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家族4世代で「子年」生まれ
宮田村大田切区の田中正登さん(64)の家族は、同居する4世代の8人中5人が子(ね)年生まれの・ス年男年女・スで、幸せに満ちた新年を迎えた。12年前の正月には誕生していなかった子どもたちも加わり「みんな元気に今年1年暮らしたい」と、家族の絆はますます深まるばかりだ。
子年は正登さんの父親で大正元年生まれの政徳さん(95)を筆頭に、正登さんの妻とみ子さん(59)、息子夫婦の雅章さん、鏡子さん=ともに(35)=、そして平成生まれの孫の翔子さん(11)。
4世代の大家族が一緒に暮らすことも少なくなりつつある時代にあって、干支がこれだけ重なることも極めて珍しいが、正登さんは「本当に仲が良い家族ですよ」と胸を張る。
何と言ってもこの12年間で大きく変わったのは、翔子さんと大雅君(7)の姉弟が誕生したこと。スピードスケートで活躍するなど行動的な2人が、常に明るい家族の話題の中心にいる。
「自分たちも気持ちが若くなる」と政徳さん、妻の江み子さん(91)。ひ孫の元気な姿に目を細める毎日だ。
「おじいちゃん、おばあちゃん(政徳さん夫妻)が元気でいてくれるからこそ」とは、とみ子さん。
年越しから正月3が日も家族団らんで過ごし、和やかな時間が流れた。 -
警察犬「パブロ」誕生 ドッグスクールタカギから
箕輪町長岡の「ドッグスクールタカギ」(高木のり子所長)の所員、高木誠さん(21)=辰野町上島=が指導手を務める「ファント・フォン・メートヒェン」(呼名=パブロ)がこのほど、県警本部の警察犬に嘱託された。期間は1月1日から1年間。行方不明者の捜索や犯人の逃走経路を追うなど、事件が発生したとき要請に応じる。
同訓練所から誕生した警察犬は2頭目。昨年10月28日、霧ケ峰で開かれた警察犬の嘱託審査会で合格し、同12月28日、岡谷署で嘱託状の伝達があった。同署管内を中心に中南信地区が活動範囲で、伊那署にも本年1月4日、あいさつに訪れている。
パブロは雄のジャーマンシェパード犬で2歳。「性格は温厚で訓練意欲があり、忠誠心が高い。血統からも警察犬としてふさわしい」という。指導手として経歴2年の高木さんとともに、パブロの活躍を高木所長も期待している。
高木さんは「現場では少しでも何かの役に立ちたい。また、訓練では学べないことが現場では多いので、パブロと一緒に経験を積みながら指導手として成長していければ」と意気込んでいる。
高木さんと警察犬のパブロ -
【年男】林赳さん(83)
60年で一回りする干支(えと)の一番最初の組み合わせであることから縁起が良いとされる甲子(きのえね)の年の生まれ。教員として県内の小中学校、高校に約40年間勤務した。教員時代から取り組んだ鳥類や動植物の研究で知られ、現在も駒ケ根市立博物館の学芸員として活躍している。
「実は教員になる前は軍人だったんだ」
太平洋戦争開戦直後の1942(昭和17)年に当時のエリート中のエリートコース、陸軍予科士官学校に合格。本科を卒業して45(昭和20)年に少尉に任官した。軍の中でも特に選抜が厳しく、高い能力が求められる戦闘機のパイロットに志願して採用され、兵庫県の航空基地で飛行訓練を積んだ。
「訓練は厳しかったな。飛行機では失敗や事故は即、死だからね。特に着陸は操縦の中で一番難しい技術だから気を使ったよ。今でも旅行なんかで旅客機に乗るとそのパイロットの腕がよく分かるね。着陸の時にショックがあるのは下手なやつだ」
だが、戦地に出る機会はないまま、同年8月に終戦。
「国のためと思って軍人になったはずなんだが、終戦で人生観が変わった。しばらく呆然としていたが、生き延びたんだという思いがだんだんとわいてきてね、これからは何か人の役に立つ仕事をしなければならんと思ったんだ」
戦後しばらく、軍人は公務員になれない規定があったが、その後それも解け、県農林専門学校農科(現信大農学部)を経て、卒業後、教員となった。
「とにかく、昔のような戦争だけは絶対にいかん。人間をおかしくしてしまうからね。今の若い人には分からんかもしれんが、平和というのは本当にありがたいものだ」 -
【新春記者室】甘栗についての考察
正月にはこたつで甘栗。親指の爪を横にして皮に切り込みを入れ、左右からぎゅっと押す。うまく割れると気分が良く、味も良いような気がするものだが、最近は初めから皮をむいてある甘栗が出回っている。いやいや、文句を言うつもりなんかありませんよ。皮なしの甘栗をほかに先駆けて商品化した人の発想に感心するばかりです。食べるたびに一つ一つ皮をむくのは面倒だし、指先も汚れる。渋皮がうまくむけなくていらいらすることも多い竏秩Bそんな隠れた意識を敏感に先取りして見事に商売に結び付けているのが素晴らしい。何もかも至れり尽くせりでは人間は退化するばかりだ竏窒ニいう声も聞こえてくるが、まあいいじゃないか。正月ぐらいお気楽にいこうよ。(白鳥文男)
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駒ケ根市長選展望
5期20年の長きにわたって市長を務めてきた現職の中原正純氏(67)がさらに6選を目指して出馬するかどうかが注目されていた中、10月3日に「今期限りでの引退」が発表された。これを受けて11月2日、前市議会議長で市社会福祉協議会会長の北沢洋氏(56)=無所属、上赤須=が、同17日には元県教育次長の杉本幸治氏(58)=無所属、上穂町=が相次いで立候補を表明。新人同士による選挙戦突入が確実となった。長期政権が続いたことで良くも悪くも方針にぶれがなかったこれまでの20年間。だが・スカリスマ市長・スの交代により、市政は大きな転換点を迎える。その意味で今選挙は市の歴史を語る上で大きな節目となる。
任期満了(1月28日)に伴う駒ケ根市長選は1月13日告示、同20日投開票。これまでに立候補を表明した2人のほか、共産党も加わった市民団体「市民のくらしを守る駒ケ根みんなの会」が候補者擁立に向けて調整を進めている。北割二区の男性が支援を受けて出馬する意向を示していたが、11月に断念した。元県議の林奉文氏(62)=南割=を推す声は根強いが本人の言葉や周囲の状況などをみる限り、出馬の可能性は低いと思われる。関係者は「出るか出ないかも含めて熟慮中。ぎりぎりまで検討する」ともらすなど、人選は難航しているようだが、ようやく候補者が決定したとする情報もある。告示まで残された時間は少ないが、三つどもえの選挙戦となる可能性も十分残っている。
北沢氏、杉本氏とも立候補表明以降、各地で精力的にあいさつ回りやミニ集会などを行い、政策のアピールと知名度の向上を図っているが、市民の関心の高まりはいまひとつといった雰囲気だ。
事実上、中原市長の路線を踏襲する後継者と目されている北沢氏は中原市長の後援会のほか、宮下一郎衆院議員、佐々木祥二県議の推薦も受けるなどして組織固めに力を注いでいる。だが後継者の立場が有利に展開するとばかりは限らない。4年前の前回選の結果がわずか198票の僅差だったことからも分かるように、いわゆる「反中原」の市民も相当数存在すると考えられるからだ。これら批判の声をどうかわし、どう味方に取り込めるかが課題となる。
杉本氏は前回選で立候補表明が告示日のわずか1カ月前だったことから出遅れの不利が心配される中、追い風に乗って終始優位に選挙戦を進めたものの、支持者らの間で「勝った」との楽観論が広がり、最終盤で逆転を許して現職の中原氏の前に苦杯をなめた。組織票の怖さを身をもって体験している杉本氏は、前回の苦い経験を生かして地道な活動を展開。「地元にいることが少なかった」との反省から、今回は地に足をつけて草の根的に支持拡大を図っている。
第3の候補が出て三つどもえとなると、選挙戦は各陣営入り乱れての混戦となることが予想されるが、このまま一騎打ちの戦いとなった場合には竏秩B前回杉本氏を支援した共産党は07年春の県議選などで同氏との考え方の相違が表面化したため、今回は支持しない方針を崩していないことから、この票がどう流れるかも注目される。
市長選はこれまで現職対新人、中原対反中原、保守対革新といった構図が続いてきた。それぞれの主張が真っ向から対立し、時にひぼう中傷合戦が起きるなど、市民を二分するような過熱した戦いが繰り広げられてきたが、反面ある意味で分かりやすい選挙だったともいえる。今回は新人同士の戦いということもあり、市民からは「候補者の顔が見えない」との声が聞かれる。両氏が掲げる政策はいずれも医療、福祉、教育、子育て支援の充実や産業振興などで、新人では無理からぬことだが取り立てて大きな違いは見られず竏秩B政治的な実行力もともに未知数とあって争点が見えにくい。中沢の農業の男性(77)は「言っていることがあんまり違わないから、どっちが市長にふさわしいのか全然分からん。人柄も知らないし…」と話している。
明確な違いとしては中原市政についての評価が挙げられる。北沢氏は「中原市長が取り組んできた社会基盤整備がなければ、現在の発展はなかっただろう」として支持する考えを示している。一方の杉本氏は「財政基盤を築いたことは評価するが、誰でも自由にものが言える雰囲気がなくなるなど多選の弊害が出た」と批判。長かった中原時代への評価は市民の間にも賛否両論あるが、次期市長としてこれまでの市政をどう受け止め、どのように変えていくのかがあらためて問われている。
いずれの後援会とも6から10日にかけて、選挙戦に向けての総決起大会を開くことにしている。候補者は駒ケ根市をどんなまちにしていきたいのか明確なビジョンを率直に打ち出し、政策や考え方の違いを市民の前にはっきりと示してほしいものだ。 -
はら美術で日本画・洋画・版画ご奉仕会
伊那市旭町のはら美術で14日まで、「お年玉特価 日本画・洋画・版画ご奉仕会」が開かれている。郷土で活躍する地元作家から、横山大観、小杉放庵、東山魁夷などといった名だたる作家の額絵や掛け軸など約120点が、訪れた人の目を楽しませている=写真。
これまでは新年には地元作家の個展を開催してきたが、ほかにはない特価で、さまざまな作家の作品を楽しんでもらおう竏窒ニ、新春の奉仕会を企画した。
会場には、過去に東京国立近代美術館に所蔵されていた横山大観の日本画掛け軸「竹」や、黄色く色付いた稲穂と、その穂にとまるとんぼ姿をとらえた中村岳陵の日本画「豊穣」をはじめとするさまざまな作品があり、地元作家の作品も多数並んでいる。
主催者は「バラエティーに富んだ作品展。正月に良い絵を見て、豊かな気持ちになっていただければ」と話していた。
入場無料。午前11時縲恁゚後6時。 -
【新年号】天竜川水系健康診断10年のまとめ
「『澄んだ諏訪湖・泳げる天竜川』は、これからも私たちの合言葉です」竏秩B上下伊那の企業20社でつくるリサイクルシステム研究会(向山孝一会長)などによる、諏訪湖流入河川と天竜川の本・支流の水質調査「諏訪湖・天竜川水系健康診断」が当初計画した10年間の継続調査を終えた。
天竜川の環境基準項目の一つとしてBOD(生物化学的酸素要求量)が設定されている。BODはCOD(化学的酸素要求量)と同様、排水の汚水を評価するバロメーター。諏訪湖から流れ出る水は伊那市付近までに自然の浄化作用で浄化されていることが同調査で分かったが、10年前までの同川上流部の水質は環境基準値をクリアしておらず、全国の河川の中でも水質的に問題があった。
諏訪湖の水質改善とともに釜口水門(岡谷市)付近も4縲・年前から水質基準値をクリアするようになっている。しかし、新樋橋(辰野町)から下流の各測定地点については、ここ5年間のBODの推移を見ると、どの測定地点でも暫増傾向が認められている。天竜川中流域では早急に汚染源対策を見直すことが必要になるという。
諏訪湖・天竜川水系健康診断の目的は、身の回りの河川の水質が自分たちの生活とどのような関係にあるかを自分たちの目で確かめることにあった。97年から始まった診断には10年間で延べ約3500人が参加。毎年、河川の各個所の水質を2時間ごとに24時間連続で検査し、水系全体の汚染の種類や工業、生活排水などが時間的にどのような影響を及ぼすかを把握。その結果を昨年11月、「水系の仲間たちによる諏訪湖・天竜川水系健康診断10年の軌跡」と題した小冊子にまとめた。
結果を分析した沖野外輝夫信州大学名誉教授によると、天竜川支流の定点調査でまとめたCODの時間変化の積み上げ図などで、生活排水などにより汚染数値が変化していることが分かった。「水質を改善する鍵は生活の中にあった」
「玄関の前、窓の下の水を測ろう」から始まった同調査。沖野名誉教授は「これで天竜川の水質がよくなるわけではないが、生活の中で水の使い方を気にするなど一人ひとりが関心を高めること。生き物は水がなければ生きられないことを再確認してほしい」と訴えている。
向山会長は「人間の利便性や人間の産業活動の考え方が人間がコントロールできない臨界点に達し、数十年がたっていると感じる。このままの状況を継続するのか違った選択肢に挑戦するのか意識の大きな転換点にさしかかっている。私たちの果たす役割、責任は重大。このような取り組を一つひとつベースにしながら、生命の共存の意識の拡大ができる活動を地域のなかで継続していきたい」と話している。 -
【新年号】スピードスケート2冠 武井博史(上伊那農)
昨年の冬、スピードスケートの全国高校総合体育大会男子1500メートルで全国の頂点に立った。「優勝できるなんて思ってもいなかった」。ただ、自分のベストを尽した結果だった。今年の大会(1月21縲・4日・山梨県)は追われる身。連覇の重圧に打ち勝ち、自分の真価が問われる重要なレースに位置付ける。
「自分を高めるチャンスなのかもしれない。プレッシャーに負けているようではスポーツ選手として伸びない。敵は自分の中にいる」
全国中学校体育大会3位の実績を持つ3歳年上の姉の影響で、幼少のころから氷上で滑り始め、小学3年の冬、姉とともに、W杯日本代表・新谷志保美(竹村製作所)らを育てた新谷純夫監督(宮田村)の下で本格的にスピードスケートを学ぶ。身長は170センチと、けして大きくない。武器は、低い構えに特徴を持つ伸びのあるスケーティングと、遠心力をうまく使って加速するコーナワークの技術だ。
夢は世界で活躍する選手竏秩B「まだまだ満足することはできない。世界には自分より強い人が何百人もいるのだから。気持ちはいつでも大きくもっていないと。そうしなければ、頂点を目指すことはできないから」
約4カ月の短いシーズンに比べ夏場の準備期間は長く、厳しい陸上トレーニングでシーズン中の体力を養う。「夏にどれだけ頑張れたかで冬が決まる」のだが、今季は夏の海外遠征でトレーニング不足だった。シーズンインしても調子は上がらないでいたが、昨年12月の県高校総体の千メートルで「今シーズン一番のスタートダッシュ」を披露、最終コーナーでバランスを崩しライバルの一人、原(佐久長聖)に優勝を譲ったが復調の手応えを感じとった。
あとは上を目指すだけ。昨年5位だった千メートルと、連覇が懸かる1500メートルの2冠達成が今季の最大の目標だ。両種目で、ともに自己ベスト(千メートル1分13秒33、1500メートル1分53秒36=いずれも国外記録)を狙えるよう体調を整える。「去年の自分を超える滑りを、常に新しいものを自分でつかまなければいけないと考えている。気持ちはいつもチャレンジャーのつもりで」
昨年のインターハイ1500メートルは最終レースに出場。自分でも予期していなかったため、優勝が決まり、会場にコールされてもレース後の自分の疲れて乱れた息の音しか聞こえていなかったという。「今年はゴールした瞬間、ガッツポーズをしたい」
プレッシャーに打ち勝った、自分の成長を確かなものとして実感するためにも。 -
【新年号】 地域に伝来する雑穀で地域おこし、農地再生を竏・br>伊那市長谷地区、雑穀プロジェクトへの挑戦
過疎化、担い手の不足、高齢化による地域農業の減退が深刻化する伊那市長谷地区。中心地区から離れた山間の杉島地区などは、高齢化率50%を超える限界集落となっており、そのほかでも半分の地区で高齢化率40%を上回っている。野生動物による農作物被害も深刻で、度重なる食害に高齢農業者が生産意欲を失う。こうした背景から、土地を耕すことをやめる農業者も出てくる状況。耕作放棄地は増加の一途をたどる。そんな中、日本古来の雑穀の栽培により、地域農業の振興、地域おこしにつなげようとする「雑穀プロジェクト」が同地域で進んでいる。“地域のやっかいもの”だった雑穀は、中山間地の切り札となるか。大きな期待を実現に変えるため、生産体制の確立、販売ルートの確保など確かな基盤づくりに向けた模索が始まっている。
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宮下一郎代議士後援会新年総会
宮下一郎衆議院議員の後援会(三沢岩視会長)は3日夕、伊那市上牧の後援会事務所で新年総会を開いた。新年のあいさつで宮下代議士は、会場を埋めた支援者らを前に決意を述べ、次期衆院選に向けて結束を高めた。
宮下代議士は「4月の解散説があるが、与党頑張れと言ってくれれば乗り切れる。みなさんの理解を得られれば前に進める。地域再生のために頑張りたい。力いっぱい、悔いのないよう地域発展のために頑張ります」と話した。
激励のあいさつに立った宮下創平元衆議院議員は「間違いなく春か秋には選挙となる。みなさんの力を束ね、前向きに積極的にやってほしい」。後援会の三沢会長は「優秀な成績で当選させるため、いつでも決戦に臨める体制づくりをお願いしたい」と述べた。 -
どうなる産科医療
駒ケ根市の昭和伊南総合病院(千葉茂俊院長)の産科診療と分娩(ぶんべん)は3月末で休止されることが決定的となっている。市内には開業医もない。まさかと思われていた、産科医師がゼロとなる事態が現実のものとなってしまったのだ。
千葉院長はじめ関係者は「診療再開に向けて、引き続き最大限の努力をしている」としているが、肝心の産科医師が全国的に不足している現状を考えると、医師の確保に向けた今後の見通しは極めて暗いと言わざるを得ない。
県の産科・小児科医療対策検討会が、医師は連携強化病院に重点配置する竏窒ニする方針を示したのを受け、信州大学は昨年、昭和病院に派遣している産婦人科の常勤医師2人を3月末までに引き揚げることを一方的に通告。引き揚げは信大でも深刻化が進む医師の絶対数不足からやむを得ない措置として決定され、信大に太いパイプを持つ千葉院長が、さまざまな機会をとらえて懇願してさえ、「交渉の余地はまったくない」(関係者)というほど強硬で、決定が覆る可能性は限りなくゼロに近い。
信大からの派遣のめどがつかないのであれば、病院が独自に医師を探すしか産科存続の道はない。千葉院長は「あらゆる方面に手段を尽くして医師を探している」というが、現在までのところ応じる医師は現れていない。地元出身の医師に対してもUターンを呼び掛けているが、これも望みは薄いようだ。
◇医師呼び込みへ組合が新制度導入
病院を運営する伊南行政組合(組合長・中原正純駒ケ根市長)は窮余の策として、医師を呼び込むための新たな制度を10月に導入した。県外から転入して3年以上勤務しようとする医師に500万円、2年以上勤務しようとする医師に300万円をそれぞれ貸与する竏窒ネどとする医師研究資金貸与制度がそれだ。対象の診療科は産婦人科のほか、整形外科など。貸与された資金は、それぞれの勤務期間を経過すれば返還の義務は免除されることになっている。
県が運用している同様の制度は3年勤務で300万円、2年勤務で200万円が貸与されるが、調整を図るため、適用者にはその差額(3年縲・00万円、2年縲・00万円)が貸与される。
私立を除く県内の病院では初の導入だが、県外では同様の制度がすでにあり、かなりの数の医師が適用を受けているという。だが、昭和病院への応募は今のところまだない。
◇院内助産院開設も…
「医師がいない状態でも、出産のプロとして助産師がいるじゃないか」という意見も、市民の間から多く出ている。実際に昭和病院は医師が確保できない場合の案として助産師が分娩をする「院内産院」の開設を模索している。だが、現段階では4月の開院は現実的に厳しい状況だ。なぜなら、法律により、助産師が扱うことができるのは正常な分娩に限られ、容態が急変した場合や帝王切開の必要が生じた時などに対応できる産科医師との契約が条件となっているからだ。
開設の見通しについて千葉院長は「医師がいないとリスクに対応できないから、助産師だけでの開設は現実的に無理。伊那中央病院(伊那市)の産科医師に応援を要請するという方法も考えられないことはないが、何か緊急事態が起きた場合、5分、10分を争う時に伊那まで行くのに30分もかかっていては難しい」と話している。
開設に向け、引き続き県や信大とともに検討を進めたいとしてはいるものの、院内助産院は県内でいまだ1カ所も開設に至っていない。県衛生部は「院内助産所が増えるよう支援していきたい」とする方針を示してはいるが、具体化するのは一体いつになることやら…。
◇なぜ医師不足?
そもそも、なぜ産科医師が全国的に不足しているのか竏秩B
原因の一つには医師の負担の大きさが挙げられる。出産はいつあるのか分からない。診療を求められれば医師は対応する義務があるから一日24時間、一年365日、まったく気の休まる暇もない。加えて陣痛から出産まで長時間にわたるケースも多いため、昼夜を問わないあまりの激務に耐えかねて退職する医師が後を絶たず、産科を希望する研修医も、この厳しい実態を目の当たりにしてほかの診療科を選択してしまうのだ。
二つ目には、医療が聖域ではなくなり、出産に当たって何か問題が起きた場合、医療事故としてすぐに裁判に訴えられるケースが増えたことがある。こうした要因によって医師の産科離れが進んでいるのだ。
それでも世のため、人のため竏窒ニ使命感に燃えて産科を選択してみても、その報酬は激務に見合ったものとはいえないことも多いようだ。くしの歯が欠けるように1人、2人と医師が減っていく結果となり、残った医師の負担はさらに重くなっていくという悪循環が起きている。
千葉院長は「昭和をどうするというより、上伊那全体の医療のあり方を真剣に検討しなければ地域医療は崩壊してしまう」として、伊那中病などに協力、連携を呼び掛けている。中原組合長も異口同音に「今の状態では地域医療は守れない。経営的なことも含め、将来は上伊那広域で、場合によっては、飯田との連携も視野に入れながらやっていくべきだ」として、広域連携の必要性を強調している。
目先の医師確保だけでなく、数年先を見越した中長期的な視点が求められている。
【伊那中央病院の対応】
昭和伊南総合病院の産科診療と分娩休止を受け、伊那中央病院は、地域医療を守るため、4月からの里帰り出産の自粛や施設改修などの対応を取る。
昨年8月、記者会見で、地域住民らに対し▽郡外からの里帰り出産は遠慮してほしい▽産婦人科の初診は紹介状を持参してほしい竏窒ニ理解を求めた。
上伊那の年間の分娩件数は1600件。内訳は伊那中病が千件、昭和病院が500件、民間・助産所が100件。
伊那中病の産婦人科医師は4人。来年度、1人増員の見込みだが、昭和病院分をそのまま受け入れることは厳しく、里帰り出産を制限して対応する。
里帰り出産は伊那中病で200件、昭和病院で160縲・70件が占める。
全体の分娩数から里帰り出産を除くと、伊那中病で800件、昭和病院で330縲・40件。年間1140件と計算上では受け入れ可能となる。
しかし、近隣の下伊那赤十字病院はすでに分娩を休止し、飯田市立病院も4月から医師の減員が見込まれ「里帰り出産と、飯田下伊那以外からの出産は予約枠に余裕がない限り原則として断る」とホームページなどで広報している。
中川村など上伊那から、下伊那の病院を利用する年間50縲・0件も引き受ける形となる。
医師確保に目途が立たず、分娩できる場所がなければ、里帰り出産は「断りきれない」。
伊那中病では年間1200件を見込み「何とか上伊那の需要にこたえたい」としている。
上伊那広域連合は昨年12月、県知事に対し、医師確保についての要望書を提出。
要望事項は▽産科医の増員についてあらゆる手段の検討・実施▽産科医以外の医師確保竏窒フ2点で、地域の実態を知って、地域医療への確保に配意してもらいたいと切実な思いを訴えた。
医師の増員が見込めない中、助産師の果たす役目も大きくなっている。
助産所は伊那市と駒ケ根市の3カ所にあり、来年度には4カ所に増える予定。2、3年後には6カ所を見込み、自宅出産を含めて年間100人くらいは対応できるのではないかという。
正常分娩のみを取り扱う助産所は、妊娠中の健康管理や不安解消など一人ひとりと向き合いながら、万全の状態で出産できるようにケアする。
日本助産師会長野県支部上伊那地区長の池上道子さんは「お母さんたちに、自分のお産について考えてもらいたい」と選択肢があることを伝える。 -
駒ケ根市中学校通学区変更へ
駒ケ根市教育委員会は今年、市内2中学校の生徒数格差を是正するため、通学区変更の実施に踏み切る。07年12月現在の生徒数は赤穂が918、東が151。学級数(支援学級を含む)はそれぞれ28と7。市教委によると、09年4月の入学者は赤穂で320人を超えて1学年学級数が1増の9となる可能性があり、一方の東は37人で単学級となることが予測されている。学級増による教室の増設は敷地の不足などで非常に困難な状況であり、片や単学級は配置基準によって教員が削減されることや、生徒のさまざまな活動に大きな影響があることなど、いずれも深刻な問題をはらんでいる。
この事態を何としても避けたい市教委はこれまでの方針を転換し、赤穂地区の一部の地域を東中への通学区とする考えを固めた。09年度の実施に向けて残された期間は約1年間と、決して長くはない。今年早々から関係地区やPTAなどを対象にした説明会や懇談会などを開き、住民の理解を得ていくことにしている。
これまでも東の1学年2学級を維持するための措置は取られてきた。通学区外の一部希望者の入学を許可する「指定学校変更制度」を06年度から実施。これにより、毎年数人ずつが入学したために単学級となる事態は回避できてきたが、09年度は加えて赤穂の学級増の可能性も高くなったことから、年度ごとの小規模な対応だけで切り抜けるのはいよいよ限界との判断に達したようだ。
通学区の変更は過去にも議論に上った。現在の通学区は天竜川を境界線としているが、98年縲・000年にかけて設置された通学区検討委員会は、竜西にある赤穂東小学校の通学区全域を東中通学区に組み込む竏窒ニする変更案について審議。だが、通学には距離的、地形的に無理な地域がある竏窒ネどの意見が出て結局実現には至らなかった。この中で、それならば東中を移転してはどうか竏窒ニする案が浮上。02年に設置された中学校適正配置検討委員会で審議した結果、天竜川を越えて下平地区に移転、新築する案が答申された。この新中学校建設計画はその後の市町村合併破綻の影響などもあり、総額40億円にも上る財源の見通しが立たなくなって一時棚上げにされていたが、市は建設をあきらめたわけではなく、今後の重点計画として位置付けていくことを明言している。
今回の通学区変更は新中学校開校までの緊急避難的措置とされ、以前の案とは内容に違いがある。だが、対象となる赤穂地区の一部住民には「竜西と竜東はもともと別の村。一緒にはなれない」などとする根強い反対論者もあり、合意形成は簡単ではなさそうだ。市教委は「何としても理解してもらわなければならない。子どもたちの将来を考え、長い目で見て判断してほしい」として、粘り強く説得に当たっていきたいとしている。 -
世代間の交流図る施設整備へ
南箕輪村図書館増築南箕輪村は今年、世代間交流施設を整備するため村図書館を増築する。07年度内に着工し、08年度中の完成を目指す。
地域介護・福祉空間整備事業で、現在の図書館の南側と東側を広げ、読み聞かせコーナーと伝承コーナーを設ける計画。図書館が狭くなったため対応を求める住民要望などもあり、検討の末、事業化した。
増築部分の面積は約100平方メートル。読み聞かせコーナーは床に座れるようにし、これまで村民センター2階で開いていた「おはなしむら」などのイベントも図書館内でできるようになり、図書館にいながら交流ができる。
伝承コーナーは、村に伝わる昔話の本を活用して子どもに読み聞かせたり、高齢者クラブや村公民館高齢者学級で活用するなどして世代間交流の場にすると同時に、高齢者の利用で寝たきりや認知症防止につなげたい-とする。
現在も南箕輪養護老人ホームの入所者が定期的に図書を借りに訪れているが、ボランティアの協力で館内で読み聞かせを楽しむなど、利用の広がりにも期待を寄せる。
村図書館は93年1月に開館。施設は村民センターと図書館の複合施設で、図書館面積は352平方メートル。児童書、一般書、テレビ、雑誌・新聞の各コーナーがある。
06年度の利用まとめによると、所蔵資料は6万9348点。村民の67・5%が利用登録し、1日平均利用者数は120人(前年度118人)、村民1人あたりの貸し出し数は8点(前年度7・8点)、1日平均の貸し出し数は388点(前年度378点)。いずれも前年度をわずかだが上回り、多くの住民が利用した。貸出内容ではビデオが減り、本が増加。利用者は20、50、60歳代が増え、「若いお母さん、団塊世代の利用が多くなった」という。
同館の利用率は県内図書館の中で上位に位置し、開館以来、利用率を維持。村民に親しまれる施設になっている。村教育委員会は、「施設整備によってさまざまな世代の村民の交流が図られ、これまで以上に生きた図書館になるのでは」と話している。 -
箕輪町グリーンツーリズム推進
赤そばブランド化、組織作りへ箕輪町は今年、農林業体験などを通じた都市住民との交流を含む体験型産業「箕輪町グリーンツーリズム」の創出と、赤そばブランドづくりに向け、ワークショップなどを開きながら全体構想や推進組織作りに取り組む。
地域の資源や人材を生かした地域振興策として、ブランドづくり、新しい体験型産業の方向性を検討してきた町は、構想作りを進めるため07年2月から、都市農村交流セミナーを開催。関心ある町民に参加してもらい、都市農山漁村交流活性化機構をアドバイザーに、グリーンツーリズムや交流事例などを学び、町の自然や農村資源の生かし方について意見を交わしてきた。
将来的な交流ノウハウを得るため、昨年夏には千葉市の小学生農山村留学も受け入れた。初の受け入れはアクシデントもあったが、今後につながるいいきっかけ作りになった。
赤そばは、県内のブランドづくりを支援する長野県デザイン振興協会の「ブランドづくりネットワーク信州」支援モデル第1弾で、赤そばのブランドづくり構想・計画として、「顧客の期待を超える箕輪町ならではの感動体験の提供により、農をベースに製・販・サービスを一貫して直接提供する自立的なブランドを構築する」提案を受けている。
平沢豊満箕輪町長は、「『グリーンツーリズムと健康づくり』を特徴ある旗印として進めたい」と構想を描いている。熟年層対象の「みのわ健康アカデミー」で培ったシステムやノウハウをグリーンツーリズムと結び付けることで他地域との差別化を図り、農作業、森林浴、ハイキング、温泉などを盛り込んだ総合プログラムを考えたい-とする。さらに「赤そば会館のような皆が集える場所」整備も構想の中にある。
町は07年度中に、市民農園での有機農業体験や長期滞在での田舎暮らし、農産物加工体験、健康づくり、赤そば栽培発祥の地として全国への発信と環境整備など住民と共に組織・全体構想を策定し、08年度に推進組織の立ち上げを計画する。
「魅力づくりを大事にしながら特色ある箕輪のグリーンツーリズムを打ち出していきたい」。こだわるのは「箕輪の独自性」。都会から訪れる人がお客様ではなく、一緒に交流できる場づくりに向け、本格的な取り組みが始まる。 -
記憶を伝える
屈託のない笑顔を見せる子どもたち。大人たちは果たしてこの子らに何を残してあげられるのか、何を伝えなければいけないのか。
嵐のように吹き抜けた“平成の市町村合併騒動”は、自分たちの住んでいる地域をあらためて見直す機会となった。これまであまり気にしなかった地域の素晴らしさを確認し、一方で軌道修正しなければならない部分も知った。大人たちは子や孫に伝えるべきもの、捨て去るものを見極めようとし始めている。
地域文化を語るときに欠かせないのが“記憶”。生活、風習などの記憶はもちろん“土地の記憶”もある。その土地の形状に即した“自然を征服しない”防災対策などにこの記憶が威力を発揮する。行政もようやくそこに着目し始めた。
これらの“地域の記憶”は知恵につながり課題の解決に生かされるが、進歩の妨げになる場合もある。それを見極めた上で、有効な記憶を子どもたちに伝えていく責任が大人にはある。真に“豊かな”笑顔あふれる上伊那にするために。 -
大みそかはそば屋さんのかきいれ時
暮れも押し迫り31日は大晦日、そば屋さんの書き入れ時-。
「越百そば」で人気の飯島町飯島の天七(伊藤昇志社長)ではこの日、男性スタッフ2人が午前5時から打ち始め200人分のそばを打つ。飯島産の玄そばを磨き、石抜き、石臼でその日使うだけひく。そば粉に2割のつなぎの強力粉を混ぜて、粉の芯まで水分がしみるように丁寧に水まわしをする。粉がまとまった後、力を入れて120回以上こね、1・2ミリの厚さまで伸ばし、慎重にそば切り包丁で1・2ミリの太さに切りそろえる。
この道26年の湯沢今朝男さん(63)は「上手にゆで上がり、おいしく食べられるように、心を込めて打っている」と話す。
大晦日は予約の持ち帰り年越しそばが中心。
年越しそばはそばのように長く幸福にという縁起とも、金箔師が仕事場に散らばった金
銀の粉を集めるのに、そば粉を用いたことから、金銀をかき集める意味とも言われている
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上伊那岳風会会長 堀内茂彦(雅号・岳茂)さん
漢詩や和歌などを朗々と吟ずる詩吟の魅力に若くしてとりつかれ1967(昭和42)年、同好の士5、6人とともに駒ケ根吟詠会を設立。翌年には会員が一気に30人余り増え、県岳風会駒ケ根支部へと発展した。その後、名称も上伊那岳風会となって会員も600人を超えるなどさらに成長を遂げ、昨年には創立40周年を迎えた。04年から会長を務めている。
「詩吟とは1分半の芸術である竏秩B日本の伝統を伝える素晴らしい文化であり、精神のよりどころだね。一日1回、腹の底から大きな声を出すことは健康のためにもとてもいいんだよ」
◇ ◇
詩吟を本格的に始めたのは18歳の時。詩吟を愛した父の影響もあり、進学した大学では詩吟部に入部した。
「人前に立つ訓練も兼ねて始めた。最初のころは舞台で本を持っていても緊張で手が震えて困ったものだ。今は人が吟ずるのを審査する立場になったが、60歳を過ぎているような人でもやっぱり同じように震えているのを見ると何だかほほ笑ましい気がするね」
20代後半、全国大会で2位に入賞した。
「あのころは若かったな。毎朝5時に起きて天竜川の河原で一生懸命に練習したものだ。大会では杉浦重剛の『自訟』を6、7人で合吟した。吟じ終わった時「これならいける」と確信したよ。残念ながら優勝はできなかったが」
それからも日々研鑚を積み、3年続けての入賞を果たした。
吟ずるだけでなく、吟に合わせ、刀を持って舞う剣舞や、扇子を持って舞う扇舞にも堪能。さらに剣舞に精進する中で居合いも習得した。6段錬士の腕前だ。
「居合いに使う刀は刃の付いた真剣。なまはんかな気持ちで扱うと大変なことになりかねないから、精神の統一にはもってこいだね」
「吟じても吟じても、詩の心を知ることはなかなか難しい」という。自分で創作してみれば少しでも理解が深まるのでは竏窒ニ考え、漢詩の創作にも挑戦している。
「300作を目標に10年前から始めたんだが、今280作ぐらいかな。達成したら今度は400作りたいな。いろいろな趣味に手を広げているようにも言われるが、根本はあくまで詩吟なんだよ」
◇ ◇
各地で毎週のように開かれる詩吟の大会に出席するのに忙しい。信濃燃料の社長で県LPガス協会理事、上伊那LPガス協会会長でもあり、日曜、祭日には家にいたことがないほどだ。
「だが、詩吟のおかげでたくさんの人たちと接することができ、素晴らしい出会いにも恵まれた。小1と小2の孫も詩吟を始めていてね。時折一緒に吟じるんだ。格別な気分だよ」
(白鳥文男) -
元旦配達へ 年賀状仕分けピーク
上伊那地方の日本郵便各支店では、年賀状の仕分け作業のピークを迎えている。伊那市坂下区の同伊那支店(曽田吉郎支店長)は、元旦の年賀配達に備え、職員やアルバイトら総出で作業に追われている。
28日現在、同支店分の年賀はがきの配達枚数は約25万枚。元旦は50万枚を配布する見込みだ。関係者によると、年賀の引き受けのペースは昨年より早いが、年賀の仕分け作業は例年同様30日をピークに31日夜まで続くという。
戦力となる学生アルバイトは、仕分け作業に携わる女子高校生を中心とした51人のほか、年賀状を配達する外務作業の地元高校野球部員ら38人の計89人。高校が休みとなった27日ごろから、アルバイトを本格的に導入した。
3年目という市内御園の女子高校生(18)は「裏方作業なので、やってみるまで知らなかったことばかりでおもしろい。でも、いい加減な仕事はできないので責任は重大」と作業を慎重に進めていた。 -
みのわ振興公社が歳末助け合い募金
箕輪町のみのわ振興公社は28日、歳末助け合い募金として従業員の善意と、ながたの湯に設置している有料電子レンジの収益金を町社会福祉協議会に届けた。
募金は9年目。金額は6万4407円。新村清孝支配人が「福祉のために有効に使ってください」と手渡すと、町社協の柴財埜会長は「尊い財源になる。心から感謝する。さまざまな事業に有効に使わせてもらう」と礼を述べた。
ながたの湯食堂にある有料電子レンジは、使用料が1分10円。設置当初から使用料を福祉のために寄付する旨の張り紙をして利用者に案内している。 -
箕輪町図書館ですごろくプレゼント
箕輪町図書館は来年1月4日から6日まで、お正月のお年玉企画で図書館オリジナル「十返舎一九信州の旅すごろく」を来館者にプレゼントする。 すごろくは、図書館職員の手作り。十返舎一九が、54歳ころに箕輪町を訪れ大永寺で行われた書画会に出席したときの旅の出来事をまとめた話「滑稽旅賀羅寿」を参考に、諏訪市から江戸までの道のりをすごろくにした。
箕輪町は「古田人形劇をみる」「上古田の書画会に参加する」の2つで、「もう1回さいころを振り4、5、6が出たらスタートへ戻る」など。「山犬と話す」で犬の鳴きまねをするなど楽しい工夫もある。
すごろくの裏面は「お正月のならわし」で正月のはじまり、門松、お年玉などを紹介。十返舎一九の解説もある。
プレゼントは200枚用意。町のキャラクター「もみじちゃん」の駒、さいころを切り抜いて作れる用紙も一緒にカウンターで渡す。 -
迎春は出世魚のブリで、仕入れ高値に店の努力も
宮田村町三区の生鮮スーパー「こいち」には、迎春用の魚介類が入荷して買い物客で賑わっている。年取り用の魚として欠かせない出世魚の天然ブリは不漁で、仕入れ値で例年よりも3割ほど高いというが、店の努力で価格を抑えて提供している。
同店の前林善一社長によると、シャケも仕入れ値で2割ほど、タコやタラバガニも若干高めという。
しかし、「お客様にそのまま転嫁するわけにはいかない。各小売店が我慢する部分も多いのでは」と話す。
「商売をやって50年ほどになるが、ブリがこれだけ不漁なのは初めてじゃないか」と前林さん。原油高の影響でマグロの仕入れ値も高値が続いているという。
一方で狙い目は養殖物のタイ、ハマチで安値傾向。イカも豊漁で安く味も良いという。 -
箕輪西小学校上古田支会が上古田公民館の掃除
箕輪西小学校上古田支会(子ども会)は29日、毎年恒例となっている箕輪町の上古田公民館の年末掃除をした。冬休みに入ったばかりの同会の1縲・年生約30人の児童がぞうきん持参で同館を訪れ、窓拭きやモップがけなど、日ごろの感謝を込めて館内の汚れを落とした。
「届かないよ」大きな窓に張り付いてぞうきんを動かす児童たち。「きれいになった縲怐vとピカピカになった窓を満足そうに見る。
「そこやったよ縲怐v「ここ僕がやる」賑やかな声が公民館中から聞こえてきた。
広い公民館もみんなで掃除すれば、あっという間に奇麗になった。 -
個店の「売り」を消費者にアピール
伊那市の通り町商店街振興組合(竹田一麿理事長)は、魅力ある個店づくりを目指し、独自のサービスや商品を提供する「1店逸品運動」に取り組み始めた。各店の「売り」を紹介した初売り用のチラシを作り、消費者にアピールする。
これまで初売りに合わせ、お神酒や豚汁を振る舞ったり、福引きを企画したりしたが、消費者が大型店に流れる傾向。イベントは取りやめ、個店ごとの対応とした。その代わり、どこにも負けない自分の店の逸品を売り込もうとチラシを作った。
加盟店は衣料品、飲食、薬局、菓子など約30店。チラシには、個店ごとに店主らの似顔絵入りで「安心・安全・健康な体にやさしい食品を提供」「半天手作りいたします」「鉢花の育て方の知識」などを記した。
組合の内田吉郎副理事長は「『売りがない』という店主もいたが、自分の店の特色は何かを考える機会になった」と話し、消費者の反応を楽しみにしている。
来年1月1日の折り込みチラシで、市内の各家庭に配られる。
年度内には、各店の逸品をまとめたマップを作成する計画。
伊那商工会議所は本年度、商店街の「1店逸品運動」支援事業を盛っている。10月には勉強会を開き、商店主が先進地の事例を学んだ。 -
夜警活動に励む団員を激励
伊那市消防団の消防防犯夜警が始まり、27日夜、市、消防署、警察などの関係者が市内の各分団の夜警拠点を巡視し始めた。初日は、宮下市蔵長谷地域自治区長、蟹沢昭二高遠消防署長ら9人が長谷分団の各屯所を訪れ、夜間の警戒を続ける団員を激励した。28日は高遠町地区、30日は伊那地区を関係者が巡視する。
非持の屯所前には、これから夜警活動に出発する非持山、非持の団員8人が集合した。宮下長谷地域自治区長は「住民が新しい年を迎えられるよう、地域で火災や犯罪が起きないよう見守ってほしい」。蟹沢署長は「05年12月以来、長谷地区が無火災なのは、みなさんの予防消防の努力のたま物。引き続き警戒をお願いする」とあいさつした。
夜警は、火災や犯罪が起きやすいこの時期、市民の生活と安全を守るためのパトロール。年末から年始にかけ、各分団ごとの計画に沿って進めている。
夜警活動に励む団員らを激励する -
茅の輪くぐり
飯島町の梅戸神社で28日、師走の大祓い式が行われた。氏子ら20人余が拝殿前に設えた茅の輪をくぐり、1年のけがれをはらい、来る年の無病息災と招福を祈った。
茅の輪の神事は日本古来の行事。同神社は毎年の師走の28日に実施している。
氏子らはまず、日ごろ知らず知らずに身に付いた罪や汚れを払い、人形(ひとがた)に擦りつけおさめた。
続いて、氏子総代らが竹やカヤで作った直径2・5メートルの茅の輪の前に勢ぞろいし、茅野建夫宮司を先頭に、1列になり、神妙な面持ちで3回輪をくぐり抜け、一家の健康と招福を祈った。 -
駒ケ根市仕事納め式
駒ケ根市は28日、07年を締めくくる仕事納め式を市役所で行った。今任期(1月28日)限りでの退任を発表している中原正純市長は集まった約120人の職員らに対し「今年ほど長い年はなかった。早いうちから気持ちを固めてきただけに、5期20年の総仕上げの年にしようと頑張ってきた」とした上で「職員の皆さんにはとりわけ苦労をかけた」と感謝とねぎらいの言葉を述べた=写真。今年の成果として、子育て10か条の制定、企業立地、バイパス駒ケ根工区の開通などのほか、東中の駅伝での活躍を挙げた。一方で昭和伊南病院の医師不足問題や景気回復の遅れなどを引き合いに出し「厳しい時代は続くが職員、理事者が心を一つにし、互いに連携して先を見通しながら新しい年に向かって頑張ろう」と呼び掛けた。
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駒ケ根市消防団巡察
駒ケ根市消防団(小平佳司団長)の年末特別警戒が始まった。27日夜、警戒に当たる団員らを激励するため、小平団長のほか、中原正純市長や駒ケ根警察署の山本修作署長ら約30人が参加し、4つの班に分散して市内の各詰所を巡察。団員らの志気を鼓舞した。
市役所で行われた出発式で中原市長は「今年は大変残念なことに火災が多く発生した。地域の安全、安心確保のため、伝統ある特別警戒に旺盛な消防精神で当たってほしい」と激励した=写真。小平団長は「特別警戒で少しでも被害をなくしてほしい。少しずつの積み重ねが市民の安全、安心につながる。団員600人が全員参加体制で31日まで夜間の警戒に当たるが、一生懸命頑張ってほしい」とあいさつした。 -
JA上伊那、高齢化農業者の労力低減と新たな担い手確保を目指しりんごの新わい化栽培向け台木約8400本を来年から導入
上伊那農業協同組合(JA上伊那)は来年から、リンゴの新わい化栽培の導入に向け、台木、約8400本を購入する。これまでのわい化では台木に接ぎ木を施し、そのまま畑に植えて生育してきたが、新わい化では接ぎ木をした苗木を1年間かけて枝数の多い「大苗」に育成。それを畑に植えると、従来よりも低い木で多くの収量を得ることができる。現在上伊那にある多くのりんご園では、25年以上前に植えられたわい化木が巨木化し、高齢化が進む果樹生産者の大きな負担となり、高所作業の事故も起こりやすくなっている。そのためJA上伊那では今後、新わい化技術により育てた木への改植を継続的に進め、労力はこれまでの半分に、収量はこれまでの2倍、確保できるようにしたいとしている。高齢化する果樹園農業者の支援と、新たな担い手確保を目指す狙いもある。
現在上伊那では、約830戸の販売農家が約230ヘクタールでリンゴを生産しているが、高齢化などの影響でその栽培から離れる農家が増加。10年前の約60%にまで落ち込み、大幅に減少している。
また、経営者の年齢も70歳代以上が約40%。それに続く60歳代が30%を占めており、今後も生産主体は高齢農業者が担っていくこととなる。一方、栽培品種は、8月下旬から9月下旬まで収穫できる早生種の「つがる」が25%、10月下旬から11月末まで収穫できる晩生種「ふじ」が56%、を占めており、その間を埋める有力品種の育成が課題だった。
そこで今回、新わい化栽培の導入により作業軽減を図るとともに、食味が良いとされる長野県オリジナル品種「シナノスイート」「シナノゴールド」を中心とした苗木への植え替えも実施。これらの品種は「つがる」と「ふじ」が収穫できない9月下旬から10月下旬ころまで収穫できるため、8月下旬から11月末まで一貫して収穫できる生産体制を整えられることになる。
新わい化木がほ場に植えられるのは09年。収量目標は移殖して2年後で10アール当たり1トン、木が安定する4年後には10アール当たり4トンとしている。 -
大みそかを前にみはらしファームで〆の子2008本を飾り付け
みんなの願いを天に届けよう竏秩B大みそか前に伊那市西箕輪の農業公園みはらしファームで28日、2008年に合わせて2008本の〆の子を連ねた総延長1・2キロの「〆の子飾り」を園内各所に飾り付けた=写真。
大みそかに“年神様”が宿るとされる〆の子。大みそかから新年にかけて飾り、翌年小正月のどんど焼きで焚き上げ、年神様を再び天へと送るのが伝統行事だが、同ファームでは「その時にみんなの願いも天へ届けてもらおう」と、例年12月初旬から一般の人にも協力してもらいながら〆の子作りを始め、そこにそれぞれの願い事を添えてもらう。
約500本を一般の人が作成した今年は「健康で生活できますように」「家族みんなが元気で長生きできますように」などといった願いが添えられた。残る約1500本は同施設のスタッフがこの日に間に合うように作成している。
飾り付けにはファーム内各施設のスタッフ約40人が参加。「寒いね」と笑顔を見せつつ、2008本の〆の子と松の葉を交互に挟まんだ縄を、協力し合いながらファーム内に張り巡らせた。
どんど焼きは、来年1月20日に行う。 -
大芝高原利活用等審議会
「信州大芝高原総合利用計画」改正を諮問南箕輪村は27日夜、大芝高原利活用等審議会を村役場で開き、唐木一直村長が「信州大芝高原総合利用計画」の改正について諮問した。
審議会は、村長の諮問に応じ大芝開発計画や村有林その他の開発行為に関して必要な事項について調査研究、審議をする。委員は区推薦13人、公募3人、識見者6人、議会選出2人の24人。会長に伊藤幸雄さん(北殿)、副会長に春日茂人さん(田畑)、征矢鑑さん(塩ノ井)を選出した。任期は2年。
「信州大芝高原総合利用計画」は01年3月に策定し、02年5月に1部変更している。本年3月に策定した村の第4次総合計画に基づき今回、利用計画を見直す。
委員に示した計画案は、庁内のプロジェクトチームで検討。計画が、事業中止になった県の「子ども未来センター(仮称)」建設を核としていたことから、関連する内容を削除し整理した。今後新たな大規模開発はしない方針で、新施設計画は現在検討中の大芝高原味工房や足湯、既存施設のリニューアル計画は多目的トイレの適正配置などを盛り込んでいる。
計画に関連するため、08年度を目標にリニューアル計画を進めている大芝高原味工房についても、経過と現段階での計画案を説明し併せて意見を求めた。
たたき台によると、「足湯のある味工房」で、コンコースデッキを挟み工房棟と店舗棟を左右対称に建設。ウッドのオープンデッキで外壁も板張りにする。新たに軽食喫茶コーナーとデッキ内に20人程度が利用できる足湯を設ける。木造平屋建て、建築面積約600平方メートルの予定。
審議会は、08年3月末までに5回開く予定。今回提示された計画案について委員が各自質問や意見を村に提出し、それを基に第2回会議で検討する。
唐木村長は、「計画の見直しをお願いする。併せてすでに県と協議している味工房の改築計画、大芝高原全体にわたるご意見を頂きたい」とあいさつした。