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伊沢音楽祭参加の東京芸大学生
高遠中・高生を一日レッスン伊沢修二記念音楽祭(29日開催)出演のため高遠町を訪れている東京芸大オーケストラの学生が30日、高遠中で、高遠中と高遠高の吹奏楽部の生徒に楽器の演奏法などを指導した。
フルート、クラリネット、サクソフォンなど楽器の種類ごとに芸大学生が指導するもので、毎年行われ、05年は6月に続いて2回目。その楽器専門の学生の指導に、生徒は食い入るように耳を傾けていた。
ユーフォニアムの教室では、芸大4年の小林敦さんが高遠中の2人を指導。楽器を吹くときの姿勢、呼吸法、指の動かし方などを教えながら、メトロノームの音に合わせて、練習曲を演奏した。
小林さんは「教えたことが今後の部活に生かされるとうれしい。1日だけのレッスンでは、その後の努力や成長が見えず残念」と話した。
レッスンを受けた2年の伊東有沙子さんは「ユーフォニアム専門の話が聞けてよかった」。同じく2年の今井香央里さんは「姿勢を正し、吹き方をきちんとすると音がとても変ることに驚いた」と感想を述べた。 -
シックデイや災害時
糖尿病患者はどうする
糖尿病セミナーで講演・討論糖尿病の病状や予防法・治療法を学ぶ第4回信州糖尿病セミナーが30日、伊那市駅前ビル「いなっせ」であり、約250人が講演やパネルディスカッションに熱心に耳を傾けた。県糖尿病協会などが主催。開催地は県内各地の持ち回り。第4回の今回の世話人は、神山公秀さん(神山内科院長)、市川和夫さん(伊那中央病院内科部長)が務めた。
「どんな時でも糖尿病と仲良く」をメインテーマにした今回のセミナーでは、糖尿病患者がカゼや胃腸障害など発熱・下痢・嘔吐・食欲不振に襲われる「シックデイ」や、大型地震などに被災した場合に何を注意するべきが窶泊蛯ォなテーマ。
専門医である洪内科クリニック・洪尚樹院長の講演のほか、新潟県小千谷市在住の永井美智子さんが新潟中越大地震の被災地で糖尿病治療で苦心したことを体験発表した。
パネルディスカッションでは座長の市川医師のほか、患者3人・管理栄養士・看護師・臨床検査技師窶狽フ計6人がパネリストとして登壇。
「大地震で(糖尿病の必須薬である)インスリンを使えなくなったらどうしたらよいか」「災害前から何を準備しておいたらよいか」など切実な問題を議論した。
会場の参加者から「血糖値を下げるため食事療法と運動療法で苦労している。災害の時には、人に迷惑をかけないだけでなく、もっと大変な人を助けなくてはいけないから、皆さん気合を入れて病気を治しましょう」などの発言もあり、盛大な拍手を浴びていた。 -
旭日双光章受賞(専門工事業振興功労)
麻野幸好さん(81)箕輪町三日町の農家に長男として生まれ、箕輪町役場勤務、建設業を経て1965年に駒ケ根市に信濃広告を設立。現在取締役会長。その間、県広告美術塗装業協同組合連合会会長、甲信越地区広告美術業組合連合会会長などを歴任し、業界の発展に尽くした。屋外広告物審議委員、景観審議委員・アドバイザーを務めるなど、屋外広告行政にも積極的に協力し、行政とのパイプ役としても活躍。
「(受賞は)うれしいが、自分の力だけではない。業界や関係者など、多くの人に代わっていただくものと思う」と謙虚に語る。
広告業に飛び込んだのはまさに日本が経済成長に入ろうとする時代だった。「役場の天井の節穴を定年まで眺めて暮らすのかと思ったら嫌になっちゃってね。役場を辞めた後、建設現場でもっこかつぎなんかをして金を貯め、それを元手に看板屋を始めたんだ。金がなくてもできるから窶狽ニ思ってね」
同業者の敬遠する仕事にも積極的に挑戦し、伊那谷一円の役場や国鉄(当時)飯田線の仕事を一手に引き受けるなど、順調に発展を続けてきた。
「振り返れば、80年一日のごとし窶狽セね。いろいろと世相の動きはあったが、今日を省みて明日を考える。この繰り返しでやってきた。後退せず、前に進むことだけを考えて何事にも努力してきたつもりだ。これからも体験から何かをつかもうとする意欲はずっと持ち続けていたいね」 -
旭日双光章(地方自治功労)受賞 中坪敏郎さん(74)
1987年に駒ケ根市議会議員に初当選。03年に引退するまでの4期16年間にわたって市政の発展に尽くしてきた。95縲・9年までの2期4年間は市議会議長を務め、議会の長としての重責を担った。
◇ ◇
「父は、私を絶対に議員にさせない窶狽ニ生前言っていたようだが、いろいろな成り行きで議員として働くことになった。中でも印象に残っているのは、議長時代、全市全戸への下水道整備、南田市場の区画整理、伊南バイパス建設などについて中原正純市長に相談を受け、これらの課題の実現に向けて協力して全力で取り組んだことだ。地域の人の理解をどうやって得るかで大変苦労したが、市民の皆さんの手伝いが少しはできたという気がする」
「市長とは遠慮なくやり合ってきた。今後の議員に言いたいのは駄目なものは駄目とはっきりと言い、やる時はとことんやれということだ。市長が言うことに同調してばかりいてはこれからの時代はうまくいかない。理事者や議員にはそのあたりの読み違えをしないように望みたいね」
「(受賞は)市民のためにと思ってやってきたことを評価してもらえたのかもしれないが、何だか申し訳ないような気持ちだ。支えてくれた多くの人たちに感謝したい」 -
ミツバチ供養
伊那市の小松養蜂園(小松実治代表)は30日、西箕輪羽広の仲仙寺でミツバチ供養をした。受粉のためにミツバチを使う上伊那のイチゴ生産者26人が参列した。
小松養蜂園のミツバチは、10月から翌年5月までの7カ月間、イチゴ栽培のハウス内で受粉のために働く。今年は10月20日過ぎからハウスに放している。12月初旬には実がなり、クリスマス時期の出荷に間に合わせる。
ハウス内で働くミツバチは、自然環境の中と比べ短命になってしまうという。生産者は1年間働いたミツバチに感謝し、静かに手を合わせた。 -
瑞宝双光章(教育功労)受賞
高坂保さん(76)「教え子たちは幾つになっても『先生、先生』と言って慕ってくれる。教師をやってきて良かったとつくづく思いますね。本当に楽しかった。でも振り返ってみれば教え子に教えられることの方が多かったですね。今回の受賞も支えてくれた教え子や保護者、先輩たちとともにいただくものと思います」
◇ ◇
七久保村(現飯島町七久保)の村長の家に生まれ、予科練(海軍飛行予科練習生)を経て大陸で戦闘機の訓練中に終戦を迎えた。本土への復員船の中で「これからの日本は大きく変わっていかなければならない。それには何といっても教育が大切だ」と考えを定め、理想に燃えて教職の道を選んだ。1950年、長野市の川端中学校を振り出しに下諏訪町、伊那市、松本市、駒ケ根市、辰野町の中学校勤務を経て駒ケ根市立東中校長、赤穂小校長を歴任。退職後は駒ケ根市教育長の重責を10年間務めた。
学校では怖い先生だったという。「子どもたちと友達になってしまっては駄目だ。しかし共に笑い、共に泣くような『共感』は絶対に必要。厳しい時と緩める時の塩梅(あんばい)が大切ですね」
若いころは教えることの難しさに悩んだこともあるが「先輩や同僚の教師らと毎晩遅くまで議論したり、哲学書や禅、武士道などの書物の読み合わせをしたものだ。そんな切磋琢磨を重ね、周囲に支えられて今日の自分があるんですよ」。 -
町一区子ども会のお楽しみ会
駒ケ根市の町一区子ども会(須田秀枝会長)は30日、赤須町地域交流センターでお楽しみ会を開いた。親子約60人が参加し、紙芝居やバルーンアートのほか、ゲームやクイズなどで楽しんだ。
バルーンアートは赤穂高校ボランティア部の女子生徒3人が訪れて、子どもたちに犬やキリンなどの作り方を丁寧に教えた。「細長い風船を膨らませたら、ここをこうねじって、ここをこう結んで…ほら出来上がり」生徒らの手元を食い入るように見詰めていた子どもたちは「すごい」「私も作りたい!」と先を争って色とりどりの風船を手にすると早速ポンプや口を使って膨らませ、生徒らに教えてもらいながら動物や花づくりに夢中で取り組んでいた=写真。 -
フッチサウ(フットサル)・カーニバル
駒ケ根フッチサウ協会(上原幹雄会長)は30日、第3回信州フッチサウ・カーニバルを駒ケ根市東伊那のアルプスドームで開いた。県内外から12チームが出場し、予選リーグと決勝トーナメントを行った結果、箕輪町の「サルト」が優勝した。
出場した選手らはコート内を縦横に駆け巡って細かいパスをつなぎ、ゴール前のチャンスでは強烈なシュートを放つなど、スピード感あふれる熱戦を繰り広げた=写真。
フッチサウはフットサルのポルトガル語。5人制で、サッカーに比べ約3分の1の大きさのコートで一回り小さいボールを使う。小人数で手軽に楽しめるため人気が高く、ワールドカップをはじめ世界規模の大会も開かれている。
上位の結果などは次の通り。
▼準決勝=サルト(箕輪町)3窶・FC風越(飯田市)、NOLANDA(駒ケ根市)1窶・ジャンク(PK戦=NOLANDA4窶・ジャンク)▼決勝=サルト1窶・NOLANDA
▽ファンタジスタ賞=平沢陽一(サルト)佐藤孝(ジャンク)▽スーパーセーブ賞=白川満(蹴九武) -
瑞宝小綬章(教育功労)千田 俊明さん(70)
教育って“教えて育てる”って書くけど“共に育てる”だと思うんです窶煤B
1957年、阿智高校に赴任。以降、県内8校で、社会科などの教べんをとる。
心がけたのは「発表授業」。一方的に教えるのでなく、生徒自らが調査・発表する授業は苦労が大きい分、成功した時の感動が生徒の目を輝かせた。それは何より、自分にとっても喜びだった。
「文化祭などで生徒と一緒に活動するのが楽しかったから、教頭なる時は、寂しさもありました」
90年、県教育委員会学習指導課高校教育指導係長に就任。このころ長野県は、現役高校生の大学進学率低下。実態調査から状況把握に努め、小学生から高校生までの「学力向上のための実践方針」を作成。推進校の指定や理数科の設置など「特色ある高校づくり」の基礎となる取り組みを進めた結果、大学進学率は徐々に回復。昨年は全国で28番となった。
県教育センター所長を務め95年に退職。
教育の中心は生徒。生徒にとって何が大切かを基本に考え、教師はそれをフォローしていく窶狽サんな思いで勤め上げた38年間だった。
伊那市西春近。妻と2人暮し。 -
伊那市の飲食店経営者有志、たかずやの里で寿司を振舞う
伊那市の飲食店経営者有志のグループ「一の会」は1日夜、富県の児童養護施設「たかずやの里」の子ども40人に、にぎり寿司などを振る舞った。
伊那市飲食店組合の事業として始まった奉仕だが、その後「子どもたちの成長を見続けたい」という有志が活動を続けてきた。今年は23回目。メニューはリクエストに応じて毎年変化する。
子どもたちは、いただきますのあいさつと共に、できたばかりの寿司を笑顔で食べていた。また、タイを目の前でさばくパフォーマンスもあり、子どもたちは、職人の手さばきの良さに驚いていた。
代表の林孝司さんは「うまいと言って食べてくれれば」と話す。
活動を通して知り合った子どもが、学校卒業後、メンバーの店を訪れることもあり、それも喜びの一つだという。 -
宮田村田中下遺跡から磨製石斧が珍しい状態で出土
宮田村の田中下遺跡から、縄文時代前期の墓とみられる縦穴が出土し、穴の壁ぎわに磨製石斧(せきふ)が縦に2本突き刺してある珍しい状態で見つかった。県立歴史館の宮下健司さんは「突き刺した状態でみつかった類例を聞いたことがない。副葬品とみられ、埋葬された人物が石斧づくりの名人だったなど因果関係が考えられる」と説明する。出土した石斧は5、6日に開く村文化祭企画展で村民会館に展示する。
遺跡内の道路付け替えに伴い、村教育委員会が発掘調査したところ先月20日に発見。穴は直径70センチ、深さ35センチで桶のような形をしており、北と西面に22センチと15センチの磨製石斧が縦に突き刺す形で埋められていた。
また、穴の底には31センチに達する大型の磨製石斧が横たわる形であり、近畿地方でつくられた「北白川下層式」と呼ばれる形式の土器もみつかった。
同遺跡は村北端に位置し、町1区、北割区、南割区の境。縄文前期の竪穴式住居跡や土器が出土している。
何かを埋めたり、貯蔵したと思われる穴も38ヵ所で見つかっているが、穴から石斧が出土するのは初めて。
村教委の小池孝文化財主任は「石斧は全て使用済み。使える道具を副葬品として埋めたとするならば、埋葬された人物は何か特別な人なのでは」とみる。
縄文時代に詳しい宮下さんも「佐渡では矢じりを散りばめた墓がみつかっており、ものづくりに秀でた故人を後世に伝えようとした形跡ととれる。甕の中に石斧を入れ一緒に埋葬する例もあるが、突き刺した状態は聞いたことがない」と話した。 -
故矢田前村長に県町村会が表彰状
県町村会(会長・藤原忠彦川上村長)は、7月に急逝した宮田村の矢田義太郎前村長=享年(73)、中越区=に自治功労の表彰状を贈った。31日に村役場で伝達式があり、長男の敏明さん(44)が出席。故人の労を改めてねぎらいながら、清水靖夫村長が手渡した。
矢田前村長は95年から村長を務め、03年6月から県町村会副会長としても活躍。県内町村のリーダーとして、県や国との折衝、陳情などに奔走したが、任期半ばで病に倒れた。
「本来ならば父が表彰を受けれれば良かったが、収入役時代から30年に及ぶ村への取り組みが評価されてうれしい。父の遺志を受け継ぎ、村政を発展させて」とあいさつ。
清水村長は「矢田さんの想いをしっかりと受け継ぎ、職員と結束して村政を担っていきたい」と話した。 -
宮田小6年2組キャンプ
宮田村の宮田小学校6年2組は2、3日、1泊2日の日程でキャンプを行っている。大久保区の太田切川河川敷にテントを張って、寝食をともに。協力して作業したり、野外遊びなどで汗を流した。
昨年も同河川敷でデイキャンプを楽しんだ児童たち。今年は6年生全体の宮田高原キャンプも経験し、「テントを張ることから全て自分たちの力でやってみたい」と企画した。
既存のテントを使うのではなく、ブルーシートを活用。木を支柱にロープを通して組みたてた。
協力しながらぺグを打ち込み立派に完成。自分たちだけの居住空間に喜び、寝転んだり、遊んだりした。
雨に降られた昨年とは違って、雲ひとつない快晴。食事の用意も33人全員で協力して、美味しく食べた。
夜は肝だめしをしたり、友人とおしゃべりしたり。寒さ考慮して近くの集落センターを借りて寝たが、家庭ではできない体験を満喫していた。 -
交通死亡事故現地診断で対策を検討
10月22日に伊那市美篶下川手の市道で発生した交通死亡事故の現地診断・検討会が2日、現地などであった=写真。市、伊那署、伊那市交通安全協会、地元老人クラブなどの代表者約20人が参加。悲惨な事故が二度と発生しないため現場を診断し、対策を検討した。
事故は午後4時20分ころ、軽4貨物自動車を運転していた近くに住む無職男性(86)が、美篶団地方面から伊那公園方面に向かって右カーブを単独で進行中、コンクリート壁に衝突。同乗者の妻(85)が午後5時50分、外傷性大動脈破裂で死亡した。
調べによると、2人はシートベルトを着用していて、運転席側のエアバック(運転席のみに設置)は開いていた。道路にはブレーキ跡はなかったという。同居する息子の話では、2人は近くにある畑から農作業後の帰宅途中とのこと。
現場は交通規制がなく、周囲は変則的な四差路になっている。
検討会では、変則的な四差路の交通の流れを整備するため、ゼブラゾーン(安全地帯・流動帯)、センターラインなどの道路標示の設置、高齢者の参加体験型交通安全教育の推進窶狽ネどの意見があげられた。
また、10月14日に美篶上川手の国道361号上で発生し、同30日に死亡が確認された交通重体事故の現地診断も共に実施し、対策を検討した。 -
上農高写真部 伊那中央病院で作品展
伊那中央病院の院内レストラン前で4日まで、上伊那農業高校写真部の作品展が開かれている=写真。校外での展示は初めて。若者ならではの個性的な視点で撮影した作品に、多くの関心が集まっている。
4年前からデジタルカメラで撮影し、プリントする・ス手軽な方法・スに切り替え、2カ月に1度の校内展示を中心に活動。本年は生徒の写真技術向上に伴い発表の場を広げていて、本紙では5月から毎月2作品づつの掲載をしている。
メンバー4人が組み写真を中心に16点を出品。花のしべのアップ、雲がかかる空、猫などの身近な日常をモチーフに、自分らしさを表現している。
所河憂美部長は「自然を主体に撮っているので、患者の人も室内で自然を感じて元気になってもらえれば」と話している。 -
南箕輪村議会臨時会
南箕輪村議会臨時会は2日開き、役場庁舎空調設備の一部に使用が判明したアスベストの撤去作業や新たな冷暖房エアコン空調システム設置費などの一般会計補正予算案を原案通り可決した。
補正予算は、歳入歳出に各4980万円を追加し、総額を46億1494万円とする。
歳入は村税4980万円。内訳は村民税2780万円、固定資産税2200万円。歳出は、庁舎・保健センター空調設備改修工事6924万8千円、南部・中部・北部保育園回転釜取替え工事140万円。予備費は2084万8千円の減額。
アスベストは、ボイラーで暖めた空気を熱交換器を通して天井ダクトから噴出する方法で使う熱交換器の「ローターエレメント」と、温風配管用ダクト継ぎ目のフランジ用パッキンに使用があった。
熱交換器2台を撤去し、エアコン空調システムを庁舎屋上に5台、保健センター屋上に1台設置。ダクトは、アルミで覆われ飛散の可能性がない天井裏は天井吹き出し口付近で切断しアルミで覆う。地下と4階の機械室天井、2階講堂ステージ両側小部屋内の露出部分は、経費節減のため飛散防止処置としてダクトを覆い、残しておく。
入札、発注後、段階的に工事を進め、来年2月末に工事完了の予定。 -
星空☆マタニティ~いいお産の日in上伊那~
11月3日の「いいお産の日」に合わせ伊那市の県伊那文化会館プラネタリウムで2日、「星空☆マタニティ~いいお産の日in上伊那~」があった。妊婦ら50人が来場し、ドームに映した胎児の写真や満天の星空、マタニティ・ヨガなどで、お腹の赤ちゃんと一緒にくつろいだひとときを過ごした。
伊那文化会館、日本助産師会長野県支部上伊那地区、日本看護協会長野県伊那支部助産師機能の主催。
妊娠中のお母さんにマタニティ・ライフを楽しんでもらおうと、昨年に続き2年目。
ドームの満天の星空に、子宮という“小宇宙”で育つ胎児の11週から37週までの超音波写真を映し出し、絵本「おかあさんになるってどんなこと」の読み聞かせもした。助産師会上伊那地区長の池上道子さんは、「安心して無事に出てきてね。心から待ってるよ」という魔法の愛の言葉を紹介。「お腹の赤ちゃんや子どもにいろいろ語りかけてくださいね」と話した。
妊娠8カ月の伊那市の女性は、「妊娠中はちょっとイライラすることもあるので、リラックスできてよかった。絵本の話を聞いて赤ちゃんも動いていて、一緒に喜び、ゆっくり楽しめた」と話した。
3日は午前10時から。おなかの赤ちゃんの話、満天の星空と音楽のコンサート、リラクゼーション・ヨガ、胎児の心音測定、開業助産師の紹介、妊婦体験などがある。詳細は同会館(TEL73・8822)へ。 -
ようやくキノコ出はじめました
朝晩の冷え込みが厳しくなり、紅葉が始まった駒ケ根市東伊那の里山では、1カ月遅れの10月末からキノコが出始め、話題になっている。
地物のキノコ料理で有名な東伊那大久保のしぶき荘(赤羽芳春社長)では、先週末までマツタケも雑キノコも1本も採れなかったが、今週に入って、突然出始め、連日、マツタケやショウゲンジ、ハナイクチなど10キロ余を採取している。
2日も午後から持ち山や東伊那財産区の競り山を回って、マツタケ30本を含む、10キロ余のキノコを採った。
例年、キノコの発生は10月末まで、11月になってからの発生は珍しく、キノコ採り歴30年余の赤羽昭二会長は「地球はきまぐれ、こんな年は初めて」と驚いている。 -
熊崎安二さん、旭日双光章
「長く務めてきたかいがあったと感慨無量」。飯島町教育長を皮きりに収入役、助役を歴任、町長は2期8年務め、町の発展に尽力した。
1928年中川村片桐に生まれ、農業技術員養成所卒業、宮田村や飯島町農協に勤務、農業共済を担当。63年、共済事業の役場移行により役場職員に。経済課を振り出しに議会事務局長、農林課長を歴任。農林課長時代は1100ヘクタールのほ場整備に関わり「農地は私有財産であり、減分率など農家の理解を得ることに苦労した」。49歳で教育長に抜擢され「男度胸で引き受け、県立高校の誘致に奔走し、飯島中学校の校舎建設も進めた」。
84年から収入役を拝命「利息が7-8%時代で、50億円の予算規模で利息で3500万円も稼いだ」
収入役から、助役に、95年に町長に就任。役場庁舎の建設や広小路の街路整備、ふるさと農道の整備、道の駅花の里いいじまの誘致にも尽力「七久保小学校の給食センターへの移行、保育園の再編など、子どもに直接関わる施策展開は、保護者の抵抗もあり、何度も足を運んで理解してもらった」と振り返る。「市町村合併の行方も気になったが、年齢的にみて迷惑をかけても」と03年勇退。現在、菊づくりやゴルフと悠々自適な日々。「時代もよく、健康と人に恵まれ、仕事一筋にまじめに一生懸命できた」と満足そう。 -
精神障害者いこいの家、スイートピールームがリニューアルオープン
「中川村保健センターにある精神障害者憩いの家「スイートピールーム」が2日、リニューアルオープンした。
活動の広がりで手狭になったため、隣接する旧浴室を改装し、約2倍38平方メートルに広げた。床や壁の全面張替、調理台の新設など事業費156万円。
利用者やスタッフら10人が見守る中、曽我村長と利用者代表がテープカット。曽我村長は「ここはゆっくりと時が流れ、なごやかで家庭的な雰囲気で過ごせる場所」と多くの利用を希望した。
この後、ゲストに精神障害者通所授産施設親愛の里紙ふうせん(高森町)、同共同作業所やすらぎ(飯島町)の利用者らを迎え、交流会をした。
スイートピールームは心に障害のある人やその家族、ストレスなどで落ち込んでいる人が、気軽にゆっくりできる「心の居場所」として、03年4月開所した。月・水・金の週3日開設。おしゃべりや季節の行事を企画したり、軽食づくり、簡単な手作業などを通じて、暮らしの力をつける経験や憩いの場として活用している。 -
南信精機がごみ拾いで社会貢献
飯島町七久保の南信精機製作所は地域貢献活動の一環として29日、社員ら60人が参加し、ごみ拾いをした。
かっぱを着て会社に集合した参加者は、冷たい雨の降る中、周辺道路や広域農道(柏木交差点から松川町境)、千人塚公園線(大宮から公園入口まで)に分かれ、道路に投げ捨てられた空き缶やペットボトル、ごみなどを拾い集めた。
雨にぬれ、道路に張りついたごみも丁寧に拾い集めた。
同社のボランティア活動は春と秋の年2回実施、今年で5年目。
総務課の紫芝道雄課長は「毎年、広域農道は比較的ごみは少ないが、千人塚公園線はごみが多い。空き缶やペットボトル、弁当のくずなど軽トラック2台分もある」とモラルの悪さを歎いていた。 -
伊那公民館で文化祭
伊那公民館で3日まで、第28回文化祭が開かれている。陶芸や書、水墨画、木目込み人形、生け花など作品1200点が並び、訪れた人の目を楽しませている。
文化祭は、公民館で活動するクラブ・サークルの利用者、教室の受講生が日ごろの活動成果を披露する場として年1回開催。
展示には22団体が出展し、初心者からベテランまでの力作がそろう。転写技術を生かしたアートクラフト「ネイチャープリント」は初出展で、額やバック、布などにパンジーやサクランボなどがデザインされる。そのほか、木彫りのおじぞうさん、「伊那谷の春」「果物」を題材にした水彩画なども。
武田登館長は「年齢を重ねても利用者の学習意欲はすごい」とし「文化祭を通して地域の人を知り、ふれあう機会につながれば」と話している。
3日は午前9時縲恁゚後3時。ステージ発表は午前11時半からで、21団体が大正琴、コカリナ、民謡、合唱などを披露する。 -
瑞宝単光章 消防功労 川手成美さん(71)
51(昭和26)年に旧伊那町消防団員になってから28年間、消防団活動に携わった。94窶・8年に団長、95年に上伊那消防協会副会長などを務めた。
冬の夜、火災現場で放水した水が凍っても団員は火を消し止め、次に備えてポンプ車を整備しなければならない。「団員が一生懸命やってくれたおかげ。個人でもらったものではない」と団員の活動をたたえる。
93(平成5)年4月、面積35ヘクタールを焼いた東春近の山林火災が記憶に残る。現場に着いたときは盛んに燃えていた。水利を探したがなかなか見つからず、ポンプをつないで消火活動に当たった。「火が頭の上を飛ぶ恐ろしい山火事」で、自衛隊のヘリコプターを依頼して消し止めた。「少しの火でも大きな火になる」と恐ろしさを語る。
死傷者が出る火災を目の当たりにしたことも。「ガスをつけたら、その場を離れない」と注意を促す。
「団員確保」が課題。長男で地元にいればほとんど入った時代とは違う。「地域の人との関係ができるし、苦労しただけ成長するのではないかと思う。地域の安全確保のため、力になってほしい」と若者にメッセージを送る。
妻浅子さんと2人暮らし。旅行や食事に出かけることが楽しみ。
伊那市平沢。 -
秋の叙勲 上伊那で7人が受章
政府は3日付で、秋の叙勲の受章者を発表した。上伊那は、旭日章(顕著な功績を上げた人)で3人、瑞宝章(公共的な業務に従事し、功労を積み重ねた人)で4人。
受章は、旭日双光章で専門工事業振興功労の麻野幸好さん(81)=駒ケ根市・元県広告美術塗装業協同組合連合会長、地方自治功労の熊崎安二さん(77)=飯島町・元飯島町長、中坪敏郎さん(74)=駒ケ根市・元市議会議員、瑞宝小綬章で教育功労の千田俊明さん(70)=伊那市・元公立高等学校長、瑞宝双光章で教育功労の高坂保さん(76)=駒ケ根市・元公立小学校長、瑞宝単光章で消防功労の川手成美さん(71)=伊那市・元伊那市消防団長、郵政業務功労の酒井祐治さん(65)=伊那市・元郵政事務官=。
受章者は全国で4029人、県内で81人。県内の内訳は旭日章25人、瑞宝章56人となっている。 -
瑞宝単光章(郵政業務功労) 酒井祐治さん(65)
「仕事の面では先輩や同僚を含めて上の人たちがいるなかで、なぜ(自分が叙勲をもらえたのか)と思った」と驚きの様子。
1940(昭和15)年に生まれる。小中学校、高校と地元で学び、西春近郵便局に正規職員として19歳で入局。定年退職した2000(平成12)年までの約40年間、同局一筋で仕事に励んだ。
貯金と保険の外務員を中心に、郵便配達員、郵便担当の総務主任を歴任。貯金の勧誘をしていた当時は思いもしなかったが、「貯金が元手で、子どもを大学に出せたよ」と、退職後に言われた利用者の労いがうれしかったと振り返る。
仕事のモットーは、先輩から引き継いだ仕事を次の世代につなげる・スよい継承者・スを目指した。利用者に対しても目線を下げ、「仕事をやってやるではなく、郵便配達をさせてもらう」気持ちで接するなかで、周りに育てられながら仕事をしてきたという。
これからの郵便局について考える。時代の流れで民営化が進むが「今まで通り、お客さまに気軽に安心して利用してもらえる場所であってほしい」と願う。
書道、写真撮影などが趣味。妻と2人暮らし。
伊那市西春近表木。 -
南箕輪村オリジナル年賀はがき発売
南箕輪村は、06年のオリジナル年賀はがきを作成し1日、発売した。南箕輪郵便局と村内の切手取扱い店で購入できる。
村をアピールしようと昨年に続き2年目。「南箕輪村からの仙丈ヶ岳」の写真をはがき右下に掲載した。冬の風景で、山や民家の屋根には白く雪が積もっている。村の美しい風景を撮影した写真の中から選んだ。
2万枚作成。1枚50円。昨年は大芝湖の写真で、完売した。村は「希望者はお早めに」と話している。 -
伊那市汚水処理施設整備に交付金439万6千円
政府は2日、05年度の汚水処理施設整備交付金(環境省所管)の第2回交付額を決めた。上伊那では、伊那市の公共下水道整備に事業費1318万8千円、交付額439万6千円が決まった。05年度第1回交付額との合計で事業費で3378万8千円、交付額で1125万7千円になった。(資料提供=宮下一郎事務所)
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上伊那の企業
73%が5年前に比べ売上減
あるしん調べ上伊那の企業のうち、5年前に比べて売上が減少した企業が73・1%におよぶことがアルプス中央信用金庫の特別調査で分かった。増加した企業は全業種にわたって1企業もない。
上伊那地域の175社が対象。同金庫発行の「伊那谷・経済動向」で明らかにした。
売上が減少したとする企業の割合を業種別で見ると、サービス業94・4%、建設業76・5%、小売業70・8%、製造業68・9%の順で多く、卸売業の50%が最も少なかった。
販売エリアは、製造業を除いた他業種で80%以上が地元地域と県内をエリアとしており、製造業だけが他府県までが43・3%、全国をカバーが11・9%、海外までが11・9%と販売エリアの広さを示した。
5年前位に比べて販売エリアは変わらないとする企業が60・9%と大半。卸売業、製造業でエリアが広がったとする回答が目立った。
一方、企業が地元経済の活性化のため望むものは、「地域の基幹産業の振興」が最も多く(49・7%)、次いで「知事や市町村長主導の将来ビジョンの提示」(44・0%)、「まちづくりや商店街の振興」(31・4%)=複数回答=だった。「創業・ベンチャー支援」は7・4%、「NPO・コミュニティービジネス支援」は5・7%と少なかった。 -
伊那市青島いきいきサロン
タニシ汁に舌づつみ「うまいもんだよタニシのお汁 尻をつついて口で吸う」とかつては詠われ、今では幻の珍味になっているタニシを味わう集まりが30日、伊那市青島地区であった。
地域の社会福祉協議会(矢島信之会長)が主催した高齢者対象の「いきいきサロン」。供されたのは同地区の農家が採ったタニシ500粒で。だしのきいた味噌汁に、参加者は「昔は良く食べた」「なつかしい」と、つまようじで身を引き出しては吸い取っていた。
矢島さんによれば、40年程前は同地区の田んぼでタニシが良く採れたが、当時は、表土の薄い青島の土地柄から、タニシにはほとんど何も付着せずきれいだった。
近年は農薬などによりタニシはほぼ絶滅し、有機農業を営む小川文昭さんの田んぼなどにだけ棲息しているが、有機農法で土地が肥えているためか藻などが付着したものが多く、今回もタニシ500粒を1つづつ歯ブラシで磨いて用意したという。
タニシ試食会に先立って、伊那市福島在住の地名研究家・松崎岩夫さんが美篶の地名の由来などを講演。「地名は字ではなく音が大切。青島(アオシマ)はもともとは大島(オオシマ)などと呼ばれていたはず。シマは川沿いの村落などを示す」などの話に、参加者は盛んにうなづいたりしていた。 -
ブラジル人学校、ハロウィンでデイサービスセンターを訪問
米国などで盛大に開かれる祭り「ハロウィーン」に合わせ31日、魔女や悪魔を装ったブラジル人の小学生や幼児約20人が、伊那市の介護サービス施設「アイリスケアセンター伊那」で、お年寄りとの交流を楽しんだ。
市内のブラジル人教室「ベビーキッズ」(飯島ヨシムネ園長)の子どもたちで、ふれあいを通して地域と密接な関係を築こう窶狽ニ、今回初めて訪れた。
子どもたちはお年寄りにカボチャやブラジルの手作りおやつをプレゼントし、ダンスや歌を披露。お返しにお年寄りも童謡「赤とんぼ」を披露し「どこの国でも、子どもはかわいいね」などと話していた。
同教室は、日本の学校の授業についていけないブラジル人の小学生や幼児が対象で、もともとは託児所として9年前に設立。現在辰野町から飯島町まで約50人の子どもが共に学んでいる。ブラジル人就労者には、残業や土日曜日・祝日に出社せざるをえない人も多いため、現在は、日曜日を除く午前7時縲恁゚後8時半、開放している。