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カメラリポート 伊那谷のざざ虫
伊那市中央の中村昭彦さん。
中村さんが食べているのは、、、
天竜川で捕れたざざ虫の佃煮。
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美容と心の健康をテーマに 26日にイベント開催
美容と心の健康をテーマに伊那市を中心とする店舗が出店するイベントが26日に市内で開かれます。
イベントを企画したのは伊那市境のリラクゼーションサロン「アンベリール ユカリサロン」を経営する城取ゆかりさんです。
城取さんは23年前にサロンを開業し、7年ほど前から現在の場所でサロンを経営しています。
イベントは、「美容と心の健康~トータルビューティー~」と題し行われます。
メイクチェンジやヘアチェンジ、フラワーアレンジメントづくりなどの14ブースが出店します。
また、美容に関する講座や地元の民話の紙芝居の披露などが行われます。
洋服やバッグなどのリユース企画もあります。
イベントは、今まで、サロン愛用者のみを対象に感謝祭として開いていましたが、今回は誰でも参加できる形で初めて開催します。
このイベントは26日午前10時半から午後3時半まで、信州INAセミナーハウス内カフェブレッザで開かれます。
参加費は1500円です。
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ゴンベエさんラストイヤー
伊那市を拠点に活動するゴンベエさんこと風船遊劇団ゴンベエワールドの矢野正貴さん。
風船を使ったパフォーマンスや手品を披露する大道芸人として25年間にわたり活動してきました。
76歳となったゴンベエさんは元気なうちに自分の人生を変えていきたいと今年限りで大道芸人を引退することにしました。
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731部隊 最後の証言
清水英男さん。5人兄弟の次男として宮田村大田切に生まれました。
太平洋戦争終戦となる昭和20年、1945年3月。
清水さん14歳、当時の国民学校高等科2年生、今の中学2年生の時に教師の勧めで旧満州ハルピンに渡りました。
731部隊は、第二次世界大戦期の昭和11年1936年から昭和20年1945年の敗戦時まで10年間にわたり大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつです。
旧満州ハルピンに本部を置いた極秘の部隊で、細菌兵器の開発や人体実験も行っていました。
被験者は主に捕虜やスパイ容疑者で拘束された中国人やロシア人、朝鮮人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼ばれていました。
その中には、一般市民の女性や子供も。敗戦時、マルタは、全員殺されたと言われています。
昭和20年8月12日
清水さん
「12日の日、20人から30人のマルタの骨を拾って袋につめた」
昭和20年8月14日
清水さん
「14日の朝、拳銃と青酸化合物を渡され、捕まったら自決しろと言われた」
8月15日 終戦から78年、清水さんの終戦記念日です。 -
ラーメン屋「原点」 9月9日、開店30周年に
伊那市のいなっせ南側のラーメン屋原点は、9日にオープン30周年を迎えます。
原点のラーメンと言えば、極太のストレート麺にトンコツスープ。
基本は、塩、しょうゆ、みそ。
油そばも外せません。
原点店主、酒井孝志さん66歳。
ここ10年は入退院を繰り返し、休業を余儀なくされたことも。
今も病院通いの日々ですが、妻なみよさんにも支えられ、この日も店に立っていました。
5日、新聞社の取材。
記者も納得の原点の味です。
新聞記者「食べ応えがあり、私の好みにマッチした味です。」
酒井さん、1993年、平成5年に伊那市荒井青木町のこの地にラーメン屋を開業。
当時は、どさん子でした。
その後、原点としてリニューアル。
9日で開店30年になります。
酒井さん「長いようであっという間の30年だった。」
地元の高校野球部の寄せ書きで埋まる店内。
子どもがいない酒井さん夫婦は、わが子のように子どもたちに寄り添いました。
妻なみよさん「小遣いのない子には、チャーハンを作ってあげたことも。」
開店から9日で30年。
時は流れました。
妻なみよさんも入院するなど、二人三脚で営んできた原点も存続の危機に。
孝志さんが店に出られるのは週に4日ほど。
助っ人が必要になりました。
河内祐貴さん(25歳)。
高校時代から原点の味を知っていた河内さん。
これまでもたびたび店を手伝っていましたが、今年3月からは、毎日店を手伝っています。
河内さんが入って新しいメニューも登場しました。
河内さんには夢があります。
河内さん「大きく何かを変えるというよりは、原点全盛時代を取り戻したい。部活終わりの高校生がバタバタと入ってくるような店にしたい」
酒井さんは、二代目に託すようなまなざしで隣にいました。
まちのラーメン屋原点は9月9日に開店30周年を迎えます。 -
アルプスい~なちゃんソフトボールクラブ 卒団者3人が活躍
伊那市の小学生女子ソフトボールクラブで共にプレーした3人の選手が現在プロのソフトボールチームで活躍しています。
3人が所属していたのは小学生女子ソフトボールクラブ「アルプスい~なちゃんソフトボールクラブ」です。上伊那地域で活動する唯一の女子ソフトボールクラブです。
このクラブの卒団者3人がトップリーグ「ニトリJDリーグ」で活躍しています。
酒井愛香選手は2019年から滋賀県の日本精工ブレイブベアリーズに所属し、外野手を務めています。
池上桃花選手は2022年から愛知県の豊田自動織機シャイニングベガに所属しキャッチャーを務めています。
向山琴葉選手は今年から群馬県の太陽誘電ソルフィーユに所属しピッチャーなどを務めています。
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大芝の湯 VC長野のPRコーナーがリニューアル
南箕輪村を拠点に活動するバレーボールチーム、VC長野トライデンツ。
大芝の湯のPRコーナーがリニューアルしました。
PRコーナーは、受付窓口の隣に新設されました。
オープン初日の5月27日は、開館時間から多くのファンが訪れていました。
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そば処新兵ヱ 開業50年
南箕輪村塩ノ井の国道153号沿いに店を構える「新兵ヱ」。
その味と人の温かさをもとめ、店内はいつも賑わっています。
そんな新兵ヱは、今年で開業50年を迎えました。 -
木でできた手作りのスピーカー 小室晃さん
イヤホンやヘッドフォンとは違った音楽の楽しみ方、スピーカー。
伊那市高遠町の小室晃さんです。
小室さんはこのスピーカーを……手作りしています。
小室さんは、務めている木材加工の会社で仕事の傍ら、製作に取り組んでいます。 -
マジックと共に 伊藤権司さん
伊那市東春近木裏原の伊藤権司さん80歳。伊那マジッククラブの会員です。
この日沢渡高齢者クラブからの依頼でマジックを披露することに。
伊藤さんのマジックは軽妙なしゃべりが持ち味で会場は笑いと和やかな雰囲気に包まれます。
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音楽制作活動に取り組む高校生 木下渉平さん
勉強の傍ら、音楽制作活動に取り組む伊那市の高校生を取材しました。
伊那北高校3年の木下渉平さん。
西箕輪の自宅には、ギターやドラム、シンセサイザーなどが置かれています。
中学生のころからバンドを組みライブ活動を行っていて、高校では軽音楽部に入りました。 -
原富男という生き方
原富男さん 69歳。
妻・弘美ひろみさんと二人三脚で便利屋を営んでいる。
私が原さんと出会ったのは、福島第1原発事故の被災地支援活動に同行取材させてもらった時。2015年。
南箕輪村に暮らしている便利屋さんが、そんな活動をしているとは・・・
さらにチェルノブイリ原発事故の被災者支援も30年にわたり続けていて、現地の名誉市民にもなっている。
原富男という生き方・・・原さんてどんな人なんだろう。
〈便利屋〉
便利屋ということで、さまざまな仕事が舞い込んでくる。
この日は、お墓のお掃除。遠くに住んでいる人がふるさとのお墓の掃除を毎年頼んでいる。
何件かそうした仕事を抱えていて、お盆が近づくと、にわかに忙しくなる。
この日は、落ち葉を片付け、墓に続く道もきれいにした。
アンテナの修理
40年来のお付き合いだという常連さんから依頼が来た。
妻の弘美さんは、高い所が苦手だそう。
原さんに呼ばれ屋根に登っていく。
滑りそうで、見ているこっちが心配になってしまう。
原さん、35歳の時に始めた便利屋は今年で34年になる。
<チェルノブイリ救援・中部>
名古屋市を拠点に活動しているNPO団体チェルノブイリ救援中部。原さんは、設立当初からのメンバーで、今は副理事長をつとめている。
チェルノブイリ救援中部は、チェルノブイリ、福島第1原発事故の被災者・被災地支援を行っている市民団体。
ロシアの軍事侵攻により救援基金も立ち上げ、チェルノブイリに限らず全般的な支援活動もはじめた。
<上京>
伊那市出身の原さん、骨髄炎を患いながら伊那小学校から伊那中へと進み、中学卒業と同時に16歳で上京。
最後は印刷会社で働いた。そこで、労働組合運動に携わる。
労働組合運動に没頭していた原さん33歳の時、世界を揺るがす大事件が起きる。
1986年、昭和61年4月26日、午前1時23分、旧ソビエト連邦、現在のウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉で、史上最悪の原発事故が起きた。現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの他、ヨーロッパ全域に放射性物質が拡散した。
<帰郷>
労働組合運動で、心身ともに疲れ切った原さんは、伊那に帰ることを決意。35歳の時だった。
毎月親に仕送りしていたという原さん。そのお金に両親は手をつけず、貯金をしておいてくれた。
そのお金で南箕輪村南原に土地を購入。家がないため、電車の客車で生活していたという。
<古物商>
岐阜県中津川市に向かう。 定期的に開かれている骨董市。一般は入ることができない。
古物商の免許も持っている原さんは、市での購入、またその販売が可能だ。
便利屋の仕事は、冬の時期に少なくなるため、その穴埋めにとはじめた。
いかに安く買って、高く売るかがポイント。
ごみのようなものから値が張りそうな器まで入り混じった混沌とした世界。
目利きが試される場所だ。
競りが始まる前に一周して狙いを定める。
競りが始まった。次次と落札していく。原さん、弘美さんの目利き、大丈夫か?
それ、買うんだ?!
競りは、終了。デゴイチの貯金箱や鹿のつのの置物など 使ったお金は8,000円。車につみこみ、自宅に戻る。
これまでに競り落としたお宝が眠っている自宅近くの倉庫に。
8,000円分のお宝が増えた。
今回市では、買っただけで売らなかったが、タイミングを見て市に出品したり、ネツト販売するという。
こちらは、鉄道ファン垂涎のお宝だという。
<チェルノブイリ支援>
広島・長崎に落とされた原爆の数百倍の放射能が、ウクライナのみならずヨーロッパに降り積もったとされるチェルノブイリ原発事故。
現地からの情報は、3年後にようやく開示されはじめ、事故から4年後の1990年4月、
被災者への支援を通じて現地の自立を目指す市民団体『チェルノブイリ救援・中部』が発足。
とにかく何かしなければ、と集まったメンバーは80人を数え、原さんもその一人だった。原さん、当時37歳。
活動直後にウクライナのお母さん達から届いた手紙。
現地に住み続ける家族の病気や子どもの状況等が、生々しく書かれていた。
「夕方には、お客を呼んで、新しい家での生活に喜びもひとしおでした。新しい生活もみな夢のものになってしまったのです。
私たちには、娘「アヌーシカ」がいて今3年生で音楽学校にも通っています。
チェルノブイリ救援中部発足の翌年1991年の8月、原さんは、援助物資を持って現地を訪問する。38歳の時だった。
向かった先は、チェルノブイリ原発西側のウクライナジトーミル州。
超音波診断装置や放射線測定器、注射器など16品目を救援物資として届けた。
原さんは、当時のことを会報誌「ポレーシェ」にこのように投稿している。
「病院で重病の子どもに会った。話によれば後3カ月の命だということだ。
見舞いを終えて病室を出た時、僕はお見舞いをしたことを深く反省した。この子は、外国人である僕たちが見舞ったことによって
病気の深刻さと自分の運命を悟ってしまったに違いないからだ。」
チェルノブイリ原発事故から20年が経ち、新たなプロジェクトが動きはじめた。
ジトーミル州のナロジチ。原発から南西70キロにある。
全ての住民が移住すべきこのまちには、1万人を超える人が暮らし続けている。
その中でナタネを栽培し、セシウムを吸着させて土壌を浄化し、非汚染地域を拡大するというのが、「ナロジチ菜の花プロジェクト」だ。
放射能はナタネの植物体や種皮には蓄積するが、油には入ってこないため、しぼってバイオディーゼル燃料を精製し、
その搾りかすをメタン発酵、バイオガスを発生させエネルギーとして利用する。
原さんがプラント建設を手伝った伊那市西箕輪の小野寺さんの牧場。
小野寺ようこさん。大学で活性汚泥について学び牛舎脇にプラント建設を計画。
原さんのほかに信州大学農学部の学生たちが協力し完成させた。
ガスは、搾乳機の洗浄や自宅での調理に使われている。
この技術がウクライナで活かされることになる。
1991年からウクライナでの医療支援、粉ミルク支援、インフラ支援を続け、
バイオディーゼル燃料、バイオガス生産の実験は順調に進んでいった。しかしロシアのクリミア併合で現地は戦争状態へと突入してしまった。
<東日本大震災>
そんなおり、日本で大惨事が発生した。2011.3月11日に発生した東日本大震災。
福島第一原発事故が起きて、皮肉にもチェルノブイリの支援活動が地元日本で活かされることになるは誰も予想していなかった。
春が来てプラントは完成。バイオガスが無事発生した。
ウクライナの菜の花畑 バイオディーゼル燃料ができ、バイオガスプラントも完成。
その技術がフクシマに移植された。
<ロシアの軍事侵攻>
3.11から11年目の今年、また不測の事態が起こる。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻。
原さんは、ウクライナ国旗を作ることから始めた。
チェルノブイリ救援中部のトレードマーク「届け鳥」被災地に救援物資と心を運ぶ意味が込められている。
ウクライナ救援中部の創立メンバーのひとり、原さんも尊敬する分子生物学者の河田昌東さん「救援物資とともに心を届けているんです」
強制避難当時 8 歳だった、アヌーシカちゃんの写真がチェルノブイリ救援中部に届いた。
おととしお母さんになったという。
様々な病気と闘いながら母親になったことは、支援者たちにとって大きな喜びとなった。
原さんが自宅の庭にバイオガス施設を作りだしたのは、2020年。
古物商で鍛えた目利きで岐阜の造り酒屋から仕入れた醸造用タンクを発酵槽に活用する。
仕事に、支援活動に忙しい日々を送っているためなかなか次の段階に進めないというが、
気長に完成する日を楽しみに待ちたいと思う。
原富男さん、妻弘美さんと4匹のねこと暮らしている。
南箕輪村南原で便利屋を営んでいる。 -
懐かしのゲームやレコードも テガミスタジオ
伊那市西春近にあるテガミスタジオ。
2020年にオープンした音楽スタジオで、地元のバンドマンなどが多く利用しています。
店内には、ダンスレッスンやフィットネスに使える鏡張りの部屋と、楽器や機材が揃った部屋があり、土日は予約で埋まる日が多いそうです。
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伊那坂下教会に前島密の書
日本近代郵便の父と言われ、1円切手に肖像が採用されている前島密の書が南箕輪村沢尻の日本キリスト教団伊那坂下教会に飾られています。
前島密の書です。
「いと高きところでは神に栄光があるように地上ではみ心にかなう人々に平和があるように」と漢詩で書かれています。
日本キリスト教団伊那坂下教会の松田聖一牧師です。
明治20年のクリスマスの頃に前島が伊那市坂下にあった旧教会を訪れ、書き残したものだということです。
大きさは縦180センチ、横190センチほどで額にはブドウの木が使われています。
教会には前島が当時訪れたことが書かれた記録が今も残されています。
また旧教会の礼拝堂に前島の書が飾られています。
昭和7年に撮影されたということで、信者たちと一緒に書が写っています。
飾られている前島密の書は誰でも自由に鑑賞できるということです。
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カメラリポート プロのミュージシャンを目指す高校生
伊那市にあるライブハウス、伊那グラムハウスでバンド練習を行っていたのは・・
高校卒業を迎えたばかりの西川歩夢さん。
プロのドラマーを目指しています。
西川さんは、上伊那農業高校の同級生とAdam's appleというバンドを結成し、ライブ活動を行ってきました。
西川さんは4歳の時、両親に勧められてドラムを始め、小学5年生で野球を始めるまで教室に通っていました。
友達に誘われて始めた野球ですが、すっかり夢中になり高校1年生までは野球一筋の野球少年だったといいます。
そんな西川さんですが、高校1年生の冬、小さい頃に習っていたドラムに再び火がつき、野球はやめ、市内にある音楽教室に通い始めました。
その教室には、上農高校の先輩も通っていました。
西川さんは現在、バンド結成当初から共に活動をしてきた細井禅さんとライブ活動をしていますが、高校卒業と同時に活動を終了することになっています。
3月21日に解散ライブを行います。
西川さんは、4月から東京にある音楽の専門学校に進学します。
夢は大きな会場でワンマンライブをすること。
夢に向かって一歩を踏み出しました。
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カメラリポート 弥生ダンス部全国大会出場
伊那市の伊那弥生ケ丘高校ダンス部は、来年1月に東京都で行われる全国大会に出場します。
伊那弥生ケ丘高校ダンス部は、1年生19人、2年生6人の25人で活動しています。
ダンスの全国大会「全国高校ダンスドリル冬季大会」に甲信越地区代表として出場を決めました。
11月7日に松本市で行われた甲信越大会では、ヒップホップ女子部門、21人以上のラージ編成で1位となりました。
弥生ダンス部が全国大会に出場するのは2019年から4年連続です。
ダンス部では、週に1~2回、外部のコーチのレッスンを受け、大会に向けた練習をしています。
普段の練習では、部長と副部長が中心となって振付の確認などをしています。
休憩中、練習とは違った表情を見せていました。
全国高校ダンスドリル冬季大会は、来年1月15日と16日に東京都調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザで行われます。
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カメラリポート コロナ禍のライブハウス
新型コロナウイルス流行の影響を受けたライブハウスの今を取材しました。
伊那市駅から歩いて1分ほどのところにある伊那グラムハウス。
新型コロナ対策を取って営業をしていました。
グラムハウスでは、入場時の手指消毒、ライブ中は足元の線に沿って並び、出演するバンドとも距離を取って密にならないように対策をしています。
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カメラリポート 芝平なんばん
伊那市高遠町で古くから栽培されている伝統野菜、芝平なんばんを紹介します。
信州伝統野菜に選定され、今注目を集める高遠とうがらしのひとつ、芝平なんばん。
地元の飲食店では、芝平なんばんを使ったメニューが登場しています。
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これがわたし -LGBTQ-
長野県出身のシンガーソングライター伊藤ひよりさん。
体は男性として生まれましたが心は女性のLGBTQです。
LGBTQのLはレズビアン、女性同性愛者。Gはゲイ、男性同性愛者。Bはバイセクシュアル、両性愛者。
Tはトランスジェンダー、心と体の性が一致していない人。Qはクエスチョニング、自分の性が分からない人を表しています。
伊藤さんは「性同一性障害というのが学生のときからよく聞かれるようになり自分もそうなのかな、でも受け入れたくない。自分は女だっていうふうに言い聞かせていた部分があり目をそらせていた。」と言います。
伊藤さんが高校生にこれまでの体験や思いについて語る講演会が開かれることになりました。
講演で伊藤さんは「音楽活動をする前は保育士として働いていた。新学期を迎えたとき私のクラスの保護者が『あの先生は男なのに女みたいでおかしいから保育園を変えたい』を泣いて訴えてきた。
こんなふうに性別が違って生まれてきてしまったから自分は役に立つことができない。子どもたちの保育をすることもできない。誰にも受け入れてもらえないというふうに自分を責めました。」と話していました。
それでもまわりの先生のおかげで子どもたちと向き合うことができたと感謝していました。
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ラーメン屋 原点
極太のストレート麺にトンコツスープ。
開店当初から変わらない原点の味です。
酒井たかしさん64歳。
1993年、平成5年に伊那市荒井青木町のこの地にラーメン屋を開業。
当時は、どさん子でした。
10年後、原点としてリニューアル。
酒井さんがラーメン屋を始めてから今年9月9日で28年になります。
ラーメンづくりは、酒井さんと妻なみよさんと夫婦二人三脚の連携プレー。
ギョウザも焼きながら。
手際よくラーメンが出来上がっていきます。
原点のラーメンといえば、極太のストレート麺とトンコツスープ
味は、味噌・塩・醤油
そして、15年ほど前から油そばをはじめ、高校生を中心に特に若い人に人気があります。
ラードを使った特性の油とネギ。
太麺を絡めます。
深夜の仕込みが終わると散歩に出かけます。
体力を維持するために毎日欠かすことができない日課です。
酒井さんの入院で2016年2月から4カ月間休業に。
6月営業再開の日。
酒井さんの姿がありました。
久々に活気が戻った店内。
高校生の姿もあります。
最初の入院でアルバイトに出て生活を支えたなみよさん。
酒井さんの度重なる入院でラーメンの作り方を教わりました。
酒井さんが病院に行く日は、ひとりできりもりします。
店内は、地元野球部の寄せ書きでうまっています。
夫婦で高校生を応援してきました。
毎年夏になるとステッカーも作り、行くぞ甲子園の横断幕。
「当時来ていた高校生の子どもは自分にとっては孫みたいな存在。その子たちが野球をやっている姿を見てこの店はおしまいかな。あと10年がんばりたい」と酒井さん。
原点、今日も満員です。 -
中国料理 みどり 閉店へ
歴史ある伊那の名店がまた一つ消えていきます。
JR伊那北駅近くにある街の中華屋さん 中国料理みどり。
ラーメンにチャーハン、本格的な一品料理からローメンまで中華の全てを味わうことができます。
ご主人の立石勝幸(たていしかつゆき)さん。
5人兄弟の長男だった立石さんは、高校卒業後、父四郎さんが営むみどりを継ぐべく中華の道に。
昭和32年、東京に出て新橋などで修業を積みました。
6年後の昭和38年、伊那に戻ってみどりで働きはじめます。
終戦直後の昭和22年開業のみどり、当時は伊那橋近くにありました。
昭和39年にここ伊那北駅近くの山寺に移転し、妻の聖子(せいこ)さんと二人三脚で店を盛り立ててきました。
現在81歳の立石さん、今でも出前をこなしています。
昭和・平成・令和と時は流れ、9月いっぱいで店を閉めることにしました。
店が閉まると聞いて、みどりを訪ねました。
一品目は、肉団子を注文。
プロの早業でひとつひとつ揚げていきます。
中華の命ラーメンスープをベースにケチャップを加えソースが出来上がります。
2品目は、八宝菜を注文しました。
締めは、人気のたまごチャーハンです。
この日も店内は、常連客で賑わっていました。
昔ながらの気取らない街の中華屋さん 中国料理みどり。
味のある昭和の名店が、また一つ姿を消そうとしています。 -
日本酒醸造タンク バイオガスプラントに活用
南箕輪村南原。
原富男さん宅の庭には、大きなタンクが。
実はこれ、バイオガスプラントの一部。5月に完成予定だという。
バイオガス。
生物の排泄物や生ごみなどの発酵により発生するガスで、化石エネルギーに代わるエネルギーとして注目されている。
発酵を終えた残渣は、肥料(液肥)として利用でき、循環の輪ができあがる。
伊那市西箕輪で酪農を営む小野寺さん一家。
このあたりでは最も早い1996年にバイオガスを導入した。
バイオガスプラントは、信州大学農学部の学生らの手を借りて畜舎西側に完成させた。
小野寺さんの家では、電気やプロパンガス、薪、そしてバイオガスを生活していくためのエネルギーとして使っている。
バイオガスの占める割合は、調理では7割を超えるという。南箕輪村南原で便利屋をしている原富男さん。
チェルノブイリ原発事故以来、ウクライナを支援する団体の理事長もつとめ、東日本大震災後は、フクシマ第一原発事故に苦しむ南相馬で放射能測定センターを運営。地域住民に寄り添う。
バイオガスの建設のノウハウがある原さんは、ウクライナにつづき、東日本大震災の被災地にある共同作業所でもプラントを完成させ発電するしくみも導入した。
原さんが自宅の庭に建設中のプラントは、酒づくりで利用されていた中古の醸造タンクを発酵槽にするという斬新なもの。
コンクリート製のものに比べてコストも建設にかかる時間も格段に抑えられるという。
岐阜のつくり酒屋から購入したという醸造タンクは、直径2.5メートル、高さは3メートル。
11,000リットル入るという。
完成予定は5月。
中古の日本酒醸造タンクからバイオガスが生まれる予定だ。 -
両陛下ご訪問の記憶
天皇陛下は30日退位され平成の時代が終わります。
陛下は皇太子の時の1969年、昭和44年に美智子様とともに
上伊那をご訪問されました。
訪問先の一つ、伊那市の美篶中央保育所の所長だった春日澄子さんは両陛下の案内役を務めました。
伊那市美篶の春日澄子さん。
1925年大正13年生まれの95歳です。
皇太子ご夫妻が伊那市の美篶中央保育所をご訪問されたとき保育の様子を説明するなど両陛下と言葉を交わしました。
春日さん45歳のときでした。
両陛下が美篶中央保育所をご訪問されたのは1969年昭和44年8月27日の午前10時でした。
前日に飯田下伊那地域で三六災害の被災現場などをご視察し駒ケ根市で一泊されました。
伊那市では東春近の圃場を訪れ整備事業について話を聞かれたということで記念碑が建立されています。
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弥生ダンス部 全国へ
伊那弥生ケ丘高校ダンス部の2年生15人は
来年1月に開かれる「全校高校ダンスドリル冬季大会」に甲信越地区代表として出場します。
弥生ダンス部が全国大会に出場するのは14年前に同好会として発足して以来、今回が初めてです。
ダンス部には1年生と2年生合わせて30人が所属し、週6日、放課後を中心に練習をしています。
練習場所は生徒玄関前です。
揃って踊れる為、ここで練習をしています。
指導するのは駒ヶ根市でダンススクールを開いている遠田巧さんです。
全国では、切れや息の合った動きはもちろん、表現力などさらなるレベルアップが必要だと話します。
遠田さんがいない日は、部長で2年生の上田陽菜さんと、2年生の佐藤凜さんが、練習をリードします。手の高さやフォーメンションの位置など、アドバイスを送ります。
上田部長は「大会では弥生らしい元気なダンスを見せたいです」と話していました。
全国大会まで1か月を切りました。
弥生ダンス部が出場する全国高校ダンスドリル冬季大会は来年1月18日と19日に東京都調布市の武蔵野の森総合プラザで開かれます。
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長衛の藪沢小屋
伊那谷から望むことができる南アルプスには北岳や仙丈ケ岳、東駒ケ岳、鋸岳など3000メートル級の山々がそびえます。
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とにかく元気!83歳 現役審判
伊那市美篶の桜田浅吉さん。 日本ソフトボール協会の公認審判員です。 昭和9年生まれの83歳で孫が2人います。 審判歴は30年以上。とにかく元気でジャッジの正確さには定評があります。
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【カメラリポート】 たかずやの里を巣立つ日
伊那市東春近にある児童養護施設たかずやの里を今年の春、一人の高校生が巣立ち新しい生活をスタートさせました。
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【カメラリポート】 VC長野 優勝目指して新シーズン始動
日本バレーボールリーグ「Vリーグ」の2部に所属する「VC長野トライデンツ」のスタートミーティングがこのほど行われ、チームの新シーズンがスタートしました。 昨シーズン、2部に昇格したVC長野は、初参戦ながらリーグ3位という結果を残しました。 新シーズンのチームスローガンを「初志」として、昨シーズン果たせなかった2部リーグ優勝に向け決意を新たにしていました。 キャプテンの栗木勇選手は「優勝というはっきりした目標が決まったので、とにかくそこを目指して頑張りたいです」、笹川星哉監督は「プレミアリーグ(1部)昇格に向けて、選手一人ひとりの意識を変えていくシーズンにしたい。チームの土台をしっかり作って昇格を目指したいです」と話していました。
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カメラリポート 元少年戦車兵が語る太平洋戦争
続いてはカメラリポートです。 太平洋戦争中、戦車隊の拡充強化のため少年戦車兵を養成していた静岡県の陸軍少年戦車兵学校。卒業生のひとり、伊那市東春近の野溝定芳さんの元に、当時の学校の様子をうかがい知る事ができる貴重な映像が残っています。 生徒を集めるため当時の陸軍が製作した宣伝映画が、このビデオテープに残っていました。 大正15年生まれ、90歳の野溝定芳さんです。 昭和17年。静岡県富士宮市にあった陸軍少年戦車兵学校に17歳で入学しました。600人の募集に2万人が受験した4期生の一人で、上伊那では野溝さん一人が試験に合格したという事です。 戦後に同窓会長をしていた野溝さんは昭和60年頃、学校の倉庫でこのビデオテープを見つけました。 30年あまり全国の同窓生の元を渡り歩いたビデオテープは、最後に飯田に住む同級生の元に渡り野溝さんの元へ戻ってきました。
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15年ぶりに公演 劇団風の庵から
15年ぶりに公演を行う、上伊那地域の演劇愛好者で作る劇団風の庵からは、14日、15日のの本番を前に、練習に熱が入っています。 公演が行われる伊那市西春近のまつり工房です。 今回演じるのはオリジナルの台本「禁断の果実」で、ひきこもりの次男とその家族の物語です。 演出を担当する箕輪町在住の飯島岱さんです。 劇団風の庵からは、飯島さんらが立ち上げ、1998年に1回公演を行いました。 2002年以降活動を休止していましたが、飯島さんが声をかけ、15年ぶりに活動を再開しました。 劇団風の庵からは、役者と観客の距離が近い小劇場にこだわっています。 客席も舞台の一部となり、ドローンも登場します。 飯島さんは、「もう一度自分の芝居を始めた原点に戻りたいと。役者がほんの10センチくらいのところで芝居をやったりする。一番奥の方もせいぜい5.6メートルである。空間はもっと狭い方がいい。狭ければ狭いほど、自分たちのイメージが広がる演技ができる」と話しています。 立ち上げ当初からのメンバーで、まつり工房代表の北原永さんも、今回役者として出演します。 公 演には上伊那地域の演劇愛好者11人のほか、伊那西高校演劇クラブの生徒も出演します。 今回の公演で活動を再開させた「風の庵から」。 いずれは野外での公演も視野に入れ、新しい表現を模索していきます。 飯島さんは、「ゆるやかな構造をもつ劇団である。したがって、どこの劇団をやめてこっちに来るという必要はない。ここで掴んだ体感を、自分の所属している劇団に持って帰って、新しい演劇創造が生まれればいいかなと。第2次 劇団風の庵からの役目だと」と話しています。 公演は14日(土)と15日(日)の午後1時からと午後6時から、計4回伊那市西春近のまつり工房で行われます。 チケットは一般1500円、高校生以下800円です。