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伊那リゾート 年末年始まずまずのにぎわい
伊那市西春近の中央道伊那スキーリゾートは、年末年始の休みを満喫する県内外の利用客でにぎわっている。今シーズンは、暖冬の影響で人波が少ないものの1縲・日は4千人以上が利用。3日は、今季最多の約2千人が同スキー場を訪れたという。
上伊那の地元客や愛知県、岐阜県、三重県の中京方面から訪れる人が中心となって、スキーやスノーボードなどを思い思いに楽しんでいる。先シーズンに新設した砂場感覚で遊べる「雪の公園」が今季も人気を集め、そり滑りや雪遊びを楽しむ人が増えているという。
関係者によると、暖冬により昨年12月16日のオープン以来、利用者数が伸び悩んでいが、ここ数日の冷え込みで利用者の気運が高まってきたという。「寒さがずれ込んだ分、人の入りもずれ込んでもらいたい」と期待している。
平日は午前8時30分縲恁゚後4時25分、土日・祝日は午前8時縲恁゚後4時15分の営業時間。ナイター営業もしている。問い合わせは、中央道伊那スキーリゾート(TEL73・8855)へ。
地元や中京方面の家族連れでにぎわう伊那スキーリゾート(4日) -
改革も積極的に 宮下一郎代議士後援会新年会
宮下一郎衆議院議員の後援会の新年祝賀会は3日、伊那市上牧の同事務所であった。後援者約800人が集まるなか、宮下代議士が新年のあいさつをした=写真。
宮下代議士は「美しい日本を立て直すため、この改革にも積極的にかかわりたい。美しい日本を目指すためには、伊那谷の温かみのある人柄、歴史と文化があるだけで素晴らしくなると思う。皆さんには、ますます元気に活動してもらいたい」とあいさつ。
また、今年の参議院議員選挙で吉田博美氏を推していく考えで「美しい日本を目指すためにも重要な参議院選挙が控えている」とした。
激励のあいさつに立った宮下創平氏(元衆議院議員)は「政治家は問題提起していく力が必要とされる。一石を投じられるような代議士になれるよう親としてではなく、元政治家として期待したい」。後援会長の三澤岩視氏は「若い政治家として安倍内閣の下で一生懸命頑張っている。皆さんの熱い支援をお願いします」と述べた。 -
【新年号】年男年女
伊那市社会福祉協議会福祉活動専門員
南箕輪村北殿
中川峻介さん(23)地域に根ざした福祉を広めるため、昨年4月から災害マップ作りや赤い羽根共同募金の取りまとめなどをしてきた。
「福祉に関する複雑な知識や理念を日々取り入れていかなきゃいけないのは大変です」と振り返る。
大学で心理学を専攻していたが、社会福祉士の資格を取得するため卒業後、専門学校へ1年通った。
「心理学は対人面ですごく役に立つと思った。それに何か人のためになる仕事をしたかったんです」
現在は、「さまざまな人が地域の中で安心して暮らしていくためには何ができるか」を考えてながら動き回る日々。さまざまな人との交流を通じて、徐々に見えてきたこともある。
「単純にあいさつを交わしたり、会話をする中で、さまざまな人が一生懸命生きていることを感じる。その姿を見られるのは嬉しいです。来年は社会福祉士として成長できるよう、いろんな経験を積みたいです」 -
村井知事に聞く(下)
竏注mZの問題で教育委員会がだいぶもめているようだが、それについてはどうか。
村井知事 高校の問題は教育委員会の話だが、知事の立場としては、それぞれの地域の生徒さんの将来に関わることだから、安心できる体制を整えていただきたい。
しかし、少子化は避けがたい現実。長野県平均では、一人あたりの高校生の費用というのは91万6600円かかって、そのうち4万1300円が県の負担で、75万7千円が、国から来る地方交付税など。11万8千円が父兄の負担と、こんな割合になっている。ところが、これが2クラスという学校になると、一人あたりの単価が197万円かかる。これから91万円差し引くと、106万円ほど、県の負担が上乗せされる。これは全部まるまる県が出さなくてはだめ。そればかりではない。高等学校に行くと、理科一つとっても、物理、化学、生物、地学と分類が出てきて、教師に専門性がある。俺は生物はうんと好きだけど、物理はちょいと苦手だという先生もいるという世界になるから、小さい学校だったら、物理の不得意な教師に物理までやらせるようなことになりかねない。これはやっぱりワンセットそろえられるには、適正規模が必要。私はそういう意味では高校再編に関する基本的な県教育委員会の考え方というのは、基本的には正しいと思っている。進め方に問題があったのだと思う。
竏窒竄驍フなら一斉に進めるべきであって、一つの高校の同窓会など、学校周辺の声に甘んずることなく、やるときは平等にやるべきとの声もあるが、その点はどうか。
村井知事 一つのご意見だと思う。ただやはり、高等学校は地域でそれなりの存在感があるから、それをめぐって、いろんな議論がある。そこのところをあまり無視するわけにはいかない、ということではないか。私はもう一つ、県議会が(昨年)6月に条例改正して、県議会の同意を得るということにしてしまわれたので、そういう意味で民意、反対が多いと県議会の皆様方にしてみると、あれだけ地元で反対と言っている以上、賛成できないなという話になってしまう。それは避けがたい現実。そういう意味で、あの条例改正が本当に適切な条例改正だったかという問題は、議会の問題だから、私が言ってはいけないことなのかもしれないが、筋論から言うならば、教育委員会の、教育の政治的中立性という観点からするならば、若干問題のある点ではないかと。
竏酎コ井県政として初めての通年予算となる19年度予算案の特色と重点事業は(基金残高や県債発行額など財政見通しも含めて)。
村井知事 平成19年度当初予算については、極めて厳しい予算編成になるものと考えている。予算や重点事業については、2月定例会に向けて検討しているところであり、その具体的な内容については今は申し上げる段階にはないが、県の果たすべき役割を踏まえ、全ての事業の再検討・再構築を通じ徹底した支出削減と歳入確保に努めていかなければならないと考えている。一方で、県債残高を増やさぬよう元金償還の範囲内において起債を行い、重要な財源の一つである県債を有効に活用しながら、経済再生のための産業活性化、防災や福祉・医療など安全・安心のための施策、道路など必要な社会資本の整備、未来を担う人づくりなどに重点的に取り組み、明るく活力ある長野県づくりを進めてまいりたい。併せて、国庫補助金の有効活用にも最大限の努力を図って参りたい。
竏秩u市町村が主役の輝く県政」の具体化のため、19年度に力を入れる点は(権限移譲のスケジュールや作業手順も含めて)
村井知事 権限の移譲については、市町村や地域住民の意向を尊重し、市町村が自らの責任で主体的に施策を展開していくために必要と判断された権限を移譲していくことが大切と考えている。「ボイス81」などの機会を通じ、市町村長をはじめとする市町村の皆様のご意見を伺いながら権限移譲のあり方についても検討を進めてまいりたい。
竏駐・k格差をどう是正するか。
村井知事 住民に最も身近な基礎自治体である市町村への権限移譲とともに、併せて県の現地機関の自立性を高めていくこと等により、それぞれの市町村において地域のことは地域で解決し、地域住民の要望に沿った行政サービスを提供できる体制づくりが進めば、県庁が長野市にあるなどの理由により、とりわけ中南信の皆様にとって県政が身近に感じられないといったような問題は徐々に解消していくものと考えている。一方で、交通基盤の整備など個別の問題に関しては、地域における必要性、重要性、緊急性などを勘案してその優先度を判断しつつ事業を進めているところでありますが、今後予定している「中期総合計画」の策定に際しては、行政サービスにおける地域格差の解消という観点も踏まえつつ行ってまいりたい。 -
もう1つのテーマは「平和への祈り」
新春インタビューで劇映画「ビューティー」の後藤俊夫監督のお話を聞いているうちに、映画の主テーマは、伊那谷の四季折々の美しさと村歌舞伎を守る人々の美しさ、もう1つのテーマは、美とは対極にある戦争のむごたらしさ「不戦、平和への祈り」ではと感じた。
冬季撮影はシベリアの捕虜収容所シーンを撮る。昨年、シベリア抑留体験者の話を聞いたが、零下30度、想像を絶する寒さ、餓死と隣合わせの極度の栄養失調、厳しい看視の中、ノルマが課せられた強制労働、果てしない雪原を2人引きノコギリを手に、とぼとぼと歩む幽鬼のような捕虜の隊列:。映画ではどのように表現するのだろうか。
命も財産も、文化も多くを失った敗戦体験から、改憲などありえないと思っていた「憲法9条」問題、ゆらぐ核三原則、どこか危うげな年の始めだ。
声高に不戦を唱えるよりも、映画を通じて訴えることは観る人の心に染み渡る。完成が待たれる(大口国江) -
飯島町長選挙11月29日が任期満了
任期満了(11月29日)に伴う飯島町長選挙は11月中にある見込みで、現職の高坂宗昭氏(65)=七久保=にとって1期目の最終年度を迎えている。
03年11月に実施した前回は、現職の熊崎安二氏が8月、健康上の理由で引退表明、これを受けて、前助役の高坂宗昭氏が出馬表明した。告示まで1週間を切っても対抗馬がなく、無投票かと思われたが、告示日の前日、元共産党の町議で副議長を務めた林英彦氏が「本日未明に出馬決意した」と衝撃の立候補表明。無投票が一変し、市町村合併問題を争点に激しい選挙戦になった。林氏は高坂氏を激しく追撃し、善戦するも、764票差で涙を飲んだ。
次期選挙(2期目)の出馬について、高坂氏は「まだ、何も考えていない。残された任期を町政進展のために全力を尽くしたい」と態度を明確にしないものの、大方の見方では、健康上も家庭的にも(出馬することに)支障がなく、これといった失政も見当たらないことから、高坂氏の出馬はほぼ確実視されている。
一方、共産党の三浦寿美子議員は「緊張感を持って町政運営するためには、選挙の洗礼は必要、無投票は阻止したい。前回の出遅れの反省の上に立ち、夏頃までに候補が擁立できればいいが:」と話している。
厳しくとも自立を選択し歩み始めた飯島町。多様化、高度化する行政課題に、どう対処し、住民や地域と連携、協働し、生き生きとした活力ある町づくりに、町長の手腕が問われている。
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南アルプスを世界自然遺産に
南アルプスを世界自然遺産に竏秩B長野、山梨、静岡の3県にまたがる雄大な自然財産を世界に知らしめるべく、関係10市町村による壮大な構想が始動する。登録にはさまざまな条件が連なり、課題も山積しているのが現状。一筋縄ではいかない険しい道のりと言えるが、県域を越えて手を結んだ運動に期待が高まっている。
南アルプスは、日本第2位の標高を誇る北岳を主峰とする3千メートル級の山々を10峰有した日本有数の連峰。キタダケソウをはじめとした固有種が自生するなど、高山植物群が全域に分布し、特別天然記念物のニホンカモシカやライチョウなども生息、氷河遺跡も存在する。財産として誇示する理由がそこにある。
世界遺産ともなればその価値は一層高まり、国際的に自然環境の保全を図れるほか、知名度が上がり、地域の発展につなげることができる。
登録を目指した構想は、静岡市による南アルプス市への投げかけによって始まった。山梨県側の関係市町もこれを歓迎し、両県ともに各自治体の首長や議長らで連絡協議会を設置。長野県側においては、申し入れを受けた伊那市が取りまとめ役となり、2月にも連絡協を設置する考え。年度内に3県全体の推進協議会を立ち上げて、本格的な活動の展開へ体制を整える。
山梨県連絡協によると、03年に国が世界遺産に推薦する候補地を検討するなかで、南アルプスの名も挙がり、「山岳景観として必要な要素はすべて包含している」との高い評価も得ている。
しかし、地形・地質面で「氷河自体を包含していない」とされ、生態系についても「近緑種もしくは同一種が近隣地域にも見られる」との指摘を受けている。また、「カナディアンロッキー山脈公園群(カナダ・既登録地)など、同様の優れた山岳景観を有する、より規模の大きな登録地が多く存在する」と、世界遺産として求められる普遍的な価値には欠けていた。
推進協ではこうした課題を整理するとともに、登録に向けて多面的に検討を進めていく予定。一方で、地域住民の意見に耳を傾けることも不可欠だ。
法的規制がかかる区域が山稜部に限定されているとした国の指摘によって、推進協では国立公園など保護区域の拡大も検討する。また、世界遺産になれば厳しい規制がかかることを視野に、南アルプス北部のふもと、伊那市長谷の関係者は「地元は・ス天与の恵み・スとも言うべき大きな財産。世界遺産となればすばらしいことだとは思うが、住民の生活が犠牲になるようなことがあっては困る」と不安をのぞかせる。「まず第一にメリット、デメリットをしっかりと示す必要があるのでは。全てにおいて、地域にとって良かったと思えるようであってほしい」。 -
南箕輪村議選
4月26日の任期満了に伴う南箕輪村議会議員選挙は4月17日告示、22日投票の日程で行われる。
議員定数は今回の選挙で、現在の16から6減の10になる。定数問題は、村が自立の検討を始めたこと、地方分権を見据え議会の活性化を図ることなどを考え、村議会が検討特別委員会を設置。検討結果を基に04年9月の村議会定例会に条例改正案を提出し、「議会の機能を損ねることなく削減でき得る数として10人が妥当」と、定数削減を決めた。
次期選挙に向け昨年12月21日、現職の小坂泰夫氏(40)=無所属、田畑=が、再選を目指し出馬の意向を明らかにした。「自分の4年の成果を評価してもらう必要がある。頑張っていきたい」と意欲を見せている。
現職では、出馬を「前向きに検討している」のが4人。後援会や地元と話をし、1月いっぱいを目途に結論を出すとみられる。
現在3議席の共産党は、「党の決定を受けてから発表する」とし、今月中には明らかになる見通し。現在1議席の公明党は「党の決定がまだ」という。
このほかの現職は「まだ決めていない」「難しい問題で、まだ未定」としている。
議員定数が大幅に削減されることで、「前回選挙は参考にならない」「やり方も含め考えあぐねている」との声もあり、「結論を出すのは2月にずれ込むのでは」とする現職もいる。
今回の選挙は、「新人が出にくい選挙」との見方もあり、現段階では新人の名前は挙がっていない。 -
箕輪町議選
4月29日の任期満了に伴う箕輪町議会議員選挙は4月17日告示、22日投票の日程で行われる。
今回の選挙から議員定数が3削減され、現行の18から15になる。03年の前回選挙で22から18に削減しているが、議会自らが議会運営の効率化・合理化を図る必要がある-として議員定数研究特別委員会を設置して検討し、06年3月の町議会定例会で条例改正案を可決した。
すでに出馬を表明しているのは、現職の丸山善弘氏(67)=公明党、松島=。公明党公認の予定候補として昨年12月21日に3選を目指して表明し、「もう1期、頑張れるだけやりたい」としている。
そのほかの現職では6人が出馬に意欲を示している。中には後援会の要請を受けるなど話が進んでいる人もいる。新年会などの席で後援会や地元と最終的な話ができ次第、正式に表明する見通し。
引退を検討しているのは3人。後継者を探しているが、「定数が3減になるからどうかな」「若い人を探してるけど難しい」との声もあり、いずれも難航しているとみられる。
「周囲の要請を受けて検討している」とし出馬の可能性を含んでいる現職もいるが、そのほかの現職は「未定」「検討中」の状態。現在2議席の共産党は、「複数で調整中」とし、党の決定が出たところで発表する予定という。
新人は、女性候補を擁立しようとする動きが水面下であるものの、具体名はまだ挙がっていない。 -
【年男年女】
箕輪町社会福祉協議会職員
柏原久美子さん(59)「今年1年で定年。元気で、この職場にいて良かったと思える1年にしたい」
何か自分にもできることがあれば-と、専業主婦から外で働くことを決意。箕輪町の母子通園施設若草園に1年勤め、翌92年に介護士として町デイサービスセンターゆとり荘立ち上げの1期職員になった。ケアマネージャー、ヘルパーステーションと異動し、今は地域福祉を担当する。
「お年寄りや介護者を大事にしたい気持ちを正直に伝えないといけない。関係作りが大事」。職場でも「互いを尊重し大事にすることで仕事もうまくいく」と、常に人間関係を大切にしてきた。
「自分を殺すことでなく今の自分を正直に出す。バカでもね、バカを認めてもらって仕事するの」。笑顔と明るさで、周囲に元気を与えてくれる。
「自分の持っているものは微々たるものだけど、今までやってきたこと、感じてきたことを伝えたい」。後輩の育成が定年を控えた自分の任務だという。 -
県議選 上伊那郡区
任期満了に伴う県議選は3月30日告示、4月8日投票の日程で行われる。上伊那郡区の定数は2。すでに4氏が出馬を表明し、選挙戦は確実となった。
出馬を表明したのは、現職の小原勇氏(58)=宮田村・無所属、小林伸陽氏(62)=箕輪町・共産党、清水洋氏(53)=箕輪町、前職の垣内基良氏(57)=辰野町=の4氏(現職・前職、五十音順)。垣内氏、清水氏の所属は未定。
前回(03年4月)、辰野町から出馬し、落選した赤羽公彦氏(61)は「当選できる確かなものが見えれば、出馬したい」と意欲的に検討している。いつの時点で出馬・不出馬を決めるかは未定で、今後の動向が注目される。
小原氏は前回、南部で最高得票を取ったが、定数減で前回より3500票を上積みしなければ当選は難しいとみる。地元・宮田村にしかなかった後援会組織を飯島町、中川村、南箕輪村で立ち上げる予定。南部だけでなく、北部にも支持を広げる。役場の課長職を辞めて選挙に臨んだ前回は村外で門前払いされることもあったが、今回は現職として働いた4年間の実績を前面に出し、上伊那全域から票を集める。
小林氏は昨年11月中旬、3期目を目指して出馬を表明。「変わり始めた県政の後戻りは許されない。県民の福祉、教育が削られる状況はなんとしても避けたい」と訴える。定数減で「地元を中心に、全体をかさ上げするしかない」と共産党議席の維持をねらう。
共産党上伊那地区委員会では2期8年の実績を踏まえ「住民の暮らしを守る役割を果たせるのは小林県議しかいない」と自負する。
再選を目指す清水氏は、田中県政から村井県政に変わり、地域の提案や要望が県の政策として実現する可能性が出てきたとし、地域の思いを政策に結びつけたいと再選を目指す。
前回、地元・箕輪町や南箕輪村で最高得票だったが、厳しい戦いに、票が流れないように、地元の後援会組織を細部にわたって再点検する。さらに、辰野町や南部の組織を徹底的に掘り起こし、支援の輪を広げていく。
前回、1票差で破れた垣内氏は「自分自身の最後の戦い」と決め、復帰にかける。
昨年12月上旬に開いた後援会の役員総会で、役員や来賓は昨年7月の豪雨災害に触れながら、町と県とのパイプ役の必要性を訴えた。前回は辰野町から2氏が出馬し、得票数が割れて、2氏とも落選しただけに「辰野から県議を再び送り出そう」と結束を固める。高遠町・長谷で最も多く票を獲得したが、市町村合併に伴い、選挙区がなくなったことから、支部組織の拡大、支部単位でのミニ集会の開催などを展開し、会員の拡大につなげる。
赤羽氏が出馬を決めれば、前回と同じ顔ぶれがそろうことになる。垣内派は「辰野は一本化の方向でいきたい」と話すが、今のところ、2氏が出馬する可能性は否定できない。
定数が3から2に削減された今選挙。前回以上の激戦が予想される。 -
県議選伊那市区・現職2氏出馬表明、準備着々
統一地方選の県議選伊那市区は、合併に伴って旧高遠町と長谷村が選挙区に加わった。定数はこれまで通り2のまま。今のところ、昨年の知事選で村井仁知事を支援した現職2氏が出馬を表明しているのみ。ほかに表立った動きは見られないが、前回選の次点者が依然として態度を明らかにしていないだけに、選挙戦は微妙なところだ。
現職は、木下茂人氏(71)=緑のフォーラム、美篶=と、向山公人氏(64)=政信会、西町。昨年11月初旬までに2氏ともに立候補する意思を正式に表明し、着々と東部地区にも支持層を広げて、浸透を図っている。
木下氏は10月下旬、後援会拡大役員会で「県政は課題が山積している」と指摘した上で、「議員と行政経験のある村井知事とは、議会と行政が車の両輪である重要さに共通の認識をもつことができ、お役に立てると考える」と、4選を目指す意思を表明。「不器用な人間だが誠実を旨として、これまでの経験を生かし、円熟味のある活動をしたい」と決意を示した。
3選を目指す向山氏は「積み残しとなっている重要課題の解決に向けたい」と意欲をみせる。また、権兵衛トンネルの開通や市町村合併で、新市のまちづくりも「ここ1、2年が将来に向けた方向付けをする大事なとき」と強調し、「間違いのない道筋をつけるために県とのパイプ役になり、地域間格差のない均衡ある県土づくりに取り組みたい」と訴える。
商工業者や町部の支持が厚い向山氏は、東部地区でも各後援会支部役員が決まり「骨格はできた」と、これから本格的に動きだす構え。一方、3期連続のトップ当選を果たしている木下氏は旧伊那市区の自慢の組織力に加え、「会員がまだ完全とはいかない」が、すでに数回に及んで懇談し、後援会支部を確立しつつある東部地区の上乗せが固く、一歩リードした格好となっている。
前回選では、田中康夫前知事の支持派が候補者の一本化を逃し、票を分け合った形で、新人2氏が現職の前に敗退。次点だった若林敏明氏(51)は今県議選への出馬は未だ「白紙」とするに留まっている。
共産党上伊那地区委員会は「今のところ立てる予定はない」。民主党第5区総支部も「独自候補の擁立は考えていない」が、若林氏について「改革の突破口として有力。党推薦でなくとも応援体制を作りたい」と出馬に期待している。 -
村井知事に聞く(上)
伊那毎日新聞社などが加盟する長野県新聞協会は、当選後初の新年を迎えた村井仁知事にあらためて県政の方針や課題などを聞いた。(2回に分けて掲載)
竏鋳m事として初めての新年を迎えた心境と今年の抱負は。
村井仁知事 昨年、思いもかけないことだったが、6月の末に要請を受けて知事選に立候補し、告示まで20日間という短い期間の選挙だったが、県民のご信任を得ることができた。知事に就任して初めての正月を迎え、あらためて責任の重さに身の引き締まる思い。昨年は豪雨災害などもあり、必ずしも長野県にとって明るいことばかりではなかったが、今年はどうか平和で良い年になってほしい。
私自身は田中県政の中で、採るべきものは採る、改めるべきは改めるということで、後退しない長野県政ということをモットーに進めてきた。11月に機構改革の人事をしたが、あれでもなお、もう少しいろいろ考えなくてはならないことがある。4月の年度始めに若干、懸案だった組織を整備したい。
それから何といっても大きな課題は、年末に向けて5カ年の中期計画をきっちり整備したいと思っている。中期計画と称してコモンズによる信州ルネッサンス計画というのができたが、あまりにも抽象的で、やはり行政はある時間軸を明確にして、どういうことをやるんだということをはっきりとお示しすることが必要。私は選挙のときに、マニフェストのようなものを作らないのはなぜだと、随分お叱りを受けたが、あのときは、私がやりたいことはたくさん具体的にあったが、それを体系的に整理して、実現の可能性まで十分に吟味して提示するほどには、実態を知らない。そういう立場の人間が無責任にいろいろ言ってはいけない。できもしないことを並べるにすぎない。私は実状を知るためのさまざまな事はお約束した。それがボイス81であり、車座集会も小泉内閣のタウンミーティングと一緒で、非常にいいことだと思ったから、こういうのはやると申したが、具体的なことは言わなかった。やはり、組織的に県庁組織のすべての力を結集して作成するのが、計画の本来の姿なのではないのか。そういう意味では年末までに5カ年計画を長野県の中期計画としてきちんと作りたい。そこではいついつまでに何をするということまで含めて、かっちりしたものをやりたい。これがある意味では今年の一番の作業だろう。
それから2番目は、長野県庁に昨年9月1日に入り、一番まいったのは、皆さん知事が言うことに非常に注目なさる。就任したときのあいさつで、知事の顔色なんか見るなと、県民の目線を常に意識して、本当の県民益になるようなサービスを皆さんにやってほしいと申し上げたが、依然として知事の顔色を見る雰囲気は消えていない。9月以来4カ月経っても、いろんな機会に申し上げているが、そういう状態がまだ変わらない。非常に残念。各部局が部局の組織の権限というものを十分に生かして、なすべきことをきちんとやってほしい。このことは本庁の部局もそうだが、県の出先機関、地方事務所をはじめとする各機関も、それぞれの地域の実情を直に一番よく分かっているのは、市町村と連携とって一番よく分かっているのは、そういう地方事務所であり、建設事務所であり、保健所なのだから、そこで完結する話はどんどんやってほしい。そういう意味で、ぜひそれぞれの職員が、自分の職責というものを大事にして、いきいきと仕事をしていくような、そういう県組織になってほしいと、これが私の2つ目のお願い。
それから3つ目は、将来の長野県を見据えて、いま自分たちは何をしなくてはならないかという議論を、県庁職員がまず率先して、市町村職員や民間の皆様、あるいは学会の皆様と、いろんな形で接触を深めて、広範な論議をしていただきたい。要するに自由闊達な論議をありとあらゆるレベルでやってほしいというのが私の願い。それを通じて初めて、県庁組織というものが、お高くとまってすましている県庁組織ではなくて、本当に県民の県庁組織になっていく。81の輝く自立した市町村が主役の長野県づくりのためのサービスをする、そういう県政になっていくと思っています。
竏抽e地から道路整備などで多くの陳情・要望が寄せられている。厳しい財政状況の中で、財源をどう確保し、地域の願いに応えていくか。また、優先順位を決める際の観点は。
村井知事 地域から要望の寄せられた個所については「必要性」「重要性」「緊急性」「効率性」など様々な観点から客観的な評価を行い、実施個所を決めていきたい。
竏窒烽、少し具体的に
村井知事 別の切り口で言うなら、例えば、しかかり中、工事途中で止まってしまったというようなものは、早くやった方が良いのではないか。ただ、道路で具体的にそういうのがあるかというと…。地域で反対が起きてしまってにっちもさっちも行かないというような、これはしょうがない。反対が多いから。
竏駐c中知事が中止した事業が各地にある。そういうのはどうするか。
村井知事 調べてみたら、田中知事が明確に中止した事業に、道路はあまりない。
竏苧痰ヲば飯田の方には、飯田から伊賀良に行く大きな橋があるが、それもやめちゃった。
竏酎コ井知事 それは、田中知事がやめちゃったということになっているんだが、県の土木部の主張としては、やっぱり、緊急性が認められないからやめることにしたんだという、説明になってしまっている。私は道路について、田中知事が明らかに中止したものを、全部さらってもってこいと言って出させた。そしたら出てこない。しかし、おっしゃるように、あれは確かに田中さんがやめさせたはずだという。思い当たることが私の選挙区内にもあった。それはどうなんだと言ったら、いや、用地買収がうまくいかなくて進められなかったなんて言われた。具体の話になると、そういう話になって、結果的にないという話になってしまう。ただ、おっしゃる通り、実際、地元には知事がダメと言ったからダメだということになっている。その手の話で、地元でやれるような環境が出来ていて、県が勝手に止めたようなものは、最優先にやりたい。例え話としては、こっちから道路の整備ができてきた、あっちからも道路の整備ができてきた、橋げたも出来た。橋脚が出来たところで止まったというようなやつがある。そういうのは上部工だけやれば良いわけだから、投資効率という点から言うと、過去に投資した分が皆、無駄になっているわけだから、そういう意味では、それをぜひやりたい。そういうのを優先的に片づけたい。それがやはり過去の投資を生かしていく一番の方法ではないかと。
竏窒オかし、県の財政から見ると、6年間のものを一挙にという訳にはいかない。そうすると選択がなかなか難しくなるのではないか。
村井知事 それは、自ずから順序出てくるのではないか。
竏註謔ルど、あらゆる機会をとらえて、将来のことを議論してほしいという話だったが、田中県政になって、あらゆる団体の懇親会に県の職員は出てはいけないということだった。そこら辺は…
村井知事 あれは絶対おかしい。県の職員と市町村の職員が、実務レベルでいろいろな相談をしないというのは、非常にまずい。会費制でやるのは官官接待でも何でもない。会費制であったら大いにやってほしい。私も市町村長方と会費でやらせていただく。
(つづく) -
【新年号】年男年女南箕輪村神子柴
関さん親子
裕一さん(47)
大地君(11)
啓太君(11)兄・大地君と弟・啓太君は二卵性の双子。今年は父親の裕一さんと共に年男だ。「お腹にいる時から二人だったから、かみさんは大変そうだった。啓太は生まれた時小さかったから、すぐに子ども病院に運ばれたけど、その後は二人とも大きな病気もせず、割とすくすく健康に育ってくれている」と裕一さん。
二人がまだ小さかった時は、一人ひとり順番に夜鳴きするなど、大変なこともあったという。「でも、二人一緒にしておけば大丈夫だったから割と楽だった。今でも二人そろってないと不安なんじゃない?」と問い掛ける裕一さんに「そんなことないよ」と照れる。
気の合う遊び仲間だが性格はそれぞれ。兄的な存在感がある大地君はサッカークラブに所属しており、レゴブロックや工作が得意。一方の啓太君は家の手伝いなどに積極的。剣道をやっており、授業では理科の実験が楽しいという。
「今は元気でいてくることが一番。来年も健康で過ごせれば」 -
ビューティー、冬季撮影は28日から、いよいよ佳境に
美しきもの、それは雄大な伊那谷の四季を背景に、舞台と歴史に彩られた哀しくもやさしい人生舞(ストーリー)-。飯島町在住の後藤俊夫監督(67)がメガホンを取る長編劇映画「Beauty-美しきもの(旧題村歌舞伎一代)」は昨年11月2日クランクインし、11月26日までに秋シーンを撮り終え、1月28日から、シベリアの捕虜収容所(ラーゲリ)シーンの撮影に入る。現在、飯島町上の原JA上伊那果樹選果場保冷庫にラーゲリの内部セットを、霧ケ峰高原にはラーゲリの門や小屋など大規模なセットを建設している。
冬季撮影は終戦後、半次と雪夫はシベリアの捕虜収容所内にいた-から始まる。厳しい寒さと飢え、苛酷な労働で次々と命を落とす仲間たち。雪夫も病にかかり、ロシア兵に連れられてしまう:。
大鹿村大磧神社の撮影は、40年後(現代)、老いて戦傷がもとで足が動かなくなった半次の引退公演(村歌舞伎)。最後の舞台で万感の思いを込め、渾身の力を振り絞って、半次が舞うのは、雪男が舞うはずだった「天竜恋飛沫」。ラストシーンを伊那谷の住民500人がエキストラとして参加し、感動を共有する。
「Beauty-美しきもの」は05年5月、飯島町で制作・成功させる会を発会。11月1日、宿舎の飯島町千寿荘前で安全祈願祭。2日、飯島町岩間上山地籍にセットされた半次の家でクランクイン。後藤監督、主役の高橋平君(11)をはじめ、半次の祖父で木地師、半造役の井川比佐志さん(69)が出演し、重厚な演技を見せた。石置き屋根と古びた引戸と、水車もあり昭和10年代の民家を彷彿させるセットは古い倉庫を改装した。
4日には半次役の歌舞伎役者、片岡孝太郎さんが飯島入りし、セット近くの林道で復員した半次が家に帰るシーンを撮影。8日、歌子役の麻生久美子さんも加わり、足を引きずって帰還した半次を歌子が迎えるシーンを撮った。
25日は飯島陣屋の一室を歌舞伎練習場(歌子の家)に見立てて、少女歌子が少年雪夫と踊りの練習をするシーン、歌子の養父、東浦鶴太夫役の赤塚真人さんが出演、慈愛と厳しさに満ちた父親役を好演した。
翌26日は秋撮影のクライマックス。大磧神社舞台で、大鹿歌舞伎(映画では伊那路歌舞伎)の上演シーンを撮影。上下伊那の住民500人余が自前や借り物の銘仙の着物、もんぺ、半てん、詰襟学生服、セーラー服など昭和10年代の服装で観客役で出演し、タイムリーな掛け声、即興のやじ、花を投げたり、笑い転げるなど大熱演で、映画を盛り上げ、秋季撮影は順調に終了した。
なお、28日から始まる冬季撮影に向け、制作本部ではエキストラ(捕虜役、歌舞伎観衆役)を募集している。詳細は飯島町教育委員会(TEL86・5877) -
小林哲雄さん(47
「猪突猛進でもないし、格別慎重でもない」と、干支と性格は関係なさそう。
飯島町商工会商業部会長を務め、今年は3年任期の2年目「勉強会や講演会など、自分たちの意識を高める事業を進めたい」と意欲を見せ、本業のバイク販売業では「衰退の一途をたどる中で、欲をかかず現状維持をしていきたい」。
1959年飯島町南町生まれ。自動車会社に入社、4輪専門の技術サービス部門に4年間勤め、父の病気を機にUターンし、バイク販売業を継いだ。「4輪と2輪は構造が異なり、最初はオイル交換、プラグ交換すら出来なかった。分らないことだらけで苦労した」。駐車場の必要性から、現在地に移転したのは8年前「場所は良かったが、バイク人口が減り、現状維持すら難しい」とか。
バイクの魅力は「風になって走ること。ツーリングクラブを主宰するが、1時間走って、2時間おしゃべりをする自称『のろまツーリング』」とか。16年前にお客様サービスとバイク人口の底辺拡大を目的に、中川村にオートパーククワを開設、モトクロスとダートトラックの2コースがあるのは日本ではここだけ。年2回ちびっこオフロードバイク教室も開く、この教室でバイクに触れた子どもの中には国際的に活躍しているライダーもいるとか。
「バイクはきちっとした人に指導を受け、ルールを守って運転すれば、決して危険な乗り物ではない」と強調する。妻と子ども2人の4人暮らし -
後藤監督に新春インタビュー
新年早々、冬季撮影のラーゲリセットの準備で多忙な後藤俊夫監督を宿舎に訪ね、秋シーン撮影の感想や今後の展開、進ちょく状況などをお聞きした。
-秋季撮影を終えた感想は
全体の25%を撮り終え、とりあえず、秋シーンはうまくいった。11月にアルプスに雪がなく予想外だっが、最後に実景で、きれいな絵が撮れた。
主役の片岡孝太郎さんは歌舞伎役者の若手のホープとして活躍している。感情表現が豊かで、計算された細かい芝居を見せている。19歳から、復員する25歳まで青年時代を演じているが、若さが出ていてよい。子役は歌舞伎舞踊がまだ十分でない。4月いっぱい、藤間勘十郎さんに踊りを特訓していただく。井川比佐志さん、赤塚真人さんの2人のベテランが周りをしっかり固め、作品に厚みを出し、しっかりと骨格ができ上がった。
-上下伊那からエキストラ500人を動員した大磧神社の歌舞伎シーンはどうでしたか
早朝から昭和10年代の衣装と髪型で希望した500人が集まっていただき、大変あり難かった。地元の美容師さんがメイクで協力していただくなど、多くの人が手助けをしてくれた。出演した人からいい経験ができ、楽しかったと喜んでいただいた。近年の農村歌舞伎はやじも飛ばないし、静かに鑑賞しているが、昔は舞台と観客が一体になって舞台を盛り上げた。にぎやかにやっていただき、雰囲気が出た。
-これからの物語の展開は、冬季撮影はどのように。
伊那路村では半次、雪夫ら3人に赤紙(召集令状)が来て、お別れ狂言を最後に、出征する。3人は敗戦でソ連軍の捕虜になり、極寒のシベリアの捕虜収容所に送られる。4年間の抑留生活で仲間が次々と命を落す中で、雪夫も病気になり、ソ連兵に連れていかれる。半次だけが死んだ者たちの遺言を背負って村に帰るが、踊り手もなく、村歌舞は消滅していた。死んだと思われていた雪夫は光を失い、盲目になって帰っていた。雪夫は逃避行の中で満蒙開拓団の自決の場に立ち合い、手榴弾を投げこみ、自決に手を貸してしまう。その残酷な記憶が、故郷に足を向けさせない。半次は村歌舞伎を復活させるが、戦場で受けた傷がもとで、足が動かなくなり、春を待てず、2月に、引退公演をする、これがラストシーンとなる。
ラーゲリの飢えと寒さ、強制労働をどう表現するか、声高に反戦を叫ぶのではなく、映画を通して、人間をメチャメチャにしてしまう戦争の恐ろしさ、残酷さ、平和の尊さを訴えることにも力を入れたい。
-上伊那のみなさんへのメッセージを
「成功させる会」を立ち上げ、大勢のみなさんの協力で浄財を集めていただき、目標まで後一歩となった。いい作品をつくることが恩返しになると胆に銘じている。大勢が手を携え、作品づくりをすることで、でき上がった時の喜びを共有したい。四季折々の伊那谷の美しさを世界に発信するために、5月には長谷の熱田神社の撮影をはじめ、伊那谷各地の春景色をフイルムに収めたい。映画を通して、文化活動の裾野を広げ、地域が元気になればうれしい。
##(写真) -
イシシとノシシ、すくすくと
今年はボクたちが主役。名前は「イシシ(雄)」と「ノシシ(雌)」。生まれは中川村大草、山の中から迷い出て、今は南陽の小沢豊美さんちに世話になっているよ。
チャーミングポイントは、なんといっても悩殺系のつぶらな瞳と、愛きょう満点の丸い鼻。好きな食べ物はご飯と果物だけど、好き嫌いなく、なんでも食べて、大きくなって、来年はパパとママになりたいな。 -
定年を前に起業を決意
伊那商工会議所内の上伊那地域チャレンジ起業相談室は、専任のコーディネーターが新しく事業を始めようとする人や、小規模事業者の経営革新を進める上で悩みや疑問などの相談に応じている。
過去3年間の相談者数をみると、04年度が234人、05年度が155人、06年度(昨年11月末)が74人で、開業者数はそれぞれ25人、19人、12人となっている。本年度も前年度並みを見込む。
年代別では30縲・0代が大半を占め、60代は5人。
業種はサービス業、飲食業が多く、卸小売業、製造業、建設業と続く。美容師など自分の経験を生かして独立する、「飲食店をやってみたい」と開業を目指すケースが目立つという。
上伊那で起業を決断した3人を紹介する。
伊那市に住む会社員の50代男性は10月ごろを目途に、技術コンサルタントの活動を始める。事業の目的に、アイデアで社会貢献することを掲げる。それは「金もうけは、人のつながりではないか」と考えているからだ。
約30年間、製造業で機械加工、製品開発、ラインの自動化の経験を積んだ。電気主任技術者3種を取得し、機械に関する知識を体得した。
商品開発で困っている企業、自動化や省力化で困っている企業をターゲットに、自分のアイデアで付加価値を生み、具体的な商品開発などを手がけていく。まだ具体的な方向は見えていないが、ごみを流しても発電できるような水力発電など環境に配慮したものや、弱者といわれる人たちに役立つものなどを考え、大手企業が入り込まないすき間をねらう。
これまでいくつかのアイデア商品を開発したが、なかなか売れなかった。売れない原因は「ニーズがないところには売れない」だった。売るには、消費者の気持ちを捉える商品を作ること。そうすることで、人の役に立とうと、20代から考えていた独立を決めた。
製造業の現場を見ている中で、団塊世代の退職に伴う「技術の継承」を危ぐする。指導しても、経験で積んだ指先感覚の技術は伝えきれない。
パソコンばかりを頼り、先輩の技を盗むことをしなくなった若者。機械が故障しても把握が出来ない。技術者の技術力が落ちていることを感じている。
「技術力は、韓国や台湾に一部抜かれている。これから、ますます国際間競争が激しくなり、独創的な商品や加工技術が必要になってくる」
今のところ、技術者は個々の企業での「点」でしかない。インターネットなどを通じた横のつながりを持ち、情報交換の場、悩み解決の場で交流を図る形を作り、全国へ、世界へと輪を広げる。
一つのコンセプトに対し、技術者が技術を持ち寄り、お互いの得意分野を生かしながら、一つの製品を作り出す。
「アイデアは無限。日本の製造業を少しでも元気にする手助けをしたい」と夢を大きく膨らませる。
◇ ◇
伊那市高遠町片倉の守屋豊さん(54)は、高遠そばの店「ますや」オープンに向けて準備中だ。
高遠そばは、辛味大根、焼きみそ、刻みネギを合わせた「からつゆ」で食べる地域食。家庭で食べられているが、なかなか店では食べることが出来ない。「素朴で豪快な高遠そば」を売りに、自ら粉をひき、打った「二八そば」「あらびき十割」を提供する。ゆでたてを味わってほしいと1人前を2回に分けて出したり、客にからつゆのみそをといてもらったりと工夫を凝らす。
いずれはソバの栽培から始め、そばを作って、粉をひいて、打つのが理想。
「子どものころから、おふくろが打つそばが好きだった。食べる専門だった」と言うが、10年ほど前、北信のそば屋で食べたそばがおいしく、いつか店を持とうと独立を考えた。踏ん切りがつかずにいたが、企業も厳しい状況。どうせ始めるなら体力、気力があるうちにと決意した。25年間、勤務した総合小売業を退職し、一昨年5月、東京の専門学校へ通い、そば打ちの基本を学んだ。
店では、そば以外にも、長いもを使ったとろろなど地域食も用意。できるだけ地元産の食材を使いたいと考え、地域の活性化にひと役買う。
前の職場で、魚をさばいたり、総菜を作ったりし、販売や買い付けなども経験した。調理師免許が開業に役立つことになった。
店は、桜の名所で知られる高遠城址公園へと続くループ橋の下。客の顔が見えるように、18席を配置する。
「客とのコミュニケーションを取りながら、和気あいあいとした雰囲気のある店に」と抱負を語る。
すでにホームページ(massya.com)を開設。高遠そばの由来、開業に至る経過、そばをひく石うすの電動化への挑戦、お品書き、そば屋を食べ歩いたそば巡りなどを紹介し、反響を呼んでいる。
店の完成は2月下旬。4月上旬に本格オープンする。
「立地がいいわけではない。厳しい戦いになるでしょう」と話しながら、自分の可能性を探る。
◇ ◇
駒ケ根市福岡の西村希予子さん(58)は昨年10月初旬、癒(いや)し空間「愛」をオープン。「心も体もいやしたい」と客に満足してもらえる店を目指す。
野口医学研究所認定のリンパセラピーアドバイザー。リンパセラピーとは、リンパの流れに沿って圧を加えながら、肌をなでることで、リンパの流れを促進し、体にたまった老廃物を出し、心と体を自然状態に戻すもの。
特別養護老人ホームに勤務していたが、肩こりや腰のはりがあり、年を重ねるごとに体に疲れが残るようになった。定年を前に、一昨年3月に退職した。
その後、傾聴療法士、介護予防運動指導員などの資格を取得。
自らも肩こりを経験しているだけに、介護者も健康であってほしいと「心も体もいやしてあげられる場を」と起業を決意した。しかし、若くないこと、仕事として成り立つのかという不安があった。
そんなとき、伊那商工会議所・上伊那地域チャレンジ起業相談室が主催する「創業塾」を知った。顧客満足度やマーケティングなどを学び、背中を押されるように開業に踏み切った。
自宅の一部を改修し、温石ベッドを置き、利用者の体をマッサージする。利用者の話にも、ゆっくりと耳を傾ける。
店には「足が冷たい」「腰痛がある」「肩が凝る」など若者から中高年まで幅広い年齢層の女性が訪れる。利用者から「起きるとき、腰に気をつけていたが、スムーズになった」「手先の冷たさが解消された」など寄せられた喜びの言葉を励みに、前に向かって歩み始めた。
◇ ◇
小規模事業者を取り巻く経営環境は厳しく、開業率よりも廃業率が上回る状況。創業を実現できるように支援し、新規開業の促進、地域雇用の創出などを図ろうと、郡内で創業者を対象にしたセミナーが開かれている。
上伊那地域チャレンジ起業相談室などが昨年9縲・0月に開催した「創業塾」には伊那市、駒ケ根市を中心に、30縲・0代の19人が受講。女性が6割を占めた。
異業種の集まりであるものの「創業」という同じ目的に向かい、悩みや夢を語り合い、モチベーションアップにつながった様子。「情報共有できる仲間と出会い、刺激を受けた」「客とのコミュニケーション手段や税金の知識を知ることができた」など効果を上げている。
「24時間、自分のために時間が費やせる。やりがいのあることかなと思う」「リスクがあっても、悔いのないように生きたい」。新たな挑戦が始まった。 -
上伊那貨物自動車社長小池長さん
上伊那貨物自動車の3代目社長。14年前、父の先代社長が60歳で急逝したことにより、33歳で会社を任されることになった。
「突然のことで経営の右も左も分からない。社長が務まるかどうかさえも分からないありさまだった」が、葬式で取引先の人が掛けてくれた言葉を思い出した。
「社長になっても、しばらくは何もするな」竏秩B
「そうは言っても…とその時は考えたが、今になってみると確かにそうだ、ありがたい助言だったと思える。新米社長が思いつきで何かやると、せっかくうまく動いている会社の業務をかえって乱すこともあるから。もっとも、何もやらなかったというより、できなかったというのが本当のところかな」
若い新社長の目の前に次々に立ちふさがる困難を夢中で乗り越え続けるうちにいつか時は流れ、数々の貴重な経験を得て社長業もしっかり板についた。
「年男か…。33歳で社長になったから、還暦の60歳を社長業の一区切りとすると48歳の年男はほぼ中間点ともいえるかな」
自分で車を運転して出張をこなすことも多いが「以前は大阪や神戸への日帰りでも平気だったのが、最近では相当疲れるようになった」という。
「そんな時に肉体的な衰えを感じることもあるから、年男を良い節目として健康についてももっと考えていきたい。これから始まる社長としての後半戦に向けて頑張ります」 -
【新年号】子育て支援と地域のネットワーク網構築を目指し、ファミリー・サポートセンター、次への課題
少子化が加速する中、上伊那でも各自治体が「子育て支援」を優先課題として、さまざまな政策を打ち出している。伊那市は昨年4月、「ファミリー・サポート・センター事業」をスタートした。子どもを預かってほしいという依頼会員と、子どもを預かる協力会員に登録してもらい、センターがコーディネート。依頼会員の要望に応じて、協力会員が子どもの送迎や一時預かりなどを提供する有償ボランティア。安心して子育てができる環境の実現と、子育て支援を通じた地域のネットワークづくりを目的とした新しい取り組みは、9カ月を経てさまざまな課題も見えてきた。
◇ ◇
同サービスは依頼会員の対象を「市内に住む生後3カ月縲・2歳までの子どもを育てている家庭」、協力会員の対象を「20歳以上の自宅保育が可能な人」として、特別な資格は求めていないが、協力会員には市の行う事前講習への参加を求めている。12月1日現在で、協力会員37人、依頼会員42人、両方の役割を担う両方会員5人が登録している。
サービスの利用内訳は送迎の利用が圧倒的に多く、一時預かりでは「母親の受診」「PTA活動への参加」「仕事の都合」などといった場合に利用がある。実際に利用した依頼会員からは「助かっている」「子どもも信頼しているよう」など、喜びの声も聞かれる一方で、利用件数は4月当初から40件前後を推移。大きな伸びは見られず、会員数も月に数人ずつしか増えていない。
◇ ◇
協力会員には、子育てに一段落した中高年や、現在も子育て最中の人など、さまざまな世代が登録している。「協力会員」という形を取った理由の一つには、地域にいる若い世代の子育てを、各地区の住民に支えてもらいながら、地区内に網の目状のつながりを構築したいと考えたからだ。しかし現状では、地域によって登録者のばらつきがあり、ある地区の依頼会員から要望があった場合、まったく別の地区の協力会員が対応している事例も多々あり、地域ネットワークの構築までには至っていない。
◇ ◇
双方の会員数が伸びない最も大きな要因は周知不足。しかし一方で、地域のつながりが希薄化する中、子育てにおいても「他人に預けるより自分で育てた方が楽」と考える親が出てきており、地域住民にも、自分の時間を費やしてまで参加しようという意欲を持つ人が少なくなっている現状もある。
市の担当者は「自分以外の人に子どもを預けることで、子どもの知らない一面を知ることもできるし、ベテランから、子育てのノウハウを学ぶこともできる今後は周知を徹底し、各地区に会員を増やしていくことが課題。依頼会員は、利用しなくても登録だけしてもらうなどしてもらいたい」と語った。 -
50代・60代へ熱いラブコール
・ス団塊の世代・スが60歳の定年を迎えることによる大量退職が07年から始まる。まだまだ元気に働ける熟練技術(技能)者の継続雇用や新天地(別会社)での採用など、上伊那の経済活動を停滞させないための各種取り組みに期待がかかる。一方、定年を目前にして一念発起、起業を決意したパワフルな50代もいる。自治体や商工会議所なども・ス大量引退・スの「負」のイメージを「正」に変えるべく、ようやく施策を展開し始めた。
【商議所・自治体の対応】
伊那商工会議所は創業支援事業として04年に「創業塾」を開設。起業のためのアドバイスなど、年間30時間の講座を展開している。受講者は団塊世代に限らないが、伊藤正専務理事代行は「熟練者の技術や技能を埋もれさせたくない」と応援する。
これまでに、旅行業、飲食業、製造業などの起業例がある。今年も何人かが、50代からの再出発に挑戦する。
一方、過疎化などに悩む自治体も、団塊世代の受け入れ(U・I・Jターン)で地域を活性化しようとの動きを見せ始めた。
伊那市の庁内若手チームは「高遠大学」や「メールマガジン配信」などの各種施策をまとめて昨年12月に市へ提案した。
「高遠大学」は、全国的にも知名度の高い「高遠」の名を使い、団塊世代に人気があるそば打ち、陶芸、農業などを体験、学習してもらう企画。「まず一回、市にお金を落としてくれる。伊那市のすばらしさに触れ、将来的に移住につながれば」と期待する。
メールマガジンの配信も、市の様々な情報を送ることで将来の移住や帰郷につなげる。
同チームは「自治体による団塊世代の争奪戦という状況。伊那市は他市町村に遅れをとっている」として、提案が採用されることを期待。
市は提言を関係部課で検討し、近く方向性を打ち出す。 -
2007年
団塊の世代が大量引退へ企業の情報化を担うなど、戦後日本経済の中で大きな役割を果たしてきた・ス団塊の世代・スが大量に定年を迎える2007年。この世代が蓄積してきた技術・技能の継承、社会保障への影響などが国内の大きな関心事となっている。上伊那では団塊世代の大量引退をどのように受け止めているのか。競争社会にもまれながら戦後日本の新たな価値観を生み出してきた世代をねぎらい、雇用延長や起業などの新たな展開を応援する施策にも期待がかかる。
職人制度や「社内の学校」
第2次世界大戦直後の1947年から49年のベビーブームに生まれた・ス団塊の世代・ス。中でも人数が最も多いとされる1947年生まれが、07年には60歳の定年を迎える。
団塊世代の定年退職は2010年まで続き、それに伴うさまざまな不安・課題が国内では数年前から「2007年問題」として取り上げられてきた。特に、企業のIT基幹系システムを構築し、さらに運用などに携わってきた世代が一斉に会社を辞めることで、企業現場固有のマニュアル化しづらい技術・技能の継承が途絶え、基幹システムの維持が困難になるのではないか、と危惧されている。
上伊那の主要企業でははたしてどうか。07年の定年退職者数がここ数年の平均の3倍以上に達する企業もいくつかあるが、いずれも、基幹システムについては、構築時期のずれや団塊世代の人数規模などの関係で大きな不安はなく、技術・技能の継承面全般についても、「影響はある」としながらも混乱や戸惑いはないようだ。
特に、職人的な作業や機械化困難な作業の多い企業で危機感が強いとされているが、上伊那の各企業の技術・技能伝承が比較的円滑に進んでいる背景には各社の・ス職人制度・スあるいはそれに準ずるシステムの導入が功を奏している例があることも見落とせない。
6年前から・ス職人制度・スを導入している製造業大手のKOA(本社・伊那市)は、卓越した「技」を対象に経営陣が・ス職人・スを認定。専門技術・技能を磨いて伝承することが社員の「働きがい」にもつながっている。人事担当者は「人事制度の一環で、特別、団塊の世代を意識したわけではない」とした上で、その効果を認める。
エンジニアリング部門なども抱える建設業の大手ヤマウラ(本社・駒ヶ根市)は、社内にいる「現代の名工」や県溶接コンクール優勝者などが「先生」になり、新人を指導する「社内の学校づくり」に4、5年前から取り組み、技能の伝承教育に成果を上げている。
65歳定年時代
多くが再雇用で対応
高年齢者雇用安定法改正で06年4月から雇用延長が企業に義務づけられ・ス60歳定年・スから・ス65歳定年・スへと段階的に移行していく動きが、技術継承に対する不安を緩和しているとも考えられる。
改正高年齢者雇用安定法では、現在定年を65歳未満に設定している企業は(1)定年を65歳まで引き上げる(2)65歳までの「継続雇用制度」を導入する(3)定年制を廃止する竏窒フいずれかを実施することを義務づけている。(2)の継続雇用制度には「勤務延長制度」と「再雇用制度」があり、上伊那の多くの企業は「再雇用」を選択。定年退職の社員が望めば、社内評価基準に照らし合わせて「嘱託社員」か「契約社員」として再雇用する。
新規採用を手控えて雇用延長したり、55歳以上の給与体系を見なおす中で生涯賃金が増えるように工夫する例も見られる。
数年前のリストラ(早期退職)の影響で団塊世代の07年退職が極端に少なくなった製造業大手もある。ライン作業者を中心に約100人が会社を去り、そのうち50代は20人前後いた。わずかな07年退職者は再雇用する方向だ。
一方、社員二十数人の規模で業績を上げている精密加工のフロンティア(本社・伊那市)は早くから、定年過ぎのベテラン技術者を雇用している。かつて地元大手メーカーで腕を磨いた経験があるような技術者たちだ。菊地睦昭社長は言う。「小規模会社こそ、そういう人たちに助けてもらって強くなれる。頭がぼけるか、体が動かなくなるまではしっかり働いて、技術と精神を残していってほしい」 -
左腕だけでイノシシを彫る
「親イノシシは精悍さが表現でき、ウリボウ3匹は愛らしくまとまった。まずまずの出来映え」-。病気で半身不自由になり、左腕だけで木彫に打ちこみ、数々の力作を制作している駒ケ根市北割2区の下平長栄さん(71)は、干支にちなみ、3カ月掛かって「イノシシの親子(浮彫り)」を完成させた。
横45センチ、縦30センチ、厚さ約4センチのシナノキに、木彫の師、中沢達彦さんが描いた原画をカーボン紙で写し、コツコツと左手だけで彫り上げ、黒と茶色を混ぜた染料を塗り、微妙な色合いを出し、木彫オイルで仕上げた。
市内銀座で長男の勇さんと一緒に中華料理の食堂「きよし」を経営していたが、91年、脳内出血で倒れ、右半身不随となり、リハビリの一環として、木彫を始めた。93年、県障害者福祉展入選、95年には同展で知事賞に輝いたという。
昨年までに干支の動物12匹を仕上げ、現在は、ほのぼのとしたお地蔵さんに、やさしい言葉が入る「お地蔵さんシリーズ」を制作中。予定する50作品中、26作品が完成、全作品が完成したら、個展を開く計画とか。
1935年生まれで亥年、今年は年男「これからも木彫1本で、1直線で頑張りたい」と話す。 -
天竜川ふれあい公園(仮称)具体的整備へ
中川村中央の天竜川
河川敷に整備する天竜川ふれあい公園(仮称)の整備計画を検討していたワーキンググループは昨年末、素案(平面図)をまとめた。近く設計業者に依頼し、基本設計を作成、国交省に申請。認可がおり次第具体的整備に着手する。
村内外から多くの人が集まり、にぎわう夢のある公園にと、参加者が現地に何度も訪れ、論議を深めた計画では、サイクリング、歩行者用道路は堤防上から山際の道まで公園の外周を1周する。親水広場は池や川を作り、水遊びスペースに。
芝生広場には円形花壇、バーベキュー広場、フットサルコート2面を取る。桜、モミジを植栽する。釜淵付近は自然観察林や花壇を整備、様々な花が四季を彩る。
河川敷のため、仮設の東屋やトイレを設置し、緊急時には安全地帯に移動する。駐車場は3カ所約80台収容。
夢ふくらむ天竜川ふれあい公園、早ければ年内にも形が見えてくる。 -
さくら丼パワーアップ
ふるさとCM大賞をきっかけに、1昨年デビューした飯島町の名物丼「さくら丼」をさらにパワーアップし、町起しにつなげようと、「さくらを咲かす会(小林馨会長)はお陣屋行燈市(2月10、11日、広小路で開催)や、2、3月の受験シーズンを控え、新メニューの開発と定着に向け、活発に動き出した。
1年中で最も寒い時期に開催される行燈市には、馬ひき肉を使った馬ンバーガー、馬コロッケなど、その場で熱々を提供できるテイクアウトメニューを研究。2、3月の受験シーズンにはカツ丼を意識し「さくら丼を食べてさくらを咲かそう」キャンペーンなどを検討中。中には馬肉のカツを使った「さくらカツ丼」でツキをダブルで呼ぼうというアイデアも。
同会は昨年、国交省の地域振興アドバイザー事業を導入し、ワークショップやレシビ研究会、会員7店が持ち寄った馬肉や馬ひきに使った新メニュー、30品の試食。コスモスまつり(10月14、15日)で馬ンバーガーや馬肉入りおやきを試験販売してきた。 -
頼られる熟練の腕
伊那市西箕輪の精密加工「フロンティア」(菊池睦昭社長)は6年前から、60歳を超えたベテランの技術者を採用している。「雇う」ではなく「協力してもらう」という考え方を持つ。
少子化などに伴い、企業もますます厳しくなる中、日本経済を支えてきた人の技術を継承していかなければと考えた。ベテランは即戦力。「小さいとこは、そういう人たちに協力してもらって強くなれるんだよね。時代についていくには、ベテランの知恵に現代の技術をプラスすること」と話す。
従業員の年齢は20縲・0代とバランスよく構成される。そのうち60代は4人。
地元の大手精密メーカーで腕を磨いてきた技術者たちが働く。ベテランは、新しいことに直面しても、今までの体験を通して身につけた技術を応用できる力があるという。「人生でも、仕事でも、経験者にはかなわない。定年だと言ってねかせてしまうのは、社会の損失」。頼られれば意欲も出る。
64歳の丸山伸之さんは、定年を超えてからの採用に「今までの経験を生かせることは幸せ。働ける場があることはありがたい」と仕事にやりがいを感じている。中山重喜さん(65)も「同じ年代がそろっているため、働きやすい職場環境」と言う。
「いいものを作りたい」という現場の思いは同じで、ベテランは若者から「パソコンを教えてもらおう」、若者はベテランから「知らない技術を覚えたい」と互いのギャップを埋め、コミュニケーションを図る環境が整っている。歯車が合うことで、企業にも活気が生まれる。
松沢秀充さん(66)らは「工業高校や訓練校を出ても、図面の見方、工具や機械の基礎など現場での知識は薄い」と指摘する。同じことを何度も聞きに来るなど自分たちの時代と比べ「覚える」ことが劣ると感じる。
若者には、自分たちの姿から仕事に対する心構えを学んでほしいと思っている。
同社の定年は60歳。しかし、次の定年は従業員が自らで決める。
生き生きと働くには、健康が第一。体調管理は、それぞれに任せているが「病院に行きたい」と言えば、そちらを優先する。そのため、全従業員に理解してもらうことが重要となる。
「定年を過ぎても、ひと花咲かせてほしい」(菊池社長)。ベテランのチャレンジ精神を若者へと受け継ぐ。 -
さらなる健康づくりへ
介護予防拠点施設新設箕輪町の健康づくりの拠点施設として07年、デイサービスセンターゆとり荘の敷地内に介護予防拠点施設ができる。
福祉空間等整備事業で、ゆとり荘の増改築、箕輪町社会福祉協議会の移転などを計画しているが、福祉施設などを集中することでサービスの幅を広げ、福祉の取り組みを点から面にする事業展開を図るねらいがある。
新施設の建設も同事業の一環。トレーニングと地域コミュニティの利用で健康づくりに役立てる。
ゆとり荘の南側に独立施設として建設し、渡り廊下でつなぐ計画。沢にある介護予防拠点施設「げんきセンター」と同様のトレーニングマシンを設置し、スタッフを置く。
事業計画は、熟年者の健康レベル向上を目的とする「みのわ健康アカデミー」の卒業生を対象にした継続的な健康づくり、指導補助者の育成、簡単な体操や講話などをする一定期間の継続的な教室開催、施設の一般開放などを予定しており、今後、検討を進める。
「みのわ健康アカデミー」で元気度を上げた卒業生については、引き続き新施設で健康づくりに取り組みながら、さらに「みのわ健康サポート隊」として指導補助をし、健康づくりの輪を地域に広める役割を担ってほしいと期待している。
05年度に開講したみのわ健康アカデミー。第1期生は06年度、げんきセンターを月1回利用するほか自主活動でウォーキング、マレットゴルフなどに取り組んでいる。しかし、アカデミー在籍中と比べ活動頻度が減少し、「もっとやりたい」との声は多い。町は、新施設の利用で今よりもきめ細かなフォローができるようになる-という。
熟年者の健康レベルが向上するなど一定の成果が出ているみのわ健康アカデミー。卒業生の多くは、例えば一般の人にトレーニングマシンの使い方を教えるなど指導補助者として活動する計画にも好意的で、アカデミーも点で終わることなく、面としての展開が可能になる。
多くの町民に健康に関心を持ってもらい、地域の健康推進事業の拠点として新施設を活用した、より発展的な健康づくりが始まろうとしている。 -
南箕輪村大芝高原「みんなの森」
森林セラピーロード今春グランドオープン森林セラピーロードに認定された南箕輪村大芝高原「みんなの森」。日本初の『森林セラピー基地・セラピーロード』認定を受けた南箕輪村を含む全国10カ所の07年春一斉グランドオープンに向け、準備が進んでいる。
森林セラピー総合プロジェクトは、森の自然があやなす風景や香り、音色や肌触りなど、森のいのちや力を実感することで心身に元気を取り戻させようとするもの。林野庁などで構成する森林セラピー実行委員会が06年4月、認定した。
アカマツとヒノキ林が広がる「みんなの森」は、景観などを考え立木の伐採を最小限にしたウォーキングロードを整備している。
舗装は、管理車道は天然石透水性舗装、遊歩道は伐採した立木のチップや砕石を利用。特にウッドチップ舗装の歩道は弾力があり、ひざに負担をかけることなくウォーキングが楽しめる。ウォーキングコース「フォレストコース」(2・4キロ、約35分)も設定。ほとんどの遊歩道が舗装されているため、車いすの人も散策できる。
村は06年7月、森林セラピー協議会を発足した。協議の中心は、観光、食事、運動、温泉、医療、森林など村の特長を生かしたメニュー作りの検討、人材育成、森林整備、看板設置。10月29、30日に森林セラピーモニターツアーも実施した。
ツアーはセラピーロード散策、マレットゴルフ体験、温泉入浴、健康チェック、ストレスチェックなどを盛り込んだ。東京都、神奈川県、長野県内から19人が参加。「みんなの森」は「とてもよかった」と好印象で、ツアー全体も「満足」と好評だった。
06年は、住民有志による「信州大芝高原イルミネーションフェスティバル」、村商工会商業部会の「南みのわフェア」、村営農センターと地区営農組合主催「まっくん収穫まつり」と、大芝高原を拠点に初のイベントが次々と展開された。
セラピーロードの認定をきっかけに、大芝高原の森を総合的に活用した健康づくりを推進し、村民らの健康増進をはじめ森林セラピーの役割や重要性の理解を広め、観光振興にもつなげたい-との思いを抱く南箕輪村。「みんなの森」に春の光が差し込むころ、グランドオープンする。 -
大みそかはそば屋さんのかきいれ時
暮れも押し迫り31日は大晦日、そば屋さんの書き入れ時-。
「越百そば」で人気の飯島町飯島の天七(伊藤昇志社長)ではこの日、男性スタッフ3人が午前5時から打ち始め200-300人分のそばを打つ。飯島産の玄そばを磨き、石抜き、石臼でその日使うだけひく。そば粉に2割のつなぎの強力粉を混ぜて、粉の芯まで水分がしみるように丁寧に水まわしをする。粉がまとまった後、力を入れて120回以上こね、1・2ミリの厚さまで伸ばし、慎重にそば切り包丁で1・2ミリの太さに切りそろえる。
この道25年の湯沢今朝男さん(62)は「打ち始めたら、最後まで無心に、丁寧に、お客様に満足してもらえるように打っている」と話す。
大晦日は予約の持ち帰り年越しそばが中心。
年越しそばはそばのように長く幸福にという縁起とも、金箔師が仕事場に散らばった金
銀の粉を集めるのに、そば粉を用いたことから、金銀をかき集める意味とも言われている