残そうと住民有志が一念発起。街道が通る大沢川の無名の橋を「大曲り橋」と命名し、表札を設置することになった。7月8日には住民勢揃いで除幕式を開く。
江戸時代の宿場町特有の防御手段・ス鍵の手・ス。敵の攻撃や侵入を防ぐために作られたとされる大きく右に左に曲がる道筋だが、宮田宿の北側に位置するこの一帯はいつしか「大曲り」と呼ばれるようになった。
今も街道の面影を色濃く残し、幅は広くなったが道筋も現存。
この地に生まれ育ち、村の文化財審議委員を務める本田秀明さん(75)は「昔は大曲りに住んでいると言えば、村内だけでなく近在の人もみんな分かってくれた」と話す。
昭和40年代以降、区や班、番地などが住所確認の主流となり、村内に数多くあった字名とともに、大曲りの名前も徐々に衰退した。
「今じゃ60歳以上じゃなければ、あまり使わなくなった。それだけに江戸時代から続く名前を残したいと思って」と高橋清八さん(81)。
本田さん、高橋さん2人が発起人となり15戸が賛同。地区の北端にあたる大沢川にかかる無名の橋に「大曲り」の名前を残すことになった。
管理する村の許可も得て、御影石でできた表札を橋脚部分に設置。「古い字名を若い世代にも愛着を持ってもらい、地域のシンボルになれば」と2人は期待を寄せている。 -
【朝の学舎】森の木漏れ日 ≪森の空を見上げてみよう≫
伊那市の西箕輪小学校は、周囲を豊かな学校林に囲まれている。すべての学級に木の名前がつけられ、休み時間になると学校林の中に設けられたアスレチック施設に子どもたちが集まってくるなど、日常的に森や木を近くで感じることができる環境だ。
前回の朝の学舎で、4年生のとち組・きり組の子どもたちは、通学路の途中にある有賀建具店を訪ね、自然の木のすばらしさを感じる授業を体験した。実際にカンナで木を削ったり、有賀さんが製作した64種類もの樹種を使った箪笥を見たり、五感で木を感じた子どもたち。その後、学校林にある樹木に興味を持ち、木の葉っぱや肌を観察して、次第に森への興味をふくらませていった。
そこで、今回、森づくりの実践者・内田健一さんを迎え、森の授業を受けた。 -
五感で楽しむおはなしのへや「自然の色を楽しむ」
中川村図書館(杉沢かおり館長)は23日、「五感で楽しむおはなしのへや」を行ない、藍(アイ)の生葉やツユクサの花などを使い、たたき染めで自然の色を楽しんだ。
親子ら30人が参加、杉沢館長の指導で、藍の生葉やチェリーセージのピンクの花、ワイルドストロベリーの実などをつぶして、色液を出し、ラップの上から石で叩いて、木綿の布に色を写した。
チューリップや木、ヨット、葉など色々な型紙を使って形も工夫した。
参加者は布に写した葉の緑色が、空気に触れて青く変わる、色の変化に目を見張った。
田島から長女と参加した松村素能子さんは「色がきれい、形も楽しい」とでき映えに満足そうだった。 -
【駒ケ根市外国語指導助手 マシュー・チャールズ・リトルさん】
昨年8月に着任し、市内の小、中学校で児童、生徒に本場の生きた英語を教えている。任用期間は1年だが、向こう1年間の再任用が既に決まっている。
英国ポーツマス市の出身。ヨーク大学で英国史を学んで卒業後、JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)により来日した。
「東京に住んでいるおじさんが日本の伝統的な祭りや街の様子を話してくれて、文化や歴史などに興味を持っていた。日本に来て英語教師をやりたいと思ったのは、大学の友達からJETの話を聞いたから。でも、その友達が来日するのは今年の夏。影響を受けた僕の方が先に来たんだよ」
外国人に比べて日本の子どもは引っ込み思案だといわれるが「そんなことないよ。みんなフレンドリーだし、積極的に話し掛けてきてくれる。いい子たちだ」。
日本で暮らすのは初めて。一度、オーストラリアへの旅行の帰りに飛行機の待ち合わせで立ち寄っただけだという。慣れない生活の中で戸惑った経験も数知れない。特に困ったのは、学校で行われるさまざまな式や行事がどう進んでいくのかまったく分からないことだった。
「予備知識がないから、次に何が起きるのか見当もつかないんだ。普段いろいろと教えてくれる先生も式の最中に付きっきりで僕に説明なんかしていられないからね。あと、印刷物を読めないから学校の予定が分からないのにも困るね」
当初はほとんど分からなかった日本語だが、簡単な日常会話ならこなせるようになり、カタカナとひらがなも何とか読めるようになった。
「だけど漢字は難しくていまだに読めない。僕の日本語レベルはまあ中学2年生の英語能力程度かな」
暇をみては日本のあちこちを旅して回っている。東京、京都、広島、能登竏秩B札幌の雪祭りには特に感動したという。
「雪をあまり見たことがなかったせいもある。ポーツマスは冬でも暖かいんだ。だから駒ケ根の寒さはこたえたよ。教員住宅はボロだしね」
来日以来、一度も故郷に帰っていない。
「日本での生活が楽しいから別に寂しいとは感じていない。でも両親が10月に来るかも知れないんだ。僕が日本に行きたいと言った時、両親は『外の世界を見るのは良いことだ』と言って励まし、快く送り出してくれた。久しぶりに会えるのはやっぱりうれしいね」
(白鳥文男) -
07年度教科書展示会
伊那市の生涯学習センター4階にある上伊那教科書センターで7月9日まで、07年度の教科書展示をしている=写真。
展示会は小中学校や高校で使用されている教科書広く知ってもらうための機会として例年行っている。今回は小学校で現在使用されている9科目11種目の295冊、中学校で現在使用されている9科目16種目の117冊を展示している。また、高校については08年度からに新たに発行される教科書の一部、18科目61種目の一部、223冊を展示。文部科学省が3月に公表した教科書検定の結果、沖縄戦の集団自決で日本軍が関与した記述を削除した日本史の教科書なども含まれている。
午前9時縲恁゚後5時(27、30日、7月1、4日は除く)。 -
宮田中自律学級、炭火の手づくり五平餅に挑戦
宮田村宮田中学校「自律学級」は21日、村の福祉交流施設なごみ家を訪問。炭火で焼く五平餅づくりに挑戦した。
施設を利用する高齢者らと一緒にご飯をつぶして餅状に。ワイワイにぎやかに調理した。
なごみ家自慢のビッグな火鉢が登場。炭をひいた網の上で、生徒たちがじっくりと焼いた。
味噌をふんだんに塗り、「香ばしくていい匂い」と歓声も。こんがりキツネ色に仕上り、子どもたちもニンマリ。さっそくみんなで舌鼓を打った。
地域にふれる総合学習「プラムデー」の時間を使い、同施設を利用する高齢者らと5月にも交流。この日も食後は前回に引き続き、生徒たちが講師になって陶芸を教えた。 -
城跡探検」「土器探し」に親子35人
飯島町教育委員会などの飯島陣屋元気もりもり塾が23日開講した。初回は親子35人が参加、本郷の飯島城址を探検し、十王堂坂の上遺跡で土器探しをして、昔の人が地上に残した痕跡を探った。
本郷公民館に集合した参加者は、町文化財調査委員の伊藤修さんの案内で、相の掘を経て、今は水田になっている本城に。
伊藤さんは「城には弓矢、刀を作るかじやなどがあった。飯島城は伊那谷屈指の平山城で本城と登城からなり、各郭(くるわ)に空掘を設けた」と説明した。
参加者は土がこんもり盛り上がった土塁を観察し、昔の人がどのように地形を改造し、敵の攻撃に備えたか、理解を深めた。
この後、西岸寺では開祖、大覚禅師にまつわる伝説「紫金水」に耳を傾けた。
最後に十王堂坂の上遺跡に移動、畑の中から土器片や黒曜石などを探し、熱心に磨いた。
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赤穂東小1・2年生交通安全教室
駒ケ根市の赤穂東小学校(太田寿久校長)は21日、1・2年生対象の交通安全教室を開いた。児童らは交通量の多い国道153号線伊南バイパスなど、学校周辺の一般道に出て歩き方の実地訓練。安協役員や教職員の指導を受けながら横断歩道の安全な渡り方などを学んだ。
駒ケ根署の五十嵐三郎交通課長は児童らに「横断歩道で手を上げるのは、渡ることを車の運転手に知らせるため。よく見えるようにしっかり手を上げよう。信号が青になってもすぐに渡ってはいけないよ。曲がって来る車があるかもしれないからよく確認して」と安全な横断のポイントを指導した。
一般道に出た児童らは教えられた通りしっかり手を上げ、真剣な表情で周囲を確認して横断歩道を渡っていた=写真。中には「もっとしっかり見ないとだめだよ」などと友達に注意するしっかり者の児童も見られた。 -
宮田中プラムデー、保育園児との交流も
宮田村の宮田中学校は21日、総合学習で地域などに出て調査や活動をする「調べ学ぶプラムデー」を開いた。先月に続いて2回目。より内容を深めようと、生徒たちが意欲的に取り組んだ。
人との交流をテーマにする3年3組。そのうち女子9人は西保育園を訪れ、園児たちとふれあった。
遊んだり給食を食べたり、お昼寝、おやつもずっと寄り添った生徒たち。
園児に喜んでもらおうと、魚釣りゲームを作ってきたり、一緒に園庭をかけまわって遊ぶ姿もみられた。
各学級ともに学習の成果は9月末の学校文化祭「梅樹祭」で発表する。 -
高校改革プランの今後の進め方について上農定時制振興会としては方向性示さず
上伊那農業高校定時制振興会(会長・小坂樫男伊那市長)の総会が21日、同校であった。08年度実施の新しい多部制・単位制高校に統合する準備が進む中、一部の委員からは「箕輪工業高校との統合について振興会としての方向性を示すべき」という声があったが、会の進行役を務めた副会長の北原明伊那市教育長は「振興会の本来的な意味と異なる」として、同会としては意思決定しない方針を示した。
総会に出席した白鳥保太郎定時制部会長代行はこの日、多部制・単位制となる現・箕輪工業高校に上農定時制が統合されることで懸念される交通面、教育環境面などの問題点を改めて指摘。「上農定時制の生徒にとって本当に良いことなのかどうかを検討し、一つの結論を出すべきでは」と意見を求めた。
これに対し北原副会長は「振興会の本来の主たる任務は現在いる生徒を経済的面から支援すること。県の施策に異議を申し立てる組織ではないと思う。個人的に定時制の存続を求めることは妨げないが、振興会としては意思決定して動くことはできかねる」とした。
現在同校については、同窓会定時制部会のメンバーが中心となって「上伊那農業高校定時制の存続を願う会」を発足し、県会や市議会に存続を求める陳情書の提出などをしているが、県が14日に「高校改革プランの今後の進め方」では、「箕輪工業高校の多部制・単位制高校への転換と上伊那農業高校定時制の統合は施設・設備を整備しながら08年度に実施する」という方針が示されている。 -
中沢小プール開き
駒ケ根市の中沢小学校(北原三千生校長)で20日、プール開きがあった。梅雨の最中とあって天候が心配されたが思わぬ晴天に恵まれ、水温も24度とまずまず。初泳ぎを前に、一列に並んで水を掛け合った児童らは「冷たい」と歓声を上げながら、久しぶりの水の感触を全身で楽しんだ=写真。
プール開きの会では、集まった全校児童の前で北原校長らが水の安全を願って清めの酒と塩をまいた。北原校長は「待ちに待ったプール開きの日を迎えた。水と仲良くなり、それぞれ目標をもって一生懸命練習してください。決まりを守って楽しく泳ごう」と児童らに呼び掛けた。 -
名物丼が給食に
特産山ぶどうワインを味付けに使う宮田村の名物丼が20日、宮田中学校の給食に出された。「地産地消にこだわって誕生した名物丼を子どもたちに食べさせたい」と、学校栄養士と給食調理員が春から構想をあたため、味にもこだわった力作。食べ盛りの生徒たちは「お店とはまた違った味で美味しい」と舌鼓を打った。
油で揚げた鶏、豚肉に、村内で収獲したばかりのタマネギ、シメジと栄養満点。
ワインに加え、エキスが詰まった山ぶどうの皮を下味に使用するこだわり。昆布だしの汁と調合し、ショウガが入ったしょう油ベースで炒めて仕上げた。
名物丼は3月末に村内12店舗で発売を開始し、店舗それぞれで味が違うのも特徴。
1年1組の男子5人は総合学習で名物丼を調査し、食べ比べを行っているが、メンバーの1人でもある酒井悠希君(12)は給食の名物丼について「今まで3軒で食べたが、今日のが一番山ぶどうの風味が口に残った」と話した。
この日は、清水靖夫村長や名物丼の開発に携わった商工会青年部の小田切等部長らを給食に招待。
小田切さんは「名物丼が子どもたちに注目されることは非常にうれしい。給食としても長く愛してもらえれば」と話した。 -
箕輪東小で祖父母交流会
箕輪東小学校で20日、祖父母参観があった。約140人が訪れ、児童の活動の様子を見学するとともに交流を深めた。
祖父母参観は普段はなかなか学校を訪れる機会の少ない祖父母に学校を訪れてもらうとともに、祖父母と一緒に暮らしていない児童らにお年寄りとの交流を深めてもらおうと毎年行っているもの。同時に、地域の人たちにも学校を開放し、学校の様子を知ってもらう機会としている。
交流会では、学年ごとに授業の中で学んできたことや音楽、歌を披露。また、児童らの登下校を見守っている「安全見守り隊」のメンバーとの顔合わせもあり、児童代表の井沢治樹君は「雨の日も雪の日も見守っていただきありがとうございます」と感謝の言葉を贈った。それに対し見守り隊代表の中村武二さんは、横断歩道での左右の確認など、気を付けてほしいこと3点をあげ「これからも見守っているので元気よく学校に行ってほしい」と語った。 -
上伊那岳風会が温習会
上伊那岳風会(堀内岳茂会長)は17日、日ごろ鍛えた吟技を発表する「温習会」を宮田村民会館で開いた。独吟のほか、合吟や家族での競演もあり、剣舞、扇舞などでも研さんの成果を披露した。
日本詩吟学院岳風会傘下の同会は、昨年創立40周年を迎え、ますます会員が意欲的に技術向上にまい進。
この日も159にも及ぶ出吟があり、朗々で優雅に、時には猛々しく、会場一杯に詩吟の世界を響き渡らせた。 -
ツバメの生活見て感じて、宮田小2年2組
宮田村宮田小学校2年2組は、ツバメの調査を始めている。19日には学校近くのスーパー「こいち」の軒先にある巣を双眼鏡などを使って観察した。
ヒナのために絶え間なくエサを運び込む親鳥。子どもたちは「口を開けて待ってるよ」「親が来なくなった」と、つぶさにツバメの行動を見続けた。
「4羽いる」「いや5羽だよ」。目で見て、肌で感じた鳥の様子を熱心にスケッチする姿が。一方ではずっと双眼鏡をのぞき込み、放さない児童も。
入学当初の昨年から野鳥観察に取り組む同学級。担任の原一彦教諭は「子どもたちのモノを見る目はこの1年で大きく成長したと思う」と話す。
ヒナが巣立つまで観察を続ける予定。さらにアンケート調査などを通じて、村内のツバメの巣マップも作りたいと夢も広がる。 -
ミヤマシロチョウを守れ!!
伊那市は18日、同市高遠町の入笠山で、県天然記念物のミヤマシロチョウ(シロチョウ科)の食草であるメギの苗木100本を植栽した。高遠、高遠北小学校の4年生計65人と県自然観察インストラクターの征矢哲雄さん(77)=南箕輪村=らが実施。児童たちはメギ特有の鋭いとげに注意しながら丁寧に植えていった=写真。
ミヤマシロチョウは絶滅が危惧(ぐ)される標高1400メートルから1800メートルに生息する高山蝶(ちょう)。7月中旬から8月中旬まで舞い、1匹辺り150個を産卵する。幼虫期にはメギやヒロハヘビノボラズの歯を食べて成長する。
征矢さんによると、7年前、動植物や地質などの自然環境基礎調査で入笠山に生息するミヤマシロチョウの激減を確認。5年ほど前から旧高遠町と協力し、環境保全への意識を高めるための学習会を開始し、毎年、100縲・00本のメギの苗木を植栽してきた。
「入山する観光客が増え、とげのあるメギが伐採されたことやミヤマシロチョウが乱獲されたことが減少の原因」と征矢さん。「直ぐ蝶は増えないかもしれないが、行動を通して郷土の自然の大切さを実感してほしい」と呼びかけた。
児童たちは、掘った穴の中に肥料を施し、高さ50センチほどの苗木を植栽。高遠小学校の米山優哉君(9つ)は「ミヤマシロチョウは図鑑でしか見たことがなかったので、これできっと本物が見れるはず」と話した。 -
コンサートと講演会
「歌声喫茶in駒ケ根」を主催する駒ケ根ともしび歌声喫茶実行委員会は16日、2007初夏の歌声喫茶として「花と緑と歌を愛するあなたへ」と題してソプラノ歌手清水正美さんのコンサート「金子みすゞの心を歌う」と、ガーデンプランナー本橋奈津子さんの講演会「イングリッシュ・ガーデンに学ぶ」を駒ケ根市の駒ケ根高原美術館で開いた。「みんなで歌おう歌声喫茶花の歌オンパレード」も開かれ、参加者は花にちなんだ数々の歌を歌って楽しんだ。
コンサートでは昭和初期の童謡詩人金子みすゞの詩に作曲家大西進が曲をつけた十数曲を清水さんが熱唱=写真。つやのある透き通った歌声をホールに響かせた。 -
手づくりの演奏会「レクイエム」合唱団発足
来年6月の手づくりの演奏会「レクイエム」に向け、17日夜、伊那市生涯学習センターで発足式があった。公募した団員が顔をそろえ、早速、練習に入った。
団員は伊那谷をはじめ、昨年の「第九」演奏会で交流のあった木曽など約180人。地元出身で千葉県在住者もいる。「第九」の影響から、これまでに比べて参加者は40人ほど増えたという。
レクイエムはフォーレ作曲で、伊那谷では初演となる。今回、オーケストラの要望も取り入れて選曲した。
発足式に続き、参加者は楽譜を見ながら、ピアノ伴奏に合わせて練習。ラテン語の歌詞を区切り、指導を受けて歌った。
練習は08年1月まで月1回のペースで開き、2月からは月2回となる。5月からオーケストラやソリストとの合同練習に入る。
手づくりの演奏会は、県伊那文化会館開館記念で演奏した「第九」以来、2縲・年に1度、演奏会を開いている。 -
公民館婦人学級が史跡めぐり
宮田村公民館婦人学級は15日、歴史遺産が数多く残る中越区の史跡めぐりを行なった。梅雨の中休みで晴れ間も広がり、絶好の探訪日和。初夏の風を受けながら、村の豊かな歴史にふれた。
村教育委員会の小池孝さんの案内で、約5キロの道のりを歩いてめぐった。
縄文時代に大集落を形成した中越遺跡では、復元住居などを見学。諏訪神社、南羽場の石造物群、かやの木など、地域の人に守られ育まれてきた史跡を次々とたどった。
天竜川の絶壁を自然の要害とした北の城では、戦乱に巻きこまれた中世、戦国時代の様子についての説明も。
今にも続く集落や地名がいにしえの昔から脈々と続いていることを知り、歴史ロマンを満喫していた。 -
東伊那小でプール開きの会
駒ケ根市の東伊那小学校(小川清美校長)で14日、プール開きの会が行われた。あいにくの雨のため、予定されていたプール開きは中止。児童らは「楽しみにしていたのに…」と残念そうに話し合っていた。代わりに体育館で開かれた会では、2、4、6年の代表児童らが全校児童の前に進み出て「クロールが泳げるようになりたい」「頑張って練習して良い記録を出したい」「丁寧にきれいに泳ぐことを心掛けたい」などとそれぞれ決意を発表したり、スポーツ交流委員児童らがプールへの入り方の手本を見せたりした=写真。
小川校長は「今年の夏は暑くなるそうだから泳ぐにはとてもよい。目標を持って練習し、自分の力を伸ばすよう頑張れ。水の事故を起こさないように、決まりをしっかり守りながら体を鍛えよう」と児童らに呼び掛けた。 -
子どもたちもパイロット、宮田村ラジコン愛好会がインドア飛行会
宮田村ラジコン愛好会(竹内浩一会長)はこのほど、宮田小学校体育館でインドア飛行会を開いた。箕輪町から飯田市まで愛好家約20人が参加。地元の子どもたちも加わり、ラジコンヘリコプターや飛行機を巧みに宙に舞わせた。
竹内さんは初心者にも手軽に飛行を楽しんでもらおうと、小型電動ヘリを円盤型に改良。
この日も地元の小学生数人が挑戦し、機体が宙に浮くと「ワーッ」と歓声があがった。
送信機で操りながら、飛ばす醍醐味を心ゆくまで満喫。
「誰でも楽しめるのが今のラジコンの世界。多くの人に味わってもらえれば」と竹内さん。今後も飛行会を予定しており、メンバーも随時募集している。 -
遊ゆう広場で絵本を見る会
宮田村町二区仲なかふれあいセンター内の乳幼児親子交流施設「遊ゆう広場」は13日、絵本を見る会を開いた。
広場に常設してある絵本に加え、村図書館から人気の25冊を借りてきて、親子で自由に読めるように初めて企画した。
子どもたちが読んでもらいたい本を自身で選び、母親のもとへ駆け寄る姿も。
男の子にはトーマスや自動車など、乗り物の絵本が人気。女の子は物語風のかわいらしい絵本を手に。
絵を見ながら母親の読み聞かせに耳を傾ける子どもたち。世界が広がる本の楽しさを親子一緒に味わっていた。
会場では村内のグループ「お話宅Q便」による読み聞かせ、手遊びなどもあった。 -
親王伝説で交流、遠く2つの地を結んで
宮田村と奈良県五條市。遠く数百キロも離れた2つの地が、「他戸(おさべ)親王」という奈良時代の皇太子をキーワードに結ばれている。9日には親王をまつる五條市御霊神社の藤井治宮司が宮田村を訪れ、来月発売する地元の名水地ビール「梅が里麦酒」の採水神事で斎主をつとめた。
「暗殺されたと聞いていたが、宮田村に隠れ救われたのではと地元の人たちから数年前に話しを聞かせて頂き驚いた。それが本当なら何かホッとする気持ちです」。採水神事を厳かに終えた藤井さんは笑顔で話した。
定説では政争に巻き込まれた親王は、母親の井上内親王とともに殺されたとされる。
しかし、宮田村には親王が詠んだとされる和歌が伝わっており、村が・ス梅が里・スと呼ばれる由縁にも。
「北御所」「上の宮」など関係した地名も今に残り、宮田村誌には「黒川上流の北御所には、光仁天皇の第三皇子(他戸親王)がかくれておられた」と記述する。
村民有志でつくる村おこし実行委員会は親王の物語を創作。大型紙芝居もつくり、5年前から御霊神社の例祭に出演参加するようにもなった。
「親王がもたらしてくれたつながり。今後も深めていければ」。相互の交流は始まったばかりだが、藤井宮司も期待を寄せる。 -
箕輪町郷土博物館特集展示「柴宮忠徳の世界」
箕輪町郷土博物館は、箕輪町大出出身で今春、68歳で急逝した洋画家の柴宮忠徳さんの作品を紹介する特集展示「柴宮忠徳の世界」を開催している。
柴宮さんは、東京学芸大学美術科を卒業し高校教諭になるが、教職を退き制作活動に専念。安井賞展入選3回、第1回現代日本画展で銀賞受賞。立軌展は81年の第33回から第43回まで毎回出品。89年には紺綬褒章受賞。千葉県佐倉市に暮らしていた。
今回、遺族から作品22点の寄贈があり、そのうちの16点と以前に寄贈された作品2点の計18点を展示した。
作品は第15回安井賞展入選「野の休息」、立軌展に出品した「回想の風景」「秋色」「萌える」「湖のある風景(登る)」など。「明るい色調が見るものに鮮烈な印象を与える作品」という。
展示は7月1日まで。時間は午前9時縲恁゚後4時半。月曜休館。入館料大人100円、中学生以下無料。 -
【ネイチャー・アート 市山泰子さん】
野山にある身近な素材竏忠ヤ、枯れ枝、木の皮、種、コケ、落ち葉、流木、昆虫の繭…。そんなありふれた材料を集め、オリジナリティあふれる美しい装飾品に変身させる。結婚、家の新築などさまざまな要望に応じて作品を制作する一方で、森を舞台にした創作ワークショップを開催し、自然の魅力を発信し続けている。
98年には『くらしを彩るリース竏註Xを歩く、リースをつくる』を出版。そのほか新聞、雑誌にエッセーを連載する傍ら、自宅近くにある養命酒製造駒ケ根工場の「健康の森」、「記念館」でディスプレー・アドバイザーも務めている。
「作品展を見た人が『こんな材料なら家の周りにもたくさんある』と驚きの声を上げるのを聞くと本当にうれしくなります。作品の評価のことではなくて、見過ごしていたきれいな物が身の回りにはたくさんあるんだ竏窒ニ気づいてくれたことがね」
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北アルプスのふもと、谷深い小谷村で生まれ育った。小学校5年生の時に通い始めた生け花教室の初日、先生に言われた。
「材料は花屋では買わない。自分で山に行って気に入った物を採っていらっしゃい」
もともと野山が好きで毎日傾斜が急な原生林で遊んでいたくらいだから喜んで山に行き、時間を忘れて歩き回っては抱え切れないほどの花や葉を集めた。
「山に一人でいても怖いと思ったことはなかったけれど、それでさらに山と親しくなりました。木漏れ日や水のせせらぎ、鳥の声…。そんな美しい自然の中で過ごしたおかげで情緒的な感性が育まれたんじゃないかな」
長じて金沢、京都などに住んだが、山の近くで暮らしたいという思いは募るばかりだった。20年ほど前、自然の中での暮らしに賛同した夫が長野県に転職。駒ケ根に定住した。
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「どこでリース作りを習ったのかと時々聞かれますが、誰にも教わったことはありません。山に行き、目に留まった素材を集めて組み合わせるだけで素敵なリースができるんです。自然に浸り、美しさを見つけ、造形する竏秩B特別な技は何もいらない」
レッスンでも「作り方にとらわれないで、好きなように」とアドバイスする。注意するのは、型にはまってしまうことだ。
「山に嫌われていなければ良い材料を見せてもらえる。そんな森との一体感が幸福なんです。だから毎日森を歩いている。人間というのは、自然から離れれば離れるほど不安になるんじゃないでしょうか。自然は人の心を支え、励ましてくれるのに…。みんなもっと山に行き、森を歩いて美しさを発見してみてはいかがでしょう」
(白鳥文男)