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JAだるま貯金
上伊那農業協同組合(JA上伊那)は4日、「だるま貯金」を上伊那管内で一斉に実施した。午前8時の開始とともに、多くの人が訪れ、新しいダルマを持ち帰った=写真。
貯金した人を対象に、新しいダルマ1つを進呈する正月の恒例イベント。今年は各支所の金融店舗など37カ所に窓口設置。9850個のダルマを用意した。
年初めの縁起ものを手に入れようと毎年訪れる人も多く、正月祝いにもらったお年玉を貯金するため、親や祖父母とともに訪れる子どももいるという。
年が明け、久々に会った知人と新年のあいさつを交わす姿も多く見られた。 -
長谷成人式
伊那市長谷地区の07年成人式は1日、長谷公民館であり、思い出話に花を咲かせながら喜びを分かちあった=写真。
長谷地区では例年、多くの人が出席できる正月に成人式を実施。今年は、対象者23人のうち20人が式に参加した。
長谷公民館の伊藤智良館長は「長谷の地に生まれ育ったことを誇りとし、夢を胸に歩んでいってほしい」とあいさつ。
新成人を代表して城口権二さんが「私たちはこれからさまざまな困難と喜びが隣り合わせの人生を歩んでいく。一人ひとりがそれぞれの道を選び、歩んでゆくので、これからも指導をお願いします」と新しい出発への思いを述べた。
その後、成人者らの中学校時代の担任・中村昭彦教諭が講演。「カブトムシを取ってきたり石を投げて池のコイの様子をうかがったりとやんちゃな子どもたちだったが、地域のみなさんも子どもたちの活動を見守ってくれ、温かさを感じた」と当時の思い出話を交えながら、はなむけの言葉を贈った。 -
アマチュア・マジシャン
箕輪町松島
有賀哲哉さん観客の前に登場したアマチュア・マジシャン「アリック」。鮮やかな手つきでカードを扱い、見る人を巻き込んで次々と繰り広げる手品に、「どうなってるの?」「すごいね」と拍手が起きた。
「どこで何をやったか忘れるくらい緊張している。でも、楽しんでもらうために、喜んでもらえることを考える。場をこなさないとうまくなれない。呼ばれたら飛んで行きますよ」。アリックの名を刺しゅうしたジャケット姿で、驚きと感動を届ける。
大学に進学し、友達がやっていた手品に魅せられてサークルに入った。「勉強はしなかった。授業中もずっとトランプをやっていた」というほど手品にのめり込み、トランプを扇子のように美しく開く扱いも20歳のときには習得していた。
学生時代、アマチュア・マジシャンとして名高い故高木重朗氏に直接指導を受ける機会もあった。初めて手品をやった小学3年の学芸会。ダンボール箱の中で人が入れ替わる手品は、高木氏の本を見て挑戦した。「俺が読んだ本の人がここにいるんだって感激しました。すごかったですね」と振り返る。
卒業後しばらくは独学で手品を勉強していたが、2000年に箕輪町に戻るまでの10年間はほとんど手品をすることはなかった。地元で旧友に会う機会が増えると同時に手品を披露する場ができ、再び練習を始めた。
手品には4つの楽しみがあるという。(1)見る楽しみ(2)種を知る楽しみ(3)練習してできるようになる楽しみ(4)皆に見せて喜んでもらえる楽しみ-。4つの段階をしっかり踏むと、自分にとってもお客さんにとっても素晴らしい、最高の手品になる。
「まずは見て感動。何でもそうだけど、自分が感動しないとだめ」。次にどうやっているのかを推測する。長年やっているとある程度は分かるといい、後は自分なりにアレンジする。「練習あるのみ」と、暇を見つけては練習に励む。
手で練習する以上にもっと練習することがある。それは「頭の中でストーリーを描く」こと。何度も何度もストーリーを組み替えて練習する。例えば手品を披露する場が自分の想定と違っていても、頭の中で経験しているとすぐに切り替えができるなど、スムーズに対応できる。これは手品のみならず、人生にもいえることだという。
得意とするのはカードマジック。「トランプには種がない。自分がやりながら種を仕掛けていく。これはすごいですね」。カードマジックという「52枚が繰り出す芸術」に魅力を感じている。
「本当にすごい手品は観客が『うっ』と一瞬止まる。拍手を忘れる。我に返るまでの時間が『何なの今の?』となる。それをどこまで追求できるかなので、飽きることはないですね」。何かをやっているという動きを極力排除し、いかにシンプルに美しくやるかが課題となる。
人を楽しませるという最大の喜びのためにやっている手品。目指すは、「疑う余地なし」の究極の手品だ。(村上裕子) -
・ス学問の神様・ス大原天満宮の初詣でにぎやか
宮田村大原区の大原天満宮は二年参りや三が日にかけて、初詣に訪れた多くの参拝客で賑わった。
・ス学問の神様・スとして有名な京都・北野天満宮の分社でもあり、受験生をはじめ子どもたちが参拝する姿も。村外から訪れる家族もあった。
12月31日から元旦にかけての二年参りは区民ら約50人が集まり、みんなで揃って年越し。新年を迎える午前零時とともに、社殿に向って一斉に参り、お神酒なども振る舞われた。
たき火を囲みながら隣近所が迎春のあいさつ。「今年も良い年でありますように」と年始に語り合った。 -
洋画作家による漸進展
伊那市出身・在住の洋画作家による「漸(ぜん)進展」が4日、駅前再開発ビル「いなっせ」2階ギャラリーで始まった。中央展入選の実績を持つメンバーがほとんどで、写実、具象、抽象など新作16点(遺作1点含む)が並ぶ。9日まで。
いなっせのオープン記念として始まり、本年で4回目。メンバーは50縲・0代が中心で、昨年の市町村合併で高遠町の4人が新たに加わった。所属を超え、画風が異なる作品がそろうのは珍しく「刺激を受ける」(竹村新太郎実行委員長)という。
作品は、市内手良から西駒を望んだ「山嶺雪霞」、柿取りの「里の秋(高遠)」、「月と女曼陀羅(まんだら)」「木洩(こも)れ日」「大地」など作者なりの世界が描き出される。サイズは100号前後と大作ばかりで、見ごたえがある。
開館は午前10時縲恁゚後5時(最終日4時)。入場無料。 -
河原町リバース元旦から始動
恒例のマラソン、お雑煮でスタミナつけて宮田村の少年野球チーム「河原町リバース」は1日朝、恒例の元旦マラソンを行なった。約30人の選手たちが元気に・ス走り初め・ス。初詣もして必勝を祈願した。
町三区公民館から南割区の姫宮神社まで往復4キロほどの道のり。元旦の朝にも関わらず大半の子どもたちが参加し、白い息をはきながら力走した。
神社で上條途夢主将、小林安彦監督が「1勝でも多く勝とう」と話し、全員で祈願。
保護者が用意してくれたお雑煮でスタミナをつけ、復路も全力で走った。 -
高遠地区成人式
合併後初となる伊那市高遠町の成人式が2日、高遠さくらホテルであり、対象者87人(男47、女40)のうち79人が顔をそろえた。新成人たちはスーツや華やかな振りそで姿で式に臨み、関係者から祝福を受けて人生の新たな門出を祝った。
小坂樫男市長は「社会の一員として権利と義務を与えられ、個人として責任ある行動が期待される。伊那市の新しいまちづくりにも力を貸していただきたい」と祝辞を述べた。
新成人を代表して2人が意見発表。小松渉さんは「さまざまな経験から得たことを今後に生かしていきたい」と、大人としての新たな人生に抱負を語った。中学校時代の当時の担任らも出席し、新成人の成長に目を細め、激励の言葉を寄せた。
新成人たちは式後に、音楽ステージなどを盛り込んだ祝宴を企画。ビールやジュースで乾杯し、記念撮影をしたり、会話を楽しんで、友との再会を喜んでいた。 -
84人が大人の仲間入り
中川村は「成人の日(8日)」に先立ち3日、文化センターで07年成人式を開いた。新成人84人(男40、女44)のうち、76人が女性は華やかな振り袖で、男性はスーツ姿で出席し、村理事者や村議会、恩師らの祝福を受けた。
村公民館と新成人などでつくる実行委員会が企画、進行したこの式典で、松村正明公民館長は「成人式は社会を担う一員として公に認められた節目の式。父母や地域社会、自然に感謝し、21世紀を担う大事な1人として、心と体の健康に留意し、村や日本、世界の発展に貢献して」と期待した。曽我村長は「困難に遭った時、よく考え、自ら動くことが大切。普段の生活では積み重ねにより、自分にいい癖をつけて」と激励した。
引き続き、新成人の代表に村からは記念写真と小皿セットが贈られた。
また、新成人を代表し、北島想さんは「これからの行動の全てに自分の責任が発生する。夏の参議院選挙に参加することや、村を大切にしていくのも私たちの責任。責任ある大人になるために日々努力したい」。片桐麻衣子さんは「自分の行動に責任を持ち、今までに会った人、これから会う人も尊重し、1歩1歩成長したい」とさわやかに、成人の決意を述べた。
この後、成人者は輪になって1分間スピーチ、最後に記念撮影を行い、思い出深い節目の式を閉じた。 -
飯島町の仕事始め式
##(見出し(1))
本日入れ、
(本文)
飯島町は4日、防災集会室で、職員ら100人余を集め、仕事始め式を行い、07年度業務をスタートさせた=写真。
「飯島町歌」を歌って開式。高坂町長は町発足50周年記念事業やひょう害、豪雨災害、ランドセルひったり事件など、激動の06年を振り返り、来年度事業について「子育て支援センターは4月開所に向け、準備を進めている。乳幼児から中学生まで子ども行政の1本化を図るために、仮称子ども室の新設を教委の中に位置付け、具体的に進めている」と述べ「住民あっての行政、常に住民の目線に立ち、事に当ってはイノシシのように、わき目を振らず、猪突猛進の気概を持って」と訓示した。 -
新たな門出 自覚新たに・南箕輪村で成人式
南箕輪村の成人式は3日、村民センターであり、116人の新成人(対象者175人・前年比11人減)が出席した。晴れやかな振り袖や新しいスーツに身を包んだ若者たちは、久しぶりに合う友人との再会を喜び、新たな決意とともに成人としての新たな門出を祝った。
式典で唐木一直村長は「自分の行動、責任、義務を持つことが大人になること。今日まで育み暖かく見守ってくれた家族や恩師に感謝の心を持って、歩んだ20年間を思い返してほしい。これからの村づくりを地域住民の一人として、一緒に担っていってもらいたい」と式辞を述べた。
新成人代表の瀧澤瑠璃さんは「私たちにも20回目の春がやってきた。地域の方、恩師、家族に感謝の気持ちでいっぱい。成人となり発言、言動にも慎重にならなければならないが、自分の行動次第では違った未来も開けるのだと思う。これからも多くの人に見守っていってもらいたいと思う」と謝辞を述べた。
田本昌也さんは成人者代表として、命の尊さについて意見発表。「子どもとかかわり合って生きることの大切さを語れる大人になれば命の尊さを軽視することはない。これは一つの方法でしかないが、これらの積み重ねが今後の明るい未来につながっていく」とした。
祝賀会はジュースやビールで乾杯(南箕輪村) -
伊那リゾート 年末年始まずまずのにぎわい
伊那市西春近の中央道伊那スキーリゾートは、年末年始の休みを満喫する県内外の利用客でにぎわっている。今シーズンは、暖冬の影響で人波が少ないものの1縲・日は4千人以上が利用。3日は、今季最多の約2千人が同スキー場を訪れたという。
上伊那の地元客や愛知県、岐阜県、三重県の中京方面から訪れる人が中心となって、スキーやスノーボードなどを思い思いに楽しんでいる。先シーズンに新設した砂場感覚で遊べる「雪の公園」が今季も人気を集め、そり滑りや雪遊びを楽しむ人が増えているという。
関係者によると、暖冬により昨年12月16日のオープン以来、利用者数が伸び悩んでいが、ここ数日の冷え込みで利用者の気運が高まってきたという。「寒さがずれ込んだ分、人の入りもずれ込んでもらいたい」と期待している。
平日は午前8時30分縲恁゚後4時25分、土日・祝日は午前8時縲恁゚後4時15分の営業時間。ナイター営業もしている。問い合わせは、中央道伊那スキーリゾート(TEL73・8855)へ。
地元や中京方面の家族連れでにぎわう伊那スキーリゾート(4日) -
改革も積極的に 宮下一郎代議士後援会新年会
宮下一郎衆議院議員の後援会の新年祝賀会は3日、伊那市上牧の同事務所であった。後援者約800人が集まるなか、宮下代議士が新年のあいさつをした=写真。
宮下代議士は「美しい日本を立て直すため、この改革にも積極的にかかわりたい。美しい日本を目指すためには、伊那谷の温かみのある人柄、歴史と文化があるだけで素晴らしくなると思う。皆さんには、ますます元気に活動してもらいたい」とあいさつ。
また、今年の参議院議員選挙で吉田博美氏を推していく考えで「美しい日本を目指すためにも重要な参議院選挙が控えている」とした。
激励のあいさつに立った宮下創平氏(元衆議院議員)は「政治家は問題提起していく力が必要とされる。一石を投じられるような代議士になれるよう親としてではなく、元政治家として期待したい」。後援会長の三澤岩視氏は「若い政治家として安倍内閣の下で一生懸命頑張っている。皆さんの熱い支援をお願いします」と述べた。 -
【新年号】年男年女
伊那市社会福祉協議会福祉活動専門員
南箕輪村北殿
中川峻介さん(23)地域に根ざした福祉を広めるため、昨年4月から災害マップ作りや赤い羽根共同募金の取りまとめなどをしてきた。
「福祉に関する複雑な知識や理念を日々取り入れていかなきゃいけないのは大変です」と振り返る。
大学で心理学を専攻していたが、社会福祉士の資格を取得するため卒業後、専門学校へ1年通った。
「心理学は対人面ですごく役に立つと思った。それに何か人のためになる仕事をしたかったんです」
現在は、「さまざまな人が地域の中で安心して暮らしていくためには何ができるか」を考えてながら動き回る日々。さまざまな人との交流を通じて、徐々に見えてきたこともある。
「単純にあいさつを交わしたり、会話をする中で、さまざまな人が一生懸命生きていることを感じる。その姿を見られるのは嬉しいです。来年は社会福祉士として成長できるよう、いろんな経験を積みたいです」 -
村井知事に聞く(下)
竏注mZの問題で教育委員会がだいぶもめているようだが、それについてはどうか。
村井知事 高校の問題は教育委員会の話だが、知事の立場としては、それぞれの地域の生徒さんの将来に関わることだから、安心できる体制を整えていただきたい。
しかし、少子化は避けがたい現実。長野県平均では、一人あたりの高校生の費用というのは91万6600円かかって、そのうち4万1300円が県の負担で、75万7千円が、国から来る地方交付税など。11万8千円が父兄の負担と、こんな割合になっている。ところが、これが2クラスという学校になると、一人あたりの単価が197万円かかる。これから91万円差し引くと、106万円ほど、県の負担が上乗せされる。これは全部まるまる県が出さなくてはだめ。そればかりではない。高等学校に行くと、理科一つとっても、物理、化学、生物、地学と分類が出てきて、教師に専門性がある。俺は生物はうんと好きだけど、物理はちょいと苦手だという先生もいるという世界になるから、小さい学校だったら、物理の不得意な教師に物理までやらせるようなことになりかねない。これはやっぱりワンセットそろえられるには、適正規模が必要。私はそういう意味では高校再編に関する基本的な県教育委員会の考え方というのは、基本的には正しいと思っている。進め方に問題があったのだと思う。
竏窒竄驍フなら一斉に進めるべきであって、一つの高校の同窓会など、学校周辺の声に甘んずることなく、やるときは平等にやるべきとの声もあるが、その点はどうか。
村井知事 一つのご意見だと思う。ただやはり、高等学校は地域でそれなりの存在感があるから、それをめぐって、いろんな議論がある。そこのところをあまり無視するわけにはいかない、ということではないか。私はもう一つ、県議会が(昨年)6月に条例改正して、県議会の同意を得るということにしてしまわれたので、そういう意味で民意、反対が多いと県議会の皆様方にしてみると、あれだけ地元で反対と言っている以上、賛成できないなという話になってしまう。それは避けがたい現実。そういう意味で、あの条例改正が本当に適切な条例改正だったかという問題は、議会の問題だから、私が言ってはいけないことなのかもしれないが、筋論から言うならば、教育委員会の、教育の政治的中立性という観点からするならば、若干問題のある点ではないかと。
竏酎コ井県政として初めての通年予算となる19年度予算案の特色と重点事業は(基金残高や県債発行額など財政見通しも含めて)。
村井知事 平成19年度当初予算については、極めて厳しい予算編成になるものと考えている。予算や重点事業については、2月定例会に向けて検討しているところであり、その具体的な内容については今は申し上げる段階にはないが、県の果たすべき役割を踏まえ、全ての事業の再検討・再構築を通じ徹底した支出削減と歳入確保に努めていかなければならないと考えている。一方で、県債残高を増やさぬよう元金償還の範囲内において起債を行い、重要な財源の一つである県債を有効に活用しながら、経済再生のための産業活性化、防災や福祉・医療など安全・安心のための施策、道路など必要な社会資本の整備、未来を担う人づくりなどに重点的に取り組み、明るく活力ある長野県づくりを進めてまいりたい。併せて、国庫補助金の有効活用にも最大限の努力を図って参りたい。
竏秩u市町村が主役の輝く県政」の具体化のため、19年度に力を入れる点は(権限移譲のスケジュールや作業手順も含めて)
村井知事 権限の移譲については、市町村や地域住民の意向を尊重し、市町村が自らの責任で主体的に施策を展開していくために必要と判断された権限を移譲していくことが大切と考えている。「ボイス81」などの機会を通じ、市町村長をはじめとする市町村の皆様のご意見を伺いながら権限移譲のあり方についても検討を進めてまいりたい。
竏駐・k格差をどう是正するか。
村井知事 住民に最も身近な基礎自治体である市町村への権限移譲とともに、併せて県の現地機関の自立性を高めていくこと等により、それぞれの市町村において地域のことは地域で解決し、地域住民の要望に沿った行政サービスを提供できる体制づくりが進めば、県庁が長野市にあるなどの理由により、とりわけ中南信の皆様にとって県政が身近に感じられないといったような問題は徐々に解消していくものと考えている。一方で、交通基盤の整備など個別の問題に関しては、地域における必要性、重要性、緊急性などを勘案してその優先度を判断しつつ事業を進めているところでありますが、今後予定している「中期総合計画」の策定に際しては、行政サービスにおける地域格差の解消という観点も踏まえつつ行ってまいりたい。 -
もう1つのテーマは「平和への祈り」
新春インタビューで劇映画「ビューティー」の後藤俊夫監督のお話を聞いているうちに、映画の主テーマは、伊那谷の四季折々の美しさと村歌舞伎を守る人々の美しさ、もう1つのテーマは、美とは対極にある戦争のむごたらしさ「不戦、平和への祈り」ではと感じた。
冬季撮影はシベリアの捕虜収容所シーンを撮る。昨年、シベリア抑留体験者の話を聞いたが、零下30度、想像を絶する寒さ、餓死と隣合わせの極度の栄養失調、厳しい看視の中、ノルマが課せられた強制労働、果てしない雪原を2人引きノコギリを手に、とぼとぼと歩む幽鬼のような捕虜の隊列:。映画ではどのように表現するのだろうか。
命も財産も、文化も多くを失った敗戦体験から、改憲などありえないと思っていた「憲法9条」問題、ゆらぐ核三原則、どこか危うげな年の始めだ。
声高に不戦を唱えるよりも、映画を通じて訴えることは観る人の心に染み渡る。完成が待たれる(大口国江) -
飯島町長選挙11月29日が任期満了
任期満了(11月29日)に伴う飯島町長選挙は11月中にある見込みで、現職の高坂宗昭氏(65)=七久保=にとって1期目の最終年度を迎えている。
03年11月に実施した前回は、現職の熊崎安二氏が8月、健康上の理由で引退表明、これを受けて、前助役の高坂宗昭氏が出馬表明した。告示まで1週間を切っても対抗馬がなく、無投票かと思われたが、告示日の前日、元共産党の町議で副議長を務めた林英彦氏が「本日未明に出馬決意した」と衝撃の立候補表明。無投票が一変し、市町村合併問題を争点に激しい選挙戦になった。林氏は高坂氏を激しく追撃し、善戦するも、764票差で涙を飲んだ。
次期選挙(2期目)の出馬について、高坂氏は「まだ、何も考えていない。残された任期を町政進展のために全力を尽くしたい」と態度を明確にしないものの、大方の見方では、健康上も家庭的にも(出馬することに)支障がなく、これといった失政も見当たらないことから、高坂氏の出馬はほぼ確実視されている。
一方、共産党の三浦寿美子議員は「緊張感を持って町政運営するためには、選挙の洗礼は必要、無投票は阻止したい。前回の出遅れの反省の上に立ち、夏頃までに候補が擁立できればいいが:」と話している。
厳しくとも自立を選択し歩み始めた飯島町。多様化、高度化する行政課題に、どう対処し、住民や地域と連携、協働し、生き生きとした活力ある町づくりに、町長の手腕が問われている。
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南アルプスを世界自然遺産に
南アルプスを世界自然遺産に竏秩B長野、山梨、静岡の3県にまたがる雄大な自然財産を世界に知らしめるべく、関係10市町村による壮大な構想が始動する。登録にはさまざまな条件が連なり、課題も山積しているのが現状。一筋縄ではいかない険しい道のりと言えるが、県域を越えて手を結んだ運動に期待が高まっている。
南アルプスは、日本第2位の標高を誇る北岳を主峰とする3千メートル級の山々を10峰有した日本有数の連峰。キタダケソウをはじめとした固有種が自生するなど、高山植物群が全域に分布し、特別天然記念物のニホンカモシカやライチョウなども生息、氷河遺跡も存在する。財産として誇示する理由がそこにある。
世界遺産ともなればその価値は一層高まり、国際的に自然環境の保全を図れるほか、知名度が上がり、地域の発展につなげることができる。
登録を目指した構想は、静岡市による南アルプス市への投げかけによって始まった。山梨県側の関係市町もこれを歓迎し、両県ともに各自治体の首長や議長らで連絡協議会を設置。長野県側においては、申し入れを受けた伊那市が取りまとめ役となり、2月にも連絡協を設置する考え。年度内に3県全体の推進協議会を立ち上げて、本格的な活動の展開へ体制を整える。
山梨県連絡協によると、03年に国が世界遺産に推薦する候補地を検討するなかで、南アルプスの名も挙がり、「山岳景観として必要な要素はすべて包含している」との高い評価も得ている。
しかし、地形・地質面で「氷河自体を包含していない」とされ、生態系についても「近緑種もしくは同一種が近隣地域にも見られる」との指摘を受けている。また、「カナディアンロッキー山脈公園群(カナダ・既登録地)など、同様の優れた山岳景観を有する、より規模の大きな登録地が多く存在する」と、世界遺産として求められる普遍的な価値には欠けていた。
推進協ではこうした課題を整理するとともに、登録に向けて多面的に検討を進めていく予定。一方で、地域住民の意見に耳を傾けることも不可欠だ。
法的規制がかかる区域が山稜部に限定されているとした国の指摘によって、推進協では国立公園など保護区域の拡大も検討する。また、世界遺産になれば厳しい規制がかかることを視野に、南アルプス北部のふもと、伊那市長谷の関係者は「地元は・ス天与の恵み・スとも言うべき大きな財産。世界遺産となればすばらしいことだとは思うが、住民の生活が犠牲になるようなことがあっては困る」と不安をのぞかせる。「まず第一にメリット、デメリットをしっかりと示す必要があるのでは。全てにおいて、地域にとって良かったと思えるようであってほしい」。 -
南箕輪村議選
4月26日の任期満了に伴う南箕輪村議会議員選挙は4月17日告示、22日投票の日程で行われる。
議員定数は今回の選挙で、現在の16から6減の10になる。定数問題は、村が自立の検討を始めたこと、地方分権を見据え議会の活性化を図ることなどを考え、村議会が検討特別委員会を設置。検討結果を基に04年9月の村議会定例会に条例改正案を提出し、「議会の機能を損ねることなく削減でき得る数として10人が妥当」と、定数削減を決めた。
次期選挙に向け昨年12月21日、現職の小坂泰夫氏(40)=無所属、田畑=が、再選を目指し出馬の意向を明らかにした。「自分の4年の成果を評価してもらう必要がある。頑張っていきたい」と意欲を見せている。
現職では、出馬を「前向きに検討している」のが4人。後援会や地元と話をし、1月いっぱいを目途に結論を出すとみられる。
現在3議席の共産党は、「党の決定を受けてから発表する」とし、今月中には明らかになる見通し。現在1議席の公明党は「党の決定がまだ」という。
このほかの現職は「まだ決めていない」「難しい問題で、まだ未定」としている。
議員定数が大幅に削減されることで、「前回選挙は参考にならない」「やり方も含め考えあぐねている」との声もあり、「結論を出すのは2月にずれ込むのでは」とする現職もいる。
今回の選挙は、「新人が出にくい選挙」との見方もあり、現段階では新人の名前は挙がっていない。 -
箕輪町議選
4月29日の任期満了に伴う箕輪町議会議員選挙は4月17日告示、22日投票の日程で行われる。
今回の選挙から議員定数が3削減され、現行の18から15になる。03年の前回選挙で22から18に削減しているが、議会自らが議会運営の効率化・合理化を図る必要がある-として議員定数研究特別委員会を設置して検討し、06年3月の町議会定例会で条例改正案を可決した。
すでに出馬を表明しているのは、現職の丸山善弘氏(67)=公明党、松島=。公明党公認の予定候補として昨年12月21日に3選を目指して表明し、「もう1期、頑張れるだけやりたい」としている。
そのほかの現職では6人が出馬に意欲を示している。中には後援会の要請を受けるなど話が進んでいる人もいる。新年会などの席で後援会や地元と最終的な話ができ次第、正式に表明する見通し。
引退を検討しているのは3人。後継者を探しているが、「定数が3減になるからどうかな」「若い人を探してるけど難しい」との声もあり、いずれも難航しているとみられる。
「周囲の要請を受けて検討している」とし出馬の可能性を含んでいる現職もいるが、そのほかの現職は「未定」「検討中」の状態。現在2議席の共産党は、「複数で調整中」とし、党の決定が出たところで発表する予定という。
新人は、女性候補を擁立しようとする動きが水面下であるものの、具体名はまだ挙がっていない。 -
【年男年女】
箕輪町社会福祉協議会職員
柏原久美子さん(59)「今年1年で定年。元気で、この職場にいて良かったと思える1年にしたい」
何か自分にもできることがあれば-と、専業主婦から外で働くことを決意。箕輪町の母子通園施設若草園に1年勤め、翌92年に介護士として町デイサービスセンターゆとり荘立ち上げの1期職員になった。ケアマネージャー、ヘルパーステーションと異動し、今は地域福祉を担当する。
「お年寄りや介護者を大事にしたい気持ちを正直に伝えないといけない。関係作りが大事」。職場でも「互いを尊重し大事にすることで仕事もうまくいく」と、常に人間関係を大切にしてきた。
「自分を殺すことでなく今の自分を正直に出す。バカでもね、バカを認めてもらって仕事するの」。笑顔と明るさで、周囲に元気を与えてくれる。
「自分の持っているものは微々たるものだけど、今までやってきたこと、感じてきたことを伝えたい」。後輩の育成が定年を控えた自分の任務だという。 -
県議選 上伊那郡区
任期満了に伴う県議選は3月30日告示、4月8日投票の日程で行われる。上伊那郡区の定数は2。すでに4氏が出馬を表明し、選挙戦は確実となった。
出馬を表明したのは、現職の小原勇氏(58)=宮田村・無所属、小林伸陽氏(62)=箕輪町・共産党、清水洋氏(53)=箕輪町、前職の垣内基良氏(57)=辰野町=の4氏(現職・前職、五十音順)。垣内氏、清水氏の所属は未定。
前回(03年4月)、辰野町から出馬し、落選した赤羽公彦氏(61)は「当選できる確かなものが見えれば、出馬したい」と意欲的に検討している。いつの時点で出馬・不出馬を決めるかは未定で、今後の動向が注目される。
小原氏は前回、南部で最高得票を取ったが、定数減で前回より3500票を上積みしなければ当選は難しいとみる。地元・宮田村にしかなかった後援会組織を飯島町、中川村、南箕輪村で立ち上げる予定。南部だけでなく、北部にも支持を広げる。役場の課長職を辞めて選挙に臨んだ前回は村外で門前払いされることもあったが、今回は現職として働いた4年間の実績を前面に出し、上伊那全域から票を集める。
小林氏は昨年11月中旬、3期目を目指して出馬を表明。「変わり始めた県政の後戻りは許されない。県民の福祉、教育が削られる状況はなんとしても避けたい」と訴える。定数減で「地元を中心に、全体をかさ上げするしかない」と共産党議席の維持をねらう。
共産党上伊那地区委員会では2期8年の実績を踏まえ「住民の暮らしを守る役割を果たせるのは小林県議しかいない」と自負する。
再選を目指す清水氏は、田中県政から村井県政に変わり、地域の提案や要望が県の政策として実現する可能性が出てきたとし、地域の思いを政策に結びつけたいと再選を目指す。
前回、地元・箕輪町や南箕輪村で最高得票だったが、厳しい戦いに、票が流れないように、地元の後援会組織を細部にわたって再点検する。さらに、辰野町や南部の組織を徹底的に掘り起こし、支援の輪を広げていく。
前回、1票差で破れた垣内氏は「自分自身の最後の戦い」と決め、復帰にかける。
昨年12月上旬に開いた後援会の役員総会で、役員や来賓は昨年7月の豪雨災害に触れながら、町と県とのパイプ役の必要性を訴えた。前回は辰野町から2氏が出馬し、得票数が割れて、2氏とも落選しただけに「辰野から県議を再び送り出そう」と結束を固める。高遠町・長谷で最も多く票を獲得したが、市町村合併に伴い、選挙区がなくなったことから、支部組織の拡大、支部単位でのミニ集会の開催などを展開し、会員の拡大につなげる。
赤羽氏が出馬を決めれば、前回と同じ顔ぶれがそろうことになる。垣内派は「辰野は一本化の方向でいきたい」と話すが、今のところ、2氏が出馬する可能性は否定できない。
定数が3から2に削減された今選挙。前回以上の激戦が予想される。 -
県議選伊那市区・現職2氏出馬表明、準備着々
統一地方選の県議選伊那市区は、合併に伴って旧高遠町と長谷村が選挙区に加わった。定数はこれまで通り2のまま。今のところ、昨年の知事選で村井仁知事を支援した現職2氏が出馬を表明しているのみ。ほかに表立った動きは見られないが、前回選の次点者が依然として態度を明らかにしていないだけに、選挙戦は微妙なところだ。
現職は、木下茂人氏(71)=緑のフォーラム、美篶=と、向山公人氏(64)=政信会、西町。昨年11月初旬までに2氏ともに立候補する意思を正式に表明し、着々と東部地区にも支持層を広げて、浸透を図っている。
木下氏は10月下旬、後援会拡大役員会で「県政は課題が山積している」と指摘した上で、「議員と行政経験のある村井知事とは、議会と行政が車の両輪である重要さに共通の認識をもつことができ、お役に立てると考える」と、4選を目指す意思を表明。「不器用な人間だが誠実を旨として、これまでの経験を生かし、円熟味のある活動をしたい」と決意を示した。
3選を目指す向山氏は「積み残しとなっている重要課題の解決に向けたい」と意欲をみせる。また、権兵衛トンネルの開通や市町村合併で、新市のまちづくりも「ここ1、2年が将来に向けた方向付けをする大事なとき」と強調し、「間違いのない道筋をつけるために県とのパイプ役になり、地域間格差のない均衡ある県土づくりに取り組みたい」と訴える。
商工業者や町部の支持が厚い向山氏は、東部地区でも各後援会支部役員が決まり「骨格はできた」と、これから本格的に動きだす構え。一方、3期連続のトップ当選を果たしている木下氏は旧伊那市区の自慢の組織力に加え、「会員がまだ完全とはいかない」が、すでに数回に及んで懇談し、後援会支部を確立しつつある東部地区の上乗せが固く、一歩リードした格好となっている。
前回選では、田中康夫前知事の支持派が候補者の一本化を逃し、票を分け合った形で、新人2氏が現職の前に敗退。次点だった若林敏明氏(51)は今県議選への出馬は未だ「白紙」とするに留まっている。
共産党上伊那地区委員会は「今のところ立てる予定はない」。民主党第5区総支部も「独自候補の擁立は考えていない」が、若林氏について「改革の突破口として有力。党推薦でなくとも応援体制を作りたい」と出馬に期待している。 -
村井知事に聞く(上)
伊那毎日新聞社などが加盟する長野県新聞協会は、当選後初の新年を迎えた村井仁知事にあらためて県政の方針や課題などを聞いた。(2回に分けて掲載)
竏鋳m事として初めての新年を迎えた心境と今年の抱負は。
村井仁知事 昨年、思いもかけないことだったが、6月の末に要請を受けて知事選に立候補し、告示まで20日間という短い期間の選挙だったが、県民のご信任を得ることができた。知事に就任して初めての正月を迎え、あらためて責任の重さに身の引き締まる思い。昨年は豪雨災害などもあり、必ずしも長野県にとって明るいことばかりではなかったが、今年はどうか平和で良い年になってほしい。
私自身は田中県政の中で、採るべきものは採る、改めるべきは改めるということで、後退しない長野県政ということをモットーに進めてきた。11月に機構改革の人事をしたが、あれでもなお、もう少しいろいろ考えなくてはならないことがある。4月の年度始めに若干、懸案だった組織を整備したい。
それから何といっても大きな課題は、年末に向けて5カ年の中期計画をきっちり整備したいと思っている。中期計画と称してコモンズによる信州ルネッサンス計画というのができたが、あまりにも抽象的で、やはり行政はある時間軸を明確にして、どういうことをやるんだということをはっきりとお示しすることが必要。私は選挙のときに、マニフェストのようなものを作らないのはなぜだと、随分お叱りを受けたが、あのときは、私がやりたいことはたくさん具体的にあったが、それを体系的に整理して、実現の可能性まで十分に吟味して提示するほどには、実態を知らない。そういう立場の人間が無責任にいろいろ言ってはいけない。できもしないことを並べるにすぎない。私は実状を知るためのさまざまな事はお約束した。それがボイス81であり、車座集会も小泉内閣のタウンミーティングと一緒で、非常にいいことだと思ったから、こういうのはやると申したが、具体的なことは言わなかった。やはり、組織的に県庁組織のすべての力を結集して作成するのが、計画の本来の姿なのではないのか。そういう意味では年末までに5カ年計画を長野県の中期計画としてきちんと作りたい。そこではいついつまでに何をするということまで含めて、かっちりしたものをやりたい。これがある意味では今年の一番の作業だろう。
それから2番目は、長野県庁に昨年9月1日に入り、一番まいったのは、皆さん知事が言うことに非常に注目なさる。就任したときのあいさつで、知事の顔色なんか見るなと、県民の目線を常に意識して、本当の県民益になるようなサービスを皆さんにやってほしいと申し上げたが、依然として知事の顔色を見る雰囲気は消えていない。9月以来4カ月経っても、いろんな機会に申し上げているが、そういう状態がまだ変わらない。非常に残念。各部局が部局の組織の権限というものを十分に生かして、なすべきことをきちんとやってほしい。このことは本庁の部局もそうだが、県の出先機関、地方事務所をはじめとする各機関も、それぞれの地域の実情を直に一番よく分かっているのは、市町村と連携とって一番よく分かっているのは、そういう地方事務所であり、建設事務所であり、保健所なのだから、そこで完結する話はどんどんやってほしい。そういう意味で、ぜひそれぞれの職員が、自分の職責というものを大事にして、いきいきと仕事をしていくような、そういう県組織になってほしいと、これが私の2つ目のお願い。
それから3つ目は、将来の長野県を見据えて、いま自分たちは何をしなくてはならないかという議論を、県庁職員がまず率先して、市町村職員や民間の皆様、あるいは学会の皆様と、いろんな形で接触を深めて、広範な論議をしていただきたい。要するに自由闊達な論議をありとあらゆるレベルでやってほしいというのが私の願い。それを通じて初めて、県庁組織というものが、お高くとまってすましている県庁組織ではなくて、本当に県民の県庁組織になっていく。81の輝く自立した市町村が主役の長野県づくりのためのサービスをする、そういう県政になっていくと思っています。
竏抽e地から道路整備などで多くの陳情・要望が寄せられている。厳しい財政状況の中で、財源をどう確保し、地域の願いに応えていくか。また、優先順位を決める際の観点は。
村井知事 地域から要望の寄せられた個所については「必要性」「重要性」「緊急性」「効率性」など様々な観点から客観的な評価を行い、実施個所を決めていきたい。
竏窒烽、少し具体的に
村井知事 別の切り口で言うなら、例えば、しかかり中、工事途中で止まってしまったというようなものは、早くやった方が良いのではないか。ただ、道路で具体的にそういうのがあるかというと…。地域で反対が起きてしまってにっちもさっちも行かないというような、これはしょうがない。反対が多いから。
竏駐c中知事が中止した事業が各地にある。そういうのはどうするか。
村井知事 調べてみたら、田中知事が明確に中止した事業に、道路はあまりない。
竏苧痰ヲば飯田の方には、飯田から伊賀良に行く大きな橋があるが、それもやめちゃった。
竏酎コ井知事 それは、田中知事がやめちゃったということになっているんだが、県の土木部の主張としては、やっぱり、緊急性が認められないからやめることにしたんだという、説明になってしまっている。私は道路について、田中知事が明らかに中止したものを、全部さらってもってこいと言って出させた。そしたら出てこない。しかし、おっしゃるように、あれは確かに田中さんがやめさせたはずだという。思い当たることが私の選挙区内にもあった。それはどうなんだと言ったら、いや、用地買収がうまくいかなくて進められなかったなんて言われた。具体の話になると、そういう話になって、結果的にないという話になってしまう。ただ、おっしゃる通り、実際、地元には知事がダメと言ったからダメだということになっている。その手の話で、地元でやれるような環境が出来ていて、県が勝手に止めたようなものは、最優先にやりたい。例え話としては、こっちから道路の整備ができてきた、あっちからも道路の整備ができてきた、橋げたも出来た。橋脚が出来たところで止まったというようなやつがある。そういうのは上部工だけやれば良いわけだから、投資効率という点から言うと、過去に投資した分が皆、無駄になっているわけだから、そういう意味では、それをぜひやりたい。そういうのを優先的に片づけたい。それがやはり過去の投資を生かしていく一番の方法ではないかと。
竏窒オかし、県の財政から見ると、6年間のものを一挙にという訳にはいかない。そうすると選択がなかなか難しくなるのではないか。
村井知事 それは、自ずから順序出てくるのではないか。
竏註謔ルど、あらゆる機会をとらえて、将来のことを議論してほしいという話だったが、田中県政になって、あらゆる団体の懇親会に県の職員は出てはいけないということだった。そこら辺は…
村井知事 あれは絶対おかしい。県の職員と市町村の職員が、実務レベルでいろいろな相談をしないというのは、非常にまずい。会費制でやるのは官官接待でも何でもない。会費制であったら大いにやってほしい。私も市町村長方と会費でやらせていただく。
(つづく) -
【新年号】年男年女南箕輪村神子柴
関さん親子
裕一さん(47)
大地君(11)
啓太君(11)兄・大地君と弟・啓太君は二卵性の双子。今年は父親の裕一さんと共に年男だ。「お腹にいる時から二人だったから、かみさんは大変そうだった。啓太は生まれた時小さかったから、すぐに子ども病院に運ばれたけど、その後は二人とも大きな病気もせず、割とすくすく健康に育ってくれている」と裕一さん。
二人がまだ小さかった時は、一人ひとり順番に夜鳴きするなど、大変なこともあったという。「でも、二人一緒にしておけば大丈夫だったから割と楽だった。今でも二人そろってないと不安なんじゃない?」と問い掛ける裕一さんに「そんなことないよ」と照れる。
気の合う遊び仲間だが性格はそれぞれ。兄的な存在感がある大地君はサッカークラブに所属しており、レゴブロックや工作が得意。一方の啓太君は家の手伝いなどに積極的。剣道をやっており、授業では理科の実験が楽しいという。
「今は元気でいてくることが一番。来年も健康で過ごせれば」 -
ビューティー、冬季撮影は28日から、いよいよ佳境に
美しきもの、それは雄大な伊那谷の四季を背景に、舞台と歴史に彩られた哀しくもやさしい人生舞(ストーリー)-。飯島町在住の後藤俊夫監督(67)がメガホンを取る長編劇映画「Beauty-美しきもの(旧題村歌舞伎一代)」は昨年11月2日クランクインし、11月26日までに秋シーンを撮り終え、1月28日から、シベリアの捕虜収容所(ラーゲリ)シーンの撮影に入る。現在、飯島町上の原JA上伊那果樹選果場保冷庫にラーゲリの内部セットを、霧ケ峰高原にはラーゲリの門や小屋など大規模なセットを建設している。
冬季撮影は終戦後、半次と雪夫はシベリアの捕虜収容所内にいた-から始まる。厳しい寒さと飢え、苛酷な労働で次々と命を落とす仲間たち。雪夫も病にかかり、ロシア兵に連れられてしまう:。
大鹿村大磧神社の撮影は、40年後(現代)、老いて戦傷がもとで足が動かなくなった半次の引退公演(村歌舞伎)。最後の舞台で万感の思いを込め、渾身の力を振り絞って、半次が舞うのは、雪男が舞うはずだった「天竜恋飛沫」。ラストシーンを伊那谷の住民500人がエキストラとして参加し、感動を共有する。
「Beauty-美しきもの」は05年5月、飯島町で制作・成功させる会を発会。11月1日、宿舎の飯島町千寿荘前で安全祈願祭。2日、飯島町岩間上山地籍にセットされた半次の家でクランクイン。後藤監督、主役の高橋平君(11)をはじめ、半次の祖父で木地師、半造役の井川比佐志さん(69)が出演し、重厚な演技を見せた。石置き屋根と古びた引戸と、水車もあり昭和10年代の民家を彷彿させるセットは古い倉庫を改装した。
4日には半次役の歌舞伎役者、片岡孝太郎さんが飯島入りし、セット近くの林道で復員した半次が家に帰るシーンを撮影。8日、歌子役の麻生久美子さんも加わり、足を引きずって帰還した半次を歌子が迎えるシーンを撮った。
25日は飯島陣屋の一室を歌舞伎練習場(歌子の家)に見立てて、少女歌子が少年雪夫と踊りの練習をするシーン、歌子の養父、東浦鶴太夫役の赤塚真人さんが出演、慈愛と厳しさに満ちた父親役を好演した。
翌26日は秋撮影のクライマックス。大磧神社舞台で、大鹿歌舞伎(映画では伊那路歌舞伎)の上演シーンを撮影。上下伊那の住民500人余が自前や借り物の銘仙の着物、もんぺ、半てん、詰襟学生服、セーラー服など昭和10年代の服装で観客役で出演し、タイムリーな掛け声、即興のやじ、花を投げたり、笑い転げるなど大熱演で、映画を盛り上げ、秋季撮影は順調に終了した。
なお、28日から始まる冬季撮影に向け、制作本部ではエキストラ(捕虜役、歌舞伎観衆役)を募集している。詳細は飯島町教育委員会(TEL86・5877) -
小林哲雄さん(47
「猪突猛進でもないし、格別慎重でもない」と、干支と性格は関係なさそう。
飯島町商工会商業部会長を務め、今年は3年任期の2年目「勉強会や講演会など、自分たちの意識を高める事業を進めたい」と意欲を見せ、本業のバイク販売業では「衰退の一途をたどる中で、欲をかかず現状維持をしていきたい」。
1959年飯島町南町生まれ。自動車会社に入社、4輪専門の技術サービス部門に4年間勤め、父の病気を機にUターンし、バイク販売業を継いだ。「4輪と2輪は構造が異なり、最初はオイル交換、プラグ交換すら出来なかった。分らないことだらけで苦労した」。駐車場の必要性から、現在地に移転したのは8年前「場所は良かったが、バイク人口が減り、現状維持すら難しい」とか。
バイクの魅力は「風になって走ること。ツーリングクラブを主宰するが、1時間走って、2時間おしゃべりをする自称『のろまツーリング』」とか。16年前にお客様サービスとバイク人口の底辺拡大を目的に、中川村にオートパーククワを開設、モトクロスとダートトラックの2コースがあるのは日本ではここだけ。年2回ちびっこオフロードバイク教室も開く、この教室でバイクに触れた子どもの中には国際的に活躍しているライダーもいるとか。
「バイクはきちっとした人に指導を受け、ルールを守って運転すれば、決して危険な乗り物ではない」と強調する。妻と子ども2人の4人暮らし -
後藤監督に新春インタビュー
新年早々、冬季撮影のラーゲリセットの準備で多忙な後藤俊夫監督を宿舎に訪ね、秋シーン撮影の感想や今後の展開、進ちょく状況などをお聞きした。
-秋季撮影を終えた感想は
全体の25%を撮り終え、とりあえず、秋シーンはうまくいった。11月にアルプスに雪がなく予想外だっが、最後に実景で、きれいな絵が撮れた。
主役の片岡孝太郎さんは歌舞伎役者の若手のホープとして活躍している。感情表現が豊かで、計算された細かい芝居を見せている。19歳から、復員する25歳まで青年時代を演じているが、若さが出ていてよい。子役は歌舞伎舞踊がまだ十分でない。4月いっぱい、藤間勘十郎さんに踊りを特訓していただく。井川比佐志さん、赤塚真人さんの2人のベテランが周りをしっかり固め、作品に厚みを出し、しっかりと骨格ができ上がった。
-上下伊那からエキストラ500人を動員した大磧神社の歌舞伎シーンはどうでしたか
早朝から昭和10年代の衣装と髪型で希望した500人が集まっていただき、大変あり難かった。地元の美容師さんがメイクで協力していただくなど、多くの人が手助けをしてくれた。出演した人からいい経験ができ、楽しかったと喜んでいただいた。近年の農村歌舞伎はやじも飛ばないし、静かに鑑賞しているが、昔は舞台と観客が一体になって舞台を盛り上げた。にぎやかにやっていただき、雰囲気が出た。
-これからの物語の展開は、冬季撮影はどのように。
伊那路村では半次、雪夫ら3人に赤紙(召集令状)が来て、お別れ狂言を最後に、出征する。3人は敗戦でソ連軍の捕虜になり、極寒のシベリアの捕虜収容所に送られる。4年間の抑留生活で仲間が次々と命を落す中で、雪夫も病気になり、ソ連兵に連れていかれる。半次だけが死んだ者たちの遺言を背負って村に帰るが、踊り手もなく、村歌舞は消滅していた。死んだと思われていた雪夫は光を失い、盲目になって帰っていた。雪夫は逃避行の中で満蒙開拓団の自決の場に立ち合い、手榴弾を投げこみ、自決に手を貸してしまう。その残酷な記憶が、故郷に足を向けさせない。半次は村歌舞伎を復活させるが、戦場で受けた傷がもとで、足が動かなくなり、春を待てず、2月に、引退公演をする、これがラストシーンとなる。
ラーゲリの飢えと寒さ、強制労働をどう表現するか、声高に反戦を叫ぶのではなく、映画を通して、人間をメチャメチャにしてしまう戦争の恐ろしさ、残酷さ、平和の尊さを訴えることにも力を入れたい。
-上伊那のみなさんへのメッセージを
「成功させる会」を立ち上げ、大勢のみなさんの協力で浄財を集めていただき、目標まで後一歩となった。いい作品をつくることが恩返しになると胆に銘じている。大勢が手を携え、作品づくりをすることで、でき上がった時の喜びを共有したい。四季折々の伊那谷の美しさを世界に発信するために、5月には長谷の熱田神社の撮影をはじめ、伊那谷各地の春景色をフイルムに収めたい。映画を通して、文化活動の裾野を広げ、地域が元気になればうれしい。
##(写真) -
イシシとノシシ、すくすくと
今年はボクたちが主役。名前は「イシシ(雄)」と「ノシシ(雌)」。生まれは中川村大草、山の中から迷い出て、今は南陽の小沢豊美さんちに世話になっているよ。
チャーミングポイントは、なんといっても悩殺系のつぶらな瞳と、愛きょう満点の丸い鼻。好きな食べ物はご飯と果物だけど、好き嫌いなく、なんでも食べて、大きくなって、来年はパパとママになりたいな。 -
定年を前に起業を決意
伊那商工会議所内の上伊那地域チャレンジ起業相談室は、専任のコーディネーターが新しく事業を始めようとする人や、小規模事業者の経営革新を進める上で悩みや疑問などの相談に応じている。
過去3年間の相談者数をみると、04年度が234人、05年度が155人、06年度(昨年11月末)が74人で、開業者数はそれぞれ25人、19人、12人となっている。本年度も前年度並みを見込む。
年代別では30縲・0代が大半を占め、60代は5人。
業種はサービス業、飲食業が多く、卸小売業、製造業、建設業と続く。美容師など自分の経験を生かして独立する、「飲食店をやってみたい」と開業を目指すケースが目立つという。
上伊那で起業を決断した3人を紹介する。
伊那市に住む会社員の50代男性は10月ごろを目途に、技術コンサルタントの活動を始める。事業の目的に、アイデアで社会貢献することを掲げる。それは「金もうけは、人のつながりではないか」と考えているからだ。
約30年間、製造業で機械加工、製品開発、ラインの自動化の経験を積んだ。電気主任技術者3種を取得し、機械に関する知識を体得した。
商品開発で困っている企業、自動化や省力化で困っている企業をターゲットに、自分のアイデアで付加価値を生み、具体的な商品開発などを手がけていく。まだ具体的な方向は見えていないが、ごみを流しても発電できるような水力発電など環境に配慮したものや、弱者といわれる人たちに役立つものなどを考え、大手企業が入り込まないすき間をねらう。
これまでいくつかのアイデア商品を開発したが、なかなか売れなかった。売れない原因は「ニーズがないところには売れない」だった。売るには、消費者の気持ちを捉える商品を作ること。そうすることで、人の役に立とうと、20代から考えていた独立を決めた。
製造業の現場を見ている中で、団塊世代の退職に伴う「技術の継承」を危ぐする。指導しても、経験で積んだ指先感覚の技術は伝えきれない。
パソコンばかりを頼り、先輩の技を盗むことをしなくなった若者。機械が故障しても把握が出来ない。技術者の技術力が落ちていることを感じている。
「技術力は、韓国や台湾に一部抜かれている。これから、ますます国際間競争が激しくなり、独創的な商品や加工技術が必要になってくる」
今のところ、技術者は個々の企業での「点」でしかない。インターネットなどを通じた横のつながりを持ち、情報交換の場、悩み解決の場で交流を図る形を作り、全国へ、世界へと輪を広げる。
一つのコンセプトに対し、技術者が技術を持ち寄り、お互いの得意分野を生かしながら、一つの製品を作り出す。
「アイデアは無限。日本の製造業を少しでも元気にする手助けをしたい」と夢を大きく膨らませる。
◇ ◇
伊那市高遠町片倉の守屋豊さん(54)は、高遠そばの店「ますや」オープンに向けて準備中だ。
高遠そばは、辛味大根、焼きみそ、刻みネギを合わせた「からつゆ」で食べる地域食。家庭で食べられているが、なかなか店では食べることが出来ない。「素朴で豪快な高遠そば」を売りに、自ら粉をひき、打った「二八そば」「あらびき十割」を提供する。ゆでたてを味わってほしいと1人前を2回に分けて出したり、客にからつゆのみそをといてもらったりと工夫を凝らす。
いずれはソバの栽培から始め、そばを作って、粉をひいて、打つのが理想。
「子どものころから、おふくろが打つそばが好きだった。食べる専門だった」と言うが、10年ほど前、北信のそば屋で食べたそばがおいしく、いつか店を持とうと独立を考えた。踏ん切りがつかずにいたが、企業も厳しい状況。どうせ始めるなら体力、気力があるうちにと決意した。25年間、勤務した総合小売業を退職し、一昨年5月、東京の専門学校へ通い、そば打ちの基本を学んだ。
店では、そば以外にも、長いもを使ったとろろなど地域食も用意。できるだけ地元産の食材を使いたいと考え、地域の活性化にひと役買う。
前の職場で、魚をさばいたり、総菜を作ったりし、販売や買い付けなども経験した。調理師免許が開業に役立つことになった。
店は、桜の名所で知られる高遠城址公園へと続くループ橋の下。客の顔が見えるように、18席を配置する。
「客とのコミュニケーションを取りながら、和気あいあいとした雰囲気のある店に」と抱負を語る。
すでにホームページ(massya.com)を開設。高遠そばの由来、開業に至る経過、そばをひく石うすの電動化への挑戦、お品書き、そば屋を食べ歩いたそば巡りなどを紹介し、反響を呼んでいる。
店の完成は2月下旬。4月上旬に本格オープンする。
「立地がいいわけではない。厳しい戦いになるでしょう」と話しながら、自分の可能性を探る。
◇ ◇
駒ケ根市福岡の西村希予子さん(58)は昨年10月初旬、癒(いや)し空間「愛」をオープン。「心も体もいやしたい」と客に満足してもらえる店を目指す。
野口医学研究所認定のリンパセラピーアドバイザー。リンパセラピーとは、リンパの流れに沿って圧を加えながら、肌をなでることで、リンパの流れを促進し、体にたまった老廃物を出し、心と体を自然状態に戻すもの。
特別養護老人ホームに勤務していたが、肩こりや腰のはりがあり、年を重ねるごとに体に疲れが残るようになった。定年を前に、一昨年3月に退職した。
その後、傾聴療法士、介護予防運動指導員などの資格を取得。
自らも肩こりを経験しているだけに、介護者も健康であってほしいと「心も体もいやしてあげられる場を」と起業を決意した。しかし、若くないこと、仕事として成り立つのかという不安があった。
そんなとき、伊那商工会議所・上伊那地域チャレンジ起業相談室が主催する「創業塾」を知った。顧客満足度やマーケティングなどを学び、背中を押されるように開業に踏み切った。
自宅の一部を改修し、温石ベッドを置き、利用者の体をマッサージする。利用者の話にも、ゆっくりと耳を傾ける。
店には「足が冷たい」「腰痛がある」「肩が凝る」など若者から中高年まで幅広い年齢層の女性が訪れる。利用者から「起きるとき、腰に気をつけていたが、スムーズになった」「手先の冷たさが解消された」など寄せられた喜びの言葉を励みに、前に向かって歩み始めた。
◇ ◇
小規模事業者を取り巻く経営環境は厳しく、開業率よりも廃業率が上回る状況。創業を実現できるように支援し、新規開業の促進、地域雇用の創出などを図ろうと、郡内で創業者を対象にしたセミナーが開かれている。
上伊那地域チャレンジ起業相談室などが昨年9縲・0月に開催した「創業塾」には伊那市、駒ケ根市を中心に、30縲・0代の19人が受講。女性が6割を占めた。
異業種の集まりであるものの「創業」という同じ目的に向かい、悩みや夢を語り合い、モチベーションアップにつながった様子。「情報共有できる仲間と出会い、刺激を受けた」「客とのコミュニケーション手段や税金の知識を知ることができた」など効果を上げている。
「24時間、自分のために時間が費やせる。やりがいのあることかなと思う」「リスクがあっても、悔いのないように生きたい」。新たな挑戦が始まった。 -
上伊那貨物自動車社長小池長さん
上伊那貨物自動車の3代目社長。14年前、父の先代社長が60歳で急逝したことにより、33歳で会社を任されることになった。
「突然のことで経営の右も左も分からない。社長が務まるかどうかさえも分からないありさまだった」が、葬式で取引先の人が掛けてくれた言葉を思い出した。
「社長になっても、しばらくは何もするな」竏秩B
「そうは言っても…とその時は考えたが、今になってみると確かにそうだ、ありがたい助言だったと思える。新米社長が思いつきで何かやると、せっかくうまく動いている会社の業務をかえって乱すこともあるから。もっとも、何もやらなかったというより、できなかったというのが本当のところかな」
若い新社長の目の前に次々に立ちふさがる困難を夢中で乗り越え続けるうちにいつか時は流れ、数々の貴重な経験を得て社長業もしっかり板についた。
「年男か…。33歳で社長になったから、還暦の60歳を社長業の一区切りとすると48歳の年男はほぼ中間点ともいえるかな」
自分で車を運転して出張をこなすことも多いが「以前は大阪や神戸への日帰りでも平気だったのが、最近では相当疲れるようになった」という。
「そんな時に肉体的な衰えを感じることもあるから、年男を良い節目として健康についてももっと考えていきたい。これから始まる社長としての後半戦に向けて頑張ります」