-
12のスクラム防災サミット
豊島区と箕輪町など災害協定締結市町の12自治体が相互支援を宣言東京都豊島区、豊島区と災害時相互協力にかかる防災協定を締結している箕輪町など6市5町が集う「12のスクラム 防災サミット」が1日、約600人が参加して豊島区の豊島公会堂であった。4月に防災協定を結んだ箕輪町は、平沢豊満町長はじめ関係者23人が参加。12区市町が互いに連携し、災害時に相互支援する共同宣言を採択した。
これまで構築してきた相互支援体制をより実践的なものにしよう-と開催。高野之夫豊島区長は、「12自治体が互いに連携し、全力をあげて助け合おう」とあいさつした。
豊島区と協定を結ぶ市町は、山形県遊佐町、埼玉県秩父市、福島県猪苗代町、埼玉県三芳町、岩手県一関市、岐阜県関市、群馬県神流町、栃木県那須烏山市、新潟県魚沼市、箕輪町、茨城県常陸大宮市(協定締結順)。
12区市町が防災への取り組み状況を発表し、地域、家族、各自治体の“きずな”を強めていく大切さを確認。
各自治体に暮す全ての人の安全・安心な生活実現を目指し、▽平常時から防災の情報を共有し、災害時の円滑な支援活動に役立てる▽防災サミット参加自治体が被災した場合は相互に協力し、優先的かつ効率的な支援活動を実施▽防災の協力関係を契機に各分野での交流をさらに深め、互いの発展を目指す-と共同宣言をした。
新潟県魚沼市の星野芳昭市長が「新潟中越地震から1年が経過して」と題して基調講演。パネルディスカッションでは、旧堀之内町の区長、総務課長、ホームヘルパー、学生ボランティアらが、地震発生時の活動などを振り返った。 -
箕輪町の水路に間伐材で作った木製甲ふた設置
伊那土地改良区は3日、箕輪町福与の瀬沢川北側にある右岸幹線水路に、カラマツの間伐材を利用した木製甲ふたを設置した。
県のコモンズ支援金を利用した事業で、地域住民20人も参加。同水路には、建設した1963年から現在までの間、金網が設置されていたが、さびて老朽化していたため、地域から「どうにかしてほしい」との要望があった。そこで伊那土地改良区が中心となり、環境にも配慮した水路整備の実施を計画。設置距離は約55メートル。
福与区の丸田晃区長は「地元としても大きな水路。傾斜を背負っており、土砂が流れ込めば下段の水田が被害を受ける。地区の安全のためにもありがたい」と話していた。
木製甲ふたの設置は2年目。昨年取りつけた伊那市福島地区のふたは、現在も良好だという。
伊那土地改良区の三澤一徳理事長は「今後も地域資源を活用した環境によい整備を継続したい」と話していた。 -
KOA収穫祭にぎやかに
KOA(本社伊那市、向山孝一社長)の収穫祭が3日、箕輪町の同社上伊那生産拠点「パインパーク」であった=写真。社員が栽培した米やリンゴがメニューに登場し、社員、家族、OB・OGらが「秋の実り」を楽しんだ。
松林の敷地内には日本そば、焼きそば、おでん、ポン菓子などの屋台、地酒がそろった居酒屋が並び、すべて無料で振る舞われた。社員が栽培した「KOA米」は五平もちや山菜ご飯、リンゴはリンゴジュースやどらやきのあんなどに使われ、来場者はいくつかの屋台を回りながら、地域食材を味わった。
また、来年度採用内定者約20人が豚汁を用意し、元気に売り込んだり、三陸直送のホタテやイカには行列ができたりとにぎわいを見せた。
特設ステージでは、社員でつくるバンド「KOMS」、南箕輪村の子ども太鼓「COCO龍」、南米音楽「あるみかん」の演奏があり、祭を盛り上げた。 -
それぞれの分野功績たたえ表彰
伊那市は「文化の日」の3日、市功労者表彰式典を市役所で開いた。本年は自治、消防寄附などの8分野で市のために尽力した13人・2団体に表彰状を贈り、長年の功績をたたえた。
小坂樫男市長は「3市町村合併で新市伊那市は県内でも3番目の大きさになる。新市の将来図である、二つのアルプスに抱かれた自然共生都市として、自然と産業のバランスが取れた市を目指したい。今後とも新市のためにご協力をお願い申し上げる」と式辞を述べた。
受賞者を代表して小田切仁さん(75)は「50年の長い間、教育にかかわる仕事の場所を与えてもらい、大勢の人に支えられながら今日までこれたことを感謝する。自分なりに意欲を持って楽しく取り組めたことは何よりも幸せ。今後は一市民として、社会の一員としてさらに努力を重ね誠実に生きていきたいです」と感謝を述べた。 -
近隣の小中学生 音楽で交流
恒例の中部音楽会が2日、県伊那文化会館大ホールであった。「小学校の部」「中学校の部」の2部構成で、伊那市、南箕輪村から14小学校の6年生と、5中学校の3年生が参加。日ごろの音楽学習の成果を発表し合った。中部教職員会の主催。
他校の音楽の表現を聞き味わうことを通じて感性を磨き、互いの親ぼくを深めながら学校生活最後の音楽会にする目的。
小学校の部は混声合唱や、リコーダー演奏などの16プログラム。各学校ごと、発表の前に学年紹介をして他校との交流も深めた。
伊那市の富県小学校は、4弦楽器「バンドーラ」で「夜空ノムコウ」を演奏した。楽器は、児童らが4年生のときに、自分たちで育てた花の苗などを売って材料費を貯え、手作りで製作。澄んだ音色はホール全体をつつみ込み、大きな歓声を呼んだ。
伊那小学校の上沼碧ちゃんは練習の成果について「・ス歌うときの表情・スを心がけながら練習してきたが、本番では今までで一番うまくできた」と満足。他校の合唱にも「ハーモニーがきれいですごいと思った」と話していた。 -
大きな大きなサツマイモ採れた食べた
伊那市内の小中学生を対象とした「はなまる地域探検隊」(伊藤元郎代表)は29日、6月末に定植したサツマイモを収穫した。子どもたちは小雨のにもかかわらず、泥まみれになりながら両手いっぱいの大きなイモを掘り当ててはよろこんだ。
サツマイモの定植は2年目で、昨年に引き続き、市内西町区城南町の地域住民から借りた畑を利用。約80人が集まり、8アールほどの畑から軽トラック3台分を収穫した。春の乾燥で苗の定植に4割ほどが失敗したが、夏以降の気温の高さが影響し、たっぷりと養分を蓄えた大きなサツマイモが多く取れた。
大きいもので長さ50センチほどあり、児童たちは目を輝かせながら夢中で作業。形も長いものから、丸いものまでとさまざまで、なかにはウサギの頭の形をした変り種もあった。
収穫したサツマイモは、近くの青少年ホームへ持ち込み、市食生活改善推進協議会メンバーの協力で、サツマ汁やスイートポテトにして味わった。残りは、11月13日に市内の福祉施設の利用者と一緒に焼きイモ大会を楽しむ予定だ。
はなまる地域探検隊は、子供たちが学校や年齢の枠を超えて、日帰りキャンプや絵手紙づくりなどさまざまな活動を体験。今年で3年目を迎え、毎月一回の活動を展開している。 -
健やかな成長願い七五三参り
郡内各地の社寺で土・日曜日、祝日を利用して七五三参りをする親子連れの姿が見られる。伊那市坂下区の坂下神社でも3日、あいにくの雨にもかかわらず15組ほどの家族連れが神社を訪れた。
総代会(唐沢正雄会長)は、10月30日から11月27日まで、祈祷(とう)を受け付けていて、境内には千歳あめやお守りの露店、着付けの無料直し窶狽ネど、雰囲気を盛り上げている。
同市小沢区から長女(7つ)のお祝いに訪れた父親は「元気で大きく明るい子に育てほしい」と祈願。娘の晴れ姿を残そうと、家族6人で本殿をバックに思い出作りの記念撮影をしていた。
坂下神社へ七五三で訪れる利用者は例年160人程度。少子化で地域からの祈祷依頼は少ないものの、松本市や辰野町などの遠方からの依頼が毎年多いという。
総代会は、12、13日が依頼のピークと予想している。 -
ヒメバラモミ分布調査へ
中部森林管理局は今月中にも、南アルプス北部に生育する常緑針葉樹・ヒメバラモミ(マツ科、トウヒ属)の分布調査を始める。自生母樹の総本数が数百本程度と言われ、絶滅の危険性が高い環境省の植物版レッドリストの絶滅危惧IB類に指定されている。昨年度からの6カ年事業で、生育個所を把握し、保存や増殖を目指す。
ヒメバラモミは八ケ岳の南西部と南アルプス北西部のみの生育が確認されている日本固有種で、胸高直径1・3メートル、樹高40メートルにも成長する。氷河期には優先的樹種だったが、その後の温暖化による降雨の多さが減少の原因とされるほか、鹿の食害も考えられるという。
南アルプス北部地域では、社団法人林木育種協会に委託し、最大の分布地とされる長谷村の戸台地区や、尾勝谷、巫女淵などのほか、大鹿村の豊口山、山梨県白州町の大平地区で、位置や樹高、胸高直径、枝下高などを調査する。
昨年11月には八ケ岳地域の現地調査を実施し、八ケ岳山ろくの4町4村で66本を確認。このうち33本が南牧村の農家の自宅で防風林とされていた。
調査結果をまとめた来年度以降は、穂木を採取して台木に接ぎ木し、その成苗で増殖のための種を採取する採種林や、広く紹介するための見本林を造成する。造成地は長谷村の国有林を予定している。 -
町と商工会が政経懇談会
飯島町と飯島町商工会との05年度政経懇談会が2日夜、飯島町商工会館であった=写真。この中で、中川村商工会との広域連携について、経過と今後の日程について説明した。
町側は高坂町長、担当課長ら5人、商工会は坂井武司会長ら正副会長、理事、事務局、経営指導員ら22人が出席した。
県は1市町村1商工団体を基本に、07年度から補助金の額を小規模事業者数を基準に、300未満の商工会は、50%の大幅削減の方針を打ち出した。飯島町は359事業所だが、中川村は175事業所。県補助は経営指導員や補助員の人件費に充当されており、中川村商工会は50%削減では、運営ができなくなるとして、昨年9月、飯島町商工会に広域連携を申し入れた。
これを受け、飯島町商工会は研究会を立ち上げ、事務レベルでも内容を煮詰めてきた。 この日の懇談会では「今月9日に、臨時総代会を開き、提案し、承認を得て、12月上旬に、中川村商工会と広域連携にかかわる調印を締結し、06年4月1日からスタートしたい-」今後のスケジュールを説明した。
また、合併との相違点は、管理商工会に補助金対象職員を集め、業務遂行し、現状の商工会組織はそのまま残す。両商工会で合理化できる事は広域連携で進めるとした。
このほか、岡田修経営指導員から企業の経済動向や町の概要について説明があった。商業は小売業は売上が下降し、低調に推移している。製造業は自動車関連は好調、弱電は低調、企業間格差が拡大している。建設業は大きく減少している-とした。 -
地区役員を対象に協働のまちづくり素々案を示す
飯島町は31、1日夜、防災集会室で、区役員を対象にした「協働のまちづくり素々案説明会」を行った。
初日は田切・七久保、2日目は飯島・本郷地区の区会議員、耕地総代、公民館長、主事など合わせて80人が出席し、中期総合計画(05-10年)における「協働のまちづくり」素々案の説明を受け、意見交換した。
この中で、協働のまちづくりを進めるための組織について「地区内の自治組織や団体などのまとめ役の機能を有する新たな自治組織を4地区ごと立ち上げ、協働のまちづくりの中心的な担い手、住民自治の推進役として活動していく方向で検討する」とし、組織のガイドラインのたたき台も示した。
これを受けた意見交換で、参加者からは「新たな組織をつくるのではなく、現行の区で役割を担えないか」などの意見があった。 -
わらべ歌で親子が触れ合う
中川村教育委員会の第3回元気っ子講座「わらべうた」が29日、社会体育館であり、村内外の親子70組140人が参加し、親子で心豊かな時を過ごした。
講師の近藤信子さん(音楽教室とんとんやかた主宰)は「日常の会話の中に、わらべうたを入れることで、温かいものが伝わる。わらべうたの力を知って」と話し、早速、「まーるくなーれ」と、歌で呼び掛け、大きな円を作り、なじみのわらべうた「なべなべ底ぬけ」を歌った。馬の親子になって、歌に合わせ、子どもを負ぶったり、だっこしたりして遊ぶ「うまはどしどし」と続いた。
お母さんたちは汗だくになって、子どもたちは「キャ、キャ」と歓声を上げながら、わらべうたを覚え、親子でパワフルに遊んだ。 -
宮田氏一族の慰霊碑を城址に建立
宮田村北割区に残る戦国時代の山城跡の保存活動に取り組む「宮田城址保存会」はこのほど、同城主で武田氏によって討たれた宮田氏一族の慰霊碑を城址に建立した。山中の作業で困難を極めたが、それだけに会員の喜びもひとしお。10日に清水靖夫村長らも招待して除幕する。
会員の浄財を使って慰霊碑を製作。今春に同会が整備した登城ルートを使い、2日半かけてふもとから城址まで運搬した。
作業にはのべ約20人の会員が参加したが、困難の連続。慰霊碑を載せた小型運搬機にも限界があり、道の細い部分や急坂などは人力で押したり、綱で引いたりもした。
通すためにわざわざ道の拡張も。しかし、その努力の甲斐もあって本丸付近に無事建立できた。
春日甲子雄会長は「大きな重機も使えず本当に大変だったが、慰霊碑の建立により、村を治めていた宮田氏について多くの人に理解を深めてもらえれば」と期待する。
同会は今年1月に発足し、当初14人だった会員も70人にまで増加。倒木で寸断されていた登城ルートを遊歩道として整備するなど、保存活動を展開している。慰霊碑の碑文は会員で城址近くの真慶寺住職赤尾義道さんが揮毫した。 -
愛着あるリンゴの実に自分の名前を
村内の農園の好意でリンゴの木を借りて栽培を体験している宮田村の宮田小学校3年3組は2日、実ったリンゴに自分の名前を記したシールを貼った。日焼けを利用し、半月後の収獲時には名前が実に刻まれる。葉摘みの作業も行い、汗を流した。
28人の児童は駒が原の農園に足を運び、自分が袋かけした愛着あるリンゴの実にシールを貼り付け。20日前後に予定する収穫の無事も祈った。
園主の樋屋喜吉さんは焼き芋を用意。作業を終えた子どもたちは感謝しながら味わい、近くに迫った収獲に想いを馳せていた。 -
高遠・長谷の小中学生音楽で交流
第56回東部小中学校連合音楽会が2日、高遠町文化体育館で開いた。高遠町・長谷村5校の小学4年生以上と中学生約500人が、合唱や合奏などを発表し合い、音楽を通して交流を深めた。両町村による東部教員会の主催。
今年はプログラム15曲のうち合奏が4曲と例年に比べて多かった。長谷中3年生による南アルプス太鼓クラブは和太鼓で「仙丈」を演奏し、息の合った威勢のいい音を響かせた。
大舞台に緊張した様子を見せていた高遠北小4年生は15人と小人数ながら「ビリーブ」を合唱奏で発表した。大きな声で歌い、途中からはアコーディオンや木琴などの楽器を演奏して、練習の成果を精いっぱい披露した。
合唱は高遠中の2、3年生が混声四部で、長谷中の全校生徒が混声三部で、それぞれ心を一つに美しいハーモニーを披露した。
会場には保護者らも駆けつけ、それぞれの発表に大きな拍手を送っていた。 -
南アの紅葉 色濃く
長谷村の南アルプス林道から望む山々の紅葉が見ごろを迎え、除々にふもとに下りてきている。
今秋は暖かい日が続き、降雨も少なかったことから例年に比べて2週間ほど遅れていて、現在は歌宿あたりの標高1600メートル前後が見ごろ。ケヤキ、カツラ、ミズメなどが赤や黄、緑色の鮮やかなパッチワークをつくる。
村営バス営業所によると、期間中(11月15日まで)は十分楽しめる見通しで、今後冷え込みが続けば朝方には「霧氷」も目にすることができるという。 -
KOA国内営業部門再編
KOA(本社・伊那市、向山孝一社長)は1日、国内の営業部門を再編した。新設の日本営業ビジネスフィールド東日本営業センターのゼネラルマネージャー(GM)に、前首都圏営業センターGMの小林彬人氏が就任した。
従来は、東日本・首都圏・西日本の3つの営業センターがあったが、東日本と西日本の2つに再編した。市場環境変化への迅速な対応と経営効率の向上を目的にした再編と説明している。 -
青藍之会演舞発表会
創立20周年を迎えた演舞の愛好会「青藍之会」は30日、第18回演舞発表会を駒ケ根市文化会館で開いた。舞台は「日本に思いをよせて」「北から南へ日本舞めぐり」の2部構成で、日本の四季や自然などを歌と舞で表現した=写真。
あでやかな衣装をまとって登場した出演者らは、朗々と響く吟者の歌に乗せて見事な舞を次々に披露し、観衆の大きな拍手を浴びていた。 -
第28回子どもたちにゆきとどいた教育をすすめる父母・市民・子ども・教職員のつどい
「子どもたちにゆきとどいた教育をすすめる父母・市民子ども・教職員のつどい」が29日、伊那市民会館であった。28回目。高校生から一般まで約250人が集まり、作家・澤地久枝さんの講演を聞いたり、分科会での議論を通して、憲法問題や高校改革プランへの意識を高めた。
憲法9条改正が取りざたされる昨今、もっと敏感にこの問題を考えてほしい窶狽ニテーマを「平和と教育」縲恟繹ノ那から考える縲怩ニした。
憲法改正に反対する「9条の会」の呼びかけ人、澤地さんは、戦争が引き起こした悲惨な事実や、新しい歴史教科書が事実と乖離(かいり)した歴史を示す危機感を語り「自分の判断で行動できない子どもを育ててきた戦後60年が、自分たちの足元を崩すような社会を作り上げた」と批判。最後に「今は平和を守るためのバリアになるという決断を、一人一人がする時。子どもを戦場に送り出すような社会になるのはまだ止められる」と力を込めた。
4つの分科会は不登校・ニート問題や高校改革プランについて議論を深めた。高校生同士の分科会もあり「高校生が今できることは、もっとプランについて学習すること」などと話し合った。 -
伊那市高尾町社協
ふれあい広場で竹とんぼなど伊那市高尾町の地域社協は30日、高尾神社で第9回ふれあい広場を開いた。竹とんぼ教室と餅つき会。大人と子ども約100人が参加した。
同地区のふれあい広場は従来高齢者を対象に夏開催し、地区の子どもたちにも参加を促してきたが、夏は学校行事などと重なるため、05年から秋に開催時期を変更。高齢者だけでなく、地区の人すべてを対象に参加を呼びかけた。
い縲怩ネ西まるクラブの中村新平さんを講師にした竹とんぼ教室では、竹とんぼが飛ぶ原理の勉強をしながら、実際に製作。馴れない手つきで、竹にサンドペーパーを当てたりした。
餅つきでは、おじいさん・おばあさんが大活躍。「杵はこうやって」「きなこはこうつけるんだよ」などとわきあいあいと秋の日を過ごした。
同社協の林晴子会長は「高齢者に、子どもと接する機会を増やしてもらいたかった。地区の人が皆来てくれればうれしい」と話した。 -
伊沢音楽祭参加の東京芸大学生
高遠中・高生を一日レッスン伊沢修二記念音楽祭(29日開催)出演のため高遠町を訪れている東京芸大オーケストラの学生が30日、高遠中で、高遠中と高遠高の吹奏楽部の生徒に楽器の演奏法などを指導した。
フルート、クラリネット、サクソフォンなど楽器の種類ごとに芸大学生が指導するもので、毎年行われ、05年は6月に続いて2回目。その楽器専門の学生の指導に、生徒は食い入るように耳を傾けていた。
ユーフォニアムの教室では、芸大4年の小林敦さんが高遠中の2人を指導。楽器を吹くときの姿勢、呼吸法、指の動かし方などを教えながら、メトロノームの音に合わせて、練習曲を演奏した。
小林さんは「教えたことが今後の部活に生かされるとうれしい。1日だけのレッスンでは、その後の努力や成長が見えず残念」と話した。
レッスンを受けた2年の伊東有沙子さんは「ユーフォニアム専門の話が聞けてよかった」。同じく2年の今井香央里さんは「姿勢を正し、吹き方をきちんとすると音がとても変ることに驚いた」と感想を述べた。 -
シックデイや災害時
糖尿病患者はどうする
糖尿病セミナーで講演・討論糖尿病の病状や予防法・治療法を学ぶ第4回信州糖尿病セミナーが30日、伊那市駅前ビル「いなっせ」であり、約250人が講演やパネルディスカッションに熱心に耳を傾けた。県糖尿病協会などが主催。開催地は県内各地の持ち回り。第4回の今回の世話人は、神山公秀さん(神山内科院長)、市川和夫さん(伊那中央病院内科部長)が務めた。
「どんな時でも糖尿病と仲良く」をメインテーマにした今回のセミナーでは、糖尿病患者がカゼや胃腸障害など発熱・下痢・嘔吐・食欲不振に襲われる「シックデイ」や、大型地震などに被災した場合に何を注意するべきが窶泊蛯ォなテーマ。
専門医である洪内科クリニック・洪尚樹院長の講演のほか、新潟県小千谷市在住の永井美智子さんが新潟中越大地震の被災地で糖尿病治療で苦心したことを体験発表した。
パネルディスカッションでは座長の市川医師のほか、患者3人・管理栄養士・看護師・臨床検査技師窶狽フ計6人がパネリストとして登壇。
「大地震で(糖尿病の必須薬である)インスリンを使えなくなったらどうしたらよいか」「災害前から何を準備しておいたらよいか」など切実な問題を議論した。
会場の参加者から「血糖値を下げるため食事療法と運動療法で苦労している。災害の時には、人に迷惑をかけないだけでなく、もっと大変な人を助けなくてはいけないから、皆さん気合を入れて病気を治しましょう」などの発言もあり、盛大な拍手を浴びていた。 -
旭日双光章受賞(専門工事業振興功労)
麻野幸好さん(81)箕輪町三日町の農家に長男として生まれ、箕輪町役場勤務、建設業を経て1965年に駒ケ根市に信濃広告を設立。現在取締役会長。その間、県広告美術塗装業協同組合連合会会長、甲信越地区広告美術業組合連合会会長などを歴任し、業界の発展に尽くした。屋外広告物審議委員、景観審議委員・アドバイザーを務めるなど、屋外広告行政にも積極的に協力し、行政とのパイプ役としても活躍。
「(受賞は)うれしいが、自分の力だけではない。業界や関係者など、多くの人に代わっていただくものと思う」と謙虚に語る。
広告業に飛び込んだのはまさに日本が経済成長に入ろうとする時代だった。「役場の天井の節穴を定年まで眺めて暮らすのかと思ったら嫌になっちゃってね。役場を辞めた後、建設現場でもっこかつぎなんかをして金を貯め、それを元手に看板屋を始めたんだ。金がなくてもできるから窶狽ニ思ってね」
同業者の敬遠する仕事にも積極的に挑戦し、伊那谷一円の役場や国鉄(当時)飯田線の仕事を一手に引き受けるなど、順調に発展を続けてきた。
「振り返れば、80年一日のごとし窶狽セね。いろいろと世相の動きはあったが、今日を省みて明日を考える。この繰り返しでやってきた。後退せず、前に進むことだけを考えて何事にも努力してきたつもりだ。これからも体験から何かをつかもうとする意欲はずっと持ち続けていたいね」 -
旭日双光章(地方自治功労)受賞 中坪敏郎さん(74)
1987年に駒ケ根市議会議員に初当選。03年に引退するまでの4期16年間にわたって市政の発展に尽くしてきた。95縲・9年までの2期4年間は市議会議長を務め、議会の長としての重責を担った。
◇ ◇
「父は、私を絶対に議員にさせない窶狽ニ生前言っていたようだが、いろいろな成り行きで議員として働くことになった。中でも印象に残っているのは、議長時代、全市全戸への下水道整備、南田市場の区画整理、伊南バイパス建設などについて中原正純市長に相談を受け、これらの課題の実現に向けて協力して全力で取り組んだことだ。地域の人の理解をどうやって得るかで大変苦労したが、市民の皆さんの手伝いが少しはできたという気がする」
「市長とは遠慮なくやり合ってきた。今後の議員に言いたいのは駄目なものは駄目とはっきりと言い、やる時はとことんやれということだ。市長が言うことに同調してばかりいてはこれからの時代はうまくいかない。理事者や議員にはそのあたりの読み違えをしないように望みたいね」
「(受賞は)市民のためにと思ってやってきたことを評価してもらえたのかもしれないが、何だか申し訳ないような気持ちだ。支えてくれた多くの人たちに感謝したい」 -
ミツバチ供養
伊那市の小松養蜂園(小松実治代表)は30日、西箕輪羽広の仲仙寺でミツバチ供養をした。受粉のためにミツバチを使う上伊那のイチゴ生産者26人が参列した。
小松養蜂園のミツバチは、10月から翌年5月までの7カ月間、イチゴ栽培のハウス内で受粉のために働く。今年は10月20日過ぎからハウスに放している。12月初旬には実がなり、クリスマス時期の出荷に間に合わせる。
ハウス内で働くミツバチは、自然環境の中と比べ短命になってしまうという。生産者は1年間働いたミツバチに感謝し、静かに手を合わせた。 -
瑞宝双光章(教育功労)受賞
高坂保さん(76)「教え子たちは幾つになっても『先生、先生』と言って慕ってくれる。教師をやってきて良かったとつくづく思いますね。本当に楽しかった。でも振り返ってみれば教え子に教えられることの方が多かったですね。今回の受賞も支えてくれた教え子や保護者、先輩たちとともにいただくものと思います」
◇ ◇
七久保村(現飯島町七久保)の村長の家に生まれ、予科練(海軍飛行予科練習生)を経て大陸で戦闘機の訓練中に終戦を迎えた。本土への復員船の中で「これからの日本は大きく変わっていかなければならない。それには何といっても教育が大切だ」と考えを定め、理想に燃えて教職の道を選んだ。1950年、長野市の川端中学校を振り出しに下諏訪町、伊那市、松本市、駒ケ根市、辰野町の中学校勤務を経て駒ケ根市立東中校長、赤穂小校長を歴任。退職後は駒ケ根市教育長の重責を10年間務めた。
学校では怖い先生だったという。「子どもたちと友達になってしまっては駄目だ。しかし共に笑い、共に泣くような『共感』は絶対に必要。厳しい時と緩める時の塩梅(あんばい)が大切ですね」
若いころは教えることの難しさに悩んだこともあるが「先輩や同僚の教師らと毎晩遅くまで議論したり、哲学書や禅、武士道などの書物の読み合わせをしたものだ。そんな切磋琢磨を重ね、周囲に支えられて今日の自分があるんですよ」。 -
町一区子ども会のお楽しみ会
駒ケ根市の町一区子ども会(須田秀枝会長)は30日、赤須町地域交流センターでお楽しみ会を開いた。親子約60人が参加し、紙芝居やバルーンアートのほか、ゲームやクイズなどで楽しんだ。
バルーンアートは赤穂高校ボランティア部の女子生徒3人が訪れて、子どもたちに犬やキリンなどの作り方を丁寧に教えた。「細長い風船を膨らませたら、ここをこうねじって、ここをこう結んで…ほら出来上がり」生徒らの手元を食い入るように見詰めていた子どもたちは「すごい」「私も作りたい!」と先を争って色とりどりの風船を手にすると早速ポンプや口を使って膨らませ、生徒らに教えてもらいながら動物や花づくりに夢中で取り組んでいた=写真。 -
フッチサウ(フットサル)・カーニバル
駒ケ根フッチサウ協会(上原幹雄会長)は30日、第3回信州フッチサウ・カーニバルを駒ケ根市東伊那のアルプスドームで開いた。県内外から12チームが出場し、予選リーグと決勝トーナメントを行った結果、箕輪町の「サルト」が優勝した。
出場した選手らはコート内を縦横に駆け巡って細かいパスをつなぎ、ゴール前のチャンスでは強烈なシュートを放つなど、スピード感あふれる熱戦を繰り広げた=写真。
フッチサウはフットサルのポルトガル語。5人制で、サッカーに比べ約3分の1の大きさのコートで一回り小さいボールを使う。小人数で手軽に楽しめるため人気が高く、ワールドカップをはじめ世界規模の大会も開かれている。
上位の結果などは次の通り。
▼準決勝=サルト(箕輪町)3窶・FC風越(飯田市)、NOLANDA(駒ケ根市)1窶・ジャンク(PK戦=NOLANDA4窶・ジャンク)▼決勝=サルト1窶・NOLANDA
▽ファンタジスタ賞=平沢陽一(サルト)佐藤孝(ジャンク)▽スーパーセーブ賞=白川満(蹴九武) -
瑞宝小綬章(教育功労)千田 俊明さん(70)
教育って“教えて育てる”って書くけど“共に育てる”だと思うんです窶煤B
1957年、阿智高校に赴任。以降、県内8校で、社会科などの教べんをとる。
心がけたのは「発表授業」。一方的に教えるのでなく、生徒自らが調査・発表する授業は苦労が大きい分、成功した時の感動が生徒の目を輝かせた。それは何より、自分にとっても喜びだった。
「文化祭などで生徒と一緒に活動するのが楽しかったから、教頭なる時は、寂しさもありました」
90年、県教育委員会学習指導課高校教育指導係長に就任。このころ長野県は、現役高校生の大学進学率低下。実態調査から状況把握に努め、小学生から高校生までの「学力向上のための実践方針」を作成。推進校の指定や理数科の設置など「特色ある高校づくり」の基礎となる取り組みを進めた結果、大学進学率は徐々に回復。昨年は全国で28番となった。
県教育センター所長を務め95年に退職。
教育の中心は生徒。生徒にとって何が大切かを基本に考え、教師はそれをフォローしていく窶狽サんな思いで勤め上げた38年間だった。
伊那市西春近。妻と2人暮し。 -
伊那市の飲食店経営者有志、たかずやの里で寿司を振舞う
伊那市の飲食店経営者有志のグループ「一の会」は1日夜、富県の児童養護施設「たかずやの里」の子ども40人に、にぎり寿司などを振る舞った。
伊那市飲食店組合の事業として始まった奉仕だが、その後「子どもたちの成長を見続けたい」という有志が活動を続けてきた。今年は23回目。メニューはリクエストに応じて毎年変化する。
子どもたちは、いただきますのあいさつと共に、できたばかりの寿司を笑顔で食べていた。また、タイを目の前でさばくパフォーマンスもあり、子どもたちは、職人の手さばきの良さに驚いていた。
代表の林孝司さんは「うまいと言って食べてくれれば」と話す。
活動を通して知り合った子どもが、学校卒業後、メンバーの店を訪れることもあり、それも喜びの一つだという。 -
宮田村田中下遺跡から磨製石斧が珍しい状態で出土
宮田村の田中下遺跡から、縄文時代前期の墓とみられる縦穴が出土し、穴の壁ぎわに磨製石斧(せきふ)が縦に2本突き刺してある珍しい状態で見つかった。県立歴史館の宮下健司さんは「突き刺した状態でみつかった類例を聞いたことがない。副葬品とみられ、埋葬された人物が石斧づくりの名人だったなど因果関係が考えられる」と説明する。出土した石斧は5、6日に開く村文化祭企画展で村民会館に展示する。
遺跡内の道路付け替えに伴い、村教育委員会が発掘調査したところ先月20日に発見。穴は直径70センチ、深さ35センチで桶のような形をしており、北と西面に22センチと15センチの磨製石斧が縦に突き刺す形で埋められていた。
また、穴の底には31センチに達する大型の磨製石斧が横たわる形であり、近畿地方でつくられた「北白川下層式」と呼ばれる形式の土器もみつかった。
同遺跡は村北端に位置し、町1区、北割区、南割区の境。縄文前期の竪穴式住居跡や土器が出土している。
何かを埋めたり、貯蔵したと思われる穴も38ヵ所で見つかっているが、穴から石斧が出土するのは初めて。
村教委の小池孝文化財主任は「石斧は全て使用済み。使える道具を副葬品として埋めたとするならば、埋葬された人物は何か特別な人なのでは」とみる。
縄文時代に詳しい宮下さんも「佐渡では矢じりを散りばめた墓がみつかっており、ものづくりに秀でた故人を後世に伝えようとした形跡ととれる。甕の中に石斧を入れ一緒に埋葬する例もあるが、突き刺した状態は聞いたことがない」と話した。